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踊る英雄譚

「征くか」


 玉座の上に座ったベオヴーフ国王・オーデン=トーフ=ダコハペンは、目の前で膝まずいた青年を痛ましい表情で見下ろした。


「本当に、王国軍から誰も連れて行かなくても良いのか?」

「はい」


 青年――ヴォルグ=ブラウンは顔を上げた。

 凱旋時の黄金の鎧ではない――地味な旅装束に身を包み、いくばくかの荷物を傍に置いた勇者の姿は、そんな華々しい姿など、見せかけの虚仮威しに過ぎない事を雄弁に語っているようだった。


「勇者殿――や、やはり、私の隊から騎士達を選別するので……!」


 国王の傍に控えていた豚が、鼻息を荒くして声を張り上げる。

 この期に及んでまだ諦めてなかったのか、とその場にいる誰もが思った――魂胆から何までデジャヴという他ない。内心苦笑しながらもヴォルグはそっちに真面目ぶった表情を向け、衆人の心中を代弁してやった。


「恐れながらお聞きしますが、卿とその騎士達は、魔族が攻めこんできた時、何をしておられたのですか?」

「そ、そんな事どうでもよいでしょう」


 参列した貴族達から挙がる失笑の声で焼きあがる豚の丸焼き、一丁上がりである。

 全く、普段の行いというのは大切だった。

 交流のない相手から脈絡もなく賄賂を要求し、家柄と金を笠に着て軍部の総括という地位に強引に座っていなければ――ただでさえ弱小な近衛軍が魔族の奇襲を前になんなかんのと理由を付けて閉じ篭るほど腐敗する事も、その指揮官が屋敷の前で漏らしながら奇声を挙げていたのを目撃された挙句に一晩で言いふらされ、この場で見栄を張る前になけなしのプライドが折れてしまう事もなかっただろう。


 しかしそんな手合でさえも、先代がついつい重用してしまったという理由で飼い慣らさないといけないのが王というものだ。思わずと言った感じでおでんから呆れたような失笑が漏れたのを、誰もが見逃さなかった。


「すまぬな」

「……いえ、それではそろそろ失礼します」


 一礼して重そうな荷物を軽々と持ち上げ、背後に振り向いた勇者は首をコキッと鳴らす。

 方々に配慮するのは存外疲れる。


 玉座の間から出てきたヴォルグは、壁に寄りかかっていた騎士に目を向けた。


「やあ、こんな所ですまない。外で見送りなどすると、何故君と一緒に行かないという愚にもつかない意見で周りがうるさくなってしまうのでね」


 魔族に攫われたお姫様を助けに行く英雄譚の勇者には、仲間の騎士が付き物。

 しかし例え魔族の前では等しく無力でも――弁えているかどうかで人物の真価すら違ってしまう。


「まだ治ってなかったんですか、それ」

「ああ――これは新しい奴だよ。たまに思い出すとまだ腹の虫が収まらないらしくてね、本当に実の娘のように可愛がってたから」


 そう言って苦笑した教導騎士団団長・シフォン=レア=レイバックの首筋には、くっきりと歯の型が付いていた。


「お世継ぎが生まれてくれば、多少は気も紛れるのでは?」

「まだ男と決まった訳ではないがね……流石に耳が早いな」

「それが命ですから」


 実にごちそうさまである。

 ヴォルグは少し羨ましくなった。自分とは無縁の物だ。


「あの人は……どこまで知っているんですか?」

「勇者一族に関して以外は全部だ――隠し事をすると、今度こそセルビア(実家)に帰られかねないのでね」


 こればかりはヴォルグも同意できた、女は全て知っている――知っている上で、こちらを放し飼いにしているのだ。


「それでは」

「ああ、こんな言い方は変かもしれないが、武運を」


 下手をすると今生の別れに、二人の男はアッサリと手を振り合う。


「そうそう、万が一、外で会った時、どう呼べばいいのかな?」


 騎士の王に顔だけで振り向いた青年は、何故か嬉しそうに笑みを深めていた。


「リベールと呼んでください」


    ※


 魔界には一つの学説がある。

 

 万物は闇素でできている。


 魔力とは闇素をこねくり回す力であり、魔法とは闇素が変化した姿である、というのは割と受け入れられている。しかしこの学説のキモは、そのや闇素が、そこらへんの石ころや樹木、果てには人族や魔族まで含まれている事にある。

 んじゃ人族や魔族はどうなるんだ、闇素のない人界はどうなるんだ、あーだこーだと各方面からツッコミを受け、たんこぶだらけのテンカウントも数え終わったその奇説を、ふとバイアンが口にした。

 気持ちはわかる。


 とりあえず、起こった事を一言で言い表してみよう。

 魔王城の隣にビルが建った。

 もう一度言う。

 魔王城のすぐ隣に、一夜で鉄筋入りのビルが建った。


 なんでやねん。


 建築学を突き詰めれば皆そんな形になってしまうのかもしれない長方形の箱型。ツルリとしたガラス張りの窓は流石に両開きのそれではあるが、それを除けば目の前のビルは地球上のそれとほとんど見分けがつかない。世界観に合わない事おびただしい。

 それをやってみせた本人は自分の作品を満足そうに眺めて頷いていた。ついうっかりと鉄筋の概念を提示してしまったその娘、魔界でも有数の美少女でもあるベリルは額に手を当てて天を仰いでいる。

 背後には一応はまだ現役(魔王)である三柱下僕(トライゴン)。騒ぎを聞きつけて魔王城の外に出てきた魔族や人族の使用人達が、揃って顎の関節可動域を試している。誰もがポカーンとビルを見上げていた。

 魔王城の外を巡回していた――近々改名してやろうとベリルが手ぐすね引いて待っているシャドウレギオンですら足を止めて肩を落としている。例外は地球補正のあるベリルや、女として外見と取り繕うのに慣れているフィレスやシラぐらいのものであろう。


 平原に、一際大きい風が凪いだ。

 誰もが言葉を失う中、唯一ベリルは地平線の如き平坦な声を出す。


「お父様」

「なんだ、娘よ?」

「これ、分解する魔導式はあるのですか?」

「う……うむ」


 パパはそこで目を泳がせる。


『ベリル様、一応組んでおりますよ』


 困った時のバイアンである。正に象が踏んでも困らない――ってそっちはランスロットの事か。


「……元通りにしてください」

「えー」


 まるで玩具をしまえと言われた子供のような声。

 おい前代魔王。


「元 に 戻 し て く だ さ い」

「わかったわかった、ただその前によいか娘よ?」


 何故か懐かしそうにこちらを見てくる父親に、ベリルはある種の経験を重ねた女にだけ出来る視線を返して。

 馬鹿な事を言い出したら噛んでやろうか。


「何でしょうか?」

「魔力が勿体ない――折角作ったのだから実物の検分ぐらいはしてよかろう?」


 非常識の中の正論に、その当の魔力源である少女は今度こそガックリと肩を落とす。



 ところで、前代魔王無き――亡きではなく――後の、現在の魔界の勢力図に関して。

 今更言うまでもなく、魔界の権力中心と言えば魔王だ。

 二代前のような好色家だとか無駄に金銀財宝を集めてニヤニヤするのが大好きだとか――まるで五十代に入って、仕事以外の趣味が全く無くなっていた事に気付いて愕然したお父さんの如き輩を除けば、魔王というのは大体は侵入者を撃退すれば三食昼寝付きな生活を過ごせるという怠惰さに満足してしまう。つまり玉座の上でボケーとしながら、実は人界に手を出さなければやってこない勇者が来るまで座っているのが常である。


 それ自体は問題ない、ある意味魔王城のシステムとは魔王が妙な事を考えないように快適に過ごせるように――長い時を経て歴代魔王その者の意志とは関係なく構築されている。世界で最強の名実共に自宅警備員という、ある種の方々には夢と希望の詰まった生活を手に入れるために、魔族の皆様は血ヘドと汗を撒き散らすという本末倒置な現象が起きているのである。


 ところが現魔王の場合、ちょっと事情があるのでその魔王のテンプレートからやや外れている。

 なんか丁度よくそこにいて、成り行き上、最強を夢みた魔族達をぶっ倒しまくったので魔王になってしまった我らがリビングアーマーズとリッチは、数千年にも及ぶ魔界が重ねた時間の中、使い魔で魔王になってしまうという偉業を達成してしまったのである。


 その筆頭と言えば、あれぇ、なんかすげぇ人気出てるなちっ主人公に据えれば良かったか二番煎じで新作でそういうのやっちゃおうかでもそういう時に限って人気出ねえんだよなまあいいや次回作のタイトルは女勇者はくじけない的なエロゲみたいなので――みたいな感じになっている滅びの鎧ごとランスロットである。


 こいつがまぁ、実に頑固な事頑固な事、主であるベリルに魔王城及び一般魔族と成り下がってしまったパパを守り切れと命令され、本当にそれをやってしまったのである。命令に忠実なのは使い魔たるリビングアーマーの性ではあるが――玉座の間から一歩も動かなかったのは、その、もうちょっとやりようがあるんじゃないかとツッコみたくなる。


 死ねばと言えば死に、死ぬまで働けと言えば猫まっしぐらに一直線。正に地球で言う社畜の鑑であるが――そのトップが両界屈指の美少女で近頃すげぇ色っぽくなった、超にド級が付くお姫様なので、男冥利に尽きると言えば正にその通りである。(ピー)のついた男は馬鹿野郎だ、(ピー)のついてない男は大が付く馬鹿野郎だ。


 ある意味では同じブラック会社的な扱いのセイブザクイーン(舎弟)がそれでもまだ使えるのは実にそのあれ、無茶苦茶やっても本当に死ななかったていうか死んだ後に蘇生した旧日本軍の異能生命体(舩坂弘)並にすげぇとしか言いようがないが――何時無茶が祟ってポッキンと折れてしまうか、流石に使い手の方も気にしていたらしい。現在はサス=カガタ総合病院預かりとなって暇を見ては魔改造を施されている。銘も擦り切れたしなんかもう聖剣じゃねえよな、なんという事をしてくれたのでしょう的な劇的ビフォアフターになりそうな気配だが、お姫様命な持ち主はもはや気にしていないので特に問題はないのかもしれない。


 ちなみに我らが主人公の筆頭騎士は現在素手である。それでも滅びの鎧の頑丈さを攻撃力に転用し、二年もの間に酷使された愛剣をカバーするための累積された試行錯誤で、そんじょそこらの魔族など問題ならないほど強い。むしろ今はメンテナンスとサポート体制が万全な分、手がつけられない。

 代わりの武器を探さないとは頑固にも程があった。ていうかこいつもう素手でいいんじゃないかな。


 んでもってなんか筆頭騎士と比べると地味ーになりつつあるが本人は人(?)生を謳歌している元飲尿趣味な魔剣、現獣の鎧ごと魂喰らい(ソウルイーター)――こいつも実にやばい。


 頑固で愚直にゴリゴリのガチンコ方面に特化した相方とは逆に、その無茶をフォローするために城外で露払いを続けた結果、お前は一体どこの一族だと思ってしまうくらいに不意討ち夜駆けに特化してしまったのである。

 いや、そこまではまだよかった、ある意味順当な進化と言えなくもない――魔王城を狙う不届き者にとっては、動かない魔王(ランスロット)よりも、実はフラッと現れてぶちのめしてくる魔王(ソウルイーター)の方が怖くとも、である。


 しかし物事には程というものがある。朝はワンコ(ロキ)と喜び城駆け回り、夜は冒険者を丸くする生活を続けている内、あろう事かとんでもない真理に気付いてしまったのである――即ち、手が多ければ多いほどいい、という至極当たり前だが、ヒロイックファンタジーの真逆を行く身も蓋もない現実に。


 つまりシャドウレギオン(闇の軍勢)という、今時中学生でも考えないような「ぼくのかんがえたさいきょうのぐんだん」のアイディア元は、ベリルではなくこの獣の鎧なのである。


 その後しばらく、工房は野戦病院と判別のつかないブラック企業と化した。数千年かけて積りに積もった魔王城の武器庫から、血気盛んな呪われた武器からまず志願者が選ばれ、そいつらが踊って跳ねるOBとしてお仲間の元に姿を現した時、既に枯れ果ててなんだ最近若造共がうるせぇな、という古強者達までもがいきり立った。

 彼らの共通はただ一つ、まだ見ぬ姫様LOVE――姫様L・O・V・Eである。

 仮想敵ならぬ仮想ご主人様の事を先達から聞いた、呪われた武器達はいきり立った――ああ幼女可愛いよ幼女、な幼き姫君を見た事のあるロリコンから、あの魂喰らい(ソウルイーター)をして首ったけの魔力は如何ほどか、なグルメまで一致団結したリビングアーマー達が、である。


 どの世界でも、厳しい鍛錬に基づいた肉体、豊富な経験に裏付けられた技術、そして揺るぎないモチベーションの三位一体を備えた集団というのは、とんでもないパフォーマンスを叩き出す事ができる――そういう意味では、ソウルイーターを頭として編成されたシャドウレギオンは、正にシリーズ二番目のターミネーターが織り成す軍団に等しい。


 結果、文字通りの鋼鉄の意志と共に人族の中央国家同盟、その盟主たるベーオヴーフ王国の首都がちょこっとだけ廃墟になった。実は陰でこっそりと糸を引いていたどっかの勇者の意向がなければ、ユグドラシルが丸ごと更地になってもおかしくなかった。

 どっかのでっぷり太った単なるおっさんにーちゃんを頭として頂く半島北の奴隷達が見れば、羨ましがる事間違いなしの戦果であろう。


 ベールを脱いだお姫様が予想以上だったので、使い魔補正を除いてすらベリルに絶対忠誠を誓う闇の軍勢はいまだにちょこちょこっと増え続けている――流石は魔王城三千年、その内爆発するようなリビングアーマーが生まれてももはや特筆する事ではないのかもしれない。

 なお、真っ赤なハートマークの上に銀色のスタイル抜群な女神を描いた軍団旗と共に、シャドウレギオンの名はベリルに抹殺された事だけをここに記す。合掌。


 なんかもうこれだけでお腹一杯な感じではあるが、まだもうちょっとだけ続くんじゃ。

 柱は三本あるのだ。


 という訳で、ある意味では諸悪の根源――大魔導師バイアンである。

 直接的な戦力(ガチンコ)の意味では他二体に劣るかもしれないが、技術体系的な意味でこいつほどヤバい魔王は――歴代を見ても魔法の基礎を作り上げたという、二代目魔王のマジックマスターぐらいしか思い当たらない。

 何せ、こいつがいなかったら転生の秘術は開発されず――今頃ランスロットも獣の鎧も存在せず、勇者ヴォルグとの愛憎入り混じった日々はなく、ベリルはふてくされながら社交界で群がる男を千切っては投げ千切っては投げ、ないしは強引に手篭めにされて子作りの日々を過ごしているはずなのだから。


 こう書いてみると――ある意味では諸悪の根源どころか、正真正銘の大戦犯であった。しかし更に手の付けられない事に、身内にとってはまるで気のいいお爺ちゃんと青い狸を足して割らなかったような存在なのである。

 24時間働いてもなお本人は物足りない、ワ◯ミの理想を体現したような真っ黒けのリッチだが、その成果は生ける人間を死せる屍として出力するブラック会社の比ではない。

 二年だ、ベリルが人界で乙女としての修行を納めている内に、彼女が発案したはずの魔導具学はどうやら工房という小さな世界の中で浦島太郎的な進化を遂げてしまったらしい。


 試行錯誤の年季では流石に勇者一族の双龍紋に遠く及ばないものの、マジックチャージャーはひたすら小型化・高容量の道を歩んだ。逆に先ほどパパがビルを建てるのに使ったような、大容量・大質量の蓄魔機(コンデンサ)が平原のど真ん中にデンと鎮座していたりする。魔導式に至っては専門的な体系では飽きたらず、更に枝分けしないと生半可な人物ではマスターできない領域に入りつつあった。

 異世界出身の元青年がもたらした概念を発端とする技術は、ここに至ってベリルの手を離れてしまったのである。


 その例の一つがベルセルク=フォン=タッカートだ。


 よく考えると魔王をも務め上げたのだ――勇者のような規格外の存在にぶちのめされなければ、バイアンの分析では三柱魔王が束になっても敵わないという史上最強の枕詞は、何もベリルの亡きお母様という核融合発電所から供給された大量の魔力だけが成せる偉業ではない。

 その証明として今魔王城の真横に世界観完全無視で建ってしまったビルの中を、今ベリルは懐かしさと喜びと不安に揉みくちゃにされながら歩いている。


 デザインは無論元青年の知るビルとは大分違う、しかし構造はより進歩した概念で構築しており、大地震の一つや二つぐらいではビクともしなさそうだった――下準備をしたとは言え、こんな代物をほぼ一瞬で組み立て上げたというのは、実は城を建てるのに一夜どころではなくかけた豊臣秀吉も真っ青である。


 魔法で周囲の環境から材料を抽出し、足りない部分は闇素をこねくり回して作り上げ、予め描いておける魔導式ならではの正確性と再現性――そこまではわかる。こんな事が出来るなんて本当に凄い。前代魔王というのは伊達ではなかった。殺戮に使っていた才能と経験を、生産的に使った時の凄味というものを、ベリルは今身を以て味わっている。


 元から建築士としての自分が気に入っていたのだろう――基本的に威厳のある退屈な日々を過ごしていた現役(魔王)時代が嘘のように、ビルの中を案内しながら楽しそうにビルを建てるための魔導式を説明する父親本来の姿が嬉しくないと言えば嘘になる。

 今ならわかる――(ナタリー)という魔力源を失い、ある意味では後戻りの効かない袋小路で、魔王タッカートが踏ん張っていたのは他でもないベリルのためなのだ。


 しかし、


 抽出用バリアント回路。デミタル式。建築における魔導式の、魔法との差異が幾何学的模様と対魔抵抗力及び余剰魔力の流出が空間闇素に与える影響を利用した


 ベリルには父親の言っている事が、半分も理解できていなかった。

 今更足りない自分の能力を認識した挙句、子供のように顔を真っ赤にして怒り出すほど、彼女も幼くはない。だが決定的な何かが足元から崩れる感覚を味わっている事を、ベリルは必死に周囲に悟られまいと微笑みながらごまかしている――猫を被る事が最大の特技である事実が、尚更少女を打ちのめす。


 どうしよう。


 今更バイアンを土に返し、工房の一つや二つを完全に潰してももうどうにもならない所まで、世界の片隅は変質し始めていた。

 チート、チート、チート――地球ではままらない現実から逃避するため、お手軽に使われたがために陳腐化された言葉。

 この異世界は、決してベリルを活躍させるためだけに存在する、趣味の悪い世界ではない。

 ベリルはチートではなかった、チートとは世界の事だった。

 今更ながら異世界から持ち出した遥か先の概念という代物の重みを――それのもたらす結果というものが未曽有の重量を伴ってベリルにのしかかって来る。

 周囲からベリルは神童だと思われている、ついこの前までは自分もその気だった。

 十歳(とお)で神童、十五歳(じゅうご)で才子、二十歳(はたち)過ぎればただの人。

 今も勇者の手のひらで踊らされて、痛いほどわかった事がある。

 様々な概念を知ってはいるが、所詮才能は人並みの人型ダイナモに、それを加速させる手段はあっても、制御する能力はない。


 飛べない者のために、エレベーターみたいなものの概念を話すと、パパは喜びながらバイアンと魔導フロートなるものの開発を打診した。ひょっとすると次はエンパイアステートビルを雨後春筍のように建ててしまうかもしれない。

 魔王城の皆がビルを出て、ベルセルクが一瞬でそれを鉄筋と資材の山に変えた後――人界から拾ってきた少年(ホーゲン)が、両目をキラキラと輝かせてリッチの方を、恋する乙女の如く何度も見ていた。初めて目にした時は漏らしてしまったほど怖がって二度と近付かなかったというのに。

 それはいい、元々頭の良さそうな少年には、魔導式の勉強をさせるつもりだったのだから。


 怖かった。


 技術の進歩、にではない。

 それを制御できなかった時、世界があらぬ方向に暴走した時。ベリルには何もできないだろう。混沌の中に混沌を投げ込んでも、それはより大きくなるだけだ。

 勇者一族が世界を停滞させていた理由を噛み締める思いだった。


 ベリルはただでさえ透き通るような拳を、更に血色がなくなるまで人知れず握り締める。一旦虎に跨ってしまったからには、虎を飼い慣らすか、虎に食い殺されるかの道しか選べない。



 ヴォルグに会いたい。

 彼なら、ベリルとは違う答えを聞かせてくれるかもしれない。



 その後、二年かけて、人界からスラム街にたむろっていた人族の子供達が根こそぎ消えて行った。それを喜ぶ事こそあれ、重要視した者は少なくとも中央国家同盟の上層部には一人もいなかった。

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