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突撃、隣の魔王城

 自分はどうしてこんな所にいるのだろう。


 ホーゲンは天井を見上げる。

 亡き母親が読み聞かせた物語でしか出現しなかったのに、想像の遙か上を行くシャンデリアがあった――ロウソクなんか一本も立ってないのに、薄暗い空間を切り取ったかのように輝いている。

 かつてない踏み心地の絨毯は芝生より柔らかく、草より音を立てない。

 着ている服もそうだ――なるほど、肌触りが違うというのはこういう事か。穴だらけのボロ服とはそもそも比べるのが失礼な気がしてくる。


「ホーゲン、どうしたの?」


 頭上から聞こえる声に顔を上げると、黒い毛皮に乗った双子の少女が少年を見下ろしていた。

 一ヶ月ほど腹の膨れる生活を過ごしてわかった事だが、二人は彼が生まれた村で見た、どの子供よりも可愛い――服に着られている自分とは違い、ドレスに包まれた小さな体は、まるで元々からこの豪華さの中に住んでいるようかのように違和感がなかった。仕草もそうだ、余程お姫様の存在が強烈だったらしい、見よう見まねで身に付けた仕草は街頭で迷ってた頃とは獣と人間くらいの差がある。


 そんでもって二人が跨ってる毛皮。

 子供を三人まとめて丸呑みにしても余裕がありそうな口が、首の近くまで裂ける。巨大な狼があくびをしたのだ。


 ありえん。


 二人に聞いてみたかった――どうして先ほど目にしたばかりの巨大な獣の上で、キャッキャッと喜びながら前方を指させるのか。

 ぶふー、黒いフェンリル(魔狼)は牛みたいなため息を鼻から出して、のっしのっしと無人の廊下を進んで行く。


 ここは魔界、常闇の世界――どころの騒ぎではない。

 魔界を統べる魔王――その居城の中に、つい一ヶ月前までは人界のスラムで乞食をしていたホーゲンは立っていた。


    ※


「やっぱり子供は順応が早いね」


 ロキの背中に跨る子供達を見ながら呟くベリルに、執事姿の美女は呆れた目を向けた。

 お嬢様も一応子供なのですけど――という台詞は口に出せない、ドの付く美少女な外見こそまだどこか幼さを残してはいるものの、身にまとう雰囲気はとてもではないがカタギ(未成年)のそれではない――夏休みの後に、いきなり鼻で同級生を見下し始めた高校生など赤子扱いである。

 本当に、人界で何があったのかしら――知らない内に前代魔王の孫が生まれる事態になられていては敵わないので、嫌がって半泣きになった主を鞭の後の飴で説得して生娘なのは確認したのだが。それにしては反応が……


 うーん。

 お尻でも使ったのかしら?


「それではお嬢様」

「うん、あとはお願い」


 ひでぇ事を考えてる蜘蛛執事(アルケニー)の心中など知る由もなく、ベリルは子供達に背を向けて歩き出した。背後から続く獣の鎧。

 立ち止まっている暇は無かった。



 門番のスケルトンABは変わらずそこに立っていた。

 彼らの間を抜けて工房に入ると、人界に行く前では見慣れなかった人物の背中がまずベリルの目に入る。

 その姿は、まるで工房が自分の物のようによく馴染んでいた。


「お父様」


 魔界に戻った後、ベリルが初めて背中から抱きついた時。思わず漏れたといった父親の呟きは、ずっと忘れないだろう。


 ――ナタリー。


「ベリルか」


 魔導レコーダーで投影された魔導式と睨めっこをしていた前大魔王であるベルセルク=フォン=タッカートは、目元を緩ませて愛娘に振り返った。


『これはベリル様』


 机の前でふよふよ浮いていたバイアン(リッチ)も会釈する。


「何をしておられるのですか?」


 現役(魔王)時代と比べて、随分と縮んで黒くなくなった父親の首に両腕を巻き付けながら、ベリルは空中に投影された魔導式を見上げる。

 それは膨大なだけでなく、緻密かつ複雑だった。ベリルにはもはやその一角ですら理解できない――幼稚園児の頃、近所のお姉さんに見せてもらった化学の教科書を眺めた時の事を思い出す。

 一応は目の前にいる大魔導師の教えを受けているというのに――つくづく自分の才能の限界というものを自覚させられる。


「なに、建築用の魔導式を組み立てている途中で気付いたのだが――」


 それはもう聞いている、前代魔王にハーレムの建築士としてお城に召喚されたのが母親との馴れ初めだとか。

 しかし続く言葉は、元青年を驚愕させた。


「描き上げた魔導式を入力して、作れる物を予め確認できるような機能が欲しくてな、それを魔導レコーダーに追加しようと思ったのだが……」

『これが結構難儀しておりまして、圧縮前だとこんな巨大な魔導式になってしまったのです』


 しかもバイアンが映像に指骨を当ててスクロールして見せる。

 今視界に収まっている範囲の数十倍はあった。


 聞いた事がある、地球最古のコンピューターは、巨大な部屋を丸ごと占拠する真空管の固まりだと。


 つまりバイアンとベリルのパパは、電脳ならぬ魔脳、読み方は同じコンピューターでいいか適当に――をこの世界に産み出そうとしているのだ。


 不安に押し潰されそうだった。

 だからそれらとは関係ない――後回しにしようとしていたその疑問を、今解こうと思ってしまった。


「…………ところでバイアンさん」

『はい?』

「ちょっとだけ庭園でお時間いいですか?」

『構いませんよ、ではベルセルク様』

「ああ、また後でな」


 幸い、魔導式に夢中になったベルセルクはあまり気にせず、工房を出ていく二人を背中越しに手を振って見送った。

 こればかりは聞かせる訳にいかない、お父様は今ではただの魔族なのだ――ベリルの疑問を聞いたら、ただちにユグドラシルに突撃しかねない。

 母娘をよく知る父親として。



『ふむ、人族に魔力を注入すればどうなるか、でございますか』


 なるほど、しゃれこうべと両腕に骨でも実体を残したのはそのためか――というぐらいにこのリッチはよく顎を撫でる。


『試した者がない訳でもないですが、結果としては全員死んでおりますな。というか、魔力を直接人族に注ぎ込み、殺すための魔法がある訳でして』

「……そうですか」


 まあ、ベリルの推測でもそうだったので、さほど落胆はしなかったが――もしかして、とちょっとばかりの期待があったのも確かだった。


『ベリル様、そもそも人族と魔族の、最大の違いは何ですかな?』


 魔法の授業をする時の、教師っぽい口調に切り替えたバイアンに、ベリルは答える。


「あ、はい……魔法を使えるかどうか、ですか?」


 一応、ではあるが、体質がアレなベリルでさえも自己融解覚悟で股から出せるのである。


『少々違いますな。魔力を持つかどうか、でございます』


 あ、そうか。ベリルはおでん王との謁見の時に、両手に持たされた水晶を思い出す。魔法ならば使う使わないという選択肢がある。しかし自然に放出される魔力というのは止める事ができないのだ。

 かつて贈られたのは工房に持って行く気にはならず、なんとなく塔の自室に飾っている。


 よろしいですかな、とバイアンは前置きを一つ。


『そもそも魔族と人族の関係性はいまだに諸説あるのですな――魔族と人族で子を作れるので同じ生き物であると主張する者がいれば、人族に魔力が存在しないので別物だと語る者もおります』


 まあ、そんな所だろう――子供が作れ、その子供にも繁殖能力があるというのは地球の分類学で言えば同種であるはずなのだが――この異世界でもそれが適用できるとは限らない。そもそも界門綱目科属種と言った生物の分類というのは、地球でも分子の世界も覗けるようになってから、また変わると言われていたはずだ。


『まあ、この場合、どちらかというのは重要ではありますまい?』

「……はい」

『変わるものですなぁ、初めてお目にかかった時は男などそこらへんの石ころ扱いでしたのに』


 ヒクッと口の端が引き攣るのがわかる、耳の先端まで熱くなる感触――両の拳を握りしめてベリルはぷるぷると震える。

 ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ。

 相談事が男とヤれるかどうか、という事を見抜かれるのは流石に墓穴に飛び込んでしまいたくなる。

 しかしこれはしょうがない事でもある――なにせ、目の前の大魔導師とは人生の桁が二つも違うのだ。


「えっと……誤解があるようですが、人族というのはあの子供達の事で……」


 人族を魔族にできるのなら話は俄然早くなる――というかこれが建前のつもりだったのだが。


『それもある、と言った所でしょうかの?』


 駄目だ、分が悪いどころではない。


『正直に私の推測を申しましょう――ベリル様が人族と(まじ)わると、恐らくその相手は死ぬでしょう』


 ふと、ベリルの知識の端で引っかかるものがあった。

 死。

 今までそれの存在を考えなかったと言えば嘘になる。


「転生の秘術……」

『無理でございますな、馬鹿な事を考え出す前に言っておきますが、あの術は死人を蘇らせる術ではないのでございます。死人は、生き返りません。ランスロットも私も、既に使い魔なのです』


 バイアンは即座に斬って捨てる。


『ベリル様、これは千年も無駄な時間を過ごした老骨の独り言でございますが』


 そう言ってバイアンは髑髏に開いた二つの虚ろな眼窩を上に向けた――昼間でも薄く暗く、人界のように太陽も月も満点の星も見えない魔界の空を。


『ご自分に嘘をつくのはお止めにした方がよいかと――特に我々魔族にとって、人族というのはふと気付けば死にかけたりいなくなっていたりするので』


 ベリルは返す言葉を失った。

 理屈では痛いほどわかっていた事だが、それでも理解度が足りなかったらしい。もはや魔族ですらなくなったリッチが魔法で発する言葉には、千年の重み(実体験)があった。

 ではお先に失礼。ふよふよ去っていくリッチを見送る――独りにしてくれる辺りが敵わない、と思う。

 ベリルは馴染みになった花壇の前で膝を抱えた。


 もう、半年だった。

 自分に嘘をつくのは止めた方がいい、ごもっとも。

 二人の道は既に分かれている――再会とは、どちらかの最期なのだ。

 それでも無意味な疑問の蓋を持ち上げようとしたのは――勇者が人界での目標を果たした後、それでもベリルをしばらく傍に留めていたのと同じ理由だろう。


 世の中には、わかっちゃいるがしょうがない事もある。


 その時が来た時、自分はどうするのだろうか。

 自ら死を選ぶのか。

 相手を殺すのか。

 それでも秘術を掛けて傍に置いておくのか。

 わからない。


 それでも。

 だからこそ。


 今、無性に会いたかった。

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