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ハーメルンの笛吹き姫

 名前はホーゲンと言う、姓はない。

 それどころか金がない、食料もない、住居もない――両親は二年前に他界し、近くから遠くへと親類のツテを幾つも辿ってたらい回しにされた末に、藁小屋を出てカンカン照りの下で畑を耕してまた藁小屋に戻るという生活の先のなさに嫌気が差して逃げ出した。


 しかし世の常として――逃げ出した先もまた地獄であった。木陰で涼んでいる獄卒がいるかいないかの差があるだけだ。


 幸い頭は割と回る方だった。大きな港町に潜り込んで町人の同情を頼りに、ホーゲンは辛うじて生きていた。

 同じような境遇の仲間も出来た。

 泣き虫のリリー。その双子だが負けん気の強いミリー――あまりにも適当なネーミングは、男女の営みの結果としてつい出来てしまったが、手に負えなくなってポイされた二人の境遇そのままに直結している。

 ゴミ溜めの横で震えている所に、パン屋から貰ったカチカチのパンをホーゲンが差し出すと、気が付けば一緒に乞食していた。

 そんな余裕などないのに、それをしてしまったのは――人は孤独と友達にはなれないという事だろう。

 だがそういう生活を続けながらも、下手に頭が回るだけにホーゲンは気付いてしまった。


 自分たちに、先などない事を。


 例えば今彼のあとをついてくる双子だ。いまだ舌っ足らずの言葉を話す二人は、ところどころが煤けながらも腰まで伸びっぱなしの綺麗な銀髪をしていた。

 今や二人とも肩までの長さしかなく、悪い大人に騙されてもなおキョトンとしている。

 それが金になるとわかっていたら、まずはホーゲンが二人を丸刈りにしていたというのに――そう出来ていたら、今頃三人は何時もよりもちょっとだけ膨れたお腹をさすっているはずだ。


 二人は、それすらもわかっていなかった。


 いや、髪を切るのにも刃物が必要だ。先立つものを借りようとしても小汚いガキの相手をする人間はいない。

 ハサミとは言わない――粗末なナイフ一本を買うための小銭は大通りで同情を乞う必要がある。地道に街中を駆けずり回って数ヶ月もの間、必死に集めた上に、他の子供達に奪われないように守らなければならない。

 

 二人は、それすらも考えつかなかったらしい。


 昔のホーゲンは数日ごとに教会の説法を聞き、健在だった頃の両親から話を聞いていた。しかし今では、小綺麗な格好をした町人にはホーゲンと双子との区別がつかないだろう。

 後から聞いた言葉では、五十歩百歩という奴だ。


 ホーゲンにも、なりたいものぐらいはある。

 例えば、数日ごとにカチカチになったパンを半切れぐらい恵んでくれるパン屋の店主――その恰幅の良さを見ても、パンをたらふく食べれる事ぐらいは双子にも想像がつく。


 ホーゲンは考えた。どうやってなればいいのだろう。


 後から考えてみれば――小さくなった石鹸を貰って、海ではない川で全身と服を徹底的に洗って、毎日毎日しつこく店主にお願いして、店の前に転がっている糞を掃除する代わりに日頃から貰っている堅いパンを貰う生活を根気よく続けるべきだった。そうすればひょっとしたらその勇者に憧れている跡取り息子がある日トチ狂って家を飛び出したので、跡取りのいなくなった店主はホーゲンを徒弟として雇ってくれるかもしれない。


 当時の双子としてはこうだ――石鹸って何?

 当時のホーゲンとしてはこうだ――徒弟とは何をする職業なのか?


 無知とはかくも恐ろしい。

 女は将来を担保に娼館に潜り込めば餓死する事はないというのも、三人は知らない。双子の売り物になるほどの綺麗な銀髪なら決して断わられない事も知らない。

 だからその日もホーゲンは三人が死なないだけの食料を確保するために、双子と共に、路地で捨てられたゴミを漁っていた。


 その時だった、そんな三人を誰かが覗きこんでいたのは。


 まず視線に気付いたのは泣き虫のリリーだ――路地から覗く大通りに向かって、ポカーンと口を開けていた。

 続いて負けん気の強いミリーが「あ ほら さかなのほね! あらえば たべれる!」と叫んだ直後、同じ顔をした姉の様子に気付いて同じ方向を見る――リリーと同じ表情をしたら、どっちがどっちか見分けが付かなかった。顔の汚れと髪型の違いででああこっちかと気付くくらい。

 事ここに至って、同情と蔑みの視線に慣れたホーゲンも二人の様子を察知して――

 そこに立った人影に、視線を釘付けにされた。


「きれーい」


 どっちの声だろうか――呆けたような双子の呟きが全てだ。

 その女性はローブで頭から体をスッポリと包んでいた。こちらに向いた紫色の目は、朝日を受けた教会のステンドグラスみたいだった。顔の造形も今まで見たどの店の看板娘よりも綺麗なのが、まだ幼いホーゲンにすらわかる。

 同じ人間だとも思えない。

 いや、人族とか魔族とかという意味ではなく――同じ人間ではないのだろうとホーゲンは思った。

 あれは自分たちとは違う、別の生き物だ。

 その別の生き物は自分たちを見つめ、自分たちから視線を逸らす町人とは別の反応を示す。

 あまり大きくないはずなのに、透き通るような声は、大通りの喧騒を貫いて聞こえた。


「うん、まずはこの子達からにしよう」


 そして別の生き物は、あー、と迷ったように視線を彷徨わせ。


「別にいいかな――ランスロット、ソウルイーター、優しくね」


 どの道連れて行くのだから、聞く必要もないと考えていたのは、後になってわかった事である。

 彼女の指示と共に、大通りから二体の全身鎧が路地に入り込んできた。

 ホーゲンの前でしゃがみこんだのは、まるで昔絵本で見た狼のような鎧だった。少年が身構えるのを見て、前に差し伸べた手を止める。

 見ればもう一体の、それよりも一つ頭が高くて強そうな鎧が、両腕にそれぞれ双子を抱き上げ、立ち上がる。一瞬何が起こったのかわからなかった彼女達は、高くなった視点に、無邪気にもキャッキャッと喜んでいた。


「少なくとも私について来れば、飢える事はないけど」


 どう? と可愛らしく首を傾げる彼女を見て、ホーゲンは取り憑かれたかのように手を出してしまう。

 しかしその一方で、どこか諦めていたのは確かだった。


 例えこの先に待つのが死でも、今より酷くなる事はないのだから。


 そしてホーゲンの光と希望に満ちた日々は、ここから始まったのだ。


    ※


 うーん、本人達には悪いが臭い。


 路地で見かけた三人の子供をリビングアーマーズに任せて、先頭を歩くベリルは軽く眉をしかめていた。

 まずはこの子達を風呂に入らせなければならない、さもなければ自分で触る気にもなれない。

 ひどい話だが、それが正直な感想というものだ。

 幸いランスロットは子供の扱いに慣れているし、ソウルイーターはああ見えて手先がサス=カガタ並に器用だ。

 宿屋のおかみは汚い乞食三人を見て顔をしかめていたが、ベリルが銅貨を出すと何も言わずに風呂場を使うのを了承してくれた。

 その表情が言っていた――どこかの金持ちの自己満足な道楽か。

 ベリルにはそれを訂正するつもりはなかった。

 ある意味、それは事実なのだから。


 しかしこれからこの子達は飢える事はない、寒さに震えずに済む、ちゃんとした教育も受けられる――少なくとも明日をも知れぬ飢えに怯えながら路地裏でゴミ漁りをしているよりは千倍マシだと胸を張って言える。文句あっか、なのである。

 一体誰に向かって威張っているのかはわからない、ベリルは思わずドカッとボロいソファの上に座る。


「こら、お嬢様、はしたない!」


 宿屋で待機していたシラに叱られた。


「あ、ごめんなさい」


 反射的に謝ってから、耳に入ってくる若い声色に違和感を覚えたベリルはそちらに目を向ける。

 ベリルにも勝るとも劣らない二本の美脚を生やした、知的なすげえ美人がそこにいた――年のほどは二十の半ば。目を三角にしながら、モノクルのメガネをクイッと持ち上げていた。着ているのは執事服である。顔の造形が整っていると何を着ても似合う。やたらと男前なのは何故だ。


 ていうか誰お前。


 少なくともベリルの知るシラ(バーバ)とは、白髪を綺麗にまとめ上げた上品な老婦人であり、極彩色の甲殻な下半身にもう見慣れた八本の足が生えた蜘蛛女(アルケニー)だ。

 なるほど、バイアン(リッチ)が褒める訳だ。ベリルは今一度納得した――自分を見れば亡きお母様より美人かは怪しいが、少なくとも麗人の塔にある肖像絵よりは上である。うむ、私って嫌味な女だ。

 風呂場からキャッキャッと、双子らしい女の子達の喜ぶ声が聞こえた。

 あ、そう言えば三人とも一緒に風呂場に叩きこんでしまった。

 子供だからまっいっか、とベリルは思い直す。


 ちなみにリビングアーマーズ達はああ見えてズ◯ッグも真っ青の水陸両用仕様である。多少のお湯などは苦にもしないどころか、汚れたフルプレートアーマーを洗うのにも川ごとドプンなのだから恐れ入る――ただし油にドプンは勿体ないので許さん、元地球人はエコなのである。


「お嬢様、紅茶をどうぞ」

「ありがとう、シラ」


 性別を考えなければ、熟練した執事そのものの動きだった。目の前に滑り込んだソーサーから、ベリルはカップを持ち上げる。

 美味しい上に懐かしかった――母は既に亡くなっているが、ベリルにおふくろの味があるとすれば蜘蛛女(アルケニー)のがそれだ。


 そんな少女の横顔を、シラは感慨深く見つめている――幼少から万人の目を惹きつけずにはいられなかったが、人界からようやく戻ってきた今のお嬢様が備えつつある美しさは、女としての官能すら感じさせるものだった。

 もっと歯に衣を着せぬ言い方をすれば、今のベリルの仕草は、前代魔王が麗人の塔に三日三晩篭った後の奥方を思い出させる。


 本人曰く、貞操は死守したらしい――本当だといいが。

 魔王城に戻ってから半年の間、言葉少なく少女が語った内容から、人界で勇者と何かがあったのかはわかる――それが浅からぬものである事も。打倒勇者を掲げて魔王城の資料"室"と工房に入り浸っているベルセルク様の態度からもわかるし、母代わりとしてベリルを育ててきたアルケニーから見ても明白だった。

 しかし少女の考えは、彼女を生まれた頃から見てきたシラをして完全にわかっていない部分がある。

 だから執事の格好をしたアルケニーは今一度主の意図に探りを入れた。


「お嬢様……本当にあの子供達でよかったのですか? その気ならば魔族の――もっとちゃんとした出の家から集める事も可能でしょう」


 うん、とベリルはクッキーを摘みながら呟く。


「ゆくゆくは魔族の子供も集めたいけど、今は人族じゃなければ駄目なの」


 そう、あの勇者を滅ぼすためには。

 こっちを色々な意味で引っ掻き回してくれたお礼に。


 今の魔王の一人娘・ベリル=メル=タッカートの、

 それが当面の目標であった。

アンパンマン、新しい幼女よー

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