姫の帰還
ドンドンドン!
「旦那様!若奥様!いらっしゃいますか!?」
城内の騒ぎに気付いて心配した使用人の、ドアを派手にノックする音で二人はゆっくりと唇を離す。
チロリと覗いた舌の先を、ベリルは手で押さえるように唇の奥に引っ込め。
「ん……」
口の中にあったものを、まるで味わうように喉を鳴らして飲み込む。
上気した頬と潤んだ目を隠しもせずに、少女は青年と見つめ合う。
「……滅ぼしてあげる」
目の前の勇者の最大の理解者として――魔王の一人娘、ベリル=メル=タッカートのその一言は、反撃の狼煙だった。
拐かされ、たぶらかされ、女にされ――、
やられっぱなしじゃいられない。
勇者ヴォルグ=ブラウンは名残惜しそうにもう一度ベリルを抱き締めた。
耳元で囁く。
「次に会う時は――君の命を貰いに行くよ」
内容と裏腹に優しく響いたそれ、
別れの言葉だった。
※
突如ユグドラシルに現れた魔族の軍勢は、中央国家同盟の奥に引っ込んでいた人々に、魔族の脅威を思い出させるのに十分だった。
何せ闇の軍団という、ベリルが聞いたらあまりの恥ずかしさに転げ回るようなネーミングのリビングアーマー達は元々人間が着るための奴に魔力を通したのではなく、魔界でも有数の名工であるサス=カガタがそれ専用に一つずつ叩き上げた、言わばフルプレートアーマー・生ける鎧カスタムとでも言うべき、頭痛が痛い的な代物である。
ベオヴーフ国の兵士達は為す術もなかった。
剣や槍、弓の類は通らない。
メイスを叩きつけようとしてもリーチ差で返り討ちになる――てかメイスすら通用するか疑問である。
不意打ちしようとしたらFPSのチーター張りに超反応で振り向かれて残念無念また来週。
しかも相対している兵士達にはわからないが、魔王城の武器庫にウジャウジャいた魔剣妖刀魔槌魔弓その他諸々の呪われた武器(と一般にはそう思われている)を転生させたリビングアーマー同士の疎通用ネットワークは、言わばノードを構成しているそれぞれの端末がスパコンであるような、情報処理・伝達速度において地球の軍隊が使う戦術データ・リンクに勝るとも劣らない代物であるから始末に負えない。
一見地味ではある。しかし圧倒的な情報疎通の速度が、特に今ユグドラシルで展開されている都市戦でどれほどの効果を発揮するのかは論を待たない。
魔法は、十分に発達した科学技術と見分けがつかないのだ。
わかりやすく言うと中世ヨーロッパの世界に米軍特殊部隊の精鋭であるSEALSが舞い降りたという所の騒ぎではない――いきなり未来のターミネーター軍団が現代を通り越してやってきたという感じである。
今もほら、乱杭になった牙を腹に生やしたリビングアーマーが兵士の一人を路地で追い立てていた。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
何気に声楽家としての才能が開花したような――逃げる兵士の絶叫を聞けばわかる通り、追う方の見た目はかなりエグい。ただし路地のもう一方でたむろしていた仲間へ、ネットワーク内の連絡はこんな感じである。
『おーい、そっちに行ったぞ』
『はいよー』
バッカーン。
気の抜けた返事と共に、兵士が逃げようとしていた先の石畳をハンマーが叩き割る、危うくぺしゃんこになりかけた幸運な兵士は泡を吹いてひっくり返ってしまった。
『弱っ――人族の兵士、弱すぎ』
『しょうがないさ――どう見ても実戦経験ないだろこいつら、相手が悪いわこりゃ』
都市中に散らばったレギオン達が、ネットワークを経由して話題に参加してくる。
『まあ、ソウルイーターが言うには、俺らが全員でかかればランスロットの旦那ですらヤバいかもって話だしな』
『俺らすぐガス欠になるけどな、でも三柱魔王の一柱といい勝負できるとなりゃ、人族なんか勝負になんねーってこった』
『そっちはどうだ』
『お、凄いの発見、見る?』
『見る見る』
ほとんど事故現場を目撃した学生のノリである。
そうやってネットワークにライブ画面で映し出されたのは、ユグドラシル唯一の金髪縦ドリルだった。重そうな陶器製のカーラーをデコレーションのようにぶら下げて、豪華そうな屋敷の二階から外を見下ろしている。
『あ、こっちは豚みたいなのがぶひぶひ叫びながら漏らしてる、つい屋敷を半分吹っ飛ばしちゃったのがまずかったかな』
やーいやーい、ばっちぃのぅ、と声が挙がる。
『うるせー! しかし俺等が言うのもなんだけど――こいつら、よく今まで滅びずに済んでたな、その気だったらあの無駄に豪華な王宮、更地になってんぞ』
『あー、そりゃあれだ、人界って基本的に何もないじゃん、攻めこんでも利益がないからほっといてるだけで』
『ほう』
『ってバイアンさんが言ってた』
『あと調子に乗りすぎると勇者が出てくる』
『おーおー、怖い怖い』
はっはっはっ、と元呪われた武器のリビングアーマー達が笑い合ったその時、
アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン。
人界の獣では、決して出せる事のない凄まじい遠吠えがユグドラシルを丸ごと揺るがした。
『合図か――お頭、姫様いた?』
『いたいたー』
気軽な返事と共に――それぞれのリビングアーマーが見た情報をネットワークで統合して出来上がった3Dで描かれたレギオンの都市展開図の中、ポッカリと軍勢のいない地域に目玉と骨っこと黒いダイヤのシンボルが表示される。
『んじゃま、シャドウレギオン、主が城内を脱出するのに合わせて哨戒お願い、脱出ルートに寄ってくるのがいたら無力化しといて』
『ラジャ』『ほいよ』『うーい』『アフォマーティブ』『なにそれ』『そんな事より魔力食べたい』『楽しみだなー、姫様の』『うんうん』
かくして後に「悪夢の襲来」と呼ばれる、シャドウレギオンによるユグドラシル陽動作戦は、凄まじい破壊の爪痕を残し――物的な被害とは裏腹に、後詰めの城内守備軍が到達した時には拍子抜けしてしまうほどの引き際を以って終結した。
奇跡的に人的な重傷者や死亡者は少ない。それが少数の錯乱した味方に襲われた者だけだという事に気付いた者は更に少ない。
しかし惨劇の後に人々の関心を最も惹いたのは――白い花嫁ドレス姿の姫君が、巨大なフェンリルの上に載せられて大通りを疾走する姿であった。
※
篝火で白昼のように明るくなったユグドラシルから一瞬たりとも目を離さず、その男は丘の上に立っていた。
ここから見える混乱の真っ只中にある城門の中から、漆黒の軍勢がまるでぶち撒けられた墨汁のように広がるのが見える。
やがてレギオンがそれぞれの方向に散って行く中、獣の鎧が黒い獣を先導するように丘に駆け上がってくる――獣の上には、純白の点が見えた。
白い娘が丘の上に立った男に向けて呟く。
「……お父様?」
筋肉隆々ではない。そこまで黒くない。長い爪もない。翼が生えている。二年前、玉座の上に崩れるように座っていた時と比べて違うのは、細身ながらも引き締まったその体に、紛れも無い力感が込められている事だ。
魔王ではない――妻ナタリーに出会う前の、ただのベルセルク=タッカートは、フェンリルの背中から降りた娘に向けて両手を差し出す。
「お父様!」
「……娘よ、よく無事だった」
再会の抱擁と共に愛娘の頭を撫でる。
娘は変わった、それは外見ばかりではないだろう――父親としても、話したい事が積り積もっている。
というかあのクソガキ、ウチの娘に手出しやがってどうしてくれようか――と純白の花嫁ドレスを見て、二年前のあの日、父親としてのこの目の前で繰り広げられた
殺そう。
あれの寿命が尽きる前に。
だが今、それは後回しだ。
「帰るか……魔王城へ」
「――はい」
※
玉座の間で、一体のリビングアーマーが立っている。
ボロボロであった。
前代魔王の一閃をも無傷でやり過ごす滅びの鎧は今や傷だらけ。製作者のメンテナンスも間に合わずに地獄の業火が、室内に生じた落雷が、凍結が傷口からジワジワとその体を侵食している。破壊された鞘は打ち捨てられ、地面に突くセイブザクイーンですら激しい刃こぼれで見る影もないもない。
聖剣は折れなかった。
ランスロット、私が戻るまで魔王城を守りなさい。
二年前、主から下された命令――三柱魔王で最も闘争を経験した元スケルトンナイトは、ここから一歩たりとも動くつもりはなかった。
ふと、彼の幅広い感覚に、音が増えた。
ここ数ヶ月は静かだった使い魔の疎通ネットワークに混じり込んだ懐かしい喧騒。
そこから約一日ほど、城内が騒がしくなってきた――玉座の間の近くで、主の親友である天狗の少女が叫び、誰かと抱き合って泣いている。
主命の完遂される時が来たのだ。
やがて彼の待ち望んだ人物は、姿を現す。
元から常人離れした美貌だったが、二年の間に一体何があったのか、背後に控えた若い蜘蛛女が色褪せて見えるほどの色艶すら添えている
彼女を前に、ボロボロになったリビングアーマーは膝を折った。
まだ戦える。
また戦う事が出来る。
滅びの鎧は微動だにしない、しかし確かにどこかが震えている。
魔王の一人娘にとって最古の騎士であるランスロットは――激闘に耐え抜いて見せた、度重なる傷で文字すら読めなくなったセイブザクイーンの銘を声なく詠む。
例えこの身が砕けようとも、仮初の魂がすり切れようとも。
我が全ては、麗しき主君のために。
第二部、これにて終了です
引き続き物語の終着点となる第三部もよろしくお願いします