天狗のドリルを折る
「ちょっと失礼、よろしくて?」
いきなりかけられた声に、ベリルは顔を上げた。
読んでいる羊皮紙はルーブ国における勇者の功罪考。現王国の権力に見つかってもどうとでも言い訳がつく。これを書き上げた史官ですら読者がいると思うまい。
うっ、と怯む気配――気持ちはわからんでもない。どうあがいても手が届くどころか足元にも及ばない、どうしようもないものを目にした時、人は敵愾心よりも気後れを覚えるものなのだ。
男は男らしさにたじろぎ、女は美貌に尻込みする。
元男ならではの客観的視点がないと、単なる嫌な女だよなー、と思いつつベリルは感心してしまった。
人生三十年、見事なまでの金髪縦ドリルとの、初遭遇である。
ここで少しおさらいをしておこう。
この世界のファッションはイチから設定するのが面倒だという至極どうでもいい理由で、基本的には中世ヨーロッパに準じている。
そしてこの時期の女性の服装と言えば、膝下な規則など赤子扱いの、踏んづけそうなクソ長いスカートである、以上。
とまあ、これだけだと身も蓋もないのであえて付け加えるならば、数ヶ月前の誕生日にベリルが着ていたドレスのように肩や肌を出すのもありだ。無駄に装飾が発達した人界なんかは、王族の后とエリマキトカゲを並べるとどっちが人間かわからない有り様だったりと、バリエーションはそれなりにある。
ただし髪型の方はドライヤーがなかった。代用手段として魔法の存在する魔界はともかく、人界の方はどうしようもない。ヘアメッシュで固定したり三つ編みにするのが関の山である。辛うじてカーラーはあるのだが構造が細かいのでギルドからしか買えない高級品であるし、何より材質の問題でクソ重いのだ。
とどのつまり、寝ている時にまで陶器製のカーラーと一緒におねんねしなければ出来ないのだ、こんな永久保存してしまいたいような縦ドリルは。
ベリルの基本的な髪型はストレートや結い上げではあるが、一応は女の端くれの先っちょとしては、この縦ドリルの持ち主への疑問よりも手間と苦労への感心が先立ったという訳である。
「――ちょっと、聞いておりますの?」
はっ。
「あっ……ごめんなさい」
ヒクッと、縦ドリルの口端が痙攣する。
「このクリスティン=カールの話をよく聞かないなんていい度胸ですわね――流石は勇者ヴォルグ様の婚約者と言った所でしょうか?」
言外に、虎の威を借る狐だと言われる。やたらと胸を張って鼻でこちらを見下ろすような姿勢なのは、その台詞に余程のプライドが込められているせいなのだろう――恐らくは家名か、どっかで聞いたような聞かなかったような。
カールカールカール、そこから連想されるのは駄菓子のパッケージにプリントされたキャラではあるが、曲がりなりにも貴族風であるこの縦ドリルの家族に鍬持ってヘイホーな農家のおじさんはいるまい。
そしてベリルは、期せずして最大級のカウンターを放った。
「……お父上はどなたでしたっけ?」
青から赤、赤から青、皆で渡れば怖くない。
人間の顔色とは、黒いだけではない事をベリルは久々に思い出した。
「こ……こ……」
縦ドリルは爆発した。
「この無礼者!」
ミーミルの泉に大声が響き渡った直後、ガシッと縦ロールの肩を掴む者がいた。
「図書館では、お静かに」
遠い権勢よりも身近な脅威。
家柄が自慢の貴族と言えども、怒れる巨人に逆らう術はない。
逆らったらドリル付きの生首を防腐加工して吊るしてくれると言った様子のハゲに、縦ドリルは為す術無く、外の積もりに積もった枯れ葉の上にポイされる事となった。
それにしても見事なドリルであった。
あ、名前はなんだったけ。
農家のおじさんみたいな家名なのは覚えているのだが。
「ああ、クリスティン嬢ね」
「知っているのですか?」
「王都広えと言えども、そんな髪型を常時しているのは彼女しかいないと思うよ」
流石にこの異世界だと存在しないドリルでは通じないので縦ロールでベリルが説明すると、ドリルが言う所の勇者ヴォルグ様は皿の代わりにもなりそうなステーキを切り分けながら説明した。
両界を回る生活から王都の彩り豊かな食生活に切り替わったせいか、最近のヴォルグは背が伸びてきているような気がする、あとは服の外から触れた感覚では、前より硬い、筋肉が。今日のように実家での滞在から夕方に戻ると髪とかがボロくなっているので、何か鍛えてるのかなー、と思ったりする。
もっともそれはベリルも同じなのだが、フローラがスリーサイズを測る度に表現する、ムンクの叫びと考える人を足して割ったあの人間芸術は千年経った後も忘れる事はあるまい。
んで、そのクリスティンなるドリルが何者かと言うと。
「カール家とは?」
「カール伯爵は謁見の時、国王の一番近くにいた人、覚えてないかな?」
豚ではなさそうだ、という事はあの水晶を渡してきた無表情なガリガリ君か。
結果論になるが――今思えば、魔力を察知できる水晶を受け取っていてもそれを分析しなかったのは、柄にもなく浮かれていたからなのかもしれない。
嫌な事を思い出してしまった、ベリルは眉をひそめる。
「クリスティン嬢はその末っ子だよ」
ふと、ベリルはピンと来た。
「随分と親しいようですね」
「……ああ、うん、親しいというかなんというか」
この勇者にしては珍しく、目が泳いでる。
「――誕生日パーティの時に挨拶されて以降、少々しつこくてね」
なるほど。
ベリルはデザートのプティングを舌で転がしながら考える。
つまりあの大貴族のお嬢様は、この外道勇者がお目当てらしい。
実に結構な事だ、なんならボンレスハムのようにグルグル巻きにしてからのしを付けてクール宅配便で送りつけてやってもいい。
しかし問題はベリル自身の立場にある。
甚だ不本意ではあるが、世間では婚約者として通っている訳であり――縦ドリルやその他有象無象にとって、ベリルは目の上のたんこぶそのものなのだ。
詰まる所、あれは宣戦布告に来たのではないか、とベリルは今更ながら気付いた。
※
勇者と亡国のお姫様目当てに群がるハイエナ達から届いた山のような願書に対して、学園の関係者もただボケーとしてイエスマンに徹していた訳ではない。
何せその数たるや、学園生徒の数十倍もいるのだ、全員の入学を許可していれば大混乱は必至である。
ここでも目ざといおでん王は敏腕を発揮した。
後ろ盾としての勅命を受けた学園上層部は入学試験を厳しくし、勇者が卒業した後も休学退学を許さない罰則を設けた。生徒同士の諍いも普段は大目に見ているのだが、ベリルが入学した二年目にもなると、小さなトラブルで一発退学になった奴はたったの一ヶ月で二桁にも及んだ。
あの司書がドリルに対して強気に出れたのも、そういう背景もあっての事だ。あと、ハゲはハゲなりに、何気に結構な名家の出身らしい。
とまあ、それでも大貴族としてのコネと人脈と鼻薬をフル回転させて、激しい入学競争をなんとかくぐり抜けたあのドリルの背後に、ガリガリ伯爵の意図がないと言うのはへそで茶を沸かすようなものだとわかるだろう。
今日も今日とて勇者か目の上のたんこぶに接触するため、司書の睨みに怯みつつも、縦ドリルは静かに図書館の入り口を潜る。
それにしても鼻持ちならない女だった、亡国の王女と言えば聞こえはいいが、要は現在は下賤な平民という事ではないか。
しかも幼少時は魔王城に囚われて育ったというあの娘が、まともな教育を受けれている訳がないのだ――レイバック家の養女になっても、それは変わらない。
それをベオヴーフでも有数の大貴族に向かって「誰?」である、無知もここに極まれりだ。
確かに容姿がいいのは認めよう、それに奢らずに磨き上げているのも、相手の長所を認めるのも貴族のぬぐぐぐぐぐ。
――何なのよ、あの女は!
司書が怖いので叫びは心の中でだけ響き渡った。
反則であった、何を食ったらああなれるのかをダシにすれば、世の中の女は皆あいつの教徒になるのではないだろうか。
正妻以外はありえないというプライドが一目でポッキリと折れてしまった。
なるほど、妾になれれば上出来だとお父様が言うくらいだ。殿方なるものをそこまでよく知らないクリスティンでさえも、ベリル=レイバックと並べば、世の中の男は十人中十人がそっちに夢中になる事ぐらいわかる。
だが、こうなったら形振り構ってはいられない、カール家の底力を――ってそういやあの娘のバックには教導騎士団団長がついているのね。
くっそーくっそー、なんて嫌味な女なのだ。
現実という冷水をこれでもかっというほど浴びながら、それでも油に点いた炎の如く、萎えるどころか増々燃え上がるその闘志だけは称えようではないか。
ブラウン家の寄付で図書館に増えたソファの上、勇者はお姫様の太ももに頭を載っけていた。
その手が婚約者の尻を軽く撫でると、資料を読んでいたベリルは表情一つ変えずに、少年の手をペチッと叩いた。それでも姿勢を正して足の力を抜いてやる。
柔らかくなったふとももにヴォルグは満足したように羊皮紙で顔面を隠し、柔らかくなった膝枕で疲れた体を睡魔に預けた。
ドリルは崩れ落ちた。
羨ましいと思ってしまったのだ――勇者ヴォルグが。




