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小別は新婚に勝る

燃え尽きたぜ・・・真っ白(の砂糖)によ

 この野郎、どうしてくれようか。


 透き通るアメジストのような――しかし宝石では決して真似ができない揺れる瞳。

 身に付けているのは一見地味に見える黒いドレス。体のラインを強調するデザイン。下品ではない程度に開いた胸。極上のシルクを彷彿とさせるきめ細かい肌の上では、ブラックダイヤのネックレスが輝きを放っていた。

 編み込まれた光る糸がシャンデリアの光を反射していた――貧乏臭いと笑れているセルビアのデザイナーが考え出した、今年のセルビアドレスの流行だ。

 セルビアの女は武門に嫁ぐ。

 その武門というのが誰を指すのかは言うまでもない。



 何より、彼女には会場にいるある貴婦人達と共通の点があった。

 明らかに少女という外見にもかかわらず、年を疑われたのも無理はない。

 ほとんどの貴婦人はベリルと同じ年頃で、自らの意志以外の要因で誰かの妻となる。誰かに嫁ぐ事を何らかの任務として扱う中、望む相手と添い遂げる者だけが備えるものがある。

 未婚にも関わらず、それをベリルは持っていたのである。


 貴族達の視線を釘付けにした亡国の王女は、おでんに促されてペコリと優雅な一礼をする。

 その紫色の目が会場内で誰かを探すように彷徨う――一人の少年が前に出る。彼が混ざっていた若い貴族の輪は、先ほど彼らが悪口を言っていた対象が目の前にいたと気づいて顔を青くする。

 勇者ヴォルグが踊り場に登る、差し伸ばした手をベリル姫が取ると共に、楽団が気を利かせて音楽を変える。

 それがこの宴会の、始まりの合図だった。



 少女が何も言わないのが、むしろ不気味であった。


 主賓ともなると、パーティの中で二人だけの世界を築く訳にはいかない。

 ひっきりなしにやってくるダンスの誘いにお姫様は会場の真ん中でクルクル回っていた。この辺り、アルケニーの教育は完璧である。どこかの天狗の血と涙で築かれた、滑らかな動きで刻まれるベリルのステップに誰もが目を惹かれた。一人たりとも彼女が踊る相手の顔など覚えちゃいない。


 勇者の前では令嬢7割野郎3割の割合で貴族達が列を成していた。今にも整理券を配りそうな気配である。自己紹介などはまだかわいい方で、金の無心、妾の押しかけ、愛人の誘い、お疲れさまさあ一杯どうぞ、ところでご兄弟の方はと、血眼になった貴族達は呆れるほど元気がよろしい。まるで金を払えば握手ができるのが売りのアイドルだった。


 そしてヴォルグは、何時の間にか彼を囲んで話しかけてくる顔ぶれが、金髪茶髪フリルごてごてオーホッホッホッホッのローテーションが三周目に入っているのに気付いた。


「ちょっと失礼」


 そいつらの若干慌てた表情で確信が取れる。

 この会場でヴォルグを足止めする意味など、一つしかない。

 案の定、会場の隅っこでわかりやすい貴族達の人だかりが出来ていた。ヴォルグは強引に人混みを掻き分ける。迷惑そうに少年を見た貴族が、次の瞬間にはギョッと目を見開く。


 そしてヴォルグが輪の中心に辿り着いた時、ベリルは出来上がっていた。


 囲んでいるのが男ばかりなのは当然だが――この女、色恋沙汰にはやたらとガードが堅いくせして肩に手を置かれても気にしない。そこらへんは元男として同性との付き合いの感覚が残っているからなのだが、当然ながら事情をわかっている奴はこの世界に一人たりとも存在しない、お姫様は男に不慣れだと思ってグイグイと押し込んで行く。


 んでもって今ベリルがチビチビと飲んでいる、グラスに入ったピンク色の液体。

 その名もまんまのレディキラー――地球にあるスクリュードライバーと呼ばれているカクテルと同類の、度数が高いのに口当たりが良いアルコール。

 頬を赤く染め、目がトロンとしている。それだけで目の毒だった。


「で、では、ベリルひ」


 何を話しかけてもはい、はい、と生返事をしているお姫様の様子に、興奮してまくし立てていた男は、いきなり乱入してきた勇者を見て――開きかけていた口をそのままに硬直する。

 見覚えがある――謁見の時、ベリルの身柄を狙って、隷属の魔導式にイチャモンを付けてきた豚だ。

 ドンなんとかと言ったか――大貴族の次男に生まれ、親と長男が同時に事故で死んだというだけで王国の重鎮に居座っている豚は、あろう事か王宮で開催されるパーティの主賓に手を出そうとしていたのだ。取り巻きに手回しをしてまで。

 アホだった、どうしようもないほどの。


「ヴォるグ」


 そしてろれつが回っていない彼女は、ヴォルグを見て――ありえない事に艶然とした笑顔を向けた。

 それに見惚れながらも――いや、見惚れたからこそ、なおも食い下がるドンなんとか公爵。


「ヴォ、ヴォルグ殿、無礼ではありませんかね。ベリル姫は今私と……」


 勇者は、ただそちらに顔を向けただけだった。

 言葉の途中で口を開きっぱなしにした豚は、ヘナヘナとその場に崩れ落ちる。股の間に染みを作って豚を、取り巻きが慌てて引き摺って行く。

 ヴォルグはベリルを抱き上げた。軟体動物のようにヴォルグの胸板に身を預け、何が楽しいのかクスクスと笑う。勇者の眼光を受けた不届きな取り巻きどもは、顔を俯かせながらモーゼの海を作り出す。


 ヴォルグが休める客室があるかどうかを尋ねると、衛兵は緊張した態度で二人を案内し、ついでに誰にも立ち入れませんと客室の前で直立不動の姿勢を取った。

 そういうつもりではないと言っても信じないのは、まるで腹痛を我慢するような表情でわかる。

 とりあえずはお姫抱っこしたままのベリルを、ヴォルグはベッドの上に寝かせようと、

 タコのように首筋に巻き付いて降りなかった。

 まるで関節技をかけられたかのようにベッドに突っ伏す姿勢のまま、ヴォルグはベリルに声をかける。


「離してくれ」


 やだ。


 呟きは、耳元でしか聞こえないほどささやかだった。

 ヴォルグはため息を一つ、首筋に回されたベリルの両腕を解こうと――


 おうちに、かえりたい。


 ヴォルグは硬直する。


 おしろに、かえりたい。

 お父様にあいたい。シラにあいたい。ロキでもふもふしたい。ランスロット、ソウルイーター、プレア、グォルン……――


 呟きは呟くほど涙声になり、後半は嗚咽で聞こえない。

 他の者ならば、存在すらしない、今は滅びた遠き王国の事だと思うだろう。

 彼女をこの国に誘拐してきた当の犯人に何を、と思うだろう。

 しかししょうがない事なのだ。

 故郷から遠く離れた人族の国で、今のベリルが縋れるのは、たった一人しかいないのだから。


 まるで子猫のように泣きながら甘える少女から、ヴォルグは多大な苦労をして自分の体を引っぺがさなければならなかった。


     ※


 コンコンと、部屋のドアがノックされる音で、ヴォルグは我に返る。

 誰も入れないという衛兵の顔を思い出すが、別段やましい事をしている訳でもないので、ソファから身を起こしてドアを開く。

 薄々と予感はしていた。


「……あなたですか」


 教導騎士団団長・シフォン=レア=レイバックの背後で衛兵が申し訳なさそうな顔をしていた。ヴォルグは気にするなと手を振ってから、シフォンを室内に招き入れる。

 泣き疲れてベッドの中で眠りこける姫君を起こさないためか――シフォンは静かにソファに腰掛け、少年の顔を見上げた。


「ひどい顔だな」

「どんな風に見えます?」

「自分のやった事に気が付いて、愕然としている顔、かな」


 んな詳しくわかる訳がないだろう。

 勇者は懐から黒い双龍紋を取り出し、コイントスのように軽く放り上げた。

 それを再び受け止めるのを見て、騎士の王は口を開いた。


「"友よ、人族の王よ"」


 握り合わせた両手で表情を隠し、うつむいた少年が言葉を返す。


「"王たる私に友がいると思うか?"」


 それは遠き昔、二人の男の会話の再現。


「"いるとも、何故なら私も騎士の王だからだ、所詮は魔法も使えぬ微力な身だが、君の孤独を分かつぐらいは出来るだろう"」


 人族の王たる少年がクックックッと笑った。騎士の王である男もつられて笑う。

 ベリルが起きる気配はない。


「茶番ですね」

「ああ、全くだ――こうして話すのは初めてになるかな、勇者・ヴォルグ=ブラウン殿?」

「そうですね、騎士の王・シフォン=レア=レイバック殿」

「シフォンでいいよ」

「ではこちらもヴォルグでいいです――彼女があんたの命の恩人だというのは?」

「それは本当だ」

「……どこまで知っています?」

「全てを」


 ヴォルグの眉がピクリと動く。

 それに気づいているのかいないのか、シフォンは続けた。


「全部知っている、君が彼女を人界に強引に連れてきた事。その目的が彼女の研究を止める事のみならず、魔族にしか目が向いていなかった彼女に人族への具体的なイメージを植え付けるである事。そして……ベリル=メル=タッカートが魔王の一人娘だという事も――いや、であったと言うべきかな?」


 目を丸くしたヴォルグに、シフォンは苦笑して見せる。


「驚いたか? 何時まで何も知らない愚か者ではいられない、という事さ。9年前のあの日、魔族のお姫様に助けられた後、自分の馬鹿さ加減を痛感したよ。皮肉な事だな――あの出会いが無ければ、人族としてエクスカリバー(王者の剣)を帯びた私がここにいる事はなく、そして人族の王たる君と話をする事もまた無かった訳だ」

「今夜の彼女も……あなたの指図ですか?」

「いや、私は何もやっていない、妻が何か吹き込んだらしいがね――万が一がないよう、君達から目を離すなと言われたよ」


 ふー、とヴォルグは長いため息を一つ。

 つまりあの豚がいようといまいと、お姫様が酔っ払うのは規定事項だったらしい。

 そう言えば彼女は普段、ワインの一滴すら口に入れる事はなかった、つまりはそういう事だ。

 手に負えない。


「……どうすればいいと思います?」

「妻にはあのヘタレの根性無しの尻を叩いてこいとも言われたがね」


 彼女達の間の会話で自分がどういう扱いなのか、怖くて聞けない。


「だが、教導騎士団団長としての意見はこうだ――勇者として、彼女を抱く訳には行かないと思うなら、その判断には従えと」


 シフォンは腰から外し、ソファに立て掛けたエクスカリバーの鞘(アヴァロン)を撫でた。


「一つ言っておくが、今君がお姫様と駆け落ちして逃げ出したとしても、私は君達二人の味方でいるつもりだ――だが、君は勇者である事から降りるつもりはないし、降りれない、違うかな?」

「…………はい」

「ならば勇者としての矜持を見せるべきだ」


 俯いたままのヴォルグは、コクリと頷く。


「その上で男としての意見を言わせてもらうならば――彼女を大切にするといい、時間は限られているのだろう? 自制はするべきだろう、だが、今回のように逃げ出したりすると後悔すると思うよ」


 その通りだった。

 まさか今更のように、一族でもない者に指摘されるとは。

 いや、名実と共に勇者の正統として身を立てた今、一族の者でさえ少年に注進できる者はいない――道を外れた勇者に向けられるのは、言葉ではなく闇から飛来する無数の剣と魔法だ。


 人族の王・勇者に並び立つ騎士の王――その事実を噛み締める。

 全ての時代の勇者が教導騎士団団長と上手く付き合える訳ではない――それぞれの思惑が絡み合い、魔族の魔法によって殺された事にされている教導騎士団の団長は両手の指ではきかない。

 それでも――シフォンの言葉はヴォルグの耳の内側にまで染み込んだ。



 そしてシフォンが退室し、再び二人っきりになった客室の中。

 ベッドに沈み込み、彼に背を向けるようなお姫様の横顔を、ヴォルグは覗きこむ。

 寝息が聞こえない。


「答えて、どこから聞いていた?」


 それが命令なのは――とても大切な事だからだ、同じ部屋で話したというのは別に聞かれても構わないという事ではあるが、どこまで聞いているのかは把握しなければならない。

 ベリルは、隷属の魔導式に逆らえない。それでも少し抵抗して見せた。


「…………ヘタレの根性無し、から」

「ふーん、なるほどなるほど」


 ひいいいいいいいいいいいい。

 ヴォルグの表情を見るのが怖い、顔面を青ざめさせてベリルはベッドの上で硬直する。


「これは答えたくないなら答えなくてもいいけど――レイバック夫人に何を吹き込まれたのかな?」


 意外な温情の言葉に、ベリルはそろりと顔を上げて勇者の顔をうかがう。

 仏がいた――ただし、三面六臂の(阿修羅)

 たちまち軽く万歳した姿勢でベッドの上に組み伏せられ、身の毛もよだつ拷問を受けたベリルはひとたまりもなく白状した。

 んむ!ぷはっ!あっ……言います言います他の殿方の前でお酒を飲んだらほっとけなくて寄ってくるから、酔った勢いで考え得る限りの我侭を言えって――

 悪魔か、この女は。

 そういや魔王の一人娘だった。

 本当に――どうしてくれようか。


「これ以上誘惑するな、って言ったよね?」


 してない!というベリルの弁解は受け入れられなかった。

 どこか甘く響く悲鳴は、外で立っている気の毒な衛兵(独身、20歳)の耳にまで届いた。パーティの幕が閉じそうになり、最後の挨拶をさせるための連絡役が部屋のドアをノックするまで続く。

 閉会の挨拶は酔い潰れてしまったというお姫様の代わりに、勇者その者が如才無くこなしてみせた。かくしてベリル=レイバックの14歳の誕生日パーティは、円満に幕を閉じる事となる。


 実はその勇者に退治されて人前に出られないとは、とても言えない。

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