一難去って無理難題
あれ。
しきりに雨が窓を叩く音の中、魔導レコーダーが投影する映像を眺めながら、
ベリルはそれに気付いた。
そもそもの話として。
魔界製のマジックチャージャー――その元となった技術は、リベールが持ってきたものではないか。
マッチポンプかよ、と元青年は思わなかった。
勇者一族に伝わる秘伝の魔導式を渡した上に、4年もかけてまで壮大な自作自演をかましたとは考えられない。無駄すぎるのだ。
体目当てとも、ベリルは思わない。隷属の魔導式を刻みつけた時点で、ヴォルグはベリルを好きなように出来るのだ。しかしその気配は今の所なかった。
つまり、そこには何らかの意図があるはずなのだ――ベリルにマジックチャージャーを作らせ、またストップをかけた事には。
マジックチャージャの公開に待ったをかけた理由についてはわかる――世界のパワーバランスが大幅に魔族へと傾くのを防ぐためだ。
しかしマジックチャージャーを作らせた理由はわからなかった。あとでストップをかけるぐらいなら最初から渡すなという話なのだ。
つまりは、パズルのピースが足りない。
しかしこれだ、と思った――ミーミルの泉のある王立ベオヴーフ学園に入学させられ、今ヴォルグの命令でベリルがやらされている事は、パズルを埋めるために必要なのだ。
そこからは地道極まりない、勇者との共同作業だった。
朝起きる。一緒に朝食を摂り、一緒の馬車で登校し、ミーミルの泉に来る。肩を並べて羊皮紙の山から情報を魔導レコーダーに書き写す。寄ってくる生徒を払うために何度かキスをされ、膝の上に乗らされた。その日のベリルの機嫌次第では両方やる事もある。
お触りをしやがったらつねっていいと答えが返ってきたので、ベリルは虎視眈々と機会を狙っていたのだが――残念な事に、その機会はついぞ訪れなかった。
たまに訪ねてくる人間台風と町に出ては着せ替え人形にされながら――ユグドラシルにベリルが住み着いてから十ヶ月経った頃、パズルのピースは、ようやくその姿を現す。
何度も殺されながら真実を連ね続ける頑固な史官達がいれば、提灯記事を書くまで殺す君主達もいる。
そして骨のある奴は少なく、殺せばすぐにいなくなる、イエスマンで固めた歴史の出来上がりだ――歴史は勝者が作るという言葉の由縁である。
勇者とベリルが要約した魔導レコーダーのメモは、記録を辿れる千年以上に渡り、一つのパターンを形成していた。
魔族、どこどこに侵攻する。
勇者、魔族の指揮者を討ち取り、王都に凱旋する。
この繰り返しだった。
勇者の『犠牲者』は時に魔族の貴族だったり、死者の群を率いるリッチだったり、魔王その者だったりした。
そして共通している事はもう一つある、そこに人族の軍隊の記述が見えないのだ。
あっても大抵は壊滅しているか、逃げ帰っている。勇者という見栄の張りどころがあるせいか、人族の軍隊が魔族相手に勝ちを拾ったという記録は千年の記述を引っくり返しても、数えるしかなかった。でっち上げる必要がないのだろう。
異常だった。
人は体裁を整えたがる動物だ。勝てば大勝、負ければ辛勝、命からがらの逃亡が勇ましいしんがりとなる。以上の記述が全くないとなれば考えられるのは一つしかない――ズタボロに負けたのである、最初からいなかったと言い張れれるぐらいに殲滅されたのだ。あまりにも無惨な結果に終わった時、人はしばしばそれを無かった事として処理してしまう。部隊が無くなったのを、部隊が無かったとして処理するのだ。
無理もない。こんな事実が一般人に知れたら士気が下がるどころか、人族全体が魔族に隷従するように動きかねない。
しかし歴史に書かれなければそこに反省はない。記憶のみに記された惨劇が薄れた頃、人はまた繰り返すのだ。
魔王城の資料庫では、前代の魔王が単身で相手の指揮官を血祭りに上げて回り、無傷で悠々と魔王城に引き返したという記述があった。客観的に考えると、それは可能だろう――無数の剣戟はその身に届かず、その一閃は百の兵を切り裂く、ベリルの知る魔王とはそういうものだった。
ここまでの戦力差があると、戦いを仕掛ける事自体が馬鹿馬鹿しく思える。しかも魔界と人界は、今まで見てきた通り、豊かさに大きな開きがある――貧しくて戦いを仕掛けても勝ち目の見えない人族は、最初から詰んでると言ってもいい。
しかし帳尻はどこかで合わせなければいけない――ここで勇者の出番となる。
魔族は欲望に忠実な種族だ、集団の頭を潰せば各自の思惑をぶつけ合った挙句に空中分解してしまう。
あるいは魔族に負けて歴史上から抹消された勇者もいるかもしれない、しかし最終的には魔族のボスを叩いて軍を引かせるのだ――この異世界での勇者とはそういうものだった。
そして勇者の一族の行動に対して、ベリルには印象深いものがひとつある。
徹底的な口封じを伴う、隠蔽工作。
思えばディークもヴォルグも、敵を騙し、あるいは闇に紛れ、気がつけば勝負はついているように行動していた――そこから導かれるのは、魔族を真正面から斬り倒す華々しい英雄譚とは真逆と言っていい、闇に紛れて敵を討つ姿だ。
ベリルはそこまで考えて、勇者が華々しい英雄だと誰が決めたのだ、と思った。
地球のRPGか。ファンタジーか。それとも異世界のお伽話か――残念ながら、今までのベリルの勇者観を決めていたそれらは、全て事実無根の空想なのだ。
このような結論にしっくり来た理由はもうひとつある――元青年は、似たような存在に心当たりがあった。
選りすぐりの人員に最上の技術と装備を与えた、少数精鋭の近代的な特殊部隊――勇者とは、むしろそちらに近い存在であるのだ。少数で多数相手に戦果を挙げれという意味ではゲリラ戦も同じだが、その戦果を限りなく拡大し、確実にするためには技術的な優位が必要なのは明白だ。
技術的な優位を絶対的なものとしたのは一つの概念だった。
それは魔族が人族に対して絶対的な優位に立てる理由だった。長きに渡り、技術を磨き抜いた勇者が必ず魔族に勝つ理屈だった。
魔法は、十分に発達した科学技術と見分けがつかないのだ。
そしてある夜、ベリルは目の前にいる勇者に聞いた。
――ディークを殺したのはあなたか、と。
「そうだよ」
答えは、アッサリと返ってきた。
ミーミルの泉で、ではない。屋敷におけるベリルの寝室だ。こんな話、どこかで聞き耳を立てている人間がいる所で聞けたものではないのだ。
「すごいね」
微笑みすら浮かべて、ソファに身を沈み込ませたヴォルグはベリルを褒めて見せる。
「そこまで辿り着くまで、二年はかかると思っていた」
部屋の静けさが痛い。
寝室のドアと窓にカギを掛けて、外にまで音が漏れないように目の前で話すのは、それが万が一にも聞かれてしまうのを防ぐためだ。
それは周囲のためでもある。隷従の魔導式を持つベリルと違い――例えば魔の差した使用人が出歯亀でもしたりしようものなら、この勇者は間違いなくそいつを消しにかかる。
しかしベリルだけは別だ。ここまで踏み込んだベリルの安全を確保しているのは、うなじの魔導式一つだけ。しかしベリルには、勇者が自分に害を加えないもう一つの根拠があった。
つまりは、彼の手中で転がっている限り。
「……それを私に知らせて、どういうつもりなのですか?」
前にも思ったが――技術の公開にストップをかけるだけなら、殺した方が後腐れがないだろう。
そこから更に進んだ理由がある。
「それも考えてあるんだろう?」
答えてなんかやるものか。
「――何故です?」
ベリルはヴォルグに詰め寄った。
「何故それをあなた達――勇者がやらないのですか?」
勇者は魔王をも叩き伏せる、両界最強の一族だ――それだけの力があるのに、何故自分達で人界を変えようとしないのか。
ベリルはどうしても納得できなかった。
それは、自らの不備を突き付けられた時、ベリルが気付かなかった勇者の欺瞞だ。
「わからないんだ」
ポツリと呟いた少年に、ベリルは一瞬怯んだ――いつもは余裕綽々だったヴォルグから、表情が消えている。
ここに至って、彼からは微笑みを向けられてばかりだった事に気付く。
畳み掛けられる。
「魔法は使えない、ロクな作物が採れない、金はない、戦っても絶望的で、自分が光の世界にいると、世界の正統であると思い込んでいる――仮に誰かが世界を変えた時、そんな人族はどうやって生きればいい? 難民達のように、魔族に慈悲を乞うのかい? それとも人族に戦うための魔道具を与えて、叩きのめした魔族から魔力を吸い上げればいいのかい?」
そして滅ぼすのか、魔族を。
お伽話に描かれた勇者のように。
ヴォルグの言葉は、勇者から逸脱していた。
ディークは勇者と性犯罪者の二つの顔を持っていた。そして今目の前にいる少年も、また勇者以外の顔を持っているのだ。
勇者とは人族の代弁者だ。だから魔族の幸せをも考えるのは、勇者ではなかった。
魔族も人族も、同じ人間であるとかつてベリルに主張したヴォルグ=ブラウンは今、動けないベリルをソファの上に優しく組み伏せた。見下ろす。
そして彼の口から紡がれるのはどうすればいいという質問であり――ベリルが何度も繰り返した、何故という質問の、最大で最後の答えだった。
「教えてくれ、豊かな魔界に生まれ、哀れな人族の世界をもその目に納めた賢いお姫様」
何故ベリルはここにいるのか。
全ての人間は、平等に生まれている。
だとしたら、
「どうやったら皆が幸せになれるんだい?」
人族の代弁者たる勇者でありながら、世界を変える事も願った少年は、その答えを知りたがっていたのだ。
その時、ベリルの胸に湧いた感情を、どう言葉に表すればいいのだろうか。
少年の無表情を、ベリルは手を伸ばして撫でる。どこか泣いているようにも見える。
二人の視線が絡み合い――ベリルは、唐突に気が付いた。
ヴォルグは孤独なのだ。
自分には魔王がいた、シラがいた、プレアがいた、ランスロットがいた、ソウルイーターやロキがいた。本人たちに確認はしていないが――ジョルジュやフィレスも、何があろうともベリルの理解者でいてくれるはずだ。
だがそんな人間が、少年にはいなかった。
だから外に求めたのだ――それが一人よがりだとわかっていても。
瞬間、理屈ではないものがベリルをグチャグチャにかき回した。
自分が自分の言う事を聞かない――こんな事は初めてだ。勇者の首に、ほっそりとした手首が絡みつく。
二度目の本気で引いた糸は、蜜の味がした。
そして今口の中に響いているのとは別の、湿っぽい音。
触られていた。
「――っ!」
熱っぽい吐息と共に、小さく身をよじったベリルは――少年が全身から血を吹き出す姿が、
「だ……!」
――駄目!
それは今まで意識にも登らなかった、少女の奥に押し込まれていた元青年の拒絶だった。同時に起きるかもしれない惨劇を、魔王の一人娘が予想した悲鳴でもあった。
しかしどうする、抵抗しようにも手が動かない――そしてこうなった男が止まれないのは、ベリルが一番わかっている。
ヴォルグは止まった。
首を傾げている。
んでもってスカートの中に突っ込んだ手を抜き出して、感触を確かめるように指をすり合わせながらベリルの耳元に持って行った。
まだ乾いていない、ガウムの樹液をマジックチャージャーのコアに塗りつけるような音。
――ば……っ!
スコーン。ベリルを制御不能にしていた何かと元青年が、まとめてダルマ落としのように叩きだされる音。
ベリルは茹で上がった。
耳まで真っ赤に染まった顔を両手で覆って、
「ばか―――――――――――――――――――――――――!」
てゆーか状況はそれどころではない――万が一にでも今彼が呪文でも唱えれば、事態は悪化の一途を辿るのだ。
少年の夢から覚めてしまったような視線が、表情を隠した少女を、
「何か、隠しているのかい?」
完全に理性を取り戻したような声。
ベリルは怯えたようにビクンと身を竦ませた。
姿見で見た、うなじに刻まれた隷属の魔導式の紋様が脳裏に浮かぶ。
聞かれる。
答えてしまう。
一番知られてはいけない事が知られる――勇者でもある少年に。
モルモット。
荒い息を抑え込んだ囁きが、耳元で響く。
「――聞かないよ」
頬を、優しく撫でられる感触。
「だから――これ以上誘惑しないでくれ」
部屋で一人っきりになった後。
あそこで止めてしまった事が両方にとってどれほど酷だった事を、ベリルは思い知った。