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手のひらの中から

 ベリルがミーミルの泉に浸かる一ヶ月前。

 玉座でまどろんでいた魔王ベルセルク=フォン=タッカートは、チクッとした感触に意識を覚醒させた。


「む……」


 軽く蚊に刺されたかのような、人族とっては全力の――そして魔王たる自分にとっては全く取るに足らない一撃だった。目を開くと案の定、鎧を着た一人の人族が玉座の間の入り口に立っている。右手をこっちに向けていた。


 いかんいかん、最近気が緩んでいる。


 貧弱な人族や魔族のこわっぱどもに全力でぶっ叩かれても今みたいな感じなのだが、寝ている所に攻撃を受けるのはあまり格好にならない。

 前代魔王を青息吐息でバラバラにしてやった時より遙かに高まったこの魔力は、魔王のお仕事(殺戮)を事実上の作業と化してしまっている。この体に不意打ちでも傷を付けられる者がいればむしろ拝んでみたいものである。

 歴代最強の魔王ベルセルク=フォン=タッカートは、倦んでいた。

 そして退屈に倦んだ目で、攻撃を放ったらしい人族を見た。


 ――なんだ、まだ子供ではないか。


 それにしても変わった侵入者だ。今日で十三になる娘より、少々年上であろう少年である。複雑な紋様の入った鎧を着ており、長剣は鞘に納めたまま。走るわけでもなく悠々とした足取りで玉座の間に入り込んでくる。何かの表情を浮かべる訳でもなく、堂々とした前口上を述べる訳でもない言――血色がなければリビングデッド(生ける屍)かと思うほどだ。


 胸元には灰色の、お互いの尻尾を食い合うドラゴンの紋章が見えた。


 まあ、いい、死なば同じだ――人族と魔族の区別なく、塵と消える。

 まるで感情に起伏のないまま、ベルセルクは玉座の上でその長大な五本の爪を振りかぶる。


 時間にして魔王城内の魔族達が、玉座の間の災難に気付くまで僅か数分。

 秒が分に、分が時間に。

 濃密に引き延ばされた戦いは、死闘と化した。



 人族の皮を被った少年は魔族だった――そう思わざるを得ない、何故なら魔法を使ってみせたのである。

 玉座から立ち上がったベルセルクが両手の五指を振り抜くごとに、空間ごと軋み音を立てながらそこにあるものを一切合切、細切れにする斬撃が少年に向かって走る。

 少年が後ろに下がりながら空間に複雑な紋様を描く、同時に出現する幾重もの強力な防御結界(プロテクション)を、斬撃が紙のように何度も引き裂く――しかし惜しくももうすぐ術者に届くといった所で、斬撃は力尽きた。


 今の攻防も無数の展開の一つに過ぎない。

 倍近くもある巨体の魔王とくらべて、その小さな体のどこに詰まっていたのかと思うほど、底なしの魔力量を少年を擁していた。


「貴様、何者だ!?」


 魔界のどこから、こいつは湧いてきた。

 少年は一切の情報を与えないと言わんばかりに無言の無表情を貫く。答えの代わりにパンッと複雑な形で叩き合わさせる両手の平――並の魔族では反応できずに消し炭を吹き散らされるようなサンダーストームが広大な玉座の間で吹き荒れる。ベルセルクは防御もせずに無傷で受け止めた。


 魔王タッカート(八つ裂き)の斬撃は相手に近いほど強力なものとなる――前に出る魔王。下がる少年。満ち溢れる魔力で強化した筋肉隆々の肉体は、しかし目の前の痩せっぽちとの距離を全く縮められなかった。

 お互いの位置を交換しながら、魔力と魔力がぶつかり合う。


 斬撃ヘルファイア(地獄の業火)斬撃斬撃斬撃エアグラベル(風のつぶて)斬撃斬撃斬撃斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬


 アイシクルコフィン(無数の棺、敵に生えよ)


「こざかしい!」

「…………!」


 体を拘束するような氷の塊を、ベルセルクは気合の一つで吹き飛ばした。降り注ぐ氷の雨を、少年は後方に見事なトンボを切りながら避けきって見せる。

 地面に、天井に、壁に、無数の傷、無数の抉れ、無数の――連綿と続く攻防の中、ベルセルクの視線がふと、黒く染まった双龍紋に、

 少年が長剣を抜き放った。


「む!」


 魔王が咄嗟に放たれた三連合計十五本の空間斬撃を多重防御結界で凌ぎつつ、鎧と同じく紋様の入った剣を少年は地面に突き刺し、

 唸るかのように。


「我が宿命(呪い)よ……!」


 天を仰ぎ見、叫ぶ――それは魂の悲鳴(ユニークスキル)だった。


世     い   (ワールド  ・)      せ(デストラクション)

   か     を

                壊


 瞬間、全方向から今までとは桁違いの灼熱の地獄が、轟音を立てて落雷が、単純極まりない超低温が、手足を押し潰さんと嵐の塊が、

 少年の存在そのものから絞り出したかのような――激情(アンビバレンツ)が、


 緻密に(在れ)


「あアあああぁあああアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああアアァアアアアアあああああああああああああアアアァアアアああああああああああああアアアァアアアぁアあああああああああああああああああああああア゛アアア゛ア゛ア゛アアアアア゛アアああああああああ!」


 自らを切り裂くような絶叫(ビブラート)に呼応し、少年の魔力が猛り狂った。縛り付けられた四大属性が、猛々しく魔王の防御結界に牙を立てる。


 ――ありえん!


 ベルセルクは魔王になってこの方、展開した事すらない防御結界プロテクションに魔力を注いだ。遥か過去に忘れ去っていた戦慄という感情が蘇る。

 でたらめだった。魔王の周辺に限定されているとは言え、魔族の頂点に立つ者が渾身で無数の斬撃を放ったが如く、凄まじい魔力の奔流――いや、奔流この範囲に押し込めるための魔力も消耗しているはずだ。


 短時間ながらこれだけの攻防を繰り返した後だというのに――一人のちっぽけな魂や心身を全て世界に捧げても、放てないような大魔法だった。

 しかし魔法とは、決して万能の力ではない。魔力という歴然とした有限のリソース――その法則は常人では想像すらつかない魔力をその身にはらんだ魔王とて例外ではない。世界の要素をこねくり回している内に、必ず枯れるのだ。

 ベルセルクは、ひたすらに耐えた。


 そして魔力の嵐が止み――


 先程見せた激情が別人のであるが如く、少年は無表情でそこに立っていた。

 はー、はー……流石に肩で息をしてはいるのだが――それだけだ。

 そして見ている内にフーと、大きく息を吐き出して整えてしまった。

 浅く出来たクレーターの中心。魔力を失いそこに跪いたただのベルセルク=タッカートは、随分と小さく見えた。


 ――化物め。


 それは剣を突きつけられた、前代の魔王となったただの魔族が、散々聞いてきた台詞であった。

 古来より魔王を討てる者など二つしかない。

 一つは次代の魔王。


 もう一つは――今しがた、魔王をも圧倒した超人。

 人族の身でありながら、魔法を使って見せた者。


    ※


 勇者ヴォルグは、黒い双龍紋を机の上で転がしながら、羊皮紙の巻物を机の上に広げていた。

 どこかの資料庫と比べて巻物が整然と並べられた本棚の間から、ベリルが顔を出して伺っているのに気付くと、微笑みを向けた。


「やあ、遅かったね」


 こんにゃろう。

 魔王の一人娘は、勇者が自分と同じような理由でここにいる事に気付いた。

 馬鹿やミーハーどもから逃げていたのは、何もベリルだけではなかったのだ。ただし少年はこうなるのがわかっていて、入学の初日から真っ先に姿を消していたのである。

 呟く。


「ズルい……」

「ズルじゃない、知恵さ」


 ヴォルグはこめかみをトントンと突き、手招きする。


「おいで」


 図書館の外では見せないようなぶすーっ、とした表情で、少女は表向きの婚約者の膝に、横座りでのっかかった。

 至近距離にいる少年は、意表を突かれた表情をしていた。

 あれ?


「椅子の上でいいんだけど」


 あ、勇者は前魔王(お父)様じゃないのだ。

 ベリルは慌てて跳び起きた拍子に机で、


 いってえ――――――――!


 ゴツンという音より先に脳天に突き抜けたと錯覚するような痛み――麗人の塔で鍛えたベリルの脚力は生半可ではなかった。今しがたぶつけた腕を押さえて涙目になり、膝の上に座りなおしながらベリルは悶絶する。

 やれやれ、しょうがないな、と言わんばかりのため息が聞こえた。


「見せて」


 前腕に痣が出来ていた。

 ヴォルグは黒い双龍紋を手に取り、小さく呟く。


 ――ヒーリング。


 痣と共に引く痛み、ベリルは目を見開いた。

 魔法、勇者の使える――恐らくは知られると大混乱をもたらし、人族では絶対の機密じゃなければいけないもの。


「それは……!」

 いくら人足が少ないとは言え、ここまで来るのに一人とすれ違っている。

「うん、だから医療費は高いよ」


 嫌な予感を覚えると同時に、

 後頭部を抱えられ、優しく唇を奪われた。


 またこれか――――――――!


 一度目は放心。二度目は混乱。一ヶ月ぶりのご無沙汰だが、三度目にもなると嫌悪感とは別に慣れてきて、どこか余裕ができているのが嫌だ。


 意識の端で、何かが引っかかった。


 ガタン、と向こうで物音がして、ベリルは目を開く。

 巻物を小脇に抱えて真っ赤になった女生徒が、顔を覆った両手の間からうわー、という感じで睦まじそうに見える勇者と姫君を凝視していた。ベリルと目が合った彼女は直後、バタバタと走り去る。

 ドンドン、と、硬い胸板を軽く叩いて抗議すると、少年はようやく顔を上げた。


「行ったか」


 安心させるように微笑む。


「大丈夫だよ、魔法を使っている所は見られていないから」


 そしてベリルに視線を戻したヴォルグは、そこで動きを止めた。

 ゾクリと、少年の背筋に冷たいものが走る。

 膝の上に座った、絶世の美姫、半開きになった唇、ほんのりと桜色に染まったほっぺた――


 彼を至近で見下ろすそこには、しかし羞恥も怒りもなかった。


 ただ、透き通るアメジスト(紫石)のような視線が、勇者を丸裸にするように貫いている。

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