異端の勇者
気まずい沈黙。
ベリルはミルク粥をふーふーと冷ます。何が面白いのか、リベールは椅子の背もたれを前にしてニコニコと眺めていた。
目も合したくないので黙々と食べる。おかみが部屋を出てから、味がわからなくなっていた。それでも食べ終わればひと心地つく、立ち上がろうとするベリルを手で制止して、リベールは食器を受け取ってトレイに戻す。
手持ち無沙汰になって、ベリルは枕を手に取った。かつて父親が持ってきたぬいぐるみのように抱く。
旦那様とやらは椅子を前後逆にしてもたれかかる。
「さてと、何か聞きたい事はある?」
「……何故ですか?」
多くの意味を持つ質問だ――吐けるものは全部吐け、出来ないのもあえて聞くつもりもない。
「君が欲しかったから」
ベリルは無言で眉を上げた、容姿が整っているとそれだけで迫力がある。状況に体調、二重の意味で機嫌が悪い所にくだらない話を聞くつもりはない。
「それが本当だったら力尽くで――」
言葉を切って目を逸らす。
無駄に挑発してでは遠慮なく、とやぶ蛇になっても困る。
微かに頬が熱くなっていた。
だからその仕草がいかんとゆーのに、本人が気付いていないのだからしょうがない。
「ごめんごめん、冗談だよ」
アッサリと認めて、リベールは一枚のプレートを取り出す。
見覚えがあった。
いつもの来客室で、慇懃であった頃の少年はそれを恭しく両手で受け取ったのだ。
その翌日の事だった、魔王城という体制が崩壊したのは。
「はい、笑って」
プイッと顔を背けようとするが、表情筋が強制的に動いた。感覚に思わず体を縮こまらせる。
リベールは謝る。
「あ、ごめん、笑わなくていいよ、顔が映れば」
――はい、チーズ。
地球でならそう言う所だろう。まるでスマートフォンのようにプレートをかざしたリベールは、数年の改良で随分と小型になったマジックチャージャーを抜き取ってベリルに渡す。
その意味を悟って、ベリルは総毛立った。
自分が作り出した――魔力源のない魔導レコーダーを前に、ベリルは弱々しく少年を振り返る。
「君――魔法を使えないでしょ?」
どこまで知っているのだ、こいつは。
ごめんね、意地悪して。呟くリベールはマジックチャージャーを魔導レコーダーに再び挿し込み、今しがた撮った映像を映し出す。
ベリルは思わず枕を抱きしめる。
映しだされたのはベッドの上で、不安げにしている儚げな少女。自分で言うのもなんだが、ひどくそそる表情だった。
身の危険を感じたが、勇者はそんなもの散々見てきたとでも言いたげに平然としている。
お陰で少し冷静になった。ベリルは思考を本題に戻す。
そうだ――魔導レコーダーとマジックチャージャーが何故ベリルの現状と関係あるのか、今はそういう話だ。
異世界より遙かに進んだ文明を知る元青年がアイディアを出し、サス=カガタとバイアンのとんでもコンビが実用化させた、魔導レコーダーはブラックボックスの概念をも内包している。この世界でその中身を知る者は少ない。当然の処置ではある。
そして魔導レコーダーをリベールに売り出さそうとしたのは、一般的にどれだけ受け入れられるかの試金石でもある。ゆくゆくは技術を開放して、マジックチャージャー共々、量産化を民間にやらせるつもりだったのだ。
リベールがお姫様の映像を消し、再びマジックチャージャーを抜く。
代わりに取り出したのは一つの紋章だった。
それは、尻尾を食い合って輪っかになった二匹のドラゴンを模していた。
それが魔導レコーダーに当てられた瞬間、魔導レコーダーは起動した――プレートが熱くなっている、膨大な魔力がオーバーロードするのを防ぐ魔導式が、余剰分を発散させているのだ。
ベリルは理解した。
紋章。ベリルの知らないマジックチャージャー――しかもとんでもなく大容量の。ベリルは思い出す、魔力を失って玉座にへたり込んだ魔王様の姿。
ではその魔力はどこに入ったのか――紋章である。
勇者の秘奥、そのひとかどだった。
魔力を貯蔵して放出するという概念は、この異世界ではベリルが初めてではなかったのだ。
「……あなたは、人族なのですか?」
答える代わりに、リベールは魔力計を取り出した――こちらの方は民間に流して数年経っている。ブラックボックスを除けば当初のデザインとは全くの別物と言っていいほどにかけ離れていた。
ベリルの手を取って、指を測定部分に押し付ける。
決定的だ、うんともすんとも言わない魔力計をベリルは苦々しい思いで見つめる。
そして同じように指を押し当てたリベールにも、魔力計は反応を示さなかった。
「不本意ながら、人族だよ」
「他の言い方があるとでも?」
「人間さ、僕も――君も」
ベリルは目を見開いた。
「おかしいかい?」
少年は魔族の王族であるベリルを見つめる。さぞかし未知の概念だろう――皮肉っぽい目がそう語っていた。
しかしリベールの抱いている思いとは裏腹に、元青年の心中はまた違っていた。驚いていたのである、地球で言えば中世然としたこの時代に、この勇者はとんでもない事を口にしていたのだ。
それが歴史の表舞台に正式に躍り出たタイミングを、元青年は知っていた。
思わず呟く。
All Men are created equal。
「全ての人間は、平等に生まれている」
今度はリベールが驚く番だった。
アメリカ独立宣言、中世時代から数百年も過ぎた近代思想の結晶。
そして後世に大きな影響を与えた――その中心思想。
――人は誰しも生命、自由、幸福を追求する権利がある。
まるで欠けたパズルのような記憶しか残っていない元青年には、そのテスト用語的な、正確な言い方など覚えていない。
しかしわかりやすい表現なら口に出す事ができた。
「人は、誰しも幸せになる権利がある」
地球の現代文明でなら、ほとんどの人間が当たり前の事として受け止められるその思想は。
しかしこの異世界では、孤独だった。
「続きはまた明日にしよう」
え? とベリルは呟いた。
立ち上がるリベールを、思わず見上げる。
焦った。今はとにかく情報が欲しいのに、唯一の情報源が遠ざかって行くのだ。
だから思わず挑発的な、ある意味では致命的な言葉を口にしてしまった。
後から考えると、そこが二人の運命を変えたのだ。
「……逃げるのですか?」
ガタンッ。
椅子の蹴り倒される音と共に、いきなり少年が覆いかぶさってきた。
むーっ!?
いきなり唇を奪われて、ベリルはリベールの胸板を両手で押す――離れない。魔導式に強制されて全力を出せない。弱々しく胸口を叩いて抗議する。
先日のようなポーズのためのそれではなく、本気で貪られた。
両手が脱力してベッドに落ちる至ってようやく開放されたベリルは、文字通り暴漢に襲われたのである。荒い吐息を繰り返しながら、その犯人を睨みつけようと――
そこにあるものは、一言では言い表わせなかった。
喜怒哀懼愛悪欲色形貌威儀姿態語言音声細滑人相。
人間の七情六欲、全てが詰まった表情というのを、二十弱十三年を合計した人生で初めて拝んだ。その事実にベリルは思考を止めて硬直する。
少女に覆いかぶさったまま、地獄の底から湧いてきたような声が、彼女の耳にビンタをかます。
「後先考えず、ぐちゃぐちゃにされるのが好みなのかい?」
動けなかった、今のベリルは猛獣に威嚇された草食動物そのものだ。
初めて見る、勇者の激情だった――これ以上刺激すると容赦なく食われるような、切羽詰まった気配を感じる。
地雷を踏んだ。
前代の勇者を思い出す――聖人面した仮面の下には後先考えない性犯罪者がいた。欲望を前面に押し出していたのは、人間としてのディークだ。そこに勇者としての建前と技術が混ざり合い、勇者ディークという人間を型作っていたのだ。
そして飄々としていた今までが勇者としてのリベールだとすると――今目の前にいるのは、余裕もクソもない人間としてのリベールだった。
コンコンとドアのノックする音で、二人は我に返る。
そっ、と、開いたドアの隙から覗くのはおかみの顔。
まるで仲睦まじい恋人のように寄り添う二人を見て、ニヤリとする表情はチェシャ猫。ごゆっくりと言わんばかりにドアが再び閉められる。
「ごめん」
目を伏せて離れた少年のつぶやきに、少女はベッドの上でへたり込む。
放心したように手足をベッドに放り出す。
くっそー。
襲われたのはこっちなのだ、何故その暴漢が襲われたような顔をしている。何で自分がさも悪い事をしたような気持ちにならなきゃいかんのだ。
納得がいかなかった。