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それぞれの夜

 城下町にあるグラス商館の三階。

 執務室のソファに座って、リベールはお茶を口に運んだ。


「久しぶりだね、ロドス」


 商館の主である、頭の禿げ上がったトロールは、近頃良い感じに丸くなった体をドカンと少年の対面に落ち着かせる。髪がないとは言え、精力のある目線や若々しい外見は働き盛りのそれだ。それでも人間の十倍はある長寿な魔族である、年のほどはリベールとは文字通り桁が一つ違うだろう。

 その孫にでも出来そうな人族の少年に対して、トロールは砕けた言葉を返す。


「ああ、久しぶりだ、リベール――二年前にいきなり魔力計の商売を譲られた時は驚いたぞ、音信も不通で何をしていた?」

「ちょっとパトロンの所にいたよ、フットワークの軽い小僧が入り用なようでね」


 ふん、とロドスは鼻を鳴らす。


「例の魔導式なんぞが大好きな変わり者か」

「魔導式は単に研究が足りないだけだと思うけどね――実際、魔力計はよく売れているだろう?」

「ああ、年端も行かない子供の発明で商館が一つ建つのに、そいつは一体何をやっていたんだ?」

「あのお姫様は規格外だからね、しょうがないのさ――随分気に入ったようだね?」

「当たり前だ、ただの旅の商人であった自分がたった二年で一国一城の主だぞ? 感謝してもしきれんのさ――そして俺が感謝しているのはお前も同じだ、リベ―ル、俺に出来る事ならなんでも言え」

「新鋭のロドス商館、そのマスターにそう言ってもらえるとは光栄だね」


 ロドスは広い執務机を目で示し、


「馬鹿言え、二年前にお前が自分でやってれば、あれに座っていたのは俺じゃないだろう――この借りはお前が自分の店を持てるようになるまで返しきれんよ」

「そうでもないさ、魔力計は一つの取っ掛かりでしかない、こんな経験の浅い若造にそれを広げれるとは思えない――で、本音は?」


 ニヤリと笑ったリベールに、ロドスはお手上げのポーズを取った。


「あのお姫さまを直接拝めるお前なら、何か新しい発明があっても真っ先に回ってくるだろう?」

「そうだと思った――いいよ、しばらくはこっちで世話になる」

「部屋も既に用意してある、あとで案内してもらえ」

「……流石に抜け目がないね」


 苦笑しながら紅茶を一気に飲み干し、カチャリとカップを置いたリベールは執務室を出る。


 その一部始終を見送った後、執務室の窓に貼り付いていた小さな蜘蛛は垂らした糸で大通りに降り、いずこかに走り去った。



 夜、プレアがブラシと風の魔法で湿った髪を整えるのに任せながら、ベリルはシラの報告を聞いていた、アルケニーの手のひらには小さい蜘蛛が載っかっている。


「人望がありますね、あの少年は」

「ふーん、念入りだね」

「当然です、ベリル様が直接面会を許す数少ない者なのですよ?」


 シラはしたり顔である。

 実を言うとリベールの監視をしたのはベリルの指示ではない。この老婆が気を利かせたのだ。

 そしてシラの言葉で、そう言えば引き継いだロドスという商人とやらには直接会った事がないとベリルは気付いた。社交界に出るまで、男子禁制であるのは相変わらずであるのだ。


 それにしても。ベリルは商人二人の会話を聞いて思う。

 少年が譲った商売を元に商館が一つ建ったのに、そこで利権を主張して一悶着起きると思った。あの少年は思っていたより器量が広いらしい。彼と繋がりのある魔導式を研究する変人とやらに、ベリルも興味がある。ベリルは次のステップを任せてみようかな、と思った。


 くしゅん、と、風を鼻に当てられたロキがくしゃみを一つする――毛皮が乾いたのでベリルの膝に飛び上がろうとするのを、プレア(メイド)が抱き上げて退出する。もうちょっと抵抗するかと思ったが、言葉を解する頭があるという魔狼の子供は、案外物分かりのいい大人しさで扉の外へと消えて行く。

 入れ違いで、地獄の道連れに選んだと思ったら実は獄卒であった少女が部屋の中に入ってきた。

 ご丁寧にも二人分に増えた張り型をシラが取り出す、それをベリルは十三階段を登る死刑囚のような気持ちで眺める。


 多くは語るまい。


 お手本をベリルにやってみせた天狗族の美少女の姿は、地球で散々やったエロゲーを連想させた事だけをここに記す。


 ――はい、お嬢様、もう一回。


 もーいっかい、もーいっかい。

 その夜。惨劇が終わった後でも尚こだまするその言葉に、ベリルはただうなされた。


    ※


 ゴトン、と音を立ててグラスを机に置き、リベールは水を飲んだ口元を拭う。


「ふう」


 ようやく落ち着いてきた。

 人の前ではなんとか取り繕ってはいるが、再会した姫様の姿がいまだ脳裏にこびり付いているのだ。

 ドカッ、と乱暴な仕草でソファに腰を下ろす。

 商館で充てがわれた部屋は魔王城で見たそれとは違い、製作に数年かかるような刺繍の入った絨毯も、それだけでボロい家が何軒も建つような装飾の椅子もない。

 それでも家具の一つ一つはその道の職人が粋を凝らした高級品である。部屋中の壁紙から照明のランタンに至るまで、全てが商館が取り扱っている商品の宣伝だ。

 ロドスの抜け目の無さを再実感し、リベールは薄暗い天井を仰ぎ、微かに笑みを浮かべる。

 羨ましかった。


 気を取り直して荷物の検分をリベールは始めた、とは言っても一つのリュックサックをパンパンにすれば、二本の足で運べる程度の量だった。

 今着ている仕立てのいい服とは違った、頑丈が取り柄の使い込まれた服に必須品などが半分。残りはお姫様への手土産――つまりはあちこちからかき集めた素材のサンプル。


 いくら魔族の王と言えども、手の届きにくい所というのはある、

 人族の歴史は魔族より遙かに古く、その奥の深さは、即物的で単純な魔界とは比べ物にならない。人界にはあのお姫様のまだ見ぬ物が、それこそ掃いて捨てるほどゴロゴロ転がっているのだ――その奥の奥にまで手を伸ばして持ってきたそれらは全部とは言わないが、魔王城に取り入ろうとする商人達が必死にかき集めた品物とは一線を画する確信が、リベールにはある。

 この手土産を見た彼女が、何を任せてくれるのかを思うと、自然と笑みがこぼれてくる。


 それらを全て取り出して並べた後、サックの一番下に敷かれていた羊皮紙の束が現れた。


 リベールは能面をその顔に貼り付ける。

 それらの文面は暗号で書かれている――この二年間、城下町に潜伏していたロドスからの通信だ。

 少年の商売を受け継いだトロールの商人は、予想以上に魔王城の周辺に根を張っていた。流石に色々な意味でガードの固い姫君から魔力計以上の成果を頂戴できなかったようだが、お陰でリベールが戻ってきた後も随分と動きやすくなっている。


 リベールはこの商館の主とのやり取りが演技ではなく、ただの商人である自分を脳裏に思い描く。

 魔王城の姫君に唯一直接渡りを付けられる、年若き商人は周りからも一目置かれている。しばらく彼女の目の前から姿を消していた彼は、持参した素材と変人から託された魔導式を手土産に、再び業界を席巻しはじめる。

 そして姫君は魔族の前途有望な若者に嫁ぐ事となる、彼女は次世代の魔王を支える傍ら、数多の魔導具を発明して公開する事となる。大人へと成長した自分は事業としてそれらを取り扱い、両界有数の大商人としてその名を知られるようになるのだ。


 子供は多めに生んでもらって、野放しに育てる、その中から見込みのある男子に稼業を継がせる。

 老いた自分の大往生を子孫と共に見送る者は、何故か魔王の妻であり、若々しい外見を保った銀髪の少女だった。


 空想をもてあそぶのは楽しかった。

 冷水をぶっかけられたかのように、少年は醒めた表情をした。目を細め、懐から一つの紋章を取り出して頭上に掲げる。

 肌身離さず持っているそれは、お互いの尻尾を食い合うドラゴンを模した、一対のウロボロス。


 人の持つ夢と書いて儚い。


 少年の真の名は、ヴォルグ。

 人族の未来を担い、生きとし生ける者の敵、魔族を屠る者。


 それは勇者の名でもあった。

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