エロ時々勇者
人生最大のピンチであった。
顔色をまるで横断信号のように青から赤、赤から青のように変化させながら、ベリルは目の前の机にデンと置かれた二つの物体を凝視せざるを得なかった。
隣では見た目だけは人族と大差ない天狗族の少女が座っており――信じられない事に、全く平然としている。頬にほんのり赤みが差しているのを近頃試練続きである彼女の幼馴染に見せれば、それだけで酒の肴になるだろう。
愕然としながらベリルは横にいるフィレスに目を向けた。
「フィレス……何で平気なの?」
敬語すら忘れている。
えっと、その――話を振られた少女は男が見れば色々な体液をぶちまけそうな顔ではにかみ、驚愕するべき事実を吐露した。
「あの――実家でも、受けた事があるので」
え。
「そういう事です」
虫の一匹すら殺せそうにない友人が調教済みだった――残酷な事実に魂が半分口から抜けかかったベリルの隙を、長年の付き合いがあるシラは見逃さなかった。まるで処刑斧を持ち上げるように、片方の物体を主の目の前に持って行く。
「さ、お嬢様もおさわりください」
それはある意味ではベリルの中にいる元男が見慣れて、触り慣れたものであった。
皺のディティールや色にまで凝った、ナニの張り型である。
ただしサイズという意味では元青年の完敗である。ご丁寧にもしなびたナスみたいなのと天狗になった奴の二種類があるそれらの前者に向かって、ベリルは目を閉じておそるおそると伸ばし――気付いた。
「ねえシラ――それ作ったの誰?」
あ、とフィレスが口に手のひらを当てる。
「サス=カガタです」
ナニしてやがんだあのゴーレムは――――――!
いや、だからナニを。
心のなかの絶叫は、二人にまで届いた――思わず顔を片手で覆ったベリルをおいたわしやな感じで見ている。誰もが通る道らしい。
確かに身近な者への便宜を図れとは指示を出してはいたが、それがこういう形で利用されるとは思わなかった。
「それはともかく、お嬢様、ほら」
う、と苦々しい顔でベリルは唸る。
それがブロッコリーだろうが、ピーマンだろうが、ニンジンだろうが、嫌な物は最初の一つが喉元を過ぎれば、案外その後はすんなりと行くものである。
最初の一触りの感想は、違う、というものであった。
甚だ不本意ではあるが、本物を知るという意味では、ベリルは恐らくフィレス――恐らくはシラさえも――の遙か先を行っていたのである。
ところでフィレスが何故恒例の、ムラムラするような時期に行われる夜の授業に同席している理由だが。
赤信号、皆で渡れば怖くない。
地獄の道連れとも言う。
しかし、
――失敗したかなー。
ベッドの上でぐてーとしながら、ベリルは霞のかかった頭で後悔した。
まさかフィレスが経験済みだとは。
あれは結構仕込まれているような顔だった。
あ、ちなみに経験済みというのは、男が同席しているという意味でのそれではない、万感の思いを込めて彼以外はありえないと言い放った少女の表情はいまだベリルの脳裏に焼き付いている。フィレスの最初の人になるであろう天狗の青年が、まだ彼女に手を出していないのは、この二ヶ月間、毎日のように愚痴られているベリルが一番知っている。
全く、根性があるのか無いのか――恐らくは両方であろう。
しかし冷静に考えればそりゃフィレスも経験済みだよな、とも思った。逆に王族で唯一の夫を持つべきベリルがここまで念入りに仕込まれるのがちょっと異常だとも言える――確か地球上での王族などの初夜は、指導役付きという世にも嫌な初体験だったはずだ。子供さえできればその過程はあまり重視されないのだ。
その文字通りの殿様商売をするべき王族の女とは逆に、夫の寵愛を得る事に必死になるかもしれない貴族がアレの仕込みに手を抜く訳がない。
そのせいで恥じらうフィレスを盾に使って授業をやり過ごすというベリルの目論見は、友人が当たり前のように天狗の鼻を握った事でおじゃんとなってしまった――残念な事に、そのエロゲーみたいな絵図に対して、魔界一のお姫様という肉体はピクリとも反応を示さなかった。
――うげ。
そしてベリルの番。気がつくと手のひらが見覚えのある、半握りの形になっている事に気付く――授業で力加減を褒められても全然嬉しくなかった、この手の形が自分に使われる事は生涯ないからだ。
明日はお口にしましょう。
ベリルの飲み込みの速さにフィレスでさえ流石だと驚いていたが、そのせいでシラの口から出たその言葉がはらむ底知れぬ絶望感に、タガが外れていたのかもしれない。
用意のいい事に、ベッドの傍に備えられていたおしぼりは、ついにその用途を果たしたのである。
病みつきになりそうなほど気持ち良かった。
畜生め。
※
スッキリしたような、自己嫌悪に悩むような朝。
リベールが来た。
誰だっけ?
何事もなかったかのようにおしぼりを仕舞うメイドに内心悶絶しそうなベリルは、その名前を聞いて本気でそう思ってしまった。
人差し指を唇に当てて首を傾げる姿はそれだけで絵になる光景だが、長年の付き合いがあるアルケニーは、正確に主が考えている事を見抜いてみせる。
「ベリル様、ほら、あの魔力計を任せていた少年です」
あー、あいつか。
名前を聞いて、一瞬わからなかったのも無理はない。
二年間も顔を見せてなかったので、どっかでのたれ死んでいると思ってた。
一体どこで何をしてたのやら。
理由はあまり深く考えたくはないが――幸いにして午前の授業は免除されている。
「わかりました、今すぐ会いに行きましょう」
扉を開けると、あぐらをかいたソウルイーターの足の上で、ちっこいフェンリルがひっくり返っていた。
野生はどこだ。
「お久しぶりです」
別人が同じ名前を偽っている。
そうベリルが思ってしまうほど、来客室で頭を下げている少年商人は別人と化していた。
若干幼さの残る顔立ちを隠せば、大人と言われても違和感がないくらいに背が伸びていた。体格にピタリと合った服を着ているせいでスマートな体型が一目瞭然だ。
ベリルの方もこれから身長が伸びるとは言っても、とてもではないが彼を追い越せる気がしない。栄養が他の部分に行っているのなら尚更だ。
ベリルは内心驚きながらも、微笑みながら頷いて見せた。
平然としているように見えて、少年の目がちょっと泳いでるのをベリルは見逃さなかった。しかし即座に立て直したのは流石だと言えよう。
「二年ぶりですね」
「はい、顔も出せずに申し訳ありません」
「何をしていたのかお聞きしてもいいですか?」
「はい、各地を回った後、力及ばずとも魔導式の研究の手助けをしておりました」
へー。
キチンとした服の仕立てを見ても、少年もこの二年間を無駄に過ごしていた訳ではないらしい。
「ところで、お知り合いの商館には参りましたか?」
「はい、この後に尋ねるつもりですが、とりあえずはベリル様の元に挨拶に参りました」
実にソツがない。
ベリルは口元を手で隠してクスクスと笑う。
「大きな魚を逃しましたね」
「はは、これから取り戻しますよ」
少年は後ろ頭を掻いた。
ほったらかしていた魔力計の商売を受け継いだリベールの知り合いだという商人が、この二年で建てた立派な商館の事をベリルは思い出す。
しかしこの魔力計でさえ、ベリルの計画の単なる先駆けなのだ。
少年の手土産次第では、次のステップを任せていいかもしれない、ベリルはそう思った。
なんだあれは。
いまだに胸がバックンバックンと鳴っている、平原の一本道を走る馬車の中で、リベールはぐったりとクッションに身を任せていた。
この二年間で少しは女に慣れてきたつもりだったが、久々に魔王城の美姫を再び目にした衝撃がまだ脳裏にこびり付いている。
二年前は美しいだけだった。あの年にして完成されていたのは驚愕すべき事だったが、彼女の美しさはどちらかというと色気などとはほとんど無縁の、知性を帯びた質であったはずだ。だから彼も相手が女である事を半場意識の外に追いやる事ができたのだ。
女は化ける。
それは何も外見だけに限った話ではなかったという事を、リベールはしみじみと噛み締める。
目を離すのも一苦労だった――あれに本気で迫られて抗えれる男がいるのだろうか。
いつの間にか馬車が止まっている事に、御者から何度も声をかけられてようやく気付いた辺り、かなりの重症かもしれない。
リベールは気を引き締める。これから会う人間にこんなだらしない所を見せる訳にはいかない。
三階建ての立派な商館をしばし見上げた後。丁稚と言われても違和感のない少年は、堂々とした足取りで建物の中に入っていく。