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踏みにじられていたもの

 酔翁の意は酒に在らずという中国のことわざがある。

 元々は酔っ払ったのでもう寝るという身も蓋もない意味だが、翻って酒ではなく、女目当てという解釈が後に付け加えられた。

 フィレスという天狗族の少女がジョルジュを訪ねてきたのは、正にそれだった。



 母親を失った幼いフェンリル(魔狼)を拾った。親に危険だからという理由で飼うのを反対されたので助けを求めてきた。それがフィレスなる少女の言い分である。


 それを聞いたベリルは表向き驚いた顔をして見せた。

 が、本音ではこうだ。

 捨て猫を拾った子供じゃあるまいし。


 少なくともフィレスの言い分は、混じりっけなしの本音だという訳ではないだろう。

 そもそもその身なりからして、フィレスが天狗の貴族か、それに準ずる身分である事は明白だ。それはジョルジュの従妹であるという本人の自己紹介で証明されている――たかがちっこいワンコに関しての願いなど、少々反対されようがワガママを通すのは別段難しくともなんともない。


 そして少女が住むという天狗族の本拠地は、確かに魔王城とそこまで離れてはいない。それでも馬車に乗ると丸一日ぐらいかかる距離はある。それをワザワザ空を飛んで、魔王城に滞在しているジョルジュ(従兄)の元に来たのである。何を考えているのかは一目瞭然であった。


 来客室でその場に居合わせた者達のほぼ全員が、ほぼ同じ感想を抱いたらしい――シラはあらまあという感じで手のひらを口に当てていた。お茶の用意をしていたプレアに至っては、無表情なのに目だけが不自然にキラキラしていた。ちょっと不気味なのでやめて欲しい。

 横に控えているリビングアーマーズも似たようなものだろう――いや、ソウルイーターは首を傾げていた。数え切れないほどの相手から血を絞り取ってはいても、赤くない濡れ場という奴には詳しくないらしい。


「……そうか」


 フィレスの横に座って話を聞いたジョルジュはふー、と年季の入った溜息を吐く。

 あ、口の端がピクピクしている。困ったような雰囲気がただのポーズであるのが丸わかりだという事を本人はわかっているのだろうか。

 恋は盲目だとはよく言ったものである。


「その事なのですが、ジョルジュ様」


 ベリルは膝の上で寝そべっている黒い子狼を撫で、二人に声をかけた。


「この子を私の所で引き取らせてもらえませんか?」


 二人が目を丸く見開く。


「よろしいのですか?」

「ええ、ただし、その代わりの条件を一つだけ」



(はか)りましたね?」

「はい」


 頭上から降ってきた呟きに、ベリルは分厚い胸板に体を貼り付けながら口端を釣り上げた、ただしその笑みも殿方と密着しているとは思えないような、悪戯に成功したような悪ガキのそれだ。

 声の主がどんな顔かもわかる。昨日、フェンリルの子供を引き取る際の条件を聞いた時のように、苦虫を噛み潰したような表情にきまっている。


「最初はてっきりフィレスを呼びこんだのがあなただと思いましたよ」

「そこまでは穿ちすぎですよ――ただ、目の前に転がってきたチャンスを見逃さなかっただけで」


 二日目になると基本的なステップや相手の動きにも慣れてくる、精神的に余裕があるためか、喋りながらでもジョルジュの足を踏む事もない。


「……あなたは、男がお嫌いなのですか?」

「いいえ」


 これは本音だ――異性ではなく、同性としてという但し書き付きでだが。

 だから目の前にいるこの青年に両思いの想い人がいると判明した途端、わんこが7に乙女が3に青年が1ぐらいの比率でだが、まとめて片付けてやろうと思ったのだ。


 恐らくはジョルジュに逆玉を狙わせたい天狗俗の長老達も、フィレスを女官として召し上げてしまえば何も言えないだろう。先行きの不確実なエスコート役と違って大出世であるからだ。


「ただ、私は想い人がいる殿方を横取りするのも、本心を隠してニコニコしているような方と友人になるつもりはありませんので」


 貴族には貴族の都合があるというのは、彼女も理解している。しかし彼らが足の裏に置いているものが目の前にいれば、ほうっておくという選択肢はない、というのが元一般人としての感想だった。それが丸く納まるなら尚更だ。

 前日とは違って軽快なステップを刻むベリルの言葉に、ジョルジュは絶句し、一瞬の沈黙に続いて困った笑い声を漏らした。

 敵わない。

 パンパン。はいはい、授業に集中集中。アルケニーが手のひらを叩き合わせたので、ベリルは慌ててダンスのレッスンに意識を戻す。

 しかし天狗族の青年は、ベリルの動きに合わせながらも心のなかで首を振っていた。

 このお姫様と言い、幼馴染と言い、どうして女というのはこうも一瞬でなんでもかんでも引っくり返してしまうのか。


 手に負えない、とは正にこの事だ。

 こんな姫君を御しうる男が、果たしてこの魔界にいるのだろうか。

 ジョルジュは、この新しくできた麗しい友人の行く末について、思わず思いを馳せてしまった。



 魔王城の一隅、青年にあてがわれた客室の中。ジョルジュの幼馴染である少女はベッドの布団を替えていた。

 天狗族は武を尊ぶ一族である。自らの世話もできぬ者に戦いはできぬ――そういう意味では戦場で野垂れ死にしそうな従兄の身の回りでウロチョロしていたのだ。その食事の好みから枕の枚数までわかっているのは魔界中を探しても自分だけである。

 母が笑っていたのを覚えている。

 そうやって女を引っ掛けるのよ、この一族は。

 しかし姫様には感謝しなければいけない――条件があると言われた時は不安になったが、まさかジョルジュ様付きの女官だとは。

 最近では長老たちの意向により、お互いに監視付きで隔離されていたのだ。これで大手を振って彼の傍にいれる、お姫様様々である。

 男達には男達の思惑があるだろう――しかしそれで女がその通りに動くと思ったら大間違いである。

 そういう意味では、魔王城の姫君もまた彼女たちの同志であったのだ。

 素敵な人だった――見た目は自分とほぼ同じ年の儚げな少女なのに、従兄と話しているのを見ていると、どっちが年上かわからない事がある。

 そうだ、午後はお茶に誘ってみよう。


 迫り来るガールズトークの足音に、まだ元青年は気付いていない。

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