力の1号、技の2号
「うー」
ベリルはベッドの上で唸っていた。
ムラムラする。
本日の性教育は飲み込みがいいというか、実は最初からほとんど知ってるベリルに対し――教育係がではそろそろ実技をと言いながら、あわや主のドレスを剥きに入りかけた所でおねむの時間となった。
異世界に入って、最大のカルチャーギャップであった。
あるいは魔法だの魔族よりもショッキングだったかもしれない。
いやま、理屈はわかる。
なんのやんのと言っても、人間は下半身で考えてしまう生き物である。無論男女両方があっち方面で淡白なので上手くやれている例も多いだろうが、夜の生活が円満である事に越した事はない。
特にベリルのような王族の場合、エロ方面での知識が乏しくなりがちな立場である。性嫌悪でガッチガチになって俗に言うマグロやらレスと化し、パートナーにそっぽを向けられた旦那や奥様の二の舞になってしまう確率は平民のそれより遥かに高いだろう。
そうなれば――メイドや家庭教師に手を出されたり娼館に入り浸られたり、つまりは地球における変態が花咲ける国、イギリスのヴィクトリア朝張りの惨状になってしまうのは想像に難くない。
というか、過去になった奴が多分いたのだろう。
まさかアッチ方面でのエリート教育まで受けさせられるとは。
元地球出身の元青年にとって、異世界においてアッチ方面でのアグレッシブさはかなり予想外だった―ーいやま、最近魔王城から広まった紐パンで減ってはきたものの、ノーパンなのでズボンとスカート捲れば即合体、みたいなわかりやすい環境でガッチガチの貞操観念がある訳ないだろうが、という所ではあるが。
(畜生、あのジジイ、知らない間に何やってんだ)
察しのいい読者はもうお気付きであろうと思われるが、やたらとイチジクが立派な似非ダビデ像だの――そのイチジクが元男として、そして現女として、ふかしこいているのを願わずにいられないくらいに御立派になった姿だの、果てはどっかの大江戸四十八手を彷彿させるような絵を映しだしたのは魔導リーダーである。
そして、その絵を魔導式に変換したのが誰かである事は言うまでもない。
墓に埋めなおしてしまおうか、あのリッチ。
ちょっと本気で検討しかけた。
んでもって最大の問題として、その嫌なエリート教育とやらが、恐らくは彼女の体調までも考慮に入れてなされた事にある――月のものが初めて来た時期とその直後でいくらでも暇はあったのに、この時期に教え始めたというのはそういう事だ。
男が溜めこんだものをスッキリすれば納まるのに対して、女のムラムラは時期によって変動するなんてのを実体験するハメにになるとは思わなかった。
狙われたのだ、青春期における男子諸君が必ず手を染めてしまわないと脳の病気か不能を疑われる、自室のドアにカギをかけられて行われる崇高な発散行為を期待させられて。下品な言い方ではあるが、男でも女でも感度がいいのに越した事はなく、それには普段からの馴らしが肝心、という事なのであろう。
流されてたまるか。
ベリルは枕に噛み付いた。
ここでシラというか王族における性教育の思惑通りに、男をベッドの上でふやふやにしてしまえる女に育ったとしよう。
それは元男として、最も避けたいシチュエーションであったのである。
だから枕を両手で抱き込んで悶々と我慢しているのだ。
客観的に見ればひらひらのネグリジェを最近やたらと発育のいいロマンに引っ掛けて、クソ長い螺旋階段を日々頻繁に上り下りしているお陰で締まった美脚を布団に絡ませている姿である。男なら誰しも寝具の代わりを申し出てしまうくらいに壮絶だったりするのだが、幸か不幸か、そんな少女の姿を見る者はいない。
ところで部屋の外、扉の前には二体のリビングアーマーがいた。
片方は剣を踊り場の地面に突いた大柄の立派な鎧、もう片方のやや細い獣っぽいのは階段に腰掛けている。
両方微動だにしない。
動きあるのはその意識内のみである。
ソウルイーターの横薙ぎに対するランスロットの斬り下ろしを回避したソウルイーターの飛び込みに対するランスロットの斬り下ろしで飛び退ったソウルイーターの回り込みを迎撃するランスロットの斬り下ろしに対して飛び退ったソウルイーターの諸手突きにランスロットの斬り下ろしが
『だー!なんだそりゃー!』
ソウルイーターは使い魔用の疏通ネットワークに展開していたシルエットファイトを中断させ、ガシャンと上半身を踊り場に倒れこませた。
同時に扉の前を守護する姿のままのランスロットが呟く。
『3098勝1507敗』
『インチキだ!』
『一つの技でやり通すというのをやってみたが、案外出来るものであるな』
『ちくしょー、俺もその鎧だったらなー』
『そうは言っても、今の体が気に入っているのであろう?』
『まあね』
『そもそも卿の依り代である獣の鎧と滅びの鎧は方向性が違うのだ、生前はおろか、転生前の私では卿に指一本触れられまい』
『そんな事言ったら俺なんか剣だよ、握られないと何もできないって』
『そうであったな』
ランスロットは鎖で雁字搦めになった魔剣の姿を思い出した。お互い、随分とこの体に馴染んできたものだ。
新しい体を得て、意気軒昂と叩きのめしてやろうと挑んだ最初の模擬戦。ランスロットはソウルイーターが放った無造作な足払いの一つで無様に倒れ伏す事となった。
今、子供のように踊り場に寝ている元魔剣は数多の使い手と共に、数百年の経験を持っている――荒々しいイメージとは裏腹に技は精密だった。加えて戦いの駆け引きにおいて、生前の分を合計してもたかだか50年のキャリアしか持っていないランスロットでは、とてもではないが太刀打ちのできない達人だったのだ。
生前で剣と関わりの深かった身としてそれは少なからずショックであった。様々な工夫をしながら何度も模擬戦で挑んだが、結局は元魔剣が持つ技の奥深さを痛感するハメになっただけだった。
前代の魔王の前に最後まで立っていたプライドなど、もはや無いも同然だった。打開口がおのれの有りようであるとランスロットが気付いたのは、毎日のように叩き伏せられて半年経った後の事である。
滅びの鎧の売りは、現魔王の一撃にも余裕で耐えられるような頑丈さだ。どうせあちらからは一撃必殺の攻撃を受ける事がないのだ――だったら相討ち上等で叩き割ればいい、そして開き直った時点で彼我の優劣が逆転し始めた。
要するに性能差でゴリ押ししている訳ではあるが――そもそもの話として、リビングアーマーとしての完成度で言うとサス=カガタのオーダーメイドである獣の鎧が遥かに上である。
主から受け賜わったこの体は、魔王クラスの魔力を注ぎ込まれて初めてここまで動けているのだ――ピーキーすぎて誰にも扱えず、漬物石になっていた滅びの鎧を、力技でなんとかしてしまったのである。
そして力技で出来たこの身なれば、力を押し通すのが正道だった――それだけの事だ。
『しかし卿も随分と丸くなり申したな』
『んー、どういう意味?』
踊り場に寝かせていた上半身をソウルイーターは起こした。微動だにしないランスロットと違い、やたらと動きが人間臭い。
『正直卿が主にその体を与えられた時、手の付けられない暴徒になるのを危惧したのであるが』
『あー』
ソウルイーターはポリポリと人間みたいに兜の頬を掻く。
『今の状況、悪くないから』
『そういうものであるか』
『だって主様の魔力美味しいじゃん、この体は昔の使い手の誰よりもよく動けるし』
要は満足しているのだろう。
何もなければ余計な動きをしない普通の使い魔と違い、動きが細かいのもそのせいだろう――ありし日の荒々しい魔剣は、ほんの少しの距離を動くだけでも力尽きるくらいに魔力をバカ食いするくらいに燃費が悪かった。
思うように動けず、その身に宿した無数の技を思うように振るえないというのは、あの魔剣にとって余程のストレスだったに違いない。
『主の小水をせがんでいた魔剣だとは思えぬな』
『それは言うな』
若気の至り。
苦々しい口調。獣の鎧に表情があれば、さぞかし世にも嫌そうな顔をしていたに違いない響きである。
『あの頃は魔力に飢えててしょうがなかったんだ、体は正直って奴?』
『魔剣の性であるか、そう作られたのは難儀な話であるな』
『しょうがないさ、でも今は自由に動けるし、戦いにも事欠かない、だからこれ以上は何もいらないよ』
そう呟く獣の鎧は、かつて武器庫で眠っていた頃と比べ、まるで憑き物が落ちたように落ち着いている。
中身が同じでも、体が変わればその生き様さえ変わってしまう。
それは自分とて同じだ、とランスロットは思った。
彼らの主でさえも。