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勇者、襲来

 魔界の月と人界のそれの違いについては、様々な考察がある。

 ある人族の学者は二つの月の差が魔界と人界の違いであり、太陽と月の加護を受けられる人界こそ世界の正統であると主張した。

 ある目のいい魔族は人界と魔界を旅して、両方の月に刻まれた紋様が同じ物であると判断し、両者は同一の物であると説いた。

 いずれにせよ、大半の魔界の住人にとっては、寝ている間にフッと現れては消える月などは一日の区切り以上の意味を持たないのだが。


 そして今、月の光が闇に消えた。


 カツーン、と、足音が螺旋階段にこだまする。


「上手く行きましたね、ディーク様」

「無駄口は慎め」


 階段を上がる六人の中、松明を手にした先頭の言葉を、一行でやや後方にいる男がたしなめた。

 しかし人間というものは緊張の中で長く沈黙に耐えるのはなかなか難しい。麗人の塔を登る道のりが単純すぎるというのもあるのだろう――我慢しきれずと言った感じでしんがりを務める男が声をあげた。


「しかし魔族達や使い魔の姿もありませんでしたな」

「当然だ、魔族とて万能ではないという事だ」

「へい、左様で」


 そう、特筆すべき事は何もないとディークは思っていた。

 人族である彼らが今、魔族の総本山とも言うべき魔王城で無人の野を行くが如く、魔族の姫・ベリル=メル=タッカートの住む麗人の塔に今入り込めたのは訳がある。

 わかりやすく言えば、ここはロールプレイングゲームのラストダンジョンではない、という事なのだ。

 無論、城壁の上や廊下ではリビングアーマーが警戒に当たっているし、城内の目立たない死角でも一定のローテションでスケルトンが周回している。所々にある詰め所ではその使い魔達を召喚し、統括する言わば警備隊長とでも言うべき魔族が、使い魔達の異変を察知できるように目を光らせているはずである。


 しかし人界出身の人族が失念しやすい事の一つに、魔族は完璧でないという事がある。

 確かに奴等は人族など軽々と投げ飛ばせる腕力を持ち、人族の小隊などを丸ごと吹き飛ばしてしまうような魔法を使う。だが富める貴族や商人がたるんで肥え太るように、魔族の精神にも贅肉はつくのだ。


 一般的な使い魔は疲れたりサボるという事がなく、任務に忠実で正確だ、しかしそれは即ちその巡回のローテーションに意外性がなく、穴を突きやすい事でもある。

 こう書くとじゃあ時々ローテーションを変更すればいいじゃーん、という意見もあるだろうが、もう一度強調しよう。


 魔族は完璧ではないのだ。


 地球のどっかの液晶事業に失敗してライバル社に融資を求める無様を晒す会社然り、薄めた消毒液で感染問題を起こしまくった病院然り――人の性として目の前の事が上手く行ってる内は変わろうと思ってもなかなか変わる事ができない。そして人間や組織はしばしばそこから腐る。


 んでもって、時にはケツに火が着いた後でもアホ面を晒してこう言うのだ。

 今までもこれで上手く行ってたから大丈夫、と。


 そして誰もが魔族達の事を笑えた義理ではない、例えば太るとわかってても夜にポテチを貪ったり、テストがあるのにゲーセンに入り浸ったり、駄目だと思ってるのに浮気したりと、わかっちゃいるが止められないというのは誰もが例外なく経験する苦い惰性の味なのである。


 ディークは魔王城の侵入ルートを幾度も検討し、固定された巡回のローテーションを詳しく調べ、魔族の不意を打って穴を突いた。これで成功しない方がおかしかった。

 結果として、勇者の御一行様はこうして我らが主人公、ベリル=メル=タッカートの居城にチェックメイトを掛けたのである。


「ところでディーク様、一つ気になる事があるんでございますがね」

「なんだ」

「先ほどから地面が湿っているのですが、これは何故なのでしょう」

「気候の安定している魔界とは言えこの季節は熱い、水を撒いたのだろう」

「なるほど、流石は王族ですなぁ、実に行き届いていらっしゃる」


 少しの皮肉を混ぜながら男は感心する。お陰でゴテゴテと重ったらしい鎧だので体を包んでいても、体は汗一つかかない、むしろ寒く感じるくらいだ。

 ちなみに彼らが身に着けているのはフルプレートアーマーという、馬に乗らなれければ階段を登るのはおろか、走るのにすら難儀するようなクソ重い奴ではない。急所だけに鉄板が縫い付けられた鎖帷子に、急所や四肢を守るような鉄板入りの手袋とグリーブ(脛当て)は最大限の軽量化が図られていた。

 それでも全部で結構な重量になるのだが、どれも見事な作りなおかげか、冒険者達の足取りは軽い――如何にも名工の作である装備はこの仕事が終われば報酬として貰っていいからだ、流石は勇者、太っ腹である。

 なおその勇者は更にブレストアーマーだけの軽装備であり、狭い所でも振り回しやすいショートソードを腰に下げていた。


 冒険者達は失念していた、一行のリーダーであるディークが軽装である理由を。

 万が一魔族に見つかった場合、より重い装備を身に着けた者がどんな役割を果たしてしまうのかも。

 勇者の名声と、そのパーティに加われる栄光と――そして気前良く払われた報酬が本来慎重であるべき彼らの目を曇らせてしまった。

 そこまで勇者様がコストをかける理由を、彼らはよく考えるべきだったのだ。


 ここは魔王城で、彼らの狙いは魔族の姫君だという事を。


 しかし微かな疑念が起こっていてもそれを冒険者達が気にするかどうかは微妙な所だ。

 今のところは順調なのである。装備は万全、潜入は順調、勇者ディークが念に念を入れて調べたお陰で使い魔すら影一つ見えず、あとは幼いながらも魔界にその名を知られつつある魔族のお姫さまを拝んで、確かにガキだがひょっとしたらおこぼれでウヒヒヒ、とか妄想する奴すらいたりする。

 ……えーと、まあ、どこの男も似たようなもんなのです、はい。

 イエス・ロリータ・ノー・タッチという病人達の自己弁護を彼らが知っているかはともかく、やがて長ったらしい螺旋の階段にも終わりが見えてくる。


 踊り場には全身鎧が立っていた。


「あれは……」


 冒険者達に動揺が走る。


「確か門番は動けなくなっているとの事だが、他のリビングアーマーの可能性もある、気をつけろ」


 しかしディークはその言葉とは裏腹に、あれは違うと見ていた。

 もしあれが本当に使い魔だったら、とっくに襲いかかってきているはずなのだ。


 鎧の造形も話に聞いていたスケルトンナイトとは違う。水汲み用のバケツを10倍分厚くして目の部分に穴をあけたような兜を初め、装甲の一枚一枚が剥がすと武器に使えるような鎧は確かに威圧感がある――素人目には。

 争いから遠くなった人界の中央国家同盟でよく見るのだが、ああいう重厚すぎる鎧は見かけとは裏腹に実用性に難があるのだ。クソ重くて見かけばかりの、儀礼用の全身鎧。一生に一度着るかどうかなので、貴族の間でも貸し回す事が常態になっているほどだ。むしろこんなもんを着て歩ける体力と根性が貴族として叙勲に値するかどうか、という馬鹿馬鹿しい精神論が自称武門で成り立っていたりする。

 いくら要人の護衛と言えども、こんな代物をリビングアーマーに仕立てるとしたら、使用する魔力と労力は並ではない。


 案の定、一行が重厚そうな門の前に立っても、それは反応を見せなかった。

 冒険者の一人がコンコン、と鎧を叩くが、剣を地面に突き立てるそれは微動だにしない。


「けっ、驚かしやがって、ハリボテかよ」


 ホッとした空気が一行の間に流れる。


「ディーク様、何をしてるんですかい?」

「念のためだ」


 見れば彼はその全身鎧に一枚のプレートを引っ掛けていた。

 冒険者達はハッとした。

 そうだ、ただの鎧のフリをして、不意を突いてくるかもしれない。この重厚そうなフルプレートアーマーが動き出して襲いかかってきた時の事を考え、一同は思わず震え上がった。


「解錠を」

「はい、旦那」


 ディークの声に応じて一行でも比較的ヒョロッとした男が前に出る、そいつが針金をカギ穴に挿し込むとやがてガチャンとした音が聞こえた。いざとなったらディークは強引にカギを破壊するつもりだったが、どうやらそれは不用のようだった。


「ここで待っていろ」

「へい、了解しました」


 ディークは扉を静かに押し開け、スルリとその身を滑り込ませた。

 そして扉は音もなく閉じた。

 緊張が霧散した。

 冒険者達の一人が冷たく湿った地面に座り込みながら毒づく。


「……けっ、一人だけお楽しみかよ」

「しっ、無礼な事を言うじゃねえ」

「大丈夫だ、この扉の厚さじゃ音は伝わらねえよ――大将もそこは織り込み済みさ」

「別にそういう事をするために来た訳じゃねーだろ」

「はんっ、勇者だろうが結局は男だろうが」

「何言ってんだこの変態が、まだ10歳にもならないガキって話だぜ」

「ちげえよ、お姫さまだぜ? 魔王城だぜ? こんな機会は滅多にないんだ、一生に一度の思い出って奴よ」

「俺は勘弁だな。泣き喚くガキを犯すぐらいなら、報酬貰って町で女買った方がマシだ」


 この塔は下に声が伝わらないほど馬鹿高い。遠慮もなくワイワイと喋り始めた冒険者だが、やがて話題が尽きたらしく、沈黙が踊り場を支配した。

 俯いていた一人がボソッと呟く。


「……なあ、いっそ――」

「おいっ!」

「冗談だよ、冗談」

「いや、違う、静かにしろ」



 ガシャン。



 それは静寂の中、確かに聞こえた。

 それが部屋の中からだったら彼らも聞こえなかった事にする所だが、階段の下から響くとなれば話は別だ。

 ガチャガチャガチャ。

 判断は早かった、冒険者達は思い思いの使い慣れた武器を即座に抜き放ち、松明の火を踊り場の奥に引っ込めて息を潜めた。

 暗がりのなか、ガシャン、と再び足音が聞こえる。

 一定のリズムを刻むそれに、その正体が冒険者達の脳裏に浮かぶ。


 リビングアーマー。


 魔族の間でもポピュラーな、護衛や巡回用の使い魔だ。

 冒険者達は頷き合う――そういう情報はなかったが、門番が使えなくなったというのは知っている。別の使い魔の巡回ルートに塔を含めたのかもしれない。

 高所という地の利を取ってるいう事もあり、全員でかかれば無力化は多分可能だ、よく使われる大剣はこの空間では振り回しにくいし、隙を突いて階段に落とせばそれで一丁上がりだ。


 ただし急いだほうがいいかもしれない、魔族達に異常を悟られる可能性がある――場合によってはお楽しみ中の勇者のさぞかしお綺麗なケツと、倫理機構の審査に引っかかる事間違いない状態にあるお姫様を拝む事になる。それも面白そうだ、と思った奴がいたのは間違いない。


 足音が近くなり、一同が近寄るのを待ってかかろうとした直前、


 それは姿を現した所で足を止めた。

 松明の微かな光に照らされたそれは果たして、狼を彷彿とさせる造形のリビングアーマーだった。

 身構えた一同の前で、獣が口を開けたような兜がひとりでに開く――予想どおり、そこには無人の暗闇がポッカリと口を開けている。

 しかし緊張が高まる冒険者とは裏腹に、リビングアーマーはまだ襲いかかっては来なかった。


「……何だ?」


 その中の一人が呟いた時。


 ギョロッ。


 獣の口の中で、巨大な目玉が一同を睨みつけた。

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