風雲再起
それは薄くなった暗闇にも気付かず、惰眠を貪っていた。
バキンと、何重にも絡みついた鎖が音を立てて切られる。
起きやがらねえ。
トントンと、尖ってて柔らかいものにつつかれる感触――例えばつま先のような。
なんだよもー、いい気分で寝ていたのに。
地面に寝そべったまま、薄目を開く。
ぼやけた視界の中、黒いのと白いのがこちらを見下ろしていた。
何だお前ら。
俺はもう戦いたくないんだ。
数多の戦場を駆け抜け、血を吸い、人々の恐怖の的となった。
しかしあの日、神を見たのだ、そして悟ったのである。
もういいだろ、放っておいてくれ。
そう思って、目を閉じた。
「反応が鈍いですね」
聞き忘れようもない。
鈴を転がすようなその声に、魔剣ソウルイーターはバチッと柄にある目を見開いた。
『仕方ありますまい、念入りに封印という話でしたからな』
黒いのが何か言ってるようだが、ソウルイーターの無い耳には入らない。
駄目だ、また眠くなってきた。
ピチャン。
意識が落ちる前、まるで目薬のように目玉に滴ったその液体は、一つのものを魔剣の全身に浸透させた。
遥か昔、使い手と共に暴れまわっていた頃ならば何の足しにもならない微弱な魔力は、しかし今は文字通りの甘露となってソウルイーターを癒す。
ああ、これだ。
ハッキリとした視界の中。
神が。
ううっ、巨大な目玉のガン見がキモい。
狂信者に見つめられる教主と言ってもまだ聞こえがいい方である――本人の気分はと言えばほとんど出所したストーカーに再びまとわりつかれる被害者だった、しかも男と男で。
ソウルイーターの前で色々なトラウマが脳裏に過ぎるベリルであったが、しかし選り好みできる訳ではないほど状況は切羽詰まってる。
とりあえずオチから言おう。
ランスロットが骨折した。
ある日の朝、プレアを伴ったシラが部屋の前で崩れ落ちたスケルトンナイトを発見した時、彼女は即座に主の身支度をメイドに任せた。極秘内に、しかし迅速に滅びの鎧ごと工房に運び込んだのである。
ベリルがベッドでグズってる間全ての処置は終わり、工房のホワイトボードにゴーレムが書いたデッカい"腰の骨折れた"の文字を見た時、ベリルは安心と同時に頭痛を覚えた。
この騎士の事だ、まさか階段から滑り落ちたとか、真夜中に踊り場で剣の素振りをしてコケたとかではあるまい。
疲労骨折、そんな言葉がベリルの脳裏を過ぎる。
滅びの鎧に侵食され続けられるスケルトンナイトは、まるで老人のようにガタが来て、病人のように動けなくなったのだ。
とっくに死んではいるし、今すぐどうにかなるという訳ではないらしいが――絶対安静なのである。
工房に寝かせられたランスロットがバンバンバンと地面を叩いたが――ってーか腕の骨まで折れるだろうがボケェ! という訳で命令して黙らせた、まるで寝込みながらも暴れるおじいちゃんを叱りつける孫娘――今の無し、孫で。
さて、問題は不在となった護衛の方だが、候補はいくつかある。
その一、シラ。その二、バイアン。
うーん、どうしたもんだろうか、とベリルは思った。
ハッキリ言うと二人ともそういう武闘派ではないし、護衛という仕事で時間を潰させるには惜しい人材だと思ったのである。あ、ちなみにそれ即ち二人が弱いという話ではない。向き不向きの問題である、護衛には護衛の技術があるという事なのだ。
例えば地球での事件を例に挙げると、アメリカのレーガン大統領が暗殺されそうになった時、そのボディガードは自分の体を盾として即座に銃口の前に立ちはだかった。そしてこれは別に地球だけの概念ではない、4年前の事件でスケルトンゾンビリビングアーマーその他諸々の吹っ飛んでベリルに降りかかった時も、髑髏の騎士は躊躇なくその身で主を守っている。
シラも主を庇ってるがな、というツッコミがあるだろうが、そのアルケニーも今やメイドに世話役を任せてベリルに一日中ベッタリという訳ではないし、バイアンは魔法の教師兼工房での開発も担当している。能力的に十分とは言え、来るかどうかわからない襲撃者に備えてどちらかを護衛としてベリルに貼り付かせるぐらいなら、護衛対象自らが麗人の塔に閉じ篭った方がマシだ、という話なのだ。
あ、ちなみにランスロットを今すぐ再生するという案は真っ先に没になった。
実を言うと魔導式は既に完成していたりする。
足りなかったのだ、魔力が。
あろう事かこのジジイは、転生の際にベリルが滅びの鎧用に溜め込んだマジックチャージャーの半分を使いやがったのである。単なる踊って歌えるスケルトンだったのが、上級の魔物であるリッチに転生できたのはそのお陰だ。
まあ、バイアンにはある意味借りがあるし、高い買い物だったかと問われればそうであると言い切れないのがアレだが――だからと言って護衛不在の問題が解決する訳ではない。
そこでバイアンが一計を講じた。
ランスロットを再生するテストのついでにもう一体護衛を作ってしまえ。
うーん、なのであった。
道理には叶っている。何せスケルトンこそ数あれど、ランスロットという騎士は一人しかいないのである。万が一再生に失敗したら目も当てられない。前もって似たような手順を一回やっておくのは確かに重要だ。
しかし何も知らないバイアンがソウルイーターをその素材の候補として挙げた時、ベリルの表情は後世に残すべきだった物であろうと思われた。そして例の事件を話した時、このリッチは無い腹を抱えて空中で大いに転げ回りやがった。墓場にもう一度叩き込もうかと、ベリルは本気で検討しかけた。
それにしても――よりにもよってアイツか。
確かに何人もの使い手を破滅させたという事で、経験は十分であろう。魔界でも有数の魔剣という箔付けも十分だ、そしてこれが意外だったのだが――製作者がサス=カガタという事であり、それがこの変態魔剣が別の素材と一線を画す要因だった。転生させる対象と他に必要な素材、その両者の製作者が一致してるに越した事はなかったからである。
そしてバイアンの言う通りにするか、別を当たるか、閉じ篭るかとベリルが悩んでいた時に、彼女の元にその情報が届いたのだ。
勇者がベリルを狙っている。
情報の出どころは城下町にいる木っ端貴族という話ではあるが、普通はそんな下心が満載された単なる戯言をシラが通す訳はない。
リベール。
その貴族は、シラと対面するための合言葉としてその名前を持ち出したのだ。
うげー、であった。
一応調査で引っかかるものは無かったらしいが、完璧に信頼できる相手ではない。さりとて意味のない偽報をベリルに吹き込むほどの阿呆でもない、ベリルを罠に嵌めるなら他の言い訳を考えた方がマシなのは猿でもわかる。
多分この情報は本当なのだ、ベリルはそう判断した。
かくして木っ端貴族はお姫様の覚えめでたくなったとして魔王城からスキップして帰り、狙われていると判明した当人は頭を抱える事となる。
魔王の方に行けよボケェと思うベリルだったが、それで勇者の方が話を聞いてくれる訳ではない。
こうなった以上、護衛は必要である――しかも出来る限り高い能力のが欲しい。
変態魔剣に嫌々ながら頼るより、鬼畜エロゲの攻略対象になるのを回避する方がベリルには優先度が高かったのだ。
そして不本意ながらもこうやって目玉に魔力を供給し、しかし暴れ出さないように例のアレをアレした、魔力濃度の低い聖水を垂らして話しかけている訳なのだ。もっとマシなもんはなかったのか、と言いたい所だが、手頃なのがこれしかなかったのでしょうがない。
「ソウルイーター、私の声が聞こえてますか? 聞こえていたら二回瞬きしてください」
バチバチ。
「これから質問をします、了承なら二回、嫌なら一回でお願いします」
バチバチ。
「あなたの力を借りたいです」
バチバチ。
「それにはあなたを作り替えなければいけません」
バチバチ
「その代わり、あなたに魔力を与えます」
バチバチバチバチバチバチバチバチ。
YES!YES!YES!YES!YES!
『もうそのまま使ってもいいんじゃなかろうかのぅ』
リッチの呆れた声。
そうする事にした。
いーなー。いーなー。いーなー。
黙ってろコワッパ共!
周りの魔剣達でも筋金入りのロリコンである一部の声に一喝し、ソウルイーターは至福と共に武器庫の地面を雑魚スケルトンAとBに引きずられて行った。
扱いが結構酷いと思わんでもないが些細な事だ。
一体何をさせられるのかはわからないが、神は自分を求めていたのである。
それだけで本望であった。
我が人生に一片の悔いなし。