暗躍する者
『魔王様、お久しゅうございます』
「――バイアン……なのか?」
呆然としたまま、玉座の上に座った人物は目の前に佇むリッチを見つめた。
玉座に座る腰が半ば浮いている。
こんな父親、初めて見た、とバイアンの横に立っているベリルは驚く。
『はい、この度転生致しましたので、ご挨拶に参りました』
「……そうか」
魔王は玉座の上に座りなおし、ふー、とため息を一つ。
「お前の事だ、今更墓の穴から這い出ても驚かんがな」
チラリと、ベリルの方にも目を向ける。
「娘とはどういう関係だ」
『はあ、奥方の墓参りに来た所で墓石の前をお通りになりまして、生前に仕込んでおいた術が、ご令嬢の魔力に共鳴した訳ですな』
「それはまことか?」
『という事にした方がよろしいかと』
人を食った物言いだ。
黒マントのフードに隠れて表情も見えぬ魔導師は、ほっほっほっ、と笑う。
『いやなに、ベリル様の使い魔なのですよ、今の私は』
「ベリルよ、それは本当か?」
「こっちに話を振らないでください、使い魔、というのは多分本当です」
「……わかった、もう下がっていい」
『ご心配なく、ではシラ様にもご挨拶に伺って参りますかのぅ』
生前での二人の関係が、よくわかるやり取りだった。
「まだ使い魔というのは本当ですか?」
『本当でございますよ』
廊下の中をスケルトンナイトも含めた三人で歩きながら、リッチは主の質問に答えた。
『使い魔であるという事は、そこのランスロットやサス=カガタとも話せる訳でしてな、これが色々と便利なのですよ』
もっともバイアンは歩いている訳ではない。まるでSFでよく見るように、全く高度を揺らさずに進んでいる。
『二度目の転生に際して少し制限を外しはしましたが――それでも私はベリル様の忠実な下僕なのですよ』
まあ、そんな所だろうとベリルも思う。転生の秘術の創始者であり、その複雑な呪文を不眠不休とは言え数日で魔導式に互換できるような奴が、それを自身に使う際に手を入れない方がおかしいのだ。まだ正直に言ってくれるだけマシである。
それにしても――
ほっほっほっと笑う、ふよふよと浮いている真っ黒の死神風。
「目立っていますね」
今もチラホラと好奇心を抑えられない魔族達が遠巻きに見ている。すれ違う際にベリルに恭しく挨拶をする女性の使用人達も、余計な詮索はしないものの、流石にバイアンに目を向けていた。
『その半分はベリル様のお陰でございますよ』
グルリと、マントに包まれた黒い何かの、人間で言えば頭に当たる部分だけが、まるでスケルトンであった時のようにグルリとベリルの方を向く。
気に入ったのか、そのアクション。
しかしリッチは主の表情を見て、言葉を飲み込んだ。
『……ふむ、不要のようですな』
「――何のお話でしょうか?」
『ベリル様はそのお年でご自分の魅力をハッキリと認識していらっしゃる――この老骨のカビが生えた説教など何の足しにもなりますまい』
つまりは自分を客観視できるかできないか、そういう事を言いたかったらしい。
そりゃそうであるよな、という感じだった――元男であるし、鏡を見る度に自分の前途多難さにため息をついてしまうほどだ。
だから色々と必死なのである。
麗人の塔に戻った。
『シラの嬢ちゃん、お久しゅう』
その台詞を聞いたアルケニーの顔に走った戦慄は、ベリルが生涯忘れる事のできないものだった。
「……バイアン様?」
呆然と呟いた老婆と、生まれて初めて見る彼女の姿を見てやはり同じ反応をするベリル。
我に返ったのはベリルの方が先だった。
嬢ちゃん……?
『はい、バイアンじゃよ』
「あのバイアン様ですか?」
『そのバイアンじゃ』
「亡き奥方の尻を触って、八つ裂きにされそうになったバイアン様ですか?」
『その八つ裂き以外で死んだバイアンじゃよー』
ベリルは思わず自分の尻を両手で押さえ、傍で浮いている魔導師の方を半目で見上げる。
「そんな事をしていたのですか?」
『ほっほっほっ、ベリル様はご心配なく――この体には既にそのような欲など無いゆえ』
って冗談じゃなく本気で触ってたのか。千年近くも生きておいてお盛んな事だ。
「ああ、本物のバイアン様ですね」
そのやり取りで本人だと納得したらしい、アルケニーが肩を落とした。
『それにしても奥方と並び、美しさで魔王城の男衆を魅了していたあのシラの嬢ちゃんがのぅ』
待て。
このリッチが聞き捨てならない事を口走った気がする。
シラの方を見る、相変わらずの巨大な蜘蛛の下半身の上に、気品のある老婆の上半身がピシリと背筋を立てている。顔にはこう書いてあった。
余計な事をぬかしやがってこのくたばり損ない、と。
しかし観念したらしく、ため息を一つ。
「ベリル様、我々アルケニーの本体は蜘蛛の魔物なので、この姿は魔力で型どったものなのでございますよ」
なるほど、外見は自由自在なのか。
一度は若い姿を見てみたいかな、と思った。
しかしベリルは複雑な表情をしたシラを見て、
「うん、このままでいいよ」
だからどうしたって感じであった。それで9年間も日夜休まずに育ててくれた事実が変わる訳ではないのだ。
ホッとした表情を見せるアルケニーに、バイアンはケラケラと笑う。
『まだまだ修行が足らんのぅ、ベリル様の信頼はその程度で揺らぐものではないぞ』
やかましい。
そんな小さな呟きが老婆の口から出るのは、思いのほか新鮮だった。
流石のシラも、魔王城最古の魔導師相手には分が悪いらしい。
魔王と言い、シラと言い、今日は珍しい物を見る日だ。
亀の甲より年の功、そんな言葉が元青年の脳裏に浮かんだ。
※
カランカラン。
出入り口のベルを鳴らしながら飲食店に入ったリベールは、ふぅ、と息をついた。
肩に背負ったバッグはスカスカに凹んでいる。商談の帰りなのである。
お姫様が作った魔力計は、彼女の名前を出した途端にあっと言う間に売れた。一ヶ月くらい待って使い心地を聞く必要はあるので予断はならないが、この分ならいい報告ができそうである。
彼女に声をかけられてから半年、すっかり顔馴染みになったマスターにいつもの、と注文しようとした時に声をかけられる。
「よう、リベール。あんたを待っている奴がいるぜ」
どこから情報が漏れたのた――魔王の一人娘、ベリル=メル=タッカート御用達の商人という名声はこの半年ですっかり広まってしまった。
こうやって彼の行き着けの店に押しかけられた回数も、全身の指を使ってすら数え切れないほどだ。
用事は様々だ――魔王城に渡りをつけたい者。取り扱って欲しい商品を紹介してくる者。ベリルに紹介して欲しい貴族は直接魔王城に行けと言いたくなった――果てはこんな若造に金を無心しようとする者。単なる詐欺師。脅迫をしに来たチンピラ等々。そのバリエーションだけでいい勉強になったほどである。随分と偉くなったような錯覚を覚えるが、所詮は虎の威を借りる狐だとリベールは心得ていた。
どんな状況だろうと、頭はとりあえず低くしておいて損はない。
そして今度の相手もまた違う手合いだった。
「ありがとう、マスター」
「今日のは待ち合わせかい? お前さんも顔が広いねぇ」
見れば彼の定位置となった席で、両腕を組んでいる男がいた。
その向こう側に座り、少年は口を開く。
「お久しぶりです、勇者ディーク様」
恭しく頭を下げる。
うむ、と男は重々しく頷く。
「今はリベールと言ったかな、では近頃の報告を聞こう」
「はい」
遙か遠くに魔王城が見える、飲食店のテラスでの出来事だった。