世界を定義するもの
すったもんだの末。
ベリルにはまだ、髑髏の騎士が再生できなかった。
ほら、そこ、ずっこけないずっこけない。
だいたい我らが主人公、ベリル=メル=タッカート(9歳♀)は腕力魔力権力美少女美女奴隷幸運家土地その他諸々等、目の前に据え膳を置かれておいてはいどうぞ、なチート系フツメンもしくはアラサー、ただし実は女や男がウヨウヨ寄ってくる雰囲気イケメンないし可愛い系ではない。設定的に言うとどちらかというと美幼女で奴隷でヤられちゃう方なのである、うげー。
腕力は貧弱。魔力は恥辱。おつむはまあ、神童の誉れ高いがそもそも子供の脳みそを持った大人である――冷静に考えるとそういう評価じゃないのは元が余程の馬鹿という事だ。神童と呼ばれても嬉しくともなんともない。
外見の方もそろそろすっげぇ美少女にクラスアップしつつあるがイケメンが近くにいる訳でもなし。ていうかそもそもの話として、野郎は自分で腹一杯じゃあ、という時点で運の方は知れたものだ。
んでもって家は立派な巨大な魔王城だが、(ピー)する声が下に聞こえないほどクソ高くて不便な麗人の塔に押し込められている――見初めた女を置くための、というのはそういう事である。
毎日螺旋階段を往復して実に四年、ベリルのぷにっとしてした太ももとふくらはぎは結構な脚線美を作り上げている、と言えばその高さがわかるだろうか。
で、結局何が言いたいのかと言うと――怪しい商人から手に入れた羊皮紙を片手に、テンションを上げて工房に突っ込んだ所までは良かった。しかし羊皮紙を開いてそこに必要な情報あるのを確認し、改めて暗号で記された秘術の本文に目をするに至って、ベリルは絶望の意味を知る事となったのである。
例えるならば、足し算をできたばかりの小学生にシュレディンガーの猫。
その言葉の発案者が自分の事を言っているんじゃないか、という疑いがあるゲーム脳的に言えば、HPの最大値が999のゲームで四桁ダメージ。
人類の限界であった。
何せ魔王城お抱えである、ひょっとしなくても天才なのだ。長年の経験で円熟もしている――そんなバイアンなる術師が寿命を迎えるちょっと前に開発した秘術である。
そんな代物を生後9年、元青年の分を合わせても恐らく30を辛うじて超えるか超えないかのベリルに理解しろという方が無茶であった。いくら神童補正があっても、まだ使い魔の召喚呪文を覚えた程度では限界があるのだ。
暗号に翻訳してるのにその時にわからんかったんかい、という部分はえーと、あれだ……ゲームのプレイ動画を観ながらあれなら俺の方が上手いとコメントしてしまう名人様現象。やれもしないのに大きすぎる自己希望を反映してしまうというあれだ。
あと読んではいても脳みそに入ってないという、モチベーションのない受験ゾンビ現象などはどうであろう――暗号化して複写するだけなら、内容を深く考えなくても出来るのだから。
なまじっかランスロットとサス=カガタ、二つの成功例が目の前にあるのも悪かった。
甘く見ていたのである――そして現実というのは甘い方がおかしいのだ。
とりあえず秘術の文面をサス=カガタの前に置いて麗人の塔に逃げ帰ってみたのはいいものの――翌日になって連絡用メモ帳の上に書かれた『無理』の二文字がいつもより大きめに書かれていたのは、あくまでも忠実なゴーレムのせめてもの抗議であろう。
ごめんなさい。思わず名工に謝ってしまったベリルはそう言えば黒板みたいなのがあれば便利だよなぁ、と思ってリクエストをしてみた。
翌日、それが本当に工房にもどきが立てかけてあった――白い板の上にはすべすべトイレでお馴染みのガウムの樹液が半乾きになっている。チョークの代わりには粘着性の強いインク。雑巾で拭くと文字が綺麗に消えるらしい。
黒板みたいなのを要求したら、書く方の体と喉にいいホワイトボードが出てきたのだ。名工らしく、実にクオリティの高い仕事であった。
しかしそんな青狸みたいなゴーレムと言えども、無理なものは無理だった。名前を合わせようとしたらサスえもんだのカガえもんだの、妙にアレな響きになったので断念したのはここだけの秘密である。
だがベリルは思い直した――これらの挫折もある意味幸運だったのかもしれない。
あの徹夜明け同人作家のごときテンションのまま、転生の秘術をランスロットにかけていれば、ぶっつけ本番で適当にやってても何故か成功してしまう幸運チート系主人公とは逆の結果になると気付いたのだ。
正気に戻った後、デッサンもパースも狂った絵を前に絶望して、〆切に間に合わずラフ画だけのエロ漫画を提出するハメになるのである。一体誰が得をするのか、正に悲劇だった。
魔法の方はじっくりと勉強するとしよう。ではもう一つの課題である魔力版電池の方はどうか。
その研究には魔導式――つまり、藁束マッチの輪に刻まれた紋様が不可欠である。その魔導式は簡単である、というよりはベリルにも理解できるほど原始的なものしか現存していなかったのだ。手っ取り早い呪文詠唱が主流なせいで、描かないと効果を発揮しない魔導式は全くもって開発が進んでいないのである。
魔導式が電気回路の電力を魔力に置き換えた言わば魔力回路、つまりは図形であるのも祟ったのだろう。羊皮紙というメディアが高価な世界である――口伝で済む呪文と、何かに描かれなければわからない図形の差は歴然だった。
リベールなる若き商人が持ってきた魔力開放式も、ベリルが理解できる程度のレベルだ――それ自体はいわゆるコロンブスの卵的発想のそれであって、考えつきさえすれば子供でも再現可能の簡易的な式だった。魔族の歴史は数千年もある。そんな簡単な物を今まで考えつく奴がいなかった、または考えついても世に出なかった辺り、魔導式という代物にどれほど需要がなかったのか想像が付くというものだろう。
では魔力を注入する方はどうか――答えは意外にも近い所に転がっていた。使い魔とは魔力を注入された物体である。そういう事だ。
幸い、使い魔生成の魔法は使い古されただけあって、単純なまでに効率化されていた。それを魔導式に翻訳するのも、シラの助けがあれば十分である。
そんな訳で、ベリルは以上の二つの魔導式を一つの物に書き込んだ。異世界版魔法電池、言うなれば魔池、そのプロトタイプの完成である。しかしなんか語呂が悪いな。電池でいいか――うーん、でもそれもどうか。まあ、マジックチャージャーでいいや。
加えて今の工房には、魔王様のお達しで各地から取り寄せた珍しい物がゴロゴロしていた――あとはサス=カガタに総当りで試作品を作らせ、魔力の容量を比べるだけだ。
そこでベリルは気付いた。
長さで言えばメートルやマイル。重さで言えばグラムやポンド――それに当たる単位が魔力にはなかったのである。
困った。
魔力というのはエネルギーみたいに如何にもあやふやな代物ではあるが、元青年のいた地球ではそれでもカロリーやジュールというもので熱量を測定していたのである。そういう意味では単位に支配される世界だったのだ。
単位がなければ何が大きいか小さいのかもわからない。いいとこがこの魔法を使ったらあの魔法より疲れる、程度のものだ。しかもある意味で魔力の流れというものが無いに等しいベリルには、その感覚がわからない。
魔力の単位と、それを測定するための物差しが必要だった。
そして単位には基準となる物体が必要だった。例えばこの世界でも何故かあるメートルの元は地球の子午線である。グラムはメートル法から定義した水の重量だ。
あ。そこまで考えてベリルは気付いた――蒸留水なら作る装置があるのだった。かつてスケルトンナイトに運ばせた奇妙な青い果実を、今度は工房に移した。
またもや引っ掛かった。
どうやったら魔力というものを、蒸留水で定義できるのか。
その答えは近い所にあった。散々悩んだ後の夕食で、デザートの魔法で凍らせたシャーベットを食べている時に閃いたのである。
「そうか!」
「お嬢様、お座りください」
優雅なニュートンもいたものだが、それでもアルケニーには不満だったらしい。急に立ち上がって叫んだベリルを、シラは永久凍土のような声で押さえ込む――久々のペナルティ発動、プラス絨毯の上で正座してお説教三十分である。
シラ=セプテット=フォンデル、魔王の一人娘を教育してはや9年。ともすれば変な方向に突っ走りそうになる主を女の道から外すつもりはなかったのである。
そしてベリルは先に進む。
エネルギーとは物質の状態を変える物であるならば、その状態の変化を度量とすればいい。
例えば熱量の単位とは、一定量の氷を沸騰させるまでのエネルギーだ。しかし炎を生み出して沸騰させるのは熱効率の問題もある――ではその逆で、1メートル立法の水から直接氷を作る魔力量を1単位とするのはどうだろう。いけそうだった。
しかしメートル単位では量が大きすぎて不便だと思い直す。なのでメートル法に倣って更にそれを百分の一にした――つまり、1センチ立法の水を氷にする魔力量だ。
度量の名称はどうしよう。
学者のようなせせっこましい上に、覚える方の事を全く考えていない迷惑極まりない自己顕示欲はベリルにはない。よって自分の名前と使うというのは没だ。第一1ベルでは音量になってしまう。1マナが妥当なところだろうか。
その後はマジックチャージャーと同じ、各物質の魔力容量を図るための地道な実験だった。
そして三日目。
げんなりである。
まだ残っている作業量を考えるだけでげっぷが出そうだった。書いてる方すらそろそろ嫌になってきているので、それを実際にやらざるを得ないベリルの心境は察するに余りある。
一から物を作るというのがこれほど大変だとは。
しかもかなりの高等魔法であるところの禁忌の秘術を目指し、魔法の勉強と魔導式の開発も並行でやらなきゃいかないのである。正直言って一人の手には余る――と思った所でベリルはまたもや気がついた。
何も一人でやる事はないのだ。
幸いにして工房には沸騰させるための炎と水だけには事欠かない。
かくして、魔力開放の魔導式に氷作りのそれを追加した奴をベリルは開発する。面倒な実験をゴーレムに押し付け――あわわ、指示したベリルは晴れて麗人の塔に篭り直したのだ。工房には少しだけ顔を出す程度。優雅な生活再びである。
噂を聞いた魔族達の間では、おい姫様が妙な遊びをやめたという、ほっとしたような噂が流れた。逆にいやいやお嬢様には明後日の方向に驀進して欲しい意見が出た。両方が衝突した挙句になんだとてめーやるのかーと殴り合いが起こったりもした。
しかし実の所、事態がみんなの想像よりもエラい事になっているのを――教育係のシラとメイドのプレア、ついでに魔王様ですらが把握しきれていなかったのである。
そして半年の時が流れた。