セイブ・ザ・クイーン
ベリルが9歳の誕生日を迎える少し前。
その夜、髑髏の騎士は何時ものように門番をしていた。
彼は動かない。
魔界の夜は静かだった――長き螺旋の階段の果てにある塔の頂上は殊更にそうだ。
髑髏の騎士は考える。
秘術で形造られた仮初の命は、人の記憶を受け継いだ身だが、所詮は人の身にあらず。
人間なら狂わんばかりの長き無為な時、髑髏の騎士は剣の事を思案する事で過ごす。
この骨だけの体で何ができるのか。
どうやればもっと素早く動けるのか
身に付けて日も浅い聖剣は、どうしたら上手く扱えるのか。
まるで0と1で構成された異世界の産物の如く、正確無比に。
彼は油断しない。
スケルトンナイトは、守るべき主の価値を知っていた。
彼女は魔王の一人娘である。
その小さい体には前途洋洋な未来が待っていた。厄介な体質こそあれど、将来には世に二人といない佳人になるであろう少女は、いずれは力と品格をあわせ持つ魔界でも有数の魔族に嫁ぎ、幸せな一生を送るはずだった。
しかし彼女はそれ以上に素晴らしかった――その恵まれた人生をただ徒然と歩む事を、良しとしなかったのである。
主は才能に溢れていた――その体質に打ちひしがれる事はなく、むしろそれを利用して工夫を重ね、ついには魔王城でも一目置かれるようになった。
彼女は、生まれついた身分以上の価値で見られるようになったのである。
あるいは、その才能こそ外見や身分よりも貴重なものなのかもしれない。
それらが広く知られた今、彼女を求める者は更に多いだろう――そのある意味では貴重な体質を、いまだひた隠しにしているにも係わらず。
髑髏は騎士である。
スケルトンナイトは、麗人の塔を貫く欲望の視線を知っている。それは彼女が美しさを増せば増すほど、その才能を発露させればさせるほど、多く、深くなる。
無論それらが全て下卑たものではないとはわかっている。主が成長した姿を予想すれば、男として、そして魔族として彼女を求める者を咎める道理はない。
しかしそれが主を傷つける下郎ならば別だ。
彼のやるべきはただ一つ、そういう輩共から彼女を遠ざける事だ。
髑髏の騎士は迷わない。
魔法に強制されただけでは、騎士はセイブザクイーンを捧げない。
我が全ては麗しき主君のために。
例えこの身が砕けようとも、仮初の魂がすり切れようとも。
守るべき主君の名はベリル=メル=タッカート。
唯一無二の、聖剣に刻まれた女王である。
しかし髑髏の騎士は疑問に思っていた。
その主は今、パジャマ姿で、彼が身に纏う滅びの鎧――そのグリーブにしがみついていた。隠した顔からは、何故涙が一筋流れているのだろう。
髑髏の騎士は考える。辛い事があった――多分それは正しい。
主は、辛い事がある時は馴染みとなった庭園で一人っきりになる。無論その声と姿がスケルトンナイトの感知から外れる事はないが、気を利かせて彼女の視界から離れるのが常だ。
そもそもこの主はここ数年、滅多な事では泣かなくなってきた。涙を見せたのはソウルイーター絡みのあの騒ぎ以来である。
ついにせき止められないと言った風に、響いた嗚咽が踊り場にこだました。
――ああ、なるほど。
そう言えばあと一年と少しで、この身が滅びの鎧に食い尽くされるのを髑髏の騎士は思い出した――そして、それを彼女が今日知ったばかりである事を。
しかし彼にとっては既知の寿命だった。その事については、彼が髑髏の騎士として仮初めの命を得た直後、魔術師と魔王の会話を聞いている。それについては今まで想起する事はなかった――それでも意識に登った今、主との時間が惜しくなってきたのは確かだ。
彼女はそれを悲しんでくれるのか。
困った、主が泣き止まない。
仕方がない。
それは王族に対しては不敬なのかもしれない。しかし子供に対しては許容できると思う――スケルトンナイトは彼女の頭に手を載せた。
グリーヴで表情を隠した主がビクリと震える。
今ばかりは、骨だけのこの身と冷たいガントレットを、髑髏の騎士は恨めしく思う。
しかしこれらに肉が付いていた頃ならば、彼女に剣を向けている可能性もあったのだ。
やはり、このままがいい。
どれくらいこうしていたか。
主がその顔を離すと同時に髑髏の騎士は手をどけた。彼女はグシグシとパジャマで目元を拭く。
いまだ涙が滲んではいるが、その両目には久々に見るものが宿っていた。
それは、決意と言う名の炎だった。
こうなるのはわかっていた、長い付き合いである。
彼女はただ暗がりでしゃがみこんで泣くだけの、か弱い姫君ではないのだ。
「あなたに、名を与えます」
主の声は、狭い踊り場の中でなくともよく通る。
。
雷撃の呪文かと思った――しかし、それはどう考えても錯覚だ。サス=カガタが死に物狂いで作り上げた滅びの鎧は欠陥こそあれど生半可な魔法など通さないし、目の前にいる主は魔法など使えない。
それでも髑髏の騎士は気付けばひざまずいており、腰に佩いていた聖剣の柄を差し出していた。
彼女はそれを握り、鞘ごと持ち上げようとし――重すぎたようだ、微動だにしない。
スケルトンナイトは彼女から剣を受け取って鞘から引きぬいた。剣身を肩に当て、柄を主に握らせる。
それでも重そうに顔を真っ赤にし、なのに辛うじて両手で支え。
少し丈の余る、ダボダボのパジャマで、スリッパを履きながら。
狭い踊り場、薄暗い暗闇の中。
アメジストにも勝る一対の輝きが、鎧の中身を真っ直ぐに貫く。
その唇が、再び、騎士の名を。
主よ。
我が名はランスロット。
例えこの身が砕けようとも、仮初の魂がすり切れようとも。
我が全ては、麗しき主君のために。