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小さな一歩

 噂が、魔王城で広まっていた。


 曰く、開かずの間と揶揄される資料庫に入り浸っている。

 曰く、面倒で面白味のない仕事が増えたと鍛冶師が愚痴った。

 曰く、妙な物を護衛のスケルトンナイトに運ばせていた。

 曰く、あられも無い声が専用の工房から聞こえた。


 誰だ、嘘を混ぜた奴は。割と本気で八つ裂きになるつもりなのか。


 ペド野郎の妄想は置いとくとして、各方面から情報を仕入れた自称事情通は腕を組んだ――要するに、お嬢様が変な遊びに没頭しているらしい。


 無理もないだろう。

 日々接しているアルケニーには非凡さがわかってきたとは言え、世間的にはたかだか6歳の幼女なのだ――お姫様っぽくゴージャスになってはいるが、泥団子で料理ごっこをしているのと何が違うのという話である。

 話を聞いた魔族達の反応も似たり寄ったりである。このお年で勉学に励んでいる事に少々感心はするがまあ王族だし、大体は歳相応のエピソードとして頬を緩ませるに留まった。


 変化は、大半の魔族が預かり知らない所で起こっていたのである。



「どうだ、調子は」


 王族に食事を供するための厨房を司ってはや150年、近頃お腹が更に出てきたので美食を控えようかな、と出来もしない事を思っているオーガのグォルン=ドガド料理長は、火の番をしていた人族の部下に声を掛けた。


「はぁ、ぼちぼちという所ですかね」


 声をかけられた青年はクォルンに向けて素早く一礼した後、またかまどの火で煮られているシチューに専念した。


 良し、とグォルンは頷く。


 それ以降、青年は振り向こうとする素振りさえ見せない――厨房の仕事を怠った方が上司の雷が落ちやすいという事を、グォルンとの長い付き合いでよく知っているのである。しかし適度に割り振られた仕事さえしっかりこなせば優しいので、魔族にしては人族受けのいい上司である。


 魔界の各方面から選り抜きの魔族が集まる魔王城にも人族はいる。魔族というのはなまじっか高性能なだけに何でもかんでも腕力や魔法でやりたがる癖があるが、地球だろうが異世界だろうが、世の中は馬鹿の一つ覚えで何でもかんでも楽に出来るほど甘くはない――例えば、燃え盛るかまどの前で、シチューのアク取りなど。


 大した事がないように思えるのは地球での常識で物を言っているからである、かまどの中にあるのは火力を集中できるガスコンロではなく、余計な言葉をあちこち飛ばして敵を作りまくる御仁のような焚き木である。通風も良くしているとは言え熱気の篭る室内だった。

 そして現代社会の恩恵に慣れてしまった人々には忌々しい事に、ここには扇風機もクーラーもなかった。


 うへえ、である。


 しかし青年は汗をかきながらも愚痴の一つも漏らさない、慣れっこである事だし、魔王のお膝元だけあって待遇は他より遙かに恵まれているからである。


「ぼちぼちねぇ」グォルンは機嫌良さそうに笑った「数日前は大きい方を漏らさんばかりにビビっていたのになぁ」


 シチューのアクを取る手が一瞬止まるが、即座に再開される。

 良し良し。


「見惚れてたんですよ、グォルンさんこそ滅茶苦茶畏まってたじゃないですか」

「わっはっはっ、違いねえ」

「可愛かったなぁ……」


 今度は手を止めずに、青年は感慨深げに呟いた。


「何だおめえ、その手の趣味があったのか」

「違いますよ、それくらい綺麗って事です、お姫様ってのは皆あんなんですか? 俺信じられないんっスけど」

「王族ってのは金も手間もかかってるもんだから当たり前だが、あの方は特別だよ」

「でしょうねぇ……ゆくゆくはあのお姫様を娶る貴族様が羨ましいっすよ」

「そのシチューもあの方の口に入るんだぜ、気合入れていい物作れよ」


 弟子の反応は非常にわかりやすいものであった。目にした料理長はガハハと笑う。

 気持ちはわからんでもない、だが所詮は叶わぬ恋である――王族と平民、魔族と人族、幼女と大人。ローマの休暇どころの騒ぎではない、地獄の底から天国の天辺を覗き見たようなものだ。本人もそれはわかっている。


 しかしグォルンは内心満足していた、これなら魔王城から出ても一流の料理人としてやって行けるだろう。魔法の一発で巨大なクレーターを作る魔族だろうが、広場を埋め尽くすほどの民衆を見下ろす人族だろうが、美味い飯に敵う奴などこの世には存在しない。


 そして美味い物を作るには、食べる人間の顔を思い浮かべるに限る。


 あとは腹が出れば一人前だ、と、これは半分冗談だが。

 それにしても、とグォルンは感心する。

 まさかこんな簡単な物で仕事が楽になるなんてな。



 それはさる事ながら一週間前。

 厨房に入ってきた人物を目にした途端、グォルンは危うく包丁で指を切り落としてしまいそうになった。

 この城の魔王の信頼を一身に受けるアルケニーが、出入り口に立っているのだ。横に立っている妖精みたいなのが誰なのか、グォルンは即座に見当が付いた。


「こ、これは姫様とシラ様!」

「そのままでいいです、楽にしていてください」


 武器庫で騒ぎが起きた時も厨房から頑として離れなかったグォルンだが、流石に直接対面すらば礼を欠く訳にはいかない――しかしシラに制止されたお陰で、その後もチラチラとこちらを見ている部下に対して仕事に専念しろと叱れたのは感謝すべきであろう。

 老婆が一歩前に出る。


「料理長、こんにちは、調子はどうですか?」

「へえ、ぼちぼちと言った所でしょうか」返事が同じな辺りは、流石は青年の師匠である「それで今日は何の御用でしょうか?」


 お嬢様を連れて見学だろうか。


「シラ、ここから先は私が」

「はい、お嬢様」


 シラはアッサリと引き下がる。おや、とグォルンは思った。

 どうやらこの二人の主導権は、泣く子も黙る魔王の懐刀を差し置いて、このちっこいお姫様にあるらしい。


「初めまして、お嬢様、料理長のグォルン=ドガドでございます」

「初めまして、料理長、魔王様の娘であるベリル=メル=タッカートです、父共々お世話になっています」

「こ、これは勿体無いお言葉……」


 ジーン、である。

 まだ幼いとは言え、遙か雲上にいる王族から、王の名も持ち出しての労いなのだ。

 スカートを持ち上げて気取る、いわゆる貴族式の挨拶でないのもグォルン的には好印象であった。


 これほどとは。

 料理を取りに来るメイド達が綺麗綺麗だと騒いではいたのだが、グォルンはただ適当に受け流しただけだった――とても口には出せるものではないが、可愛いだけの6歳児などたかが知れてる、と侮りがあったのも事実だ。

 しかし百聞は一見にしかず。


 この姫君は、ただ外面がいいだけのがらんどうではないのだ。


   ※


 グォルンが部下の青年を呼びつけた。


 横からこちらに目をやっていた時はまだ良かった――しかし魔王城のお姫様を前にして、料理長の部下であるという青年は傍で見ていて可哀想になるほど恐縮する。


 ――全く。


 ベリルは内心ため息をつく。

 予想はしていたが、実際に目にするとなかなか来るものがあった。


「おい、ジョス」


 横に立つ料理長が呼びかけるも反応はない、下々として先に挨拶するのも忘れている。


 ――しょうがない。


「はじめまして、お名前を教えてもらえますか?」

「あ……う」

「おい、しっかりしろ!」


 ドン!と背中を強く叩かれて、青年はようやく再起動した。


「は、はじめまして姫様……ジョスです」


 記憶にある元青年と同じくらいの年だろうか。今すぐかまどの火に頭を突っ込めと言ったら、本当にやりかねない顔色をジョスはしていた――見た目は結構ハンサムな細マッチョなのだが、これでは台無しだ。


「はじめまして、ジョス、ベリルです」


 このままでは埒があかないのでベリルはとっとと話を進める。


「とりあえずこれを見てください」


 震える手で、青年はベリルが差し出したものを受け取る。

 なんだろう。魔族の幼き姫が初対面の下働きに? まさかプレゼントでもあるまい――みたいな事が顔に書いてあった。


「……あ、開けてみてもいいっすか?」

「どうぞ」


 それは細長い箱の中に詰められた藁束であった、指輪みたいな金属製の輪も一つ入っている。

 はて? と箱の中身を覗きこんだ師弟コンビの頭上に、はてなマークが浮かぶ。

 箱はしっかりした作りではあるが、藁の方はどう見ても二人が見慣れたただのそれだ――人族のジョスにはまだ故郷にいた時の寝床として。料理人としてのグォルンには、気合を入れた料理の時に使う燃料として。

 金属の輪もただの指輪という訳でではないだろう、これを嵌めれるのはフェアリーというくらいにサイズが小さい。


「あの……これは?」


 問いかけた青年に対して、ベリルはその指輪みたいなのに、箱から取った藁束を通すように指示した。


「藁束の片方を持って輪を抜き取ってみてください」

「はい……わっ!」


 師弟は目を見開いた。

 青年が持つ藁束の先端、そこには小さく火が灯っていたのだ。

 慌ててかまどの火に放り込むが、藁束の持つ意味にハッとした青年はそこでベリルに視線を向け、そこで目が離せなくなった。

 両手の指を軽く組み合わせた幼き姫君は、年に似合わぬ微笑みを浮かべていたのだ。


「よろしければ感想をお願いします」


    ※


 実際、あのお嬢様は大したものだった。


 グォルンは青年の気張った背中を見てニヤリと笑う。


 今まで薪に着火させるものと言えば面倒で時間のかかる火打ち石か、もっと手っ取り早く魔族の使える魔法で火を起こすかであった。

 それが魔法の使えない人族である青年が手っ取り早く、確実に火を起こせるようになったのだ。 

 一見何でもないような事に見えるが、その恩恵はグォルンにすら想像が付かなかったものだった。


 職人の世界では縦の繋がりが強い。弟子は必ず師よりも早く職場に辿り着いて作業の下準備をしておかなければならず、師匠よりも遅く後始末をしなければならない。

 魔王城の厨房における場合、火打石の面倒さを知っている料理長は、火のいらない作業をジョスに指示していた。それは即ち青年がまず朝早く厨房で食材の下拵えをしておき、遅くして到着したグォルンが魔法でかまどに点火するという事になる。


 しかし火を予め楽に起こしておける分、その下拵えは火を使えるものにも及ぶ。

 並行して作業ができる分、青年の負担は減る。かまどを使う度にイチイチ点火しなくて良くなったグォルンも楽になる。調理に使う時間は減ったというのに、仕事のクオリティは上がったのだ。


 余裕ができれば新しいレシピもポンポン出てくる――実際、今煮込んでいるシチューには、青年が提案したリップル酢という隠し味を組み込んである。


 こいつは負けちゃいられねえな、グォルンは厨房の奥に入って、ドッサリとした量の藁束を担いできた。姫君のご下賜したものと違ってこれは点火できなかったが、だからと言って使い道が無くなった訳ではない。


「あれ、久々にマジでやるんですか」

「おうよ、感想は後々実物で提出しますと、どっかの坊主が吹きやがったからな」


 ニカリと、青年は師匠譲りの笑みを返した。

 出来た弟子だ。料理人は食い物で語れと前に何気なく教えた事を、異常事態に慌てながらも忠実に守り通したのだ。

 師匠として、そして何より王族お抱えの料理人として負ける訳にはいかない。

 藁と薪では火力と、何よりその繊細さが違うのだ――そいつを今からこの弟子に、そしてお姫様に舌で味わってもらおう。


「あんた! 姫さんから面白いもんを貰ったんだって?」


 彼の女房であり、もう一方の大厨房の料理長であるバーハラが、そのでっぷりとした体で飛び込んできた。

 全く、同じ女なのにこの差である、とグォルンは自分を棚に上げて思う。


「知らねえな、賜ったのは俺じゃねえよ、そいつだそいつ」

「ええ!? 料理長、それはないっすよ!」


 全くもって、大したお姫様だ。



 ――それにしても。


 青年に食らいついた嫁を尻目に、料理長は藁をかまどに突っ込みながら思った。

 念のために注意点を聞いた時、姫君の反応が気になった。

 つーかあれはいけねえ。ガキのくせに一端のすました顔だったのが、無防備にも程がある――あんな顔を見せられたら、どんな障害があっても男はコロリと参っちまう。

 こんな事は口が裂けても言えないが――年の桁が二つも違う、妻子持ちのグォルンですら危なかったのだ。


(そうですね……衛生上は問題ないと思いますが)


 一瞬意表を突かれたかのように止まった後、お姫様は頬を少し赤らめて、落ち着かなさげに組んだ両指をもじもじとさせたのである。


(……強いて言えば火を起こした後、必ず手を洗ってください)



 あれはどういう意味だったのだろう。

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