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聖水プロジェクト

 それは、赤い木に成った青い果実のようであった。つまり果実に当たる部分が青く、ヘタに当たる部分があかかった。ヘタを下にして、食卓兼勉強机の上にデンと置かれている。

 かなりデカい、スケルトンナイトは片手で軽々と運んでいたが、種族的に非力な6歳の幼女には手が余る代物であろう。


「……お嬢様、これは何なのでしょう」


 表面上の声はなんとか取り繕った老婆だが、内心では冷や冷やものであった。

 芸術です、と返されたらどうしよう、教育方針の見直しが必要になるかもしれない。


「聖水メーカーです」


 現実はもっと悪かった。


「……お嬢様」シラはハンカチを目元に当てた「私はあなたの育て方を間違ったのでしょうか……?」

「シラ、何か勘違いしてない?」


 半目になった主の反応は冷淡である。



 いや、ベリルにはわかっているのだ。シラのリアクションはただのジョークである。

 それだけ世話役であるアルケニーの目から見て主が成熟してきた事であり、余裕が出来てきたという事であろう――ともすれば6歳の幼女である事を忘れそうになるほどに。

 それにシラの言いたい事はわからないでもない。


 これは何に使うのか。


 装置を使うのも保護者たる彼女の協力が必要だった。ベリルは装置の構造と目的を説明する。


 話を聞いたシラは頷き、


「なるほど、目的はわかりました、しかし――」


 そしてベリルにとって、恐らくは今一番聞きたくない疑問をぶつけた、


「しかし何故聖水なのですか、理屈から言えば逆の物が出来上がると思うのですが」

「う」


 ベリルの顔が何か嫌なものでも思い出したかのように歪む。今まで疑問にも思っていなかった、という反応だ――それもそのはず、彼女にしてもこのネーミングは意識せずとも自然に出たものだったのである。



 引っ張るのもいい加減にしてネタばらしをしよう。

 この熟すれば桃太郎が出てきそうなのは蒸留装置である。

 なんだ、散々引っ張って結局は地球の科学やんけという読者諸君、ご安心を。別に言い訳のためでもないが、この聖水メーカーにはちゃーんと異世界の技術が使われている。

 下の赤い部分は熱くなって水分を蒸発させ、上にある青い部分は低温で水蒸気を水に冷やす、という訳である。どういうカラクリかは設定を考えるのが面倒臭いので、そういう鉱石を使っているという事にでもしよう。


 そして現代の聖水と言えば、日々薄くなって行く信仰を取り繕うために四苦八苦している教会が、金儲けのために日々水道にお経を唱えて量産するあれではない――地球ではある種の人間が観音様やー、と実際には飲めもしないのにエロ漫画でやたらとありがたがるアレの事である。ええい、まだわからないという人には、5歳の誕生日を迎えたばかりのベリルに散々トラウマを植えつけた事件の元凶と言えばいいのだろうか。


 まあ、ここらへんで何を蒸留するのかまだわかってない人は、あまりにも鈍すぎるので放置するとしてつーかワザとやってんだろこのヤロー。その聖水を蒸留する装置であるのに聖水メーカーとはこれ如何に、という疑問への答えは自然になんとなくとしか言いようがない。

 だからベリルに嫌な事を思い出させるなというのに、元男として気持ちはわかるが、自分のそれを聖水と呼ばれるのはトラウマ持ちには凄まじい抵抗感なのだ。

 そして蒸留する目的が何なのかと言えば、ここでシラの疑問に戻る訳である。


「しかし本当にこれで魔力の篭った水が作れるのですか?」

「わかんない――というよりはそれが出来るかどうかの実験だから」


 うーむ。

 疑問を呈示こそしたが、シラは内心唸っていた。

 蒸留そのものに、ではない。

 いや、6歳の幼女がこんな装置を作り上げた事自体もかなり驚異的ではある――しかしこの世界でも酒作りなどで蒸留の概念は知り渡っている。この世界で液体を蒸留する事自体は意外でもなんでもないのだ。恐らくは資料庫を漁った成果だとシラは考えた。


 そして今主の手元にはサス=カガタなる、魔界でもその名を轟かせた名工がいる――蒸留という現象さえ知っていれば、そのための装置をと一言言えばあのゴーレムはたちまち作り上げてしまうだろう。

 実際にその通りであるからぐうの音も出ない。


 そこまでは。


 ベリルは蒸留で聖水からただの水を分離して、そこに魔力があるかどうか実験しようとしていた。


 瞠目すべき事である。

 そんな事、今まで誰一人として思いつかなかったのだ。


 だからこそシラと魔王(パパ)は亡き母親に倣ってベリルを一人前のレディに育て、ちゃんとした魔族の元に嫁がせて幸せにしようとしていたのである。

 ベリルの極秘な体質を考えれば彼女のお相手は魔王になってもおかしくないので、その親縁を使えば平和的に世代交代ができる可能性すらある。親としての願望と魔王としての実利が一致した理想の計画だと言えよう。


 本人が嫌がっているという点を除けば。


 そのためにベリルは別の道を模索するために工房を手に入れたのだし、行動の自由を広げるために成果を欲しがったのだ。


 そして本人は気付いてはいなかったが――この実験は、それ自体が既に一つの成果として評価されていた。

 子供が一生懸命に挙げた成果を前にして、それが自分の出来なかった事だからと言って自己否定された気になって足蹴にする親に比べれば、シラはちゃんとした大人だった、年の功とも言える。

 その点で言えば、ベリルは幸運だった。


「これを化粧室に置いておけばいいのですね」

「うん、お願い」


 それではしばらく、滝の音をお楽しみ頂く事にしよう。

 こらそこ、覗くなっつっただろうが!



 無論、発想が非凡だからと言って、望む結果が即座に出てくれれば世話はない。

 翌日の夜。

 ペカーと、麗人の塔が再び発光した。

 頂上にある窓を中心として薄くなった闇素に、周囲のシャドウサーバント達は迷惑そうな顔で塔から距離を置いた、やれやれだぜ。

 もう慣れてやがる。


「失敗でしょうか?」


 そう呟いたアルケニーの前で、ベリルは唸った。


「うーん」


 あれ?魔法は発動してるから成功じゃねえの?

 ところがどっこい。

 ベリルが両手のひらで捧げるように持っているのは赤い容器だ――蒸留器から取り外した一部である。赤い部分が熱する機能を持っているという事は、その中にあるのは蒸留した後の水ではない事と等しい。蒸留した後のばっちぃ残りだった。

 残り物には福がある、という訳ではないが、魔力はそこに残っていたらしい。

 しかもシラの見立てでは、原液をちょんと付けて発動したのより、遙かに範囲も持続時間も少ない。


「じゃあこっちを」


 一応は蒸留したものとは言え、やはりちょっとばっちい水の入ったお椀をベリルは手に取る。

 唱えた。ディフューズ。


 果たして魔法は発動した。

 まるでカップに流し込んだロウソクのように、お椀の周囲だけが光り始めたのである。


 しかし残り物に比べると随分と弱々しい光は、そこに残っている魔力の少なさを物語っていた。


「これで火を起こす魔法を使うとどれくらい大きくなると思う?」

「……ひとすじの藁に灯したのと同じくらいが関の山かと」


 つまりは、この世界には無いがマッチ以下である。

 これでは使い物にならない、という言葉をシラは飲み込んだ。

 ボケーとしたベリルを尻目に後始末をし、何時ものようにすっぽんぽんにした彼女の体を拭いてから寝床に就かせる。

 蒸留装置はその後もトイレの中に鎮座し続ける事となった。しかしそれは老婆の目には、子供が意地になっているように見えた。


 しかし彼女はそれが間違いである事を、ある日工房を覗いた事で気付く事となった。


 ベリルは、失敗だとは思ってはいなかったのである。

 いや、失敗と言えば失敗なのだが、成果が無いとは思っていなかった。


 馬鹿とハサミは使いよう。


 例えば粘着ノート。もしあれの糊が接着剤のように強力なものであれば、決して今のような使い方はできないだろうし、紙切れを普通にのり付けすれば事は足りる。


 弱ければ弱いなりに使いようはあった。


 毎日チビチビと作った聖水を工房に運び、ゴーレムに作らせた様々な容器に入れたり何かを浸けたりして並べる様子は正に化学の実験そのものであるが、それは正確には化学ではなかった。


 後の世に人々はそれをこう言い表す事になる。


 魔道具学と。

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