魔界の名工
それは燃え盛る炎から、やっとこで金属の塊を取り出した。
鉄床に赤く熱された塊を置き、メトロノーム代わりにでも使えそうな規則正しさでハンマーを打ち下ろす。やがて色が元に戻ってきたのを見るとまた炎に突っ込んで同じ作業を繰り返す。
鉄をも柔らかくする超高温を前にして汗の一つもかかず、ひたすら自分の求めるものを見つめる姿は求道者そのものだ。
それを背後から見ていた人物は、両手の指から地面に届かんばかりのゴッツい爪を伸ばしていた。
「サス=カガタよ、魔王ベルセルク=フォン=タッカートの名において命じる、我が前に控えよ」
ピタリと、ハンマーを打ち下ろす手が止まる。それは両手に鍛冶道具を持ったまま振り返り、ひざまずく。
魔王以上の長身を持つそれは、金属製のゴーレムだった。
しかしベルセルクの傍にチョコンと立っていた幼女のコメントはたった一つだけである。
「お父様、毎回それ言うのって面倒じゃありませんか?」
「仕方がないであろう」
「じゃあこれ、頂きますね」
「ああ」
サス=カガタと呼ばれたゴーレムは首を傾げた。
両界最強の魔族である魔王は、何故この娘を怖がっているのだろう。
「サス=カガタをください」
自分の膝に乗ったままの愛娘がそのおねだりを口にした時、ベルセルクは自らの耳を疑った。
が、それが子供の戯言ではない事に気付く。
娘の着ている服には袖がない、ノースリーブだった。
暑苦しい鍛冶場に今にでも出向くつもりなのだ――しかも服装はシラが管理しているので、即ちあちらの了承も取れているという事である。
「確かにあのゴーレムは我が支配下にあるが……プレゼントはあれでいいのかね?」
女の子なら人形とか花とか……まあ、実はこの世界では誕生日プレゼントという概念がないので、どちらかというと埋め合わせなのだが――今までほったらかしにしていた分の。
ベリルは頷く。
「あれが欲しいのです」
こらこら、胸板にのの字を書くな、のの字を。
――この一年、一体どういう教育をしてきたー!?
アルケニーに直接聞けばこう答えたに違いない、血筋です、諦めてくださいと。
「お父様の近くにいるためには、魔界の名工、サス=カガタが必要なのです」
娘が一体何を考えているのかベルセルクにはわからない。
しかしこう言われては、彼に父親として断る術はないのだ。
麗人の塔の番人が着ている鎧を作り、塔にある姿見を献上し、妻子を殺された鍛冶師サス=カガタはドワーフであった。ベリルが掘り起こした当時の奏上は読むだけで無念が漂ってくるような恨み辛みに溢れ、家族を奪った輩を何をしてでも皆殺しにして欲しいと願っていた。
その奏上は、300年も前の物だ。
彼の打ち上げた見事な剣を独占しようとして彼の家族を人質に取った王とその郎等は城ごと灰にされ、国は魔族を恐れた民がほとんど逃げ出した事によって滅びている。
念願叶ったサス=カガタは当初の契約により、命尽きた後にゴーレムとして生まれ変わり、今も魔王城の鍛冶場で武具を打っている。ゴーレムを構築する素材が金属であるのは、鍛冶師である彼らしいチョイスであろう。
ただしこのゴーレムは、サス=カガタと呼ばれたドワーフと厳密には同一人物ではない。自ら何かをするとか、自分のアイディアで武具を生み出す事がもはやないのだ。
自分で考える能力がない訳ではないが、積極的には動かない。人としての命も尊厳も動機も捨て、技術だけを残した果て――今のこいつは魔界一の名工の技術をその身に封じ込め、主の入力したリクエストを処理して出力するただの装置に過ぎない。
無論魔王城は人材の宝庫ではある。名工と呼ばれる者は他にも沢山いたし、そいつらはこの鍛冶場に来るまでもチラチラと魔王やベリルに熱い視線を向けていた――魔王お抱えの鍛冶師になれれば大出世だし、万が一にもないが漢気溢れる肉体美(本人達談)がベリルの目に止まれば逆玉であるからだ。
まあ、彼らもまさかこんな幼女が職人的な意味で鍛冶師を見繕っているとは思ってない。ロリコンでもなくとも寿命の長い魔族であるからベリルの将来性を見込んで、というのはわからんでもない――魔王タッカートの亡き奥方が傾城の美女だというのは周知の事実だからだ。
しかしベリルの体質の事を知ってても絶対に外に漏らさない人物となると――これが途端に見つかりにくくなる。むしろ欲望に忠実な魔族揃いだけに、弱みを握ってうへへへという不届き者が出かねない有様だった。
魔王城にある人材を一年間調べ続けた結果、ベリルがこのゴーレムに目星を付けた理由がそれだ。
秘密を漏らさない事、それを絶対的な意味でこのゴーレムは実現できる。
しかしこの地上最強の馬鹿親父は、よりによって必要ないという理由でこれを塩漬けにしていた、ただ周囲に任せて雑用を――つまりは面倒で誰も作りたがらないような、細々としたパーツを量産させていたのである。
(勿体ねええええええええええ!)
絶叫の一つもしたくなるものだ。
何百万もするような3Dスキャナーを使って、エロゲのフィギュアを再現させるが如き暴挙と言えよう……最近は数万のもあるからそれでやれよ。
まあ、道具とは歴史的に生物的弱者である人類が必要に応じて作り出したものであるし、母娘に尻を敷かれた範馬勇◯郎というか魔族版江田◯平八というか黒い白◯げ・・・はもう死んでて縁起が悪いか――とまあ、そんな剣とか鎧などは必要ないパパンなのでしょうがないのではあるが。
そして弱者とは例えばベリルの事であった。
「ではサス=カガタよ、魔王ベルセルク=フォン=タッカートの名において命じる――魔王の娘、ベリル=メル=タッカートの支配下となれ」
だから長いって。
「サス、ベリルです。これからお願いしますね」
はたしてベリルの言葉への反応はあった。ゴーレムが両手に持ったハンマーとやっとこを、彼女の足元に置いたのだ。
え、と頭上から降ってきた声は娘として聞かなかった事にした。
武士の情けである。
※
名工であるゴーレムと共に、ベリルにはあるものが与えられた。
専門の工房である。
ただでさえ彼女が魔王城を歩くのにも人払いが必要なのに、護衛付きとは言え、毎度毎度むさ苦しい男共がいる鍛冶場に足を運ばれてはかなわない、という事である。
そこで行われている事が何なのかは、まだ魔王でさえ知らない。
工房の中ではゴ―レムがかしずいていた。
その前ではベリルがやたらと豪華な椅子の上で足を組み、羊皮紙を捲っている。
教育係であるシラが見たらはしたないと言うだろうが、ここならこのぐらいの事はしていいだろう――何せようやく魔王城の中に築いた、自分だけの小さな砦だ。
出入り口の外には髑髏の騎士が立っているので余人は無論――シラや魔王でさえ彼女に知られずに出入りするのは不可能である。
まずは現状の確認と行こう。
第一の手札としてベリル=メル=タッカート、つまり自分だ。
メルとは王族の女が持つミドルネーム。現魔王はベルセルク=フォン=タッカート。この事からもわかるように、元青年として少しアレだが魔王の一人娘……つまりは魔族のお姫様である。御年6歳。
ただしまだ幼いというのを差し引いても腕っ節は弱い……一応は魔王と闇の巫女を両親に持つ由緒ある魔族であるというのに、腕力は成長しても人族の女性並だというのだから相当である。
世話役曰く、親が親だけあって魔力はちょっとどころではなく魔王並にあるらしいのだが、これが実に厄介であった……その、具体的に明言は避けるが、股の間から出るものにしかないらしい。となるとあれか、三角木馬に乗って漏らすとそいつが付喪神になってヒヒーンと鳴くのか。自分で想像して嫌になってきた、はいそこまで。
そしてえーと……あーもう具体的に言わせんなボケ――つまりはにゃんにゃんするとお相手はすんごく強くなる。ていうか多分魔王クラスの化物になる、前例は我が親愛なるお父様。
……誰かに知られるのは絶対に避けたい、魔王城のトップシークレットであった。
泣きたくなってきた。
何かマシな点はないのか。
あった。強いて言えば誰もが認めるほど容姿端麗で、これが当面の悩みでもある――外見が見目麗しいのは結構だが、男がウヨウヨ寄って来るというのは元男としてちょっとどころではなく嫌である。
……うげ。
そこまで考えて、嫌な事にベリルは気付いてしまった。
この体質が知られると全魔界、下手すると人界からもプロポーズが来そうだ、モテ期とかそういう問題ですらない、この身を巡って戦争すら起きる可能性すらある、俺はクレオパトラかよ。
重い、重すぎる、全くもって洒落にならない、全然マシじゃない。
この時点でかなり嫌になってきたので次に行こう。
そして二枚目の手札はご存知髑髏の騎士。実はこいつ、三枚目のサス=カガタなるゴーレムと全くの無関係でもなかったりする。
面目を潰された格好のお父様には悪いが、サス=カガタがベリルの適当な文言を受け付けたのには理由がある。
名工の持つ知識と技術を封じ込めたこのゴーレムは、ただのゴーレムではなかったのである。
なんだそりゃ、ゴーレムなんて普通は力仕事のイメージだから当然の事じゃないか、と言われるかもしれないが、そういう意味とは若干異なる。
サス=カガタなるゴーレムは主のリクエストに応じて結果を出力できる――つまり、こいつは普通の使い魔とは違い、自分で考える事が出来るのだ。
ヒントは身近にいた、ベリルの護衛である髑髏の騎士だ。
こいつはこいつでやたらと反応が人間臭いし、調べれば調べるほどただのスケルトンだとは思えなかったのだ、シラからの意見でもそれは確かであると思う。
しかしここで疑問が生じる。
――何でこいつ、勝手な事しないんだ?
このスケルトンナイトは気遣いができ、セイブザクイーンを選んだ通り、好みもある。
恐らく生前は魔王城に攻め込んで朽ち果てた騎士なのだろう。そして名前は忘れたが落ち武者君をも騙せおおせた通り、元が人族であるのは間違いないと思う。
生前の動機――つまり魔族と敵対する意志がまだ残っていれば、ベリルに剣を向けてもおかしくないはずだ。そうでなくとももっと、こう、行動に何かの意図が見えてもおかしくないはずだった。
あとは確か地球での記憶を参照すると、コンピューターとかが自分で考える事が出来ると勝手に動いたり反乱――つまりはターミネーターとかマトリックスの世界になる可能性とか。
その点で言えばこいつも――恐らくサス=カガタも、あくまで主であるベリルに忠実だ。フィクションではありがちな命令の曲解すらしない。髑髏の騎士なんかはベリルが接触するまでボケーと五年間、馬鹿のように突っ立ってて全く動かなかったのだ。変な言い方になるがハッキリ言って人間ではない。
それでいて付き合っている内に、息が合ってくる。
ベリルがアレな時にドン引きしてたように、情動も持ち合わせている。
訳が分からん。
そしてその疑問は資料と格闘する日々の中、羊皮紙の山からある宝を掘り当てた事で氷解した。
それはそのものズバリ、その者の記憶と経験を使い魔に継承させる秘術であった。
もっとわかりやすく言えば、これはある者の死体から、肉体と動機以外の全てを抽出してスケルトンやリビングアーマーなどの使い魔にできてしまう――動機が除かれているのは偶然ではないだろう。敵の死体を使った挙句に勝手をされたりするとたまったものではないからだ。
髑髏の騎士もサス=カガタなるゴーレムも、同じ秘術の産物だったのである。
元青年は即座にこの秘術の危険性に気付いた。
フィクションが溢れているばかりではなく――より複雑化した世界の出身だけあって、一つの技術が起こしうる結果というものへの想像力が、この世界の誰よりも発達していたのだ。
例えば権謀術数などでパパをどうにかしたとする。
シラの半日かけて手振り身振りで話した大スペクタクルロマンからして、ああ見えて魔界最強どころか歴代最強なのは確からしい。それがお母様とのアレのお陰で、同じ事が娘のベリルにも出来るってのが非常にアレではあるが、事実は事実だ。
そしてネクロマンシーで死体を叩き起こせば、誰にでも従う最強の魔王ゾンビが出来上がる。
ゲロが出そう。
想像したくもない。ああ見えてこの世界でたった一人の、実の父親なのだ。
それだけではない、誰かの知識を奪いたければそいつを殺せばいいし、例えばリッチなどの魔力を持つ魔物にすれば魔法すら使わせ得る。そしてそれは髑髏の騎士やゴーレムがそうであるように、術さえ完成させれば、魔法を使えないベリルにも可能なのだ――恐らくは、人族にさえ。
つまりは、下手をすると人族と魔界のパワーバランスすら一変させかねなかったのである。
――これは誰にも知られる訳にはいかない。
シラと魔王にさえ。
これは魔王城のトップシークレットどころではなかった。
この世界の禁忌そのものだ。
恐らくは開発した者でさえ、そうである事に気付いていなかっただろう――当時まだ幼いベリルは知らなかったが、魔王城お抱えの魔法使いである彼が息を引き取ったのは僅か5年前の事だ。
彼はその最期に記録として秘術の詳細を残したと、羊皮紙の最後に書いてはあったが、それも弟子がいないのでなんとなくであった。そこには例えばああ私はとんでもない物を作ってしまったとか、この知識が良識ある者に読まれる事を願うとか、だったら記すなよとツッコミを入れたくなるような罪悪感とか危惧といったものがまるで見えなかったのである。
そうしてこのデンジャラス極まりない羊皮紙は誰にも読まれる事なく、資料庫に眠っていた。
巻物の山の、実は結構上の方に。
地球で策謀と暗躍の限りを尽くし、時には誰かや自分の人生を踏みじながら情報を仕入れていたスパイ大作戦の立役者達が憤死しそうな事実を前に、ベリルが思ったのはただ一つである。
魔族が脳筋で良かった。
それにしても単にこの世界の知識を仕入れるつもりだったのに、随分とエラい物が出てきてしまった――いや、これが厄介極まりない代物である事を察知できたのが、今のところベリルだけなのだ。例えば元地球人である事を思い出す前のベリル=メル=タッカート5歳では、気付くどころか資料庫自体に入る事自体を思いつかなかったに違いない。
この羊皮紙は発見された後、1日以内に消滅する。
こうして誰にも使われていない資料庫でホコリを被っていた核爆弾級の危険物は、暗号として複写された後に今ベリルの手元で捲られ、焼き払われたオリジナルは馴染みとなった庭園の肥やしとなったのである。
ベリルはまだ気付いていなかった。
彼女をこれらの結論に至らせたのは異世界ものでありがちな、何故か知っている火薬の作り方とか鍛鋼法とか既存の知識ではなかった。
地球には地球の理があり、異世界には異世界の理がある――科学では千年かけてようやく到達したものが、魔法の一つでできるかもしれない。
それらを最大限に活用するためには、地球という環境に応じて考えられ、いずれは尽きるようなお仕着せの技術では到底ムリな芸当なのである。
逆境に腐らず、手元のカードと環境を正しく認識し、それで何が出来るかを絶えず考える姿勢が必要だった。
それが元の世界にある全てで養った、言わば概念という名のアドバンテージである事を、
ベリルは随分後になって思い知る事になる。
魔族の王 娘の前では 駄目親父