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父と娘

 ギイイイイ、と軋んだ音を立てて扉が開いた。

 それだけの事で、室外に暗闇が逃げた後の部屋にホコリが立ち込める。


 ケホッケホッ。


「ベリル様、これを」


 予想していたのだろう、咳き込んだ主に世話役がハンカチを渡した。

 それで口と鼻を押さえて若干涙目になりながらも、彼女は室内を見渡す。


 薄暗い部屋の中、天井まで無造作に積まれた巻物の山に、ベリルは気が遠くなりかけた。



 話は今朝に立ち戻る。


「シラ、城の中に書類を置いてある所はありませんか?」


 直接絨毯の上に下半身を落ち着けて、ベリルと向い合って朝食をとっていたアルケニー(蜘蛛女)は、ナイフとフォークを操る手を止めた。

 食卓を挟んで向こう側に座っている主の顔をシラはまじまじと見つめる。

 彼女に対する呼び方もだが、ベリルの話し方になんとなく引っかかりを覚えたのである。


 主は一見いつも通りだった。ちっちゃな頃から主を育ててきたシラを見上げる瞳の光には、些かの翳りもない。

 しかし誕生日を迎えた日に螺旋階段で駄々をこねた子供はそこにいなかった。

 その代わりにシラは、有無を言わせない口調にあるものを見い出した。


 決意である。

 何らかの目的に向けて動くためのモチベーションが燃え盛っていたのだ。

 弱齢5歳の女の子の中で。


 アルケニーは呆気に取られた。


「……シラ?」


 主の呼び掛けに我に返る。


「失礼しました・・・資料庫がありますよ。随分と長い間使用されておりませんが」

「行ってもいい?」


 主が一夜で変わってしまった。


 いや、誕生日を迎えた翌日から様子がおかしかったのだ。

 そもそも幼いとも言えるこの年で魔力体質の事をベリルに話すのもシラの予定にはなかった――それだけここ数日でベリルが見せた言動には、この百戦錬磨の老婆をして何かを感じさせるものがあったのである。あ、お漏らしの事は大人でも怪しいのでノーカンで。あれは相手が悪かった。

 しかもその後の騒ぎの時でさえ、ベリルは羞恥で顔を真っ赤にしながらも分別なくその場で泣き出さなかった。誰にもいない所で一人になっていたのである。

 そして厄介極まりない体質の事を話した後も、ベリルはまたもやシラの予測の反対を行った。ただそこで蹲って泣くのではなく、今何らかの考えを持って動こうとしている。


 お嬢様が急激に大人になりつつある、そんな事をシラは思う。


 喜ぶべき事なのだろう――殊更に力を至上とする魔界においては。逆境の極みとも主の言える体質は、一時的な分別の無さで致命的な結果を引き起こしうるという事を、シラは亡き奥様の例から知っていた。

 しかしまるで微かな甘さを味わうと返ってほろ苦さが混じるように、急速に大人になるという判断を下した幼女に、シラは少し悲しくなった。


「良いでしょう」


 それをおくびにも出さず、シラはベリルの提案に許可を下した。


「ただし朝にはマナーの授業はちゃんと受ける事、資料室に行くのは午後にしましょう」

「……はぁい」


 意表を突かれたような主の情けない声に、シラは内心苦笑しつつも安心した。

 まだまだ彼女の仕事はありそうである。



 とまあ、アルケニーの若干複雑そうな思いとは裏腹に、本人はそんな事、微塵にも思ってはいなかった。

 何せ大人になるもクソもなく、中身は元から大人だったからである。


 確かに自分の置かれた状況にショックを受けはした、しかし凶悪な目玉にいきなりガンを付けられたり、アレな魔剣にいきなりセクハラされた時と違い、まだ自分でなんとかする余地がある分、随分とマシであるとさえ思っている。周りに翻弄され続けていたここ一週間とは違い、初めて自分で動くべき状況に心さえ踊っていた。


 ――まずは現状の手札を把握すべし!


 何せ勝手のわからない異世界である、美幼女である、貧弱貧弱貧弱ぅなのだ――今まで聞いた話からすれば、このまま何もせずに成長すると嫁に出されたり略奪愛をされるのはほぼ確定であろう。


 そしてヤれば出来る。

 ブルルッ。


 そんな事にならないためのミッションワン、知識を仕入れろである。

 それでなくとも魔法に魔族に魔界と、好奇心を刺激するものは幾らでもあった。


 魔法とは何か、何ができるのか。

 深く考えたくはないが、自分の魔力が股の間から出るものにしか宿らないのはわかった、それでもなんとかして使えないものか。

 魔族とはどんな社会構造をしているのか。

 そして想像の中の魔界と言えば背の高い草と乾いた地面がひたすら広がる荒野であるが、こんな薄暗い魔界で何故あんな葉ぼうぼうの森が広がっているのか。


 単なるベリル=メル=タッカートである頃に、何も知ろうとしなかったのが不思議な程であった――いやま、これに限っては読み書きもできないただの5歳児に無茶言うなよおにーさんというべきなのだろうが。

 とは言え、目の間の光景には少し参った。


(なるほど、これは資料庫だ)


 図書室ではなく。

 この世界には紙という安くて薄いメディアはないらしい。

 シラの授業で使われていたのと同じく、かなり分厚くて重そうな羊皮紙の巻物が、それこそ無造作にあちらそこらの棚にドカンと置かれているのだ。

 一応上にタイトルは書いてあるものの、それが横になったり下になったりしているのでわかり辛い事のこの上ない。検索はしにくい、記載量は少ない、しかも高い、当然ながらほとんど誰も読まない。掃除やメンテナンスの必要性も認められないので、ホコリを被って更に人を遠ざけるというマイナススパイラルの果て。


 元青年の知っている図書室とは比べるまでもない。あるので仕方なくスペースを作ったという、"資料"を置いてあるだけの単なる"庫"だった。

 調べ物をする前に、ベリルは資料庫の整頓と掃除から始めなければならなかったのだ。


(ええいっ、ままよ)


 ベリルが腕を捲り、ある種の人達には深い共感を覚えてもらえるであろう、絶望的な戦いに挑もうとしたその時、

 後ろから首根っこを掴まれた。


 そちらを向けばシラが困ったような表情をしている。

 今更ながら、自分が魔族のお姫様である事をベリルは思い出す。


 結局その日は適当な巻物を見繕って麗人の塔に持ち帰り、お開きとなった。


     ※


 魔王は、憂鬱そうに目を開けた。

 今日の玉座の間には、まだ誰も現れていない。


 暇であった。


 国を治めるために日々公務をこなしている人族の王が知れば意外だと思うだろうが、魔王というのは非常に退屈な地位である。


 魔王になる条件はただ一つ、とにかく誰よりも強ければいい、前代の魔王が倒れたのならなりたい奴が血を血で洗うような争いの末に次代が決まり、前代がまだ存命中なのなら前代をぶっ殺せばいいのである。ちなみに周知の通り、魔王タッカートは後者である。


 魔王とは魔族で最も強い者の称号である。


 しかし例えば地球での皇帝などは――世襲を積み重ねながら帝王学、つまり統治の術を学び、大統領は実績を積み重ねた人間が僕が一番国をよくできるんだと名乗りを上げて選ばれるものである。実際にそうかはともかく、建前上はそんな感じだ。日本の天皇やイギリスの女王はアレ、連綿と続く血統への敬意に基づく精神的支柱という奴だ。


 では魔王の強さという特徴に対して、彼の統治者としての存在意義とは何だというと――、


 答えは簡単、ぶっ殺す事である、攻めこんできた人族や乱を起こす身内を。


 つまり魔王には、内政的な意味での統治など求められていない。


 地球の歴史に当てはめて考えてみよう。

 戦国だの三国だの五代十国だの――見るからにカオスな群雄割拠の行われた模様が後世の様々なネタになっているような中国を例に挙げると、基本的に彼の国の王権の移り変わりは以下のようになる。


 1.王朝の衰弱

 2.クーデターで王朝消滅

 3.新しい王朝が起こされる


 ここでキモとなるのは2と3を行うのがそれぞれ別人物であり得るだという事にある。

 考えてみれば当然の事であるが、旧政権をぶっ潰す軍事的な才能と、内政を行うデスクワーク的な上手さは基本的に真反対の能力である。


 クーデターを起こすのは基本的に悪政に耐えかねて自分の腹を満たすために暴れ出した脳筋の集まりだが、内政とはどうやったら皆の腹を満たせるか、あーだこーだと理屈を捏ねる作業である――それで噛み合わないのも当然だろう。


 ではクーデターを起こした人物がそのまま統治者に納まるにはどうすればいいか。


 簡単な回答として2と3を同時にやるのが一番だが、そういう傑物はなかなか出てこない。たまーに出たとして、昔のマルチタスクな人間の常として早死にしたりする。


 次の案としては2をやれる人間が3の出来る人間を雇う、もしくはその逆――つまり、官僚である。


 魔王城、ひいて魔族の統治は後者であった。地球の言葉に言い換えれば、魔族の統治とは魔王という絶対的な暴力、即ち軍事力に裏付けられた官僚政治と言っていい。


 長ったらしくなったが、魔王による魔族への統治は基本部下任せである。揉めに揉めた事案だけ――つまりは対立する部下のどちらかを力で黙らせる必要がある時だけ、ベルセルクの出番がある。


 が、そんな案件はなかなか出てこないし、敵がいない日はやる事がない。暇だからと言ってあちこちにクチバシを突っ込むと疲れるわ迷惑そうな顔はされるわ成果は上がらないで散々なのである。上司があちこちにうるさく口を出すとロクな事にならない辺りはどこも一緒だろう。

 楽といえばこれほど楽な事もないが、暇と言えばこれほど暇な王座もなかった。


 かと言って万が一誰かが攻めこんで来た時に王が不在では格好が付かなかった――力こそが正義をモットーとする魔族にとって、魔王とは敬意を集める精神的支柱でもあるからだ。

 魔王とは言わば用心棒シェイクと核爆弾ポテトと天皇バーガーが一緒になった、お得なサービスセットになっておりますお客様、と言えばわかりやすい。


 以上が、ベルセルク=フォン=タッカートが玉座の上で暇を持て余している理由である。


 いや、わかってはいる。


 今日に限って、玉座に座っていても敵は来ないという事を。

 現在、魔王城の外では各部族から派遣された魔族達がビッシリと陣を張っている。いくら万夫不当の猛者と言えどもそいつら全員を退けて玉座の間に辿り着く事は叶わないし、それが出来たとしても各部族を払い終わった頃には、今日という日はとっくに終わっている。


 本来ならば朝っぱらから玉座で思案にふけるのではなく、娘の顔を見に行ってもいい日だった。

 しかし玉座に座った者を捕らえるかぎ爪が生えたかのように、どうしても足が向かない。もっと正確に言えば気が向かなかった。


 ベルセルクはその長い爪の根本、食指に嵌められた指輪に目を移す。

 指輪に嵌められた宝石はアメジスト、奇しくも地球では真実の愛という言葉を持つ紫色の宝石だ。


「ナタリー……」


 呟いたそれは、


 今日は娘の、6歳の誕生日である。

 そして妻の命日であった。



 数百年にも及ぶ長い魔族の一生にとって、六年前とはつい先日の出来事に等しい。

 今、ベルセルクの心中では愛情と悲しみが万華鏡の如く複雑に絡み合っていた。


 彼とて父親である、渾身の愛情を娘に注ぐのに吝かではない。

 しかし魔王とは難儀な地位だった――本人達が望むと望まないにかかわらず、容赦なく欲望の視線と手が降り注いでくる。それらから娘を守るため、麗人の塔で分別と力の付く年頃まで保護する事となったのである。

 娘を教育しているシラは魔族の中で唯一信頼できると言っていいので心配はない。それでも子育てに参加できないというのは如何ともし難い。

 そもそも娘が彼を父親と認識したのはここ数年の事だ。去年の誕生日では人族の頭上に輝く太陽のような満面の笑みを向けてはくれたものの、それでも上手くやれたか確信は持てない。

 魔王城で最も近い身内であるはずなのに、最も遠い娘だった。

 せめてあちらから来てくれれば、とも思う。


 そんな時の事である。

 ヒョコッ、と玉座の間に娘の顔が覗いたのだ。

 あまりに突拍子もないので、幻影を見たのかと思った。

 しかし幻影ではない証拠に、その位置が1年前より高かったのは結い上げた髪だけのせいではあるまい。


 あれは思い出すだに忌々しく、甘美な過去の一幕だった。

 まだベルセルクが強大ながらもただの魔族であった頃。前代魔王の慰み者として麗人の塔に連れ去られたナタリーにこっそり会いに行った時の事だ。

 もう二度と来るなと言われた、嫌だねと突っぱねた。そして未来の妻は恨めしげな、しかし楽しげでもある表情で無理難題を押し付けてきたのである。


「意気地なし、ではあなたが魔王になったらどうかしら? 無理でしょうけど」


 余計な一言だけではなく、二言だ。

 滅茶苦茶カチンと来た。

 ああ、なってやるともと叫んだ。

 そして、


「お・と・う・さ・ま」


 我に返った、母娘揃って鈴を転がすような声は玉座の間の奥にまでよく通るのだ。

 猛烈に嫌な予感がした。

 娘の表情は、あの時の妻にソックリだったのである。



 おう、駄目親父。

 娘の誕生日に顔も見せないで何油売ってやがる。

 あと、よくも大笑いしてくれたな。

 その長ったらしい爪ひっこ抜いてケツの穴に突き刺してやろうかこの野郎。

 でも口には出さない、お姫様だもの。


 1年前の事をベリルはいまだ根に持っていた。


 ケツの穴がちっせえなという人は認識が甘い。お漏らしでセクハラという目に遭った事を、実の親に馬鹿笑いされたのである。しかも家中――つまり、魔王城の者なら全員が聞こえるような声で。

 まあ、その場でフォローしたのならまだ許せるが、されなかったそれはガン泣きを経て、時を置いて釈然としない怒りに発酵され、1年後の現在では程よく熟成されていた――具体的には、どうしてくれようか、という意味で。

 その上で今のベリルは5歳の誕生日時とは違う――知っているのだ、お父様(魔王様)が今日だけは丸一日オフだという事を。


 つまりは地球で例えるとこうなる。

 娘の誕生日に合わせて会社を休んだまではいいものの、昼間中は家の外でダラダラしてて一緒に夕食だけ。はいベリル、これが家族サービスだよ。


 火に油であった。


 燃え上がった黒い炎がちっこい体の外にまで漏れ出しているのはどう見ても錯覚であるが、この一年も主に付きっきりだった髑髏の騎士の位置がやや離れ気味なのは尺でも持ってきて測れば間違いようがない。


「……ベリルか、どうした?」


 おお威厳のある声。流石魔王、ハッタリだけは一人前である。

 やたらと長い絨毯の上を歩き、ベリルは玉座に近寄って両手を魔王に差し向けた。

 反応はなかった、こちらの意図が不明なのか、躊躇しているのかと言えば両方であろう。


「お父様」


 呼びかけると長い爪で傷が付かないように抱き上げられる。表情を見上げれば膝に載せたのが危険な爆発物である事にまだ気付いてないようである。


 うむ、結構。

 が、許さん。


 後に生きとし生きるものの大敵、魔王ベルセルク=フォン=タッカートは、本当の恐怖を知る者だけが示せる態度でこう語ったとされる。


 あの一族の女だけは本気で怒らすな。洒落にならん。

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[気になる点] 喜ぶべき事なのだろう――殊更に力を至上とする魔界においては。逆境の極みとも主の言える体質は、一時的な分別の無さで致命的な結果を引き起こしうるという事を、シラは亡き奥様の例から知っていた…
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