最後の戦い
途中、死者の魂と出くわすことはあっても、襲われることはなかった。魂たちは吸い寄せられるようにシュロス・ラーベに向かっていた。まるで、私たちより早く辿り着こうとしているかのように。
前方に巨大な黒いオーラのようなものと、光り輝く鳥の姿が見え隠れする。王と女王の戦いは、未だ決着を見ないようだ。
「あの王の力をもってしても、女王を倒すことが出来ないのか……」
長引く戦いを見て、女王がいかに強大な力を持っているかと言うことを改めて思い知らされる。
「女王は死者の魂から悪心を吸収して自身の体内に取り込み、今でもその力を増幅させているわ。王が苦戦しているのはそのため」
イフェイオンはそう教えてくれた。
「私たちが加勢し、形勢逆転といきたいところですが」
「大丈夫。手はあるわ」
イフェイオンは躊躇うことなく言った。だが、本当にそんな手があるのだろうか。ランタナとイフェイオン、双方が協力しなければ封じられない女王をどうやって……。疑念と不安は拭えなかった。
いよいよ戦いの場へ差し迫る。近づけば近づくほど、闇の圧力のようなものに押し返されそうだ。
「陛下っ!! このイフェイオン、ただ今加勢に参りました!!」
王に聞こえるよう、彼女は叫びながらその傍らについた。だが、王も女王も互いの攻撃をやめることはない。王は猛々しく叫ぶ。
『核を狙え! あやつを弱らせるにはそれしかない!!』
すると、イフェイオンがティフィーの側へ飛んできた。
「ヴォルクト! 力を貸して! わたくしとあなたとがその槍で核を突けば、女王は力を失うはずよ!」
「ランタナと私が王の肉体を奪ったように、ですか?」
「えぇ! やってくれるわね?」
「今度は躊躇いません。私の信念のために」
「ありがとう。ヴォルクト」
そう言ってイフェイオンは私の右手にそっと自身の手を重ねた。
『させるものか! 裏切り者どもめ! 今度こそばらばらに引き裂いてくれる!』
女王が手をかざすと、魂が群れをなして私たち目がけて襲ってきた。まるで自在にうごめく濁流だ。
「ティフィー、避けてっ!」
「避けきれませんっ!!」
ティフィーの俊足をもってしても、それを上回る早さでやってくる魂たちから逃げる術などない。
『邪魔はさせぬ!』
間一髪、王の翼からほとばしる光が風となって魂たちをそっと押しやった。
『あやつの攻撃は我が輩が食い止める! お前たちは先を急げ! これ以上、あやつが力をつけぬうちに!』
「はい! ……ヴォルクト、ティフィー!」
「えぇ、行きましょう!」
王の言葉を信じ、私たちは女王のもとへ急行する。
女王は広い城のテラスに立っていた。その身体は人の形を留めてはいるものの、もはや城と一体化しているように見えた。死者の魂がその身体に吸収されるたびに肥大化し、その一部が触手のようなものとなって城壁を撫でていた。
「ランタナ様!!」
ティフィーが人型をとった直後に叫んだ。私が見ていた視線の少し先。触手に巻き取られているランタナの姿があった。
「ランタナッ!」
私はその場にいた誰よりも先に駆け出していた。もう誰も苦しませたくはない。私の目はランタナしか見ていなかった。
「そう簡単にはいかねぇぞ。ボルト」
突然、目の前に現れた男に私は驚き、飛び退った。血肉に飢えた獣のような目をしたフランツだった。
一足先に、女王の役に立つと言って去っていったフランツは、宣言通りの場所にいた。だが私には、彼が女王を守るためではなく、私と戦うためにここにいるように思えてならなかった。フランツはほくそ笑んだ。
「そう、その目だ。それでこそ戦い甲斐がある」
「決着をつけようと言うのですか?」
「俺は女王様の邪魔をする者を排除する。それだけだ」
時折、雷のような閃光が私たち目がけて飛んでくるのが見えた。が、それはことごとく王によってかき消されていった。
女王の注意は王と私たちに二分されているが、どちらかが疎かになると言うことはあり得ないと思った。王を信じていない訳ではない。だが、早々にフランツを撃破し、一気に女王を攻めなければいずれ女王の攻撃によって消滅させられてしまうだろう。
「この期に及んで、まだ一対一にこだわるつもりなの、ヴォルクト?」
槍を構えつつ、イフェイオンが言った。
「……いいえ」
私は迷いながらもそう答えた。フランツがにんまりと笑う。
「そうとも! あそこまで愚弄されてもなお、俺を友と呼ぶようなお前でもあるまい! さぁ、もっと憎悪しろ。女王様のお力を増大させてくれ!」
その言葉を聞いて、私の揺らいでいた心は固まった。
「イフェイオン……。フランツを、やつを倒しましょう。私たちの手で」
「えぇ。必ず!」
イフェイオンは言って、フランツを凝視する。
「行くぞ、フランツ! 覚悟はいいかっ!」
私が走り出すと、イフェイオンも後に続いた。フランツは姿勢を低くし、得意の構えを見せている。
「もうお前のような初心者の技を食らったりはしねぇぜ! 大人しくくたばりなっ!!」
下から引き上げるような攻撃。私は右足を一歩踏み出し、槍の柄をぐっと押し出してそれを防いだ。
「たあぁぁっ!」
その間にイフェイオンが攻撃をする。しかしフランツはすぐに切り返してそれを躱す。
「はんっ、お前ら二人掛かりでもこんなもんなのか? 話にならねぇな!」
それからしばらくの間攻防が続いたが、横から攻めても背後から不意を突いても、私たちは決定打を与えることが出来なかった。それどころかフランツは、時々わざと傷ついてこちらの攻撃を封じ、攻め立ててくることさえあった。恐ろしいことに、不死身のクリーガーにとって肩や腕は盾も同然だった。
私たちはすっかり疲弊していた。そこにいるだけで体力を奪われているような気がした。
「もうおしまいかよ。口ほどにもない」
私はその場に突っ伏して彼の言葉を聞いていた。イフェイオンも槍にしがみつき、辛うじて身体を起こしているような状態だった。
「弱い! 弱すぎる!」
「はぁ、はぁ……! うぐっ……!」
フランツは息も絶え絶えの私を仰向けに返すと、胸ぐらを掴んで引き上げた。
「せいぜい苦しむんだな。今から女王様が魂の奥の奥まで貪り尽くしてくださる。光栄に思え」
そう言うと、フランツは私を掴んだまま王と対峙する女王の側へ歩み寄った。女王が私を一瞥する。
『ふん。そちには永遠に存在していてもらう。永遠に妾を恨み、負のエネルギーを送り続けるのじゃ』
――誰が、お前なんかに……!
反論はしかし、声にはならなかった。
女王が片腕を伸ばした。それは瞬時に触手となって私を、そしてフランツをも巻き込んだ。私たちは向かい合わせの状態で捕らわれた。
『フランツ・リーヴァイよ。そちの活躍、見事であったぞ。褒美にその魂を取り込んでやろう。そちの強靱な精神力、そしてヴォルクト・ファーベルの憎悪を得れば、妾は無敵にもなれようぞ』
そう言って女王はほくそ笑んだ。フランツの表情は笑みに溢れ、誇らしくさえ見える。
「女王様に魂を献上できるなど、この上ない幸せ! 最後の最後までお役に立ててこそ、戦士に生まれた意味があると言うものです!」
「フランツ……」
『ハハハハハ! よくぞ申した! ミューラでさえそのような事は申さなかったぞ。九百年間仕えていながら一度もな! おぉっ……素晴らしい。そち等の魂は至極の味じゃ!』
触手は女王の身体に引きつけられ、私たちの精力をぐんぐん吸い上げていった。意識が朦朧とし、今にも途切れ掛かっている。だが、ここで終わる訳にはいかない。ランタナを救出するまでは……!
「……イフェイオン! 私に構わず希望の槍で……! 女王を討つには今しかないっ……!」
私は必死に声を絞り出した。女王の動きが止まっているこの時を逃す手はない。
「……分かったわ!」
一瞬の間の後、イフェイオンはそう言って足を引きずりながらホフヌングのもとまで行き、手に取った。
「……させやしねぇよ!」
触手に強く締め付けられているにも関わらずそれを押し退けるとフランツは、もう身動きを取る力の残っていない私を羽交い締めにした。
「お前を盾にさせてもらうぜ。女王様と同化するには、ちっと時間が必要だからな」
「……無駄ですよ。そんなことで彼女が攻撃を躊躇うとでも思っているのですか?」
「何だと?」
女王を倒す。その共通の目的のために手を組んだ。この魂が消滅しても、女王を討ってランタナが助かるのなら何の問題もない。覚悟は既に出来ている。
イフェイオンは既に走り始めていた。一気に距離を縮め、槍を突く。
「フィンスターゼッ! これでおしまいよっ!」
ホフヌングは寸分の狂いもなく貫いた。私の左手の甲、フランツの右胸、そして女王の核を。
『あぁぁぁぁぁぁっ!!』
女王の悲鳴が一帯に響き渡り、同時に触手が緩んだ。
「ヴォルクトッ!」
私たちが解放されると、イフェイオンはすぐに駆け寄ってきた。
「あぁっ! ごめんなさい。あなたの手を借りて女王を倒すにはああするしか……」
「謝ることはありません。最良の判断でした。感謝しています」
そう言いながら、私は視線を落とした。すぐ側にフランツが横たわっている。核は外れたようだが、重傷を負ったことに違いはない。胸を押さえて荒い息をしている。
「守ると決めたものを、女王様を守れなかった……。戦士として、失格……だな。俺は」
苦しげな表情を浮かべた後でフランツは意識を失った。
「クリーガーは核を貫かれない限り、消滅することはないはず。しばらくそっとしておきましょう。いずれ回復するわ。それより……」
イフェイオンが緊張感を保ったままそう言って立ち上がった。その瞳の先には女王の姿があった。
『おのれぇ……! 裏切り者イフェイオン! 妾はそう簡単には死なぬ!』
あの美しかった女王の姿は見る影もなく、しわだらけの老婆と化していた。だがその目は曇っておらず、はっきりとイフェイオンを捉えていた。
女王は両手を伸ばしてイフェイオンの腕を掴むと、自身に引き寄せ抱き込んだ。
「うっ……! 何をするのっ?!」
『妾が裏切り者のそちをなぜ生かしておいたか、考えたことがあるか? 妾の魂を入れる器として、完成された肉体が必要だったからじゃ! 天界と地上とを行き来出来る最強の身体がな!』
朽ちた身体が消滅していく一方で、その魂はイフェイオンの中へと入り込んでいく。女王が取り込んだ死者のそれも余さずに。私は息を呑み、その様子を見守ることしか出来なかった。
「ランタナ様!」
少し離れたところからティフィーの声が聞こえた。女王の肉体が失われたことで、捕らえられていたランタナが解放されたのだ。私は声のした方に駆け寄り、その身体を抱き上げた。
「ボルト様、ランタナ様の介抱を……」
「えぇ。ランタナ、しっかりしてください! 私が見えますか……?」
「うっ……」
浅いながらも息をしている。
「よかった。生きていてくれて……」
思わず抱きしめていた。ランタナの息が耳にかかる。
「ボ……ルト? 怪我は、ない……?」
「こんな時に私の心配など……。少しは自分の身体を大事になさい」
「馬鹿っ。あたしはお前みたいにヤワじゃないんだから……」
「……まったく、こんな時まで強がるなんて」
この短時間でいろいろなことが起きすぎたせいで、喜びと悲しみと怒りと不安と……。様々な感情が入り交じっていた。きっと今の私の表情はとんでもないことになっているだろう。
「ボルト様。あれを……!」
胸をなで下ろしたのもつかの間、ティフィーがイフェイオンの異変を知らせた。こちらをきっと睨み付けた目は、私の知る彼女のそれではなかった。明らかに女王の、冷たくも恐ろしい目。完全に支配されている。私はそう直感した。イフェイオンの姿をしたフィンスターゼはにたりと笑った。
「これよ、妾が欲していた身体は。そして地上の膨大な知識。これがあれば人間など容易に支配できる!」
『フィンスターゼ! 我が輩がいる限り、地上に手出しはさせぬぞ!』
上空から王が光線を放った。しかし私が手放してしまったホフヌングで、いとも簡単に弾き返す。
「そちの攻撃など効かぬわ! 死霊の数だけ、そして人間が憎しみ合うほど妾は強くなる! この身体に留まっていてもな!」
そう言うと女王はホフヌングを私に投げ返した。
「妾には必要のないものじゃ。妾の作る闇の世界でアルゲランダーは生きられぬ。その槍の効力も直に尽きよう。それでも戦う意志があると言うのなら、最後まで抵抗してみせよ。ハハハハハ!」
私は槍を拾い上げた。まだ輝きを失っていないそれをぐっと握りしめる。
「私は戦う! 最後まで諦めない!」
「駄目だ、ボルト! そんな身体じゃ勝てっこないよ……!」
飛び出そうとした私を制したのはランタナだった。先の戦いで私の魂は相当に傷ついていた。今この場にいる者で女王と戦えるだけの力を持っているのは王くらい。だが、その王でさえ、女王には太刀打ち出来ていない。
「ここまで来て、女王の言いなりになれとでも言うのですか……?」
「そうじゃない! でも……!」
ランタナが私の身を案じているのが痛いほど伝わってきた。しかし、その気持ちを優先すれば私たちのしてきたことがすべて無駄になってしまう。
女王は再び笑ったかと思うと、突然真顔になった。
「……つまらぬ。そうやっていつまでも手をこまねいているつもりか? もっと抵抗せよ。もっとあらがえ! でなければ支配しても意味がないではないか。楽しませろ、ファーベルよ。妾に憎悪を。怒りを……!」
あの時――フランツがクリーガーになった時――に見たのと同じだった。支配しようとする時に見せる赤い目。私はそれをまともに見てしまった。身体が硬直し、まったく動かなくなる。
「くっ……。何を……!」
女王は不敵な笑みを浮かべながら、無抵抗な私の側へゆっくりと近づいてくる。
「そちは殺さぬ。そう言ったはずじゃ。妾の血肉となれ」
その手が首を掴んだ。イフェイオンのものとは思えぬ力が加わって、意識が朦朧とし始める。
「イフェイオン、やめてよ! お前がボルトを傷つけるなんて!」
「無駄だ、ランタナ・ジェニー。もはやイフェイオンの意識は妾の内にある。二度と出てくることはない。ハハハハハ!」
爪が首に食い込み、体力とも精力とも言われぬ何かが吸い取られていく。力が抜け、抵抗する気力も起きない。
「ボルト! 今助けるっ!!」
ランタナがイフェイオンの槍を拾って立ち上がった。
「だ……駄目だっ! 君は逃げるんだ……!」
辛うじて声を絞り出す。今私を助け出すより、彼女だけでもこの場を逃れて体勢を立て直す方がずっといい……。
「うぐっ……!」
「無駄口を叩くと更に苦しみを味わうことになるぞ? だが、ランタナ・ジェニーよ。こやつの言う通りにした方が身のためじゃ。そちは一度忠誠を誓っておるが故、今後妾の命に従うと申すなら命は取らぬ。考えを改めよ」
「うっ……。そうしたら、ボルトを返してくれるか……?」
――そんな取引をしてはいけない……!
もはや声は出なかった。辛うじて残る意識だけで二人のやりとりを聞いている。女王はさも面白そうに笑う。
「条件をつけるとすれば……。今一度アルゲランダーを討て。今度は確実に魂を滅ぼすのじゃ。その暁にはこの男も解放してやろう。そちなら出来るであろう?」
「…………」
「そちはアルゲランダーとこの男、どちらの魂が大切なのじゃ? 天秤に掛けるまでもあるまい? ハハハハハ! ハハハハハ!」
女王が翼をはためかせて飛び立つと、直後に足もとが崩れ始めた。王の時がそうだったように、女王も本来持っていた肉体を失ったことで城が形を維持できなくなったに違いない。
『いかん! ランタナ、ティフィー! そこから離れるのだ!』
「はいっ! ランタナ様、わたしの背中に! 早く!」
ティフィーはランタナの手を取り、すぐにでも天馬に変われるように構えている。
「でも、ボルトが!」
「……構うな! 行けっ!」
私はかすれ声で力の限り叫んだ。ティフィーがランタナを担ぎ上げ、天馬の姿となってその場を離れた。
「待って! ボルトがっ! ボルトーッ!」
悲痛な面持ちで必死に手を伸ばすランタナが見えた。
――ひとまずは、これでいい……。後は君の手で女王を討って……。
女王の言っていた最も苦しい末路とはこのことかもしれない。大切な家族や仲間の命が目の前で次々に奪われ、それを永遠に記憶に留めたままヴォルクト・ファーベルとして存在し続ける……。何度も何度も、死んでいった者たちの最期を思い返し苦しむ……。それが私に残された時間の過ごし方……。
存在し続けることの意味。それは常に悩み、苦しみ続けることに違いなかった。生きることが時に辛く感じるのは、こうした煩悩から解放されたいから。それでも生きようと思うのは、死の方がより恐怖心を煽るものだから。
私は両方とも知っている。そして生きることも死ぬことも許されない。最も残酷なことだった。
無意識のうちに涙が流れていた。泣いていることに気づいたら、尚更止まらなくなった。女王の一部となった状態なのか、魂が残っているのかも分からないが、とにかく意識の中で泣いた。
――情けないぞ、ボルト。男ならいかなる状況に陥っても気丈に振る舞うものだ。
泣きながら、生前フランツがそんなことを言っていたのを思い出す。負けを認めることになる。相手に弱みを見せることになる。だから泣くな、と。だが今は、泣かずにはいられない。
――心が弱いやつは大嫌いだ。でも、強い信念を持ったやつは友として認める。たとえ剣術の腕に自信がなくてもな。
それが彼の持論だった。私とフランツが今日まで友と呼び合えたのは、互いに強い信念を持っていると知っていたからだ。でも、今の私はどうだ? 彼を前にして胸を張ってそう言える自信はまったくない。
死んでまで惨めで愚かな人間にはなりたくなかった。だからこそ、ここまでやって来たのだ。ならば、私は全霊を賭けて女王を打ち倒さなければならない。私のせいで命を落とした母や、私を想ってくれるランタナのためにも。
『希望を抱くのはやめろ、ファーベル。虚しくなるだけじゃ』
まるで私の心に語りかけるかのような声。女王だった。私はその声には答えなかった。女王は続ける。
『妾の生み出す闇はフェーエンラントのほぼ全域を覆い尽くしておる。すべての希望が潰えるのも時間の問題じゃ。誰からも救われない己を呪うがいい』
そんな……。ランタナは無事なのか? 王は一体何をしている? やはりこの戦い、私たちの負けなのか。邪悪な存在はこの世から消し去ることが出来ないのだろうか。
『妾がいる限り人は恨みを募らせ、また人がいる限り悪が潰えることもない。人であるそちなら分かろう? ハハハハハハハ!!』
女王の高笑いが意識の中でこだました。
もう駄目だ。すべてがおしまいだ。所詮一人の力など何の役にも立たない。あがくだけ無駄なのだ……。私の、私たちの苦労はすべて徒労に終わった……。
意識の中にある心臓がしぼんでいく。私の精魂がついに女王に吸い尽くされる。暗闇に、溶け出していく……。
ヴォルクト・ファーベルは消滅した。そう思った。だが、閉ざされていた視界がにわかに明るみ、慣れ親しんだ顔が目に飛び込んでくる。
――ランタナ……!
「ちっ……。ランタナ・ジェニーかっ……! 狭間の森から飛び出してくるとは……!」
女王が驚愕の声を上げている時、私はその手から解放され、地面に転がった。
「もうっ。いつだって格好つけるんだから!」
ティフィーの背中から飛び降りたランタナが私の身体を優しく抱き上げた。
「本当に、ランタナなのですか……。私はまだ存在し(いき)て……」
「馬鹿っ! お前を見捨てる訳ないだろ! 仲間を集めてたんだ。あたしたちだけじゃどうにもならない。だから……」
ランタナが見遣った視線の先。そこには……。
「リューグ様、華麗に再登場よ!」
「って、違うでしょ! 一人だけ目立とうとするなって!」
「先輩、ずるいデスゥ!」
光の国のワルキューレ。リューグ、トーア、シュトライヒ。そしてその後ろには、視界を埋め尽くすほどのクリーガーたちがひしめいていた。
「助っ人とはもしかして」
「うん。みんな味方にしてきたんだ。王の協力もあって、光と闇、関係なしに。このフェーエンラントを守るために集まってくれたんだよ」
ランタナは誇らしげに、そして力強く言った。
「やってくれたわね、ランタナ……!!」
フィンスターゼがイフェイオンの口調を真似て言った。その左手は、私を助けるためにランタナがやったのか、切り落とされていてない。
ランタナはすっと立ち上がった。
「お前はイフェイオンじゃない! たとえその身体がそうだとしても、あたしは容赦なくお前を倒す!」
「ふん。出来るの? そんなことが。わたくしを殺せばあなたも死ぬのよ?」
「……あたしは死なない。あたしはもうお前とは別の存在だ!」
「生意気な……!」
女王は切り落とされた手の先を、死者の魂のようなもので型どり再生させた。目はかつてないほどに血走り、前方を凝視している。
『フィンスターゼ! お前の計略もここまでだ!』
「アルゲランダー! くたばり損ないめ!」
女王が闘志をむき出しにして戦おうとした時、恐ろしいほどの覇気を持った男たちが私たちに合流した。ありとあらゆる国と時代の鎧を身につけた猛者たち。地上では絶対に見ることの出来ない光景が広がっていた。
「ドクトル・ファーベル! 加勢に参ったぞ!」
到着するなりそう叫んだのは、かつての徒、名将フロックス大佐であった。彼はフランツの属していた連隊の隊長をしていた人物である。その後ろには、同じく先の戦で武勲を立てた将校たちが顔を揃えていた。敵国の大将だったマイヤーの姿まである。
「なぜ私のことを……。クリーガーは記憶を奪われているはずなのに」
「ふん。妾の肉体が失われたことで、封じ込めていたものが解放されたか。クリーガーの分際で妾に楯突こうとは、つくづく愚かな者どもじゃ」
女王はクリーガーたちを見回した。クリーガーの集団は女王を取り囲み、隙あらばその数で襲いかかろうと機を窺っているようだった。睨み付ける目は、これまで強いられてきたことさえ記憶に留めている、そう錯覚させるほどに鋭い。彼らが女王を敵とみなし、戦おうとしているのがはっきりと分かった。
「光栄です、大佐殿。これほど心強い味方はありません!」
「まったく。若造め。心にもないことを言いおって。ここは我らに任せろ。医者は医者らしく怪我をしたクリーガーの治療でもやっておれ! そっちの腕は確かだからな」
大佐らしい物言いが懐かしい。思わず胸が熱くなる。
ランタナが一歩前へ進み出る。そして高らかに宣言する。
「我らは誇り高き戦士! 戦うことに心血を注ぐ者なり! だけど、誰にも支配はされない! 我らの進む道は我らが決める! 我らは自由なり!」
『我らは自由なり!』
「いざ、出陣!」
『オォッ!!』
ランタナの声を合図に、クリーガーたちが一斉に動き出した。喊声と地鳴りが辺りに響き渡る。
「束になろうと同じこと! まとめて始末してくれるっ!」
直後、未だ上空を漂っていた死者の魂が女王の命を受けてクリーガーを襲い始める。一帯はあっという間に惨状と化す。それだけじゃない。女王自身からも黒い物体がにゅるりと抜け出して、二度と見たくはなかった男が出現した。
「ミューラ……!」
「クヒヒヒ! オレ様は人間の邪念から生まれる。だから何度でも蘇るのさ!」
憎悪が再燃し、思わずやつに向かいかける。その時。
「お前は俺が倒しただろうがっ! また出て来てんじゃねぇよ!」
ミューラが真っ二つに裂け、あっという間に消滅した。やつを倒した主が私を正視し、にやりと笑みを浮かべている。
「俺も戦うぜ、ボルト」
「フランツ……! どうして……」
「俺はお前の親友だからな。ピンチに駆けつけるのは当然、だろ?」
「……ありがとう。また君に助けられましたね。君が味方についてくれれば百人力ですよ」
「だろう? さぁて、一緒に暴れようぜっ!」
そう言ってフランツは、他のクリーガーたち同様勇ましく剣を振りかざし、向かい来る敵を倒し始めた。
彼に続いて行こうとした時、ランタナが私の腕を取った。
「手ぶらで戦うつもりなの?」
その手にはホフヌングが握られていた。私は彼女の手を包み込むようにして槍を受け取る。
「ランタナ……」
「戦ってくれるよね?」
「もちろん。最後まで。この魂、君に預けます」
「……じゃあ、行こうか!」
「えぇ。行きましょう!」
互いの気持ちを確かめ合い、私たちは乱戦の場へと飛び込んでいった。
「ボクたちも行こう!」
すぐ後ろからトーア、リューグ、シュトライヒが続く。
「待ってください! わたしも戦います!」
人型のティフィーが、誰かの落とした剣を手に参戦した。皆の願いは一つ。それはこの国に平和をもたらすことだ。
おぉぉぉぉ!
クリーガーの雄叫びが響き渡る。
「いいね、ボルト。今は女王を倒すことだけを考えろ! 他の敵は仲間たちが倒してくれる!」
「……えぇ。分かっています!」
言われなくとも、私の目はひたすらに女王だけを捉えていた。
「行けっ! 女王を倒してくれっ!」
「オレたちの自由を勝ち取ってくれっ!」
クリーガーたちが闇に染まった魂の相手をして私たちが進む道を作ってくれた。大勢の期待が双肩にのしかかっている。重い。あまりにも重い。だが、これ以上大切なものを失う訳にはいかない。やるしかないのだ。
「フィンスターゼ! 覚悟っ!」
既に剣を交えていた、数人の武将たちの間に割り込む形で突っ込んだ。ランタナも切り込む。
「来たな、ファーベル、ランタナ・ジェニー! 何度やっても同じことだ!」
私たちの存在を認めた女王は、自らが生み出したと思われる新しい槍を両手で振り回し、取り巻いていた敵を遠ざけた。そして再びイフェイオンの口調を真似て話し始めた。
「わたくしを傷つけないで。あなたたちとは争いたくないの!」
「ちっ……。陽動作戦……。もうその手には乗りませんよ!」
「構うな、ボルト! 攻撃の手を休めるな!」
「言われるまでもありません……!」
一度は手を取り合ったイフェイオン。その彼女を、ランタナと同じ顔を持つその人を攻撃しなければならない。だが、その中に潜む女王を討たなければ未来はない……!
「そ、そうよ! 騙されないわ!」
後から来たリューグが一歩前へ出る。
「見よ、我が最強奥義! 回転連撃! であぁぁぁっ!!」
「……まずい、リューグの最強技が出た! シュトライヒ、援護しよう!」
「ラジャーなのデス!」
リューグの攻撃が繰り出されるや、トーアとシュトライヒがすぐさま追いかける。だが女王はまったく動じる気配を見せない。
「あなたたちの攻撃パターンはすべて把握しているのよ、残念だけど」
「うわぁっ?!」
「きゃーっ!!」
連係攻撃を仕掛けようとしたトーアたちだったが、女王が槍を一振りして生み出した強風で押し返されてしまった。
「あなたたちは邪魔よ。わたくしの子供たちとでも戯れていなさい」
女王の身体から再び黒い塊が噴き出し、三人のワルキューレを襲った。ねっとりとしたそれが彼女たちにまとわりつく。どれだけ攻撃しても効果があるようには見えなかった。
「くそっ、まるで歯が立たない!」
「こうなったら、またしても必殺技を……」
「わーん、何なんデスかぁ、これはぁ? 気持ち悪いデスゥ……」
トーア、リューグ、シュトライヒはそれぞれ悪戦苦闘していた。
「皆さん、大丈夫ですか? 今、助けます!」
ティフィーが三人のもとへ駆け寄り、黒い物体を何とかはぎ取ろうと奮闘する。
女王と対峙しているのは私とランタナだけになった。
共に疲弊しきっている私たちとは対照的に、女王はまだ余力を残しているように見える。いや、それどころか強さを増しているようにさえ思える。
「いい加減、戦うのをやめたら? 楽になれるわよ?」
女王は相変わらずイフェイオンの声色を使った。
「やめる訳にはいきません! 皆がそれぞれの思いを胸に戦っている。だから私も、己が信念のために最後まで戦います!」
私はそう言い放った。苦々しい表情をする女王に更なる一言を告げる。
「フィンスターゼ。私はあなたに感謝したいくらいなんですよ。たとえそれがあなたの陰謀のためだったとしても、こうしてランタナと出会う機会を与えてくれたのですから」
「ふん。何を言うかと思えば」
「ランタナのためなら、私は魂を捨てられる! 彼女が命がけで私を守ってくれたように!」
「ボルト、お前……」
「だったら、他の者同様、お前の目の前でランタナを殺してやる! そして絶望の淵に沈むがいい!」
そう言うとフィンスターゼは槍を構え、一気にこちらへ攻め込んできた。瞬時に移動したかのような早さ。攻撃を防ぐのが精一杯だ。
「ほう。さすがはランタナの教示を受けただけのことはある。だが、受け身だけでは勝てぬぞ!」
攻撃は休むことなく続く。
右、下、突き上げて、返して……。
その動作はランタナの稽古を思い起こさせた。型どおりの攻撃。ならば次は……。
「どこを見ているっ!」
「うっ……!?」
思いがけない返し技。対応が遅れ、体勢を崩しかける。
「状況を的確に判断するんだ!」
ランタナが応戦し、私の失敗をカバーする。
「はい!」
「ボクらのことも忘れてもらっちゃ困るよ!」
闇の塊から解放されたトーアが女王の背後から強襲する。
「トーア! ありがとっ!」
「おやすいご用だよ!」
トーアの参戦で一気に形勢が逆転する。そのうちにリューグとシュトライヒもこちらに加わった。
「侮ってもらっちゃ困るのよね。ランタナだけじゃないのよ。ワタシたちだって、選ばれしワルキューレなんだから!」
「そうデス! うちらのチームワークを今こそ見せつけるのデス!」
彼女たちが弱音を吐くことは決してなかった。それが優秀なワルキューレたる条件であるかのように。
――私も負けてはいられない!
そう。私の魂はまだここに存在している。たとえ肉体は失われても、私が私である限り戦い続ける。再び生を受けるであろう地上に平和をもたらすためにも。
ランタナが声を掛け、仲間の指揮を執る。
「みんな、なるべく同時に攻撃するんだ! 五人同時には相手できないはず!」
「分かったわ!」
「了解!」
「ラジャー!」
ぴったりと息のあった攻撃。ランタナを筆頭に、トーア、シュトライヒ、リューグの順に攻撃を補佐するスタイル。彼女たちの戦いを邪魔しないよう、細心の注意を払いながら私も攻撃を繰り出す。
だが、女王はそのすべてを受け流し、少しでも隙があれば強力な技――先の戦いで見せた電撃のようなものや、目にも止まらぬ槍裁き――で攻撃してくる。私たちは女王の攻撃を完璧に躱すことが出来ず、全身に傷を負いながらも戦い続ける。
「くぅ……! これでどうだっ!」
ランタナが低い体勢から突き上げるように槍と腕を伸ばした。今がチャンスとばかりに皆で四方から攻撃する。
「遅いっ!」
女王は瞬時に飛び上がり、全部の攻撃を躱した。
「くそぉ……。イフェイオンの翼で空へ……! これじゃ、埒があかない」
トーアがぼやいた。
「そんなぁ……。先輩、何か手はないんデスカ?」
「……ボクたちに出来るのは、諦めずに戦うことくらいしか」
トーアとシュトライヒは、女王を見上げて言った。
「イフェイオン様! どうかティフィーめの声をお聞きください! あなた様ほどのお方が闇の力に支配されるはずがありません!」
声を張り上げたティフィーは、天馬になって飛び上がった。そして再び人型に戻るとイフェイオンの胸に飛び込んだ。
「やめろっ! もうあたしたちの声は届かない!」
「馬鹿な子ね、ティフィーは」
ランタナの思いも虚しく、ティフィーは呆気なく女王の手に掛かってしまった。
「ティフィー!」
ランタナと私はぐったりとした彼女のもとへ駆け寄ろうとした。だが私たちの目の前で彼女は踏みつけられた。悲痛な叫び声が響く。女王に対する憎悪の念がどんどん増していく中で、ティフィーが最期の声を発する。
「大好きなイフェイオン様……。必ずご自分の意志を取り戻されると信じています……。生まれ変わっても、あなたのお側に……」
大好きと言った主の足もとでティフィーは果てた。魂が女王の身体に吸収されていく。
「ハハハハハ! 哀れな僕じ(しもべ)ゃ。最期までこの女を信じ続けるとは」
二度大切な人の惨死を見せつけられたと言うのに、今の私たちには女王を討ち滅ぼすだけの力がない。残っているのは闘志だけ……。本当にそうだろうか。他に何か女王にぶつけられるものは……。
その時、フランツが女王の前に飛び出した。武器を交えながら彼は叫ぶ。
「ボルト! お前、何のために戦ってんだっ! 誰のために魂賭けてんだっ! 格好つけてねぇで、男なら当たって砕けろよ!」
「……そうですね。その通りです」
私はまだ、ランタナに何の想いも伝えていない。いずれ消えるのを理由に言うことを避けてきた本心、そして彼女が私に対して抱いている想い。二つの想いが一致していれば、ランタナが覚醒すれば、女王を倒すことが出来るはず。
ちらりと横にいるランタナを見る。
「ランタナ……。私は君に賭けてみます」
「ボルト……? 一体何をするつもりだ?」
怪訝そうな顔でランタナが問うた。迷っている時間はない。やらなければ……。その目を見つめながら手を取る。
「力を貸してください。お願いします」
「……うん。分かった」
もっと適切な言葉はいくらでもある。だが、こんな時に素直な想いを伝えていいのかどうか、正直分からなかった。
「皆さん、フランツに加勢を。少しだけ時間を稼いでください。そして、私に、私たちにチャンスをください」
「そう言うことならリューグお姉様に任せなさい!」
「まぁ、リューグに任せるのはどうかと思うけど、やってみるよ!」
「でも、ボルトさん。チャンスは一回だけデスヨ? 失敗したら後でお仕置きなのデス!」
三者三様の反応に思わず微笑がこぼれる。
「……お仕置きを受ける魂が残っていたら、の話ですけどね」
それだけを言ってすぐに気を引き締める。
そう。失敗したら後はない。それこそ、この場に誰も残らなくなる。そのくらいの覚悟をしなければならない。私はランタナの手をぎゅっと握った。
「よし、みんな! 行くよっ!」
『オォーッ!』
トーアの声に応えたのはリューグとシュトライヒだけではなかった。周りにいた数百、数千というクリーガーもまた雄叫びを上げている。
「女王の動きを止めるんだ!」
「おうとも! 身体を張るのは得意だぜ! ……って肉体はないんだけどよ!」
「一度死んだオレたちに、怖いものなんかねぇ!」
私たちをも押し潰す勢いでクリーガーが大挙をなしてやってきた。ここにも熱い闘志を持った者たちがいたのだ。それはあらゆるものを溶かしてしまいそうなほどに熱い。
「無駄じゃ! 妾は誰にも捕らえられぬ!」
女王はフランツを突き飛ばし、更には折り重なるクリーガーの隙間もすり抜けて空高くへと舞い上がった。
「くそっ……! 逃がさんぞっ!」
起き上がり、追い打ちをかけようとするフランツ。そこへ、どこからか天馬に乗ったクリーガー部隊が登場し、女王を取り囲む。
「オレたちの誇りに賭けてもあんたを逃がす訳にゃいかねぇ! どこまで逃げても追いかけてやるぜ!」
「愚かな……!」
女王は体中から邪気を放出し、クリーガーたちを黒い壁で押し潰そうとした。私たちをはじめ、その場にいた者が皆苦悶に満ちた表情を浮かべる。
「これではいけない。このままでは……」
「ボルト……。チャンスを待つんだ……! みんなが作ってくれるチャンスを」
捉えどころのない壁に抵抗しながら、ランタナが必死に立ち上がろうとした。同様に女王の手を逃れようとするクリーガーが次々に起き上がる。
「我らはまだ戦えるぞ! 女王を捕らえろ!」
今の攻撃を食らわなかったクリーガーが戦いの場に加わった。上から下から、可能な限りの攻撃をして何とか女王に傷を与えようとしている。
――よし、そのまま押さえ込んでくれ……!
女王の攻撃の手が少しだけ緩んだ。私も何とか立ち上がり、その場に踏み留まる。
「ランタナ!」
声を掛け、攻撃のタイミングを計る。
その時、女王に向かって風の渦が吹いた。とっさに槍を地面に突き立て、ランタナを抱き寄せる。踏ん張っていても身体ごと持って行かれそうな強風。まるでザウバーブルン山の頂にいるかのような錯覚に陥る。
天馬に乗っていたクリーガーたちが真っ先に吸い込まれた。次いで真下にいた者、周辺の者が女王の身体の一部となっていく。
「あぁっ……! リューグ、トーア、シュトライヒ!」
ランタナの視線の先に三人の姿があった。しかし、その声は彼女たちと共に吸い込まれてし
まった。女王が私たちを嘲るように笑う。
「そちのせいじゃぞ、ヴォルクト・ファーベル! 何千という戦士たちがそちの声のもとに集い、存在を抹殺されている! 胸を痛めよ! 妾に慈悲を乞え! ハハハハハ!」
その声は耳の奥深くまで届いた。込み上げる憎悪の念を押し殺すことが出来ない。
未だ強風は止まず、私とランタナの身体も地から離れかけている。もはや、吸い込まれるのは時間の問題だ。
「大事なもんはしっかり守れっ!」
身体が浮き上がる直前、フランツが大剣を地面に突き立てて私たちの身体をしっかりと抱え込んでくれた。
「チャンスは俺が作ってやる! だからお前は、その期を絶対に逃すな!」
「……フランツ」
「へへっ。犯した罪は償わねぇとなぁ。来世の俺に申し訳ねぇや」
「えっ……?」
「家族やお前の母さんの魂斬っちまったこと、今ごろになって後悔してんだ。命は命で償わなきゃなぁ」
そう言うとフランツは私たちをぐっと地面に押しつけ、その反動で上空へと飛び上がった。剣は地に残したままだ。
「一体何をっ……!」
「女王様よぉ。これが俺なりのケリの付け方だっ! 覚悟はいいかっ!」
腕を広げた彼は、女王のもとへ辿り着く寸前で身を捩り、その翼を掴んだ。直後、強風が止む。
「今だ、ボルト! 女王を討てっ!」
落下しながら叫ぶフランツ。私はランタナに目配せする。
「馬鹿め。消え急ぎおって!」
しかし、女王はすぐに身を翻すと背中の彼を鷲づかみにし、手にした槍で彼の胸を貫いた。フランツの叫び声が響き渡る。
「フランツーッ!」
「ボルトッ……。これが俺の生き様だ……。お前も、最後は決めろよなっ……!」
フランツの姿は跡形もなく消えた。またしても大切な仲間を目の前で……。女王への積怨がいっそう強くなる。悔しさがどんどん込み上げる。
だが。ここで絶望の淵に沈んでしまったら、すべてが水の泡になる。フランツが作ってくれたチャンスを無駄にする訳にはいかない。
そう。まだ希望はある。ランタナと私にしか成し得ない希望が。
彼女の手を取り、二人で槍を構える。そして女王を睨み付ける。
「これで終わりだ、フィンスターゼ! 何も成長していないのはお前だけだ!」
「まだ強がるかっ、ファーベルッ!」
女王がフランツを消した勢いそのままに落下してくる。私は狙いを定めて右腕を、槍を突き出す。
「ランタナ! 私の想いに応えてください! 私は君が……好きだ……!」
「ボルト……!」
黄金に輝く槍。人々の生きる希望から生まれたそれは、私とランタナの手を離れ、迫り来る女王へと飛んだ。
最後の力を振り絞った一投。全身の力が抜ける。私は膝を折り、それから両手をついた。顔だけは何とか正面を維持する。事の次第を見届ける義務が私にはあった。
「馬鹿めっ! 死に損ないのアルゲランダーから生まれた槍の力など、妾には……!」
『愚かなのはお前だ、フィンスターゼ!』
「その声は、アルゲランダーッ?!」
わずかな光を放つ黄金色の鳥が、突き進む槍を包み込んだ。槍は勢いを増し、イフェイオンの肉体を、フィンスターゼを貫いていく。
「くっ、やられはせぬぞ! 愛だの希望だの、そんなものの力を妾は断じて認めぬぞっ……!」
反駁も虚しく、女王が取り憑いたイフェイオンの身体は引き裂かれた。その瞬間、一瞬口元が動いたように見えた。何かの言葉を伝えようとしている……。だが、それを読み取る前に、イフェイオンの身体はどさりと大きな音を立てて落下した。手足はあらぬ方向に曲がり、ぴくりとも動かない。目は見開き、槍が刺さったままの胸からは大量の出血もある。
手が震えている。その手をランタナが握りしめてくれた。姿は見えないが、どこからか王の声が聞こえる。
『離脱は叶わなかっただろう? イフェイオンの強固な想いが、意志が、お前を身体に閉じ込めたのだ。我らの勝ちだ、フィンスターゼ!』
『クハハハハ……! これでそちの願いは叶えられたという訳じゃな。アルゲランダー。だが妾は決してそちのものにはならぬ。悪が善に染まることなどありはせぬのじゃからな……!』
死んだように倒れているイフェイオンの身体から女王の声がした。敗北したにも関わらず、その声は力強かった。
槍の刺さった箇所から光が溢れ、女王を、イフェイオンの身体を包み込んだ。再び王の声が聞こえる。
『善の心は悪心を封じるだけの力を持っている。だが我が輩とて、完全にお前を押さえ込めるとは思っていない。故に、これからは共に生きるのだ。人間と同じように、善と悪の心を持った存在として』
『ふん。人間は手本にすべき生き物ではない。そちも承知していたはずじゃ。正義をかざしているヴォルクト・ファーベルでさえ、妾のような悪の分子を内に秘めておる。そのことを忘れるでないぞ! ハハハハハ! ハハハハハ……!』
直後、目を焼くほどに強烈な光がほとばしった。闇という闇、影という影がかき消され、辺りは真っ白になった。
日光のような暖かさを感じる。まるで誰かに抱かれているような安心感さえある。
共に戦った者たちの声が聞こえる。そして彼らが私を導こうと……。
私の役目は終わったのだ。そう悟った。
ずっと生きた証を残したいと思っていた。けれども気取らず飾らず、ありのままに生きれば、そんなものを残さなくとも胸を張って死んでいける。今の私はまさにそんな思いでいる。
――ヴォルクト。
誰かが私の名を呼んだ。
イフェイオンだった。私は彼女の語りを邪魔しないよう、言葉が紡ぎ出されるのを黙って聞いていた。
――いいえ。わたくしの愛する夫、エリオスの魂を持つ人よ。ずっと側にいたかった。もう一度愛して欲しかった。でも……。
彼女の口から語られる真実。ようやくすべての話が繋がった。
「私は君を愛せない。なぜなら私は……」
想いを伝えようとする前にイフェイオンは言葉を制した。
――分かってる。今度こそ、本当にさよならね。わたくしの存在も、これで消える……。
「イフェイオン。いつかまた、巡り会う日まで」
――さようなら……エリオス。さようなら、ヴォルクト……。
眩い光がまぶたの向こうに広がっている。私はゆっくりと目を開けた。
青い空。輝く日の光……。
「目覚めたか、ヴォルクトよ」
「アルゲランダー王……」
柔和な笑みを浮かべた王が私を見下ろしている。私は直前の出来事を思い出し、思わず飛び起きる。
「イフェイオンが消えて……。そうだ、女王はどうなったのです?!」
「我が輩の胸の内にある」
「では、戦いは終わったのですね?」
「そうだ。よくぞ最後まで戦い抜いてくれた。心から礼を言おう。お陰でフェーエンラントは再び全土が光に包まれ、本来あるべき姿を取り戻した」
「本来あるべき……。では、光と闇に別れていた住人は……」
「一人の人として生まれ変わった。彼らに過去の記憶はない。赤子も同然だ。彼らはやがて人間と同じく様々な感情を持ち、限られた命を全うするだろう」
「記憶が……?」
私は複雑な思いを拭い去ることが出来なかった。
統合によって、光と闇に別れていた個々の人格が無視されたのは紛れもない事実だ。だが、過去の記憶を持ったまま生きることが必ずしもその人を幸せにするとは限らない。
おそらく、王もそのことを理解しているのだろう。人間もそうであるように、個人の幸せは個人が見つけ出すしかない。それが自由に生きると言うことなのだから。
「ランタナは、ランタナはどこにいるのです……?」
戦いの末、イフェイオンを救い出すことはついに出来なかった。これまでの話が確かなら、ランタナが一人の人間として目覚めていない限り彼女もこの場には残っていないことになる……。
王は静かに言う。
「残念だが、あやつの命は残りわずかだ」
王が一歩脇に逸れると、少し離れたところに横たわるランタナの姿が見えた。私は這うようにして駆け寄った。
「あぁっ……! ランタナ……! どうして……? 分かり合えたと思ったのに……」
「もうっ……! どうしてそんな顔するのさ……?」
ランタナは囁き、手を伸ばした。今にも力尽きそうなそれを必死に握る。
「望み通り、転生できるんじゃないか。もっと喜んでよ……」
「何を言っているんです!! 君が……君が死んだら意味がないでしょう……!」
「馬鹿っ……。転生したら、ボルトはあたしのこと、忘れちゃうんだよ……!」
「馬鹿なのは君の方です! どうしてそんなことばかりを……」
私は彼女の身体を起こし、抱きしめた。彼女の吐息はもう感じないほどに弱々しかった。
「最期に一つだけ……」
聞き取れないほどに小さな声が私の耳にだけ届く。
「何です……?」
「お前の……笑顔を見せて」
「……無茶を、言わないでください」
瀕死の人を目の前にして笑うことなど……。だが確かに約束をした。私の知りうることはすべて教えると。それはすなわち、あらゆる表情を彼女に見せると言うこと。
「……分かりました。ただし……君の笑顔も見せてください」
「……出来るか分かんないけど」
最期くらい、いや、最期だからこそ悲しい顔で別れたくはない。
一度深呼吸をする。
やっと想いを伝えられたと言うのに、すぐに永遠の別れを告げなければいけない。恋とはこんなにも切ないものなのか。
私は肩の力を抜き、それから彼女のために笑った。それに釣られるようにランタナも笑う。
「ありがと。……あたしも好き……」
「ランタナ……!」
すっと力が抜ける。口の端に笑みを残したまま肉体が消え始める。いくら抱きしめてもその身体の温もりを感じることは出来なかった。後に残ったのは、小さな丸い光の玉だけだった。
「……これは、ランタナの……魂?」
「おぉ。存在が消滅せず、魂だけが残るとは。ヴォルクトの思いが通じたのやもしれぬ」
「……最後の最後で」
王の言葉をどう受け止めたらいいか分からない。私はそれを両手で包み込み、立ち上がった。
「ヴォルクトよ」
王は私とランタナの魂を一度ずつ見る。
「生きとし生ける者には必ず別れる時が来る。どのような形でも。お前なら分かるな?」
「はい。十分すぎるほどに」
「今がその時であることも」
「はい」
フェーエンラントにおいて、今生の別れは魂の浄化と共に訪れる。ひょんな事から仮初めの肉体を与えられた私であったが、いよいよヴォルクト・ファーベルに別れを告げる時が来たようだ。
「ランタナの魂も、私と同じように地上で新たな命として生まれ変わるのですか?」
「人である限り、魂は輪廻を繰り返す。そして、想い合う魂は再び出会う」
私はその言葉を前向きに受け取った。この別れは永遠ではない。悲しみはなかった。
「では、行こうか」
「……お願いします」
私が答えると、王は私の両肩に手を置いた。すっと身体が軽くなる。先ほども感じた、日だまりにいるような温もりに包まれる。
死とは暖かいもの、本当の安らぎなのだ。そして永遠の別れではなく、一時の別れなのだ。惹かれ合う魂は、時も年齢も超えて再び巡り会うことが出来る。
少し気恥ずかしく、それでいて穏やかな気持ちを抱き、ランタナと二人、魂を寄せ合う。心も、記憶も、白い光の中でゆっくりと清められていく。
『いよいよ、ですね』
『まだ怖がってるんじゃないの? 魂の消滅を』
『まさか。君の怒った顔の方がよっぽど怖いですよ』
『ムカッ……! 言ってくれるねっ!』
私たちは最後までこんな調子だ。
『ランタナ様、ボルト様!』
それに輪を掛けるように、背後から聞き覚えのある声が近づいてくる。
『イフェイオン様を見かけませんでしたか? 追いついて一緒に転生しようと思っているんですが』
『ティフィー!』
『あなたの魂は無事だったのですか!』
『お二人の愛のパワーのお陰で。うふ』
聞いているこっちが照れくさくなるような台詞をさらりと言ってのける。
『あの、途中までご一緒しても構いませんか? それともお邪魔です?』
『……いいえ。あなたがいてくれた方がこの場もまとまるでしょう』
呆れながら言う。だが、私の言葉に偽りはない。ランタナも同じ思いのようだ。
『一緒の方が心強いよ。ボルトと二人きりじゃ、間が持たないからね』
『……そう言うことです』
『では、参りましょうか。地上へ!』
ティフィーが明るい声で言う。
『……って、お前が地上まで案内する訳じゃないだろっ!』
『バレちゃいました? いつものノリでいけると思ったんですけど。あら、ボルト様?』
私は声を立てて笑っていた。ランタナが、手を上げてティフィーに突っ込みを入れる様子が目に浮かんだせいだ。
『やっぱり、君たちは面白いですね。一緒にいて飽きません』
『もうっ! それ、どういう……』
『また、会いましょう。地上で。必ず』
彼女たちだけじゃない。フランツやイフェイオン、これまで出会ったすべての人と再会したい。そして今度こそ、限られた命を悔いなく生きたい。そんな思いを抱いた。
『……ふんっ! 次は会う前から身体を鍛えておいてよね! 弱い男は嫌いなんだから!』
ランタナの声に刺々しさはなかった。そんな彼女の口ぶりは本当にかわいい。
『もし忘れていたら、また君に鍛えてもらいますよ。ヴォルクト・ファーベルをいいと言ってくれた君にね』
『ぷぷっ……!』
ティフィーが笑った。だがこれも予想済みだ。ランタナと二人きりでは、こんな顔が火照るような台詞は言えない。
『……もうっ! 馬鹿っ!』
そしてこれもお決まりの返し。最後はやはりこうでなくては。
彼女たちに別れの言葉は必要ない。さよならを言いたいのはただ一人。ヴォルクト・ファーベルという名の自分だ。