対決
夢うつつに、誰かの話し声が聞こえる。聞き覚えのある声。私は頭の痛みに耐えながら起き上がった。
「ボルト! 気がついたんだね。よかった」
「ランタナ……。イフェイオン……?!」
ランタナの横にはなぜか、犬猿の仲であるはずのイフェイオンが、覆面越しに私の顔をのぞき込んでいた。
「なぜ、君がここに? ……いや、そもそもここは一体?」
「ここはザウバーブルン山。両国の間にある山だ。……イフェイオンはあたしたちを助けてくれたんだよ」
ランタナがやや不満そうに言った。
意識を失う直前の出来事が思い出される。私は本気で魂の消滅を覚悟していた。だが突然光が満ちて、形勢が変わった……。
「ありがとう、イフェイオン。助けてくれて」
私は礼を言った。だが、彼女はそれを礼とも受け取らず、つっけんどんに言い返す。
「言うことはそれだけ? 女王を本気で怒らせた人がこうして存在しているなんて奇跡よ? 分かっているの? もう少し自分を大事にして!」
「我がままを押し通したことについては素直に謝ります。でも、君だって最終的には道を譲ったではありませんか」
「それは、ランタナに覚醒の兆しが見えた気がしたから。あの時は彼女の成長を妨げるべきではないと思ったのよ」
「詳しいことは分かりませんが、結果としては君自身も判断を誤ったのでしょう? 一方的に私たちを責めることは出来ないと思いますよ」
「だから助けに行ったんじゃない!」
激高したイフェイオンは、もはや話にならないとばかりにため息を吐いた。
そんなやりとりをする私たちに、ランタナが冷たい視線を送っている。イフェイオンを、いや、私を軽蔑するような目だ。
「ランタナ様。イフェイオン様をそんなに嫌わないでください。仮にも命の恩人ではありませんか」
ティフィーが口を挟むと、今度はティフィーを睨み付けた。
「こんなやつに『様』をつけるってのか、お前は! あたしという主人がありながら!」
「ですが、わたしとイフェイオン様とはかつて、主従関係にあったのです。ランタナ様が闇の国へ来られるまでずっと」
「でも、今はあたしが主人だろっ!」
「ちょっと待ってください! 今の話、本当なのですか?」
二人の口論に割って入る形で驚きを口にする。ティフィーはさも当然といった様子でうなずいた。
なるほど。これで納得がいく。ずっと抱いていた違和感。あの時、ワルキューレの一団が襲ってきた時、ティフィーの様子が変だったのは疲れていたからではなく、その中にイフェイオンの姿があったからなのだ。思えば、闇の国へ戻るなと警告を受けた時も、ティフィーはずっと黙ったままだった。
一度、イフェイオンと向き合う。
「私たちに協力を要請するつもりなら、その覆面を外していただけませんか? 素顔も知らない人を信用する人間など、一人もいません」
彼女には謎が多すぎる。ランタナの覚醒が何を意味するのかも未だに明かされていない。それが本当に必要なことであったとしても、真意を理解しなければ手の打ちようがない。
「確かに、あなたの言う通りね。……分かったわ」
そう言うとイフェイオンは、おもむろに覆面を外した。その下から現れた顔に、私もランタナも驚愕し、声を失う。
――なぜ、ランタナと同じ顔を……?
見つめ返すその瞳はどこか温かく、そして寂しげだった。やがて彼女は穏やかな口調で、しかしはっきりと真実を語り始める。
「……わたくしはもう一人のランタナ。生まれるべくして生まれ、対立すべく存在する者」
「……どういう意味です?」
「わたくしたちはもともと一人のワルキューレとして生まれるはずだったの。けれどもフェー(こ)エンラント(こ)は光と闇が分かつ場所。善の心は光の国、悪の心は闇の国へと誘われる。その法則に従い、わたくしたちの心はそれぞれの国――わたくしは闇の国、ランタナは光の国――で肉体を得、一個の人として生を受けたの。他の天界人も同様にね」
「だから同じ顔を有しているという訳ですか……」
「皮肉にも、ね」
「う、嘘だっ! そんなの、信じられない……!」
ランタナはようやく声を発したが、すぐにイフェイオンに背を向けてしまった。
「今の話、ティフィーさんはご存じだったのですか?」
「えぇ。まぁ」
私の問いに、彼女は曖昧な返事をした。
「気に入りません。一度ならず二度までも真実を隠していただなんて」
「ティフィーを責めるのはやめて。わたくしがそうするように指示をしたの」
イフェイオンが話に割って入る。
「なぜそんなことを?!」
「利用されているふりをするためよ」
「ふりって……。もともとあなたは闇の国の住人だったのでしょう? 女王に仕えていたはずのあなたがなぜそんなことを」
「わたくしたちは他の天界人と違って、意志を持つ数少ない存在。意志があれば、君主の行いが正しいかどうかの判断も出来るわ。悪心を持って生まれたわたくしなら尚更ね」
「ではあなたは、女王の行為が間違っていると知りつつ従っていた、と?」
「仕方がなかったのよ。下手に反抗の意志を見せれば、その時点で殺されかねない。そうなれば、王と交わした約束が果たせなくなるわ」
彼女が周到に計画を練っていたことが窺える。私は更に切り込む。
「ですが、女王が君の考えに気づかないとは思えません」
「そうね。知っていたと思う。王と密談していたことも」
「互いに見て見ぬふりをしていた訳ですか。いや、出方を窺っていたと言うべきでしょうか」
イフェイオンはうなずいた。
「でも、その関係ももうおしまいね。先ほどあなたたちを奪還したことで、女王は完全にわたくしを敵視したはずだもの」
「それは私たちも同じです。しかし……」
キーパーソンであるはずの彼女が、身の危険も顧みずにランタナを助ける必要があったのだろうか? 先日会った時、彼女は自らもまた、王から未来を託されたのだと言っていた。もし二人とも生き残ることが世界を救う絶対条件だとすれば、仲間である光の国のワルキューレに頼んでもよかったはず。しかし彼女はそうしなかった。
そのことを述べると、イフェイオンは少し怒ったような表情を見せた。
「片割れであるランタナの身を案じるのは当然でしょう? わたくしたちは一つの身体を光と闇に分けられた状態で存在している、いわば半人前なの。そのうち一方でも消えてしまったらどうなると思う? 残された他方の身体もあっという間に消滅してしまうのよ?」
「なるほど。そう言うことでしたか」
なぜ彼女が闇の国へ戻るなと警告したのか、そして身の危険を冒してまで助けに来たのか。ようやく納得のいく答えを聞けた。私は深くうなずいた。
「そこまでは分かりました。しかし今の話を聞いて一つ引っかかる点があります。すべての天界人が光と闇、善と悪に分かれているのだとすれば、王と女王はどうなるのです?」
「同じよ。その法則に例外はないわ」
イフェイオンは間髪を入れずに答えた。私は即座に持論をぶつける。
「ならば、あの恐ろしい力を持つ女王を倒すために、光の国にいるであろう彼女の対を捜せばよいのではありませんか? 今の戦力では誰も女王に太刀打ち出来ないのですから」
「無理よ」
「なぜです?」
「アルゲランダー王こそが女王の善を形成する人物だからよ。同等の力を持っているが故に女王はその力を恐れた。そしてランタナに命じて命を奪ったのよ」
「まさか……!」
予想もしない解に、一瞬頭が真っ白になる。思わず彼女に詰め寄る。
「しかしそれは変でしょう?! 私はこの手で王の死を看取り、その後に女王と対峙しているんですよ?」
「落ち着いて! ……いい? よく聞いて。ランタナもよ。それぞれの個が意志を持てば、闇と光、どちらか一方の身体が滅びても生き残れる。それが、この法則に打ち勝つ唯一の方法なの。だからランタナ。あなたも自分の存在を大切に思うなら、もっと強い意志を持って。でないと、万に一つわたくしが抹殺された時、その時点であなたも死ぬことになるのだから」
真剣な眼差し。だがそれは脅しにも思えた。次に女王の手が迫った時は自分で何とかしろ。暗にそう伝えているような気がした。
「……強い意志を持つって言われても、どうすればいいのさ?」
ランタナが半分怒ったように問うた。イフェイオンはまっすぐに彼女を見て語りかける。
「地上へ行くのよ。そして人間と同じようにあらゆる感情を手に入れ、何者にも屈しない強い意志を持つの。そうすれば、あなたはあなたという一個人になる。覚醒するというのはそう言うことよ。その状態であなたとわたくしが力を合わせれば、女王を倒すことが出来るわ」
「人と同じように、感情を……」
「ただし、時間は限られているわ。お願い、ランタナ。愛するフェーエンラントを守るために力を貸して」
「でも……」
ランタナは相変わらず訝しがっている。イフェイオンは次に私に向き直る。
「ヴォルクト。ランタナの成長にはあなたの協力がどうしても必要なの。だからどうか側にいてあげて」
私を見つめるその表情を私はかつてどこかで見たような気がした。しかしそれがいつだったのか、思い出すことは出来なかった。
「それからティフィー。二人をしっかり導いてやってね。わたくしのかわいい妹よ」
「イフェイオン様……。そのお言葉、確かに承りました。お任せください」
ティフィーは恭しく頭を下げてそう言った。
「……君はどうするつもりです、イフェイオン? 言うだけ言って去るつもりですか?」
背を向けて飛び立とうとする彼女に言葉を掛ける。彼女はくるりと向きを変え、私の前までやってきて止まる。
「ごめんなさい。一緒に行きたいけれど、わたくしには他にやることがあるの。しばらくは別行動になるわ。……これを」
イフェイオンは首から提げていたペンダントを外すと、私の首に掛けた。
「天界にあるものを身につけていれば、地上へ行っても仮初めの肉体を維持できるわ」
「イフェイオン……」
それきり彼女は言葉を発することも振り返ることもなく、あっという間に空高く飛び上がり去っていった。
「……今の言葉、信じますか?」
私は誰にともなく聞いた。
「わたしは信じます」
ティフィーがいつものように笑顔で答えた。
「彼女がかつての主人だったから、ですか?」
「はい。イフェイオン様はとてもよい方です。ランタナ様と同じくらいに」
「あなたはそうでしょうが、少なくとも私はすんなりと受け入れられませんね」
「なぜですか?」
「信じるだけの証拠がありません」
たとえ彼女とランタナとが同一の存在であったにせよ、その発言を信じるかどうかは別の話だ。彼女が意志を持っているのなら尚のこと。
「ですが、ここでじっとしていても仕方がありません。世界は闇に支配されてしまいます」
ティフィーがめげずに反論する。それについては私も同意見だ。
「ランタナ。君はどう考えますか?」
彼女に決定権を委ねるのは酷だと思う。しかし意見は聞くべきだ。
その表情はこわばっていた。これまでに見たことのない顔。頭の中で様々な思いが渦巻いているに違いない。やがて彼女はゆっくりと口を開く。
「……あたし、お前に教えて欲しいことがたくさんある。お前の知っていることを全部教えて」
「では君は、イフェイオンの言葉を信じると?」
「そうじゃない! あの時ボルトが言ったこと……。王殺しの罪を償うためには今のままじゃ駄目だと思う。それに、女王陛下がしようとしてることも、今のあたしの頭じゃ全然理解できない。あたしは自分の頭で理解したいの」
その真剣な眼差しが私の心を揺さぶった。ランタナは自らの成長を望んでいる。そして恥じらうことなく私に教えを乞おうとしている。その前向きな姿勢は幼いころの私を思い起こさせた。急に親近感が湧く。
もはや転生の道は絶たれたも同然。私が向かうべき場所はなくなった。ならばもう少しだけ、ランタナと共に行動したっていい。私は一つうなずいて答える。
「分かりました。君の考えを尊重しましょう。私の知りうる知識がお役に立つのなら、時間の許す限りお教えします」
「ありがと」
「…………」
初めて、彼女からその言葉を聞いた。突然のことで少し戸惑う。だがその表情に笑みはなかった。ランタナはまだ、笑うという感情表現を体得していないのだ。
――やれやれ。私が教えるのに一番苦労する感情が残っているのですね……。
とりわけ軍に身を置いてからと言うもの、常に自分を律し、緊張感を絶やさないよう努めてきた私にとって、笑うことは久しく忘れている行為だった。時には肩の力を抜くことも必要なのは分かっていた。だが、頑固な性格も手伝って、一度決めたことを曲げるなんて出来なかった。周りからは「冷血ファーベル」と揶揄されたこともあるほどだ。
だが、成長を望むランタナのためには私自身、殻を破らねばならないだろう。私はあまりにも頑な(かたく)すぎた。一度しかない人生を戦争のために注ぎすぎた……。今からでも人生をやり直せるなら、私ももっと成長したい。ランタナの姿を見て、そう思い始めたのだった。
「では、地上へ向かわれるのですね?」
ティフィーが嬉しそうに言った。私は少し間を置いてから答える。
「先に断っておきますが、イフェイオンの言葉に従う訳ではありません。何もしないよりは、ランタナの意に沿う行動をした方がいいと思うだけのことです」
「それでも構いません。ありがとうございます」
彼女は安堵した様子で微笑んだ。心からイフェイオンを慕っているのだろう。
「しっ……。誰か来るよ……」
刹那、ランタナが緊張した面持ちで言った。
ザウバーブルン山の下方、雲の下から声が聞こえた。どこかで聞いたことのある声だ。猛スピードで雲を突き抜けてきたのは三つの影。
「あれは……」
「トーア、シュトライヒ。……それからリューグまで!」
ランタナが興奮気味に叫んだ。三人はランタナの姿を見つけるや否や、すぐに降りてきた。
「ランタナ! どうしてここに?」
短髪のワルキューレが辺りを見回しながら問う。
「あたしは、ボルトと一緒にシュロス・ラーベから逃げてきたところ。今や安全な場所は、雲をも貫くザウバーブルン山の頂だけだからね。トーアたちこそ、どうしてここへ?」
「イフェイオンを捜してたんだよ。一応、ボクたちは同じチームだからさ。でもどれだけ捜しても見つからないんで、ひょっとしたらここじゃないか、ってね」
「あぁ、それなら一足遅かったね。あいつなら、少し前にどっかへ飛んでっちゃったよ」
「そうか……。あの速さで飛ばれては、追いつけないな」
トーアと呼ばれた者と残りの二人は一様に顔を見合わせた。
「なぜ、イフェイオンを捜しているのですか?」
私が質問すると、三人は誰が答えるのだ? と言うようにまた顔を見合わせた。すると、確かリューグと呼ばれていたワルキューレが一歩進み出る。
「……闇の国から大量のクリーガーが、規則正しい列をなして光の国に向かっているの。もちろん、光の国のクリーガーは迎え討ってくれると思うけど、まとまりのない彼らがどこまで戦えるかは分からないわ。そこでワタシたちは、侵入者である敵国クリーガーをメンバー四人で倒すためにイフェイオンを捜していたの。……まったく、新入りにも関わらず勝手にどこかへ行っちゃうんだもの。困ったものだわ」
「……変ですね。クリーガーが隊列を組んで戦うなんて」
思わず腕を組む。私の知っているクリーガーは、個々がただ武器を振り回し、闇雲に破壊を繰り返す存在である。だが、リューグの言うことが確かなら、彼らに何らかの変化が起きたと言うことになる。
「……もしかすると、クリーガーの中にリーダーが現れたのかもしれませんね」
私はクリーガーの進軍について考え始めた。
自分の手を汚すことなく敵を討つ。このようなせこい手口はミューラ辺りが考えそうなことだ。やつにクリーガーを従えるだけの力があるようには思えないが、女王にうまく取り入ればそれも不可能ではないだろう。
「リーダーを倒せば、クリーガーの統制力は失われるかもしれません。もしくは、クリーガーを操っている影の敵を叩けば……」
私はいくつかの可能性を提示した。
「じゃあ、みんなでそいつらを倒しにいくのデス! ランタナ先輩も来てくださいデス!」
シュトライヒがはしゃいだ様子で言った。
「確かに、クリーガーの動きは気になります。しかし……」
やつらが暴れれば、関係のない一般市民まで巻き込まれるかもしれない。それに。
「ランタナ。私たちに残された時間は限られています。私はその時間を有効に使うべきだと思います」
私はそう提案した。すると、トーアが無理やりランタナの腕を取った。
「人間さん。お言葉だけど、ワルキューレにとって最大の任務は王の命に従い、行動することだよ。ボクらのやり方に口を出さないでくれる? 行こう、ランタナ。イフェイオンが行方知れずの今、頼れるのはランタナだけなんだよ」
「…………」
ランタナは答えなかった。彼女の中で様々な思いが渦巻き、葛藤しているに違いない。すると、リューグもランタナの手を取ってこう言った。
「ランタナ。アナタはワタシたちの中で最も優秀なワルキューレでしょ? 王にアナタの忠誠心を見せつけなくちゃ。そうすればもう一度配下に……」
「でも……。王はもういないよ。いないんだ……」
「えっ、どういうこと?」
未だ明かしていなかった真実がようやく表沙汰になる。不思議がる仲間のワルキューレたちに、今にも真実を語り出しそうなランタナがいる。しかし、ここでそれを語れば彼女たちとの関係悪化は避けられないだろう。今はこれ以上敵を作るべきではない。
「ランタナ。その話を今言う必要はないでしょう。君に与えられた選択肢は、地上へ行くか、クリーガーを止めるか。二つに一つです」
「あたしには決められないよ」
「いいえ。君が決めるんです。どちらを選んでも、私は責めたりしません。なぜなら、その責任はすべて君自身が持つことになるのですから」
更なる混乱と不安を与えているのは分かっている。しかし、彼女の成長を促すには、多少冷たいと思われてもすべての決定権を彼女に任せる必要がある。私だっていつまでも彼女の側にいる訳にはいかない。彼女が一人になった時、自ら考え、実行できるようにしておかなければいけないのだ。
私は待った。彼女が一つの決断を下すまで。他の三人のワルキューレも、ティフィーも、黙ってランタナの答えを待った。そして。
「あたし、もう一度だけ王の力になる。リューグたちと一緒に行くよ。それで罪を償えるかは分からないけど、そうすることであたし自身、前に進める気がするんだ」
「……それが、君の下した決断ですか」
「けど、女王陛下の考えも知りたい。陛下が何であたしを殺そうとしたのか。そして何を成そうとしてるのか……。さっきも言ったけど、あたしはこの頭で理解したいの」
「つまりそれは……」
「まずはクリーガーを食い止める。そんでもって、地上へ行って感情と意志を手に入れる! ……選択肢は二つに一つじゃない。あたしは両方やらなきゃいけないんだ!」
「ランタナ……」
二つとも選択するとは予想外だった。だが、それが最善なのかもしれない。
「分かりました。私は君について行きます」
「ありがと、ボルト」
「わたしも、ランタナ様と共に参ります。どこまでも」
ティフィーが言った。ランタナが力強くうなずく。そして彼女は仲間のワルキューレたちに視線を送る。
「みんなも、来てくれるよね?」
三人はそれぞれ顔を見合わせた。が、すぐにリューグ、シュトライヒ、トーアの順に口を開く。
「行くわ。もちろん。それが、ワタシたちの使命なんですもの!」
「うちも大賛成、デス! 戦えるなら何でもありなのデス!」
「うん。ボクは最初からそう言っていたしね」
「皆さん、意見がまとまったようですね」
強大な敵を相手に戦うのだ、仲間は一人でも多い方が心強い。戦力的にも精神的にも。
「うん。みんなで力を合わせればきっと何とかなる!」
ランタナもそのことに気づいたのか、仲間を鼓舞する発言をする。自然と深くうなずく。
「えぇ。その通りです。ランタナ。この中では今、君がリーダーです。しっかり皆をまとめてください」
「えっ? あたしが?」
「はい。頑張ってください。リーダーシップも、人として身に着けておくべき素養の一つですからね。期待していますよ」
「……うん。やってみるよ」
その表情は決意に満ちているように見えた。
光の国側、狭間の森の先までやってくると、眼下にクリーガーの群れが見え始めた。あの中にフランツもいるのだろうか。ふとそんなことを思う。せめて彼の自我だけでも呼び戻し、共に行動することが出来ればと思うが、これまでに見てきたクリーガーを思うと望みは限りなくゼロに等しい。苦々しい思いを胸に抱きながら、彼らの動きをじっと見つめた。
「これだけのクリーガー、どう相手にすりゃいいってのさ……?」
無数の戦士たちを見て、ランタナがやや困惑した様子で言った。
「すべてを相手にしている時間はありません。まずは、指揮を執っているであろう人物を捜し出すんです。そいつを止めない限り、この進行も止まらないでしょう」
「うん。一応確認しておくけど、敵を前にして攻撃を躊躇うことはないよね?」
私の胸の内などお見通しと言わんばかりにランタナが言った。信用されていないのも無理はないだろう。私は一度ため息を吐いたものの、自信を持って言う。
「君がクリーガーと戦う道を選んだ時、私も覚悟を決めました。私がどこまで役に立てるか分かりませんが、やるだけのことはやるつもりです」
「それならいい。足手まといにだけはならないでよ?」
「ぜひ、そう願いたいものです」
ランタナが頼もしく見えたと同時に、私が情けなく思えた。しかし彼女の言葉通り、足手まといにだけはなりたくない。
決意を新たにした時、弓を持つクリーガーたちが私たちに向けて一斉に矢を放ち始めた。
「ティフィー!」
ランタナが言うよりも早く、ティフィーは高く上昇し矢を躱す。
「くそっ、これじゃ近づけないな……」
ランタナが珍しく弱気な発言。私は彼女に助言する。
「列の先頭へ降りましょう。まずは彼らの前に立ちふさがり、進行を妨げるのです」
「……お前にしては大胆な作戦だな」
「一気に片をつけたいのでしょう? だったら、それしかありませんよ」
驚く彼女を煽るように言った。ランタナは安堵の表情を見せる。
「安心した。よし、行くよっ!」
威勢よく声を上げ、ランタナは一気にティフィーを降下させた。遙か下に剣を携えたクリーガーの姿が見える。
「あそこへ、ティフィー!」
「はいっ!」
「リューグ、トーア、シュトライヒ! しっかりついて来い!」
「言われなくても!」
「ったり前だし!」
「はいデス!」
ランタナの指示に、三人のワルキューレが力強く呼応した。にわかに緊張が増してくる。
――再び、戻ってきてしまったのですね……。
どうやら戦場は、私と切っても切り離すことの出来ないものらしい。死んでもなお、戦いに身を投じなければならない運命なのか。ならば、この魂、消え果てるその時まで戦い続けてみせる!
大群をなして進むクリーガーの先頭。私たちは矢の攻撃を恐れることなく突っ込んだ。ランタナたちは槍を、私は剣を手に、闇の軍勢と対峙する。
「この国をお前たちの好きにはさせない。進みたければあたしたちが相手になる!」
ランタナが声高らかに宣言した。クリーガーの進行は止まることなく迫ってくる。その時だった。
「全軍、止まれ! 止まるんだ!」
ひときわ通る声で一人の男が指示を出した。すると先頭から順次、戦士たちが足並み揃えてその場に留まったのである。私は目を疑った。
「……君が、リーダーなのですか。フランツ……!」
「これはこれは、誰かと思えば我が親友。ドクトル・ファーベル殿じゃないか」
「私が……分かるのですか……?」
群れの後方からすっと現れた人物。ディサローノ国製の鎧に身を包んだ男は、紛れもなくフランツ・リーヴァイその人だった。
――女王に記憶を奪われたはずの彼が私の名を呼ぶなんて……。彼の身に一体何が?
険しい表情で睨む私を、フランツは盛大に笑い飛ばした。
「こいつぁお笑いぐさだ。ここは軍医殿がのこのこやってきていい場所じゃねえぜ?」
「……分かっています。私は今、一人の戦士としてこの場所に立っているのです。クリーガーたちを……いや。君を止めるために」
「誰を止めるだって? 笑止千万。お前など、ここにいる同朋たちすらまともに倒せねぇだろうよ」
フランツはそう言うと、肩に担いでいた真新しい大剣を振りかざし、目の前の地面に向けて振り下ろした。激しい地響きと共に地割れが生じる。あんなものをまともに食らったらひとたまりもない。思わず一歩退く。フランツは尚も高笑いをする。
「わっはっは! どうだ、新しい剣の威力は? すげえだろう? この国唯一の武器職人、ミューラが作った一級品だぜ? まだ人を斬っちゃいねぇんだが、お前が俺を止めようってんなら最初の的になってもらおうか!」
「ミューラ……?! やはりあの男も一枚噛んでいるのですか?!」
「あぁ? やつは俺たちに剣を用意してくれただけだぜ? この軍の総司令は俺だ。女王様が特別な計らいをして下さってな。大将だろうが何だろうが、みんな俺の指示で動く。集中攻撃を仕掛けりゃ、光の国を壊滅させるなんざ造作もねぇ」
もし総司令官にフランツを任命したのが女王の意図によるものなら、ずいぶんと粋な真似をしてくれたものだ。記憶まで戻すなんて、私への当てつけとしか思えなかった。
「どうした? 戦う気が失せちまったか? 俺を止めるって言ったのは、はったりだったのかよ?」
剣を構えたままフランツは挑発めいた台詞を吐いた。私はフランツを凝視した。
「いいえ。はったりなどではありません。私はもう、逃げたりしない」
「そう来なくっちゃなぁ!」
フランツはさも面白そうににやりと笑うと、腰から下げていた一振りの剣を引き抜き、私に投げてよこした。
「……どういうつもりです?」
「その剣を使え。そんななまくらな剣じゃ、俺の持ってるこいつを受け止めることすら出来ないからな」
確かに彼の言う通りだ。レイピアでは、フランツの持っている大剣とやり合うにはあまりにも頼りない。私は腰の鞘と手にしていた剣をランタナに預けると、フランツがよこした剣を受け取った。
「一騎打ち、ですか?」
「真剣勝負は一対一と決まってる! こうして対峙したからにゃ誰にも邪魔はさせないぜ。他のクリーガーどもにもな」
「無茶だ、ボルト! 相手の口車に乗ったら、やられるのは目に見えてるっ!」
ランタナが必死の形相で叫んだ。だが、彼女の言葉を聞く訳にはいかなかった。
「すみません、ランタナ。この勝負だけは手を出さないでください。彼の、武人としての心意気を尊重したいのです」
「馬鹿っ! 相手はクリーガーだよっ?!」
「だとしても、です。彼は私の、唯一の友だった男。もし彼の目を覚まさせることが出来る人物がいるとすれば、私以外にはいません」
「それでこそ我が友! 相手にとって不足はねぇ! さぁ、構えろ! どこからでも掛かってこい!」
余裕の証か、フランツは進んで受け身の体勢を取った。私にハンデを与えたつもりなのか。しかし、私とて軍人の端くれ。相手に言われっぱなしという訳にはいかない。
「ならば望み通り、こちらから行きますっ!」
地を蹴り、フランツの懐に飛び込んでいく。だがそれを待っていたかのようにフランツは剣を構え、私の攻撃を軽々と受け止めた。
「見え見えの攻撃が通用するかよ! 今度はこっちから行くぜ!」
フランツはぐっと剣を押し返すと同時に腕を振り上げる。一瞬にして刀身が頭上に迫る。
「くっ……!」
すんでの所で何とか一打目を受け止める。が、あまりの重さに剣を振るうことも、退くことも出来ない。
「おいおい、本気を出してくれよ! お前の力はこんなものじゃないだろう?!」
すぐさま次の攻撃が襲う。私はそれを受けるだけで精一杯だ。攻撃に転じる隙がまるでない。そのうちに、私の軟弱な腕がフランツの繰り出す攻撃に耐えきれず、悲鳴を上げ始める。腕全体が激しく痺れ、剣を握る感覚が薄れていく。
「どうしたぁ! 反撃しないのかっ!」
煽られて気持ちだけが焦る。このまま受け身ばかりに徹していてはフランツの思うつぼだ。
私はフランツが剣を振るうわずかな時間差を計り、その隙に何とか身を躱して彼の脇に逃れて体勢を立て直した。
「そう。その動きを待っていたんだ。攻撃するばっかりじゃつまらないからな。少しはあがいてくれないと」
フランツはすぐに向き直り、獲物を睨み付けるように私を見下ろしている。
まともにやり合って勝てる相手じゃないことははじめから分かっていた。彼を倒すには、弱点を突くより方法はない。
フランツは全身を厚い鎧で固めている。そこを叩いても何の効果もない。鎧の守りがない場所、つまり動きを妨げないよう防具が装備されていない一点を突く。そうすれば屈強な男も崩すことが出来るはずだ。
ディサローノ国の鎧の弱点はすべて把握している。診療所に運ばれてきた負傷兵の多くが、その弱点を突かれて担ぎ込まれてきていたからだ。殊に大剣装備者は、肩や上腕の筋肉が極限まで鍛えられているため、鎧で覆うことをせず、マントや肩当てで補うことが多い。そこが狙われやすいのだ。もちろん攻撃を防ぐため、前腕部分には金属製の籠手を装備するが、脇などを突かれれば深傷を負うのは必至だ。
――何とか懐に潜り込めればあるいは……。
一定の距離を保ったまま、私たちはじっと睨み合い、互いに攻撃のタイミングを見計らっている。だがフランツにはまったく隙がない。さすがは連戦連勝の武将だ。
「いつまでこうしているつもりだ? 時間稼ぎのつもりなら、こっちから行かせてもらうぜ!」
フランツはにやりと笑った。次の瞬間、大剣が一気に振り上げられる。
――今だっ!
私はがら空きになった脇を目指し、剣を突き出して身体ごと突進していった。
「遅いっ!」
しかしフランツは私の剣を軽々と振り払い、大剣を返しながら私の身体をもなぎ払った。鈍痛が脇腹を襲う。
「うぐぅっ……」
もはや息をするのも精一杯。腕は痺れ、剣はフランツの足もとに落としてしまった。これ以上の抵抗は無理だ。冷や汗が首筋を、背中を伝う。フランツがじりじりと近づいてくる。
「何だよ。口ほどにもねぇな。やっぱり所詮、医者は医者。戦うことを本業とする俺たちにゃ勝てねぇってこったな。大人しく、その首を差し出してもらおうか」
「……い、いいんですか? 私の……首を取ったところで……。うっ……。何の、武勲も立てられませんが」
「けっ、こんな状態でも皮肉を言うか。お前らしい。だが、これまでだっ! 覚悟しろっ!」
殺気立ったフランツが再び剣を振り上げる。もう反撃のしようがない。
たとえ右手に剣を握っていたとしても、私の扱える剣ではリーチが短い。もっと長いもの、せめてフランツの持つ大剣と同じ長さのものがあれば……。
――そうだ……!
フランツの攻撃の瞬間、私は必死に身体を捩ってほんのわずかのところで打撃を躱すと、脇腹の痛みをこらえて後方へ跳躍する。
「ランタナッ! 槍をっ!」
「……うん!」
私の思惑を理解したのか、ランタナはすぐに槍を投げてよこした。
フランツはそんな私を鼻で笑った。
「はっ。武器を換えてまで戦おうってのか。往生際の悪いやつだ! だが、そう言うやつは嫌いじゃないぜ。さぁ、そろそろ片をつけようか!」
槍には突きと思ったのか、胸の前で剣を構え、そのまま突進してくる。私は槍をぐっと胸に引きつけて構えた。
見よう見まねでどこまで通用するか分からないが、やるしかない。
――ランタナ。君のクリーガーとの戦いぶり、無駄に眺めていただけではないことを証明してみせます……!
「終わりだっ!」
フランツは叫び、剣を突き出した。
「させません!」
槍は捨て身の精神が必要。私は彼女からそのことを学んだ。傷つくことを恐れてはいけない。
フランツの剣が眼前に迫る。
「今だ!」
私は槍を素早く胸から離し、剣を身体の右側に押し出すようにして攻撃を躱した。そしてその勢いのまま、フランツの懐に潜り込み槍を突き上げた。
「うぐぁ……!!」
フランツは槍の一撃をまともに喉元に食らった。フランツは苦痛の声を上げ、数歩退いた。
「あぁぁぁっ!!」
声にならない声を上げ、怒りの形相のまま大剣を振り上げる。だが、喉の傷がじわじわと体力を奪い、フランツを弱らせていく。そのうちに剣を持つ力すら失い、膝を突いた。
「くっ……!」
フランツが初めて苦渋の色をにじませた。私はこの期を逃すまいと身体の痛みと闘いながら彼のもとへ歩み寄った。そして槍を構える。
「この勝負、私がいただきます」
もう覚悟を決めたのだ。躊躇っている場合ではない。
私は無防備なフランツの首筋に目標を定め、全身の体重を乗せて一気に槍を突いた。
「ぐあぁぁっ……!」
死に際の叫び。唯一の救いは、これが彼にとって真の意味で死に値しないことだ。フランツの身体が地面に力なく倒れていく……。
「はぁ……。はぁ……」
息が切れ、心臓は早鐘を打つかのごとく鳴っている。震える手から槍が滑り落ちる。
周りにいるクリーガーは、フランツの仇を取る訳でもなく、ただその場に立ち尽くしていた。やはりこの軍を指揮していたのはフランツだったのか。一応の決着はついたのだ……。そう思った途端、急に力が抜けた。その場に腰を下ろす。
「ボルト!」
直後、ランタナが駆け寄ってきた。
「まさかお前が槍術で挑むなんて。ずいぶんと無茶なことしたね」
「シュロス・シェーンゼーエンでクリーガーと対戦した時、君の戦い方を見ていましたからね。とっさの思いつきでしたが、何とかなりました」
「でも、あんなのが槍術だとは思わないこと! 今回勝てたのはまぐれなんだからね!」
「えぇ。分かっていますよ」
フランツを倒せたのは、彼が無鉄砲に突っ込んできてくれたからだ。私は彼の力を利用して押し倒し、隙を突いただけ。本当に運がよかったとしか言いようがなかった。
「何はともあれ、一安心だな。クリーガーの進軍が止まってる」
ランタナはその視線をフランツに向けて言った。私も再び彼に視線を落とす。
「しかし、一時的に敵の進行を食い止めたに過ぎません。彼が立ち上がれば、同じことが繰り返されます」
「うーん。何かいい手はないかな……」
ランタナは腕を組み、熟考しているようだ。だが、今はクリーガー対策を練っている暇はない。私は別の案を提示する。
「フランツは急所を突かれ、復活するにはかなりの時間を要すると考えます。ですから私たちはその間に地上へ行き、出来ることをやる。時間を有効に使いましょう」
「うん。そうだね。それがいいと思う」
ランタナはすぐに同意してくれた。彼女自身、自らの成長を望んでいるのだ。いつまでもクリーガーとの戦いに時間を割いてはいられないことを理解しているのだろう。
「ボルト殿。一つ提案があるのだけれど」
話がまとまったところで、リューグが口を開いた。
「ワタシたちはここに残った方がいいと思うの。このリーダーの男を捕らえて監視しておけば、目覚めても多少はクリーガーの進行を遅らせることが出来るでしょ? 大丈夫。このリューグお姉様に任せなさい! 必ず任務を全うしてみせるわ!」
「リューグ!」
驚くランタナに、シュトライヒとトーアも同意する。
「ランタナ先輩。心置きなく出かけてくださいデス!」
「そうだね。ボクたちにはやっぱり王の意志を守る義務があるし。って言っても、王はもういないって、ランタナから教えてもらったけどね」
「……話したのですか? 王が不在になった経緯を」
「うん。やっぱり知っておいてもらうのがいいと思って。でも、みんなはちゃんと受け入れてくれたよ。その上で、それぞれの意志を持って行動するのがいいって分かってくれたんだと思う」
「ランタナ……」
彼女は既に自ら考え、行動し始めている。私が彼女の感情や意志獲得のために手伝えることは本当に少ないのかもしれない。
「立てるか?」
ずっと腰を下ろしたままの私に、ランタナが手を差しのべてくれた。
「立てますよ」
彼女の手を借りずに立ち上がろうと足に力を込める。が、力が入らない。手も相変わらず痺れたままだ。その様子を見て、ティフィーがケラケラ笑っている。恥ずかしさのあまり顔が火照るのを感じる。
「わ、私としたことが……」
ランタナが肩をすくめて言う。
「だから手を貸してやろうってのに。本当に大丈夫か? お前、酷い顔してるよ。今までに見たことのない顔色だ」
言われて思わず顔を伏せる。考えてみれば、親友の首を槍でひと突きにしたのだ。クリーガーだから殺したことにはならないが正気でいられるはずがない。それに輪を掛けるようにティフィーが私の行動を笑った。もう、どんな顔色なのか、想像することも出来ない。
「……情けないですね」
そうこぼしつつ、手を借りて立ち上がる。何とか両足を踏ん張って立つ。ティフィーはまだ笑っている。
「そんなにおかしいですか?」
「だってボルト様、手足がカクカクして……。ぷぷぷぷ……!」
「……やれやれ、あなたはつくづく変わっていますね」
「気にすることはないよ。ティフィーはこれが普通なんだから」
ランタナの言葉があまりフォローになっていなかった。