再び、闇の国へ
空一面に広がる暗雲。いや、それはむしろ闇といった方がいいかもしれない。あれほどまでに輝いていた太陽は姿を消し、一筋の光も差していない。王が死んだことでこの国のバランスが崩れてしまったのだろうか。
少し先では、光の国のクリーガーたちが縦横無尽に暴れ回っている。これまで王の命令で国を守ってきたはずの彼らが、自らの手でその場所を無秩序に破壊している。その様はあまりにも滑稽だった。
「あの人たちは……何をしているんでしょうか……?」
そんな折、一般市民と思われる天界人たちの姿が見えた。いつクリーガーが襲って来るともしれないのに、逃げたり隠れたりする様子はまったくない。
「ボードゲームでもしてるんだろ。あっちの連中はティータイムの最中だな」
「まさか……!」
私は目を、そしてランタナの言葉を疑った。彼らは本当に王の命令がなければ何も出来ない人形なのか。今すぐにでも彼らのもとに降り立ってこの国に起きている異変を、危機を知らせてやりたかった。だが、こういう時のランタナは冷静だ。
「お前が行ったってクリーガーを止められる訳じゃないだろ。馬鹿なこと言わないのっ!」
「……私だって戦える。これでも軍人の端くれ……」
「戦力にはなるよ。けどお前の実力じゃ、数人のクリーガーを倒すのがやっとだ。先の戦闘だって、大半はあたしが倒したんだからね! お前はそれを見てただけ。もう忘れたの?」
「うっ……」
「ゲームに耽ってるやつらのことは忘れろ。気にするだけ無駄!」
ランタナはばっさりと切り捨てた。他人のことは気に掛けない。そう言う環境で育った彼女だからこそそう言えるのだ。だが、その言葉には説得力もあった。私では大勢のクリーガー相手に戦うことは出来ない。悔しいけれどそれが事実だ。
「せめて、避難勧告だけでも……」
そう言いかけた時、目の前を白い翼を有したものが横切った。ティフィーが足を止める。
「お前はあの時の……!」
「覆面のワルキューレ……!」
ランタナと同時に声を発する。あれからずっと追って来ていたのか。彼女は私たちの行く手を遮るかのように立ちふさがった。
「一人で戦いに来たのか? 前回傷を負わされた借り、きっちり返させてもらうよ!」
ランタナが槍を構えて威嚇する。しかし彼女は動じることなく近づいてくる。
「武器をしまって。無益な争いは好まないわ」
「そんな言葉、信用できる訳ないだろっ!」
憤慨するランタナに対し、女は覆面で隠れていない口元に不気味な笑みを浮かべている。
「そう言えば、まだ名乗っていなかったわね。わたくしの名はイフェイオン。大人しく言うことを聞けば、何もしないわ」
「ふざけんなっ! 戦いを挑みに来たんなら相手になってやる! さぁ、武器を取れ!」
「ランタナ! 少しは落ち着いたらどうです!」
とはいえ、無条件に彼女の言葉を聞き入れる道理もない。私も更に警戒心を強める。
「まずは用件を伺いましょうか。敵かどうかを判断するのはそれからです」
じっと睨み合う。と、彼女の口元から笑みが消えた。
「闇の国へ戻ってはいけないわ。行けばあなたたち、今度こそその身を切り刻まれるわよ」
「えっ……」
突然のことに声を失う。確かに、任務を遂行したランタナはともかく、国を追われた私は戻れば次こそ消されるかもしれない。だが、なぜ光の国のワルキューレである彼女がそんな警告を……? それに、なぜ私たちの行く先を知っているのだ?
イフェイオンと名乗った女は尚も続ける。
「ヴォルクト。あなたなら知っているはずよ。女王の脅威を。あえて危険な場所に戻る必要なんてないでしょう? お願い、考え直して」
「なぜ、私の名前を……」
全身が粟立つ。私は身の危険を感じた。
「君は一体、何者なのです……?」
女王が差し向けた刺客かもしれない。平然と私を、ランタナを騙した女王だ。部下をよこし、巧みな話術で地獄へ誘導しようとしていても何らおかしくはない。
「そんな目で見ないで。わたくしは、決してあなたたちの敵ではないわ」
イフェイオンは困惑するかのように少しだけ俯いた。が、すぐに意を決したように言う。
「わたくしはアルゲランダー王の勅命を受けた者。王は国の行く末をわたくしに託されたわ」
「……どういうことです? 王はランタナにその役を託したはず……」
「えぇ。正確には、わたくしたち二人に、ね。フェーエンラントは今、最大の危機を迎えているわ。こうしている間にも、女王は強大な力で光の国を支配しようとしている。闇に覆われた空もそのうちの一つ」
「女王陛下がそんなことをするはずない……!」
ランタナが語気を荒げて会話に割って入る。だが、イフェイオンは怯まない。
「王がいなくなれば女王の力を抑える者がいなくなる。だから女王はあなたを利用して王の命を奪ったのよ! 王が亡き今、女王の悪行を止められるのはわたくしたちだけ」
「だけど……!」
「この国を救うには、あなたたちの協力が不可欠なの! お願い、分かって!」
イフェイオンが私とランタナの顔を交互に見つめた。あまりにも真剣な物言いに戸惑いを隠せない。けれど私は彼女から目を逸らさなかった。じっと睨み返し、言葉を選びながら慎重に発言する。
「ならばなぜ、闇の国へ向かうことを止めるのです? 手を組もうと言うのなら、共に行こうというのが当然の流れではありませんか?」
「それは……」
「あなたが王の勅命を受けたという確かな証拠がない限り、その言葉を信じることは出来ません。私たちはあなたのことを何一つとして知らないのですから」
イフェイオンは顔を伏せ、少しの間口をつぐんだ。次なる一手をどう打ってくるか。じっと見守る。やがて彼女は躊躇いがちに口を開く。
「今はまだ、すべてを話すことは出来ないわ……。でも、闇の国へは行かないで! ランタナが覚醒していない状態で女王と対峙しても勝ち目なんてない! ここであなたに……あなたたちに消えてもらっては困るのよ!」
天界人であるはずなのに、彼女はなぜこんなにも情熱的なのだろう。その物言いは、明らかにランタナやティフィーとは違う。人間の女性と向き合っているような気にさえなる。口では言い表せない不思議な感覚。今度は私が閉口する番だった。だが。
「何だかよく分かんないけど、あたしたちは戻る、闇の国へ! もう決めたんだっ! お前の指図なんか受けないっ!」
私には有効だったそれも、ランタナには通用しなかったようだ。彼女はすぐにでも戦えるよう身体を前に倒し、槍の先をイフェイオンに向けている。
「ランタナ……。あなた……!」
直後、イフェイオンの様子が変わった。その態度は思い詰めているようにも、深く考え込んでいるようにも見えた。しばしの沈黙。そして。
「それがあなたの意志なら、止めるべきではないのかもしれない……」
今の今まで、先へ進むことを必死に止めようとしていた人物の台詞とは思えなかった。ランタナの発言が一体どんな心境の変化をもたらしたと言うのだろうか。彼女は一切の詳細を語らないまま、私たちに背を向けて遠ざかっていく。
「必ず、消えずに戻って」
それが最後の言葉だった。イフェイオンは現れた時同様、あっという間に姿を消した。
「おい待てっ! もうっ! 何なんだ、あいつ……!! 一体何がしたかったんだ?」
ランタナがぼやいた。混乱した様子で頭を掻きむしっている。
「落ち着いてください。……と言いたいところですが、さすがの私も同意見です」
唯一言えるのは、イフェイオンが女王の恐ろしさを知っていると言うこと。敵にしろ、味方にしろ、その発言だけは信じるに値する。
「ボルト様、ランタナ様」
その時、長いこと黙していたティフィーが口を開いた。その視線は遠くの空を見つめている。
「見てください、あれを」
言われてじっと目を凝らす。と、雲の間から黒い何かが大挙して向かってくるのが見えた。
「あれは?」
「魂です。方角から推測するに、死者の国から抜け出して来たのではないかと」
「まずいな。あれは戦場で果てた死者の魂、凶暴な連中だ。鉢合わせると厄介だな」
ランタナの発言に恐怖を覚える。けれども一方である疑問を抱く。
「妙ですね。王の話によれば、死者の国を管理しているのは女王のはずですが」
闇の国でも何かが起きている。そう結論づけるのに時間は掛からなかった。イフェイオンの警告が脳裏をよぎる。しかし、私の魂を浄化できるのは女王しかいない。一体どうすれば……。
「帰るよ、闇の国へ」
私が苦悶する中、そう言い出したのはランタナだった。その言い方は実に力強かった。
「……イフェイオンの言葉は信じないと言うことですね?」
「あたしは戻らなくちゃいけないの! お前だって、イフェイオンに会う前はそう言ってたじゃないか」
「それはそうですが……」
「気が変わったって言うなら、お前をここで置いていく。途中で凶暴な魂と一戦交える可能性だってあるんだ。戦意のないやつは足手まといなだけだ」
「…………」
戦闘能力が劣るだけでなく、差し迫る恐怖に立ち向かう勇気すらないと言い切られたも同然だった。そのことは、単に見捨てられることよりも辛く、私の生き方や存在そのものを否定されたような心地だった。
かつての私はもっと生き生きとし、どんな立場の人間にも物怖じせずに意見をぶつけることが出来た。だが今の私は、傷つくことをあまりにも恐れすぎている。一体、何に脅えているのだ? いや、この期に及んで何を臆しているのだ? もう一度死んでいるじゃないか。どのみち私という存在は消滅する。それを望んだのは私自身だ。ならばこのまま女王のもとへ馳せ参じ、真っ向勝負を挑んだっていいではないか?
一度、肩の力を抜く。目を閉じて、深呼吸。恐れを排し、己を強く保つ。
――私は何にも屈しない! 必ず地上に転生してみせる!
ゆっくりと見開く。目に映った闇が再び私に恐怖を与えることはなかった。
「戦います。私も一緒に」
決意を込めてそう言った。
「ホントに? 嘘じゃない?」
ランタナが訝しがる。私は剣を抜き、戦意があることを示す。
「私も一介の男です。こんな時に勝負し(やら)ないでいつやると言うんです? 戻りましょう、女王のもとへ」
「もうっ! はじめっからそう言ってるだろ!」
何を分かりきったことを、と言わんばかりの口ぶり。しかし、今回ばかりは甘んじて受け止めるしかない。
「進路が決まったみたいですね。では、参りましょうか。善は急げ、です!」
ティフィーが遅れを取り戻そうとばかりに走り始めた。集団をなす死者の魂がすぐそこにまで迫っていた。とてもじゃないが、避けきれる数ではない。ランタナが槍を構えて言う。
「お前の言葉が嘘じゃないか、確かめさせてもらうよ! ティフィー、このまま直進だ!」
「はい!」
ティフィーは返事をするなり、躊躇うことなく魂の塊へ飛び込んでいく。
「来るよ……。剣を構えろ」
「分かっています……」
ランタナの言葉に従い、じっと敵を睨む。と、彼女が耳に顔を寄せる。
「……すべてを倒そうと思うな。道が開ければそれでいい。ただし、お前が戦闘で傷ついてもすぐに消えないように、死者の魂も簡単にはくたばらない。お前のか弱い攻撃なら尚更だ」
「……それを聞いて、少しだけ安心しましたよ」
彼女はありのままの事実を言ったのだろう。だが、その言葉で肩の力が抜けたのは確かだ。
「ぶつかります!」
ティフィーの声が聞こえた直後、激しい痛みに襲われた。多くの魂が私に食らいついてきたのだ。
――女王のもとへ行くまでは、何としても持ち堪えなければ……。くたばってなるものか……!
私は一心不乱に剣を振るい続けた。
シュロス・ラーベまで戻ってきた時にはすっかり疲れ果てていた。訓練と違い、実戦で消耗する体力は想像を遙かに超えていた。だが、同じ道をくぐり抜けてきたはずの女性陣はまったく疲れている様子を見せない。私一人、休む訳にはいかなかった。
「いいですか、ランタナ。ここからが正念場です」
私は自分にも言い聞かせるように言った。
大扉をくぐり、長い廊下を経て女王の間まで辿り着くと、以前と変わらぬ様子で女王が椅子に腰掛けていた。
「戻ったか。ランタナ・ジェニーよ。……ふん。ヴォルクト・ファーベルも一緒か」
ランタナと私とでは明らかにその表情が違っていた。私の名を呼ぶ時、露骨に嫌そうな表情を見せたのだ。私は疎まれていることを悟った。同時にイフェイオンの警告を思い出した。目を合わせぬよう、注意深く女王の様子を窺う。
ランタナが女王の前に跪き、報告をする。
「陛下。仰せの通り、アルゲランダー王を討ち取って参りました」
「聞かずとも分かっておる。やつの最期をこの身でしかと感じたぞ。ご苦労であった」
そのことに関しては機嫌がいいらしく、玉座から立ち上がってランタナの側へやってくるなり、その頭に扇子をそっとかざした。
「褒美として、そちの願いを一つ叶えてやろう。何でも申してみるがよい」
「では……」
ランタナは少し考える仕草を見せた後でこう続ける。
「一つだけ教えてください。なぜ、死者の魂を解放したんですか? ここへ戻る途中、数多くの魂に襲われました。ボルトの協力がなかったら、おそらくここへ戻ることは出来なかったでしょう」
「ワルキューレであるそちが、魂に食われて死ぬことなどあるはずがなかろう? 妾の偉大なる力をフェーエンラント中に知らしめるため、魂の解放は不可欠だったのじゃ。それ以上でもそれ以下でもない」
「……フェーエンラントを支配する、と?」
ランタナが躊躇いがちに聞いた。女王の表情が曇る。
「そちの願いは既に叶えてやったはずじゃ。それ以上の問いには答えられぬ。そちは黙って妾の言う通りに動けばよい」
「あたしはただ、本当のことが知りたいだけなんです! 陛下のお考えを理解した上で、ちゃんとお仕えしたいんです!」
「妾の考えなど、そちには到底、理解できぬ。そのような愚考を巡らせるだけ無駄じゃ!」
「ですが……!」
「それ以上口を開けば、そちとて容赦はせぬぞ……!」
「うっ……」
眼前に羽扇子を突きつけられたランタナはじりじりと退いた。しかし、女王は尚も彼女から目を離そうとはしない。ランタナが危ない……! そう直感したと同時に、私は声を発していた。
「ランタナはあなたの道具じゃない! ちゃんと意志を持っている! 君主なら、部下の意見に耳を傾けるべきです!」
「ヴォルクト・ファーベル……!」
女王の視線が瞬時に私に向けられる。
「目障りな男じゃ……! 人間風情が妾に指図をするなど、千年早いわ!」
刹那、女王が持っていた羽扇子を投げつけてきた。とっさのことで避けきれず、扇子が頬をかすめて落ちた。だが痛みは感じなかったし、流れる血を拭う気も起きなかった。それが余計に女王の気を逆なでする。
女王は目をカッと見開き、一瞬のうちに私の目の前までやってくると、力強く頭を鷲づかみにした。
「妾の手に掛かって無と化した魂をその目で見たにも関わらず暴挙を働くとは、何と恐れ知らずなやつじゃ。そちには、死に匹敵する恐怖を味わいながら消えてもらうことにしよう」
「お断りです……! 私は転生したいんだ! こんなところで消える訳には……!」
必死に声を絞り出す。そんな私を女王は鼻で笑った。
「ふん。転生など叶えるに値せぬ。後悔しながら、苦しみもだえるがいい!」
「くうっ……!」
かすみ始めた目にランタナの姿が映った。彼女は槍を片手に、不自然な表情でこちらを見ているだけだ。……やはり、私はこれまでなのか。
頭が更に締め付けられる。意識が朦朧としてきた。もはや恐怖を感じる余裕もない……。
その時だった。突然、頭に加わっていた力が抜け、私は女王の手から解放された。おぼろげな意識の中で目を凝らす。
「ランタナ……! そちは……妾を裏切ると申すか!」
見ればランタナの槍が女王の足もとに落ちている。ランタナがやったのか……?
彼女は静かに、しかし力強く言う。
「……陛下を裏切るつもりはありません。でも! ボルトを傷つけることだけはしないでください……!」
「なぜじゃ! なぜこんな男をかばう!?」
「……仲間を助けるのに理由はいらない。……その男の言葉です」
ランタナの言葉に女王は眉を顰めた。いや、女王以上に私が驚いている。彼女が彼女なりに私の言葉を解釈し、実行しようなど、どうして想像が出来ようか?
「ランタナよ。そちは妾が思った以上に成長を遂げたようじゃ。この男の言葉に感化されおって……! どうやらそちも死に急ぎたいようじゃな」
女王がゆっくりとランタナに歩み寄る。
「ミューラ! その男を始末するのじゃ。煮るなり焼くなり好きにするがよい。ランタナは妾が」
「はっ……。ありがたき幸せ……!」
どこからともなくミューラが現れ、私のもとへじりじりとやって来るのが見えた。それを見て女王もランタナとの距離を詰める。
「くっ……!」
ランタナは身構えたが、武器は床に転がったままだ。このままでは戦えない。私はまだ痛みの残る頭を押さえながら何とか立ち上がった。
「ランタナッ!」
槍を掴み、床を滑らせる。槍はまっすぐにランタナのもとへ向かい、その手中に収まった。が、直後に激しい痛みが襲う。ミューラの蹴りが腹部を襲った。いや、やつの従える死者の魂が攻撃をしてきたのだ。
「さっさとくたばりな。陛下は、てめぇの顔なんか二度と見たくないってよ」
吹き飛ばされた私は、玉座の前の階段に打ち付けられる。ミューラが、そして魂がゆっくりと近づいてくる。だが、逃げようにも激痛が走り、身体を動かすことが出来ない。
「ボルトッ!」
「人の心配をしている暇などないわっ! 愚か者め!」
私に駆け寄ろうとしたランタナの前に女王が立ちふさがる。
「……陛下、どいてください!」
ランタナが槍を突き出し、女王を攻撃する。しかし同じような手で二度もやられる女王ではない。
「妾に勝てると思うのか!」
女王が手を広げると、ランタナの槍はぴたりと止まり、動かなくなった。
「くっ……。どうなって……」
「忘れたか? その槍は妾が作ったものだぞ? いかなる攻撃も通用せぬ」
女王は手を払った。同時に、ランタナが槍ごと飛ばされる。
「うわぁっ……!」
ランタナは私のすぐ側に転がってきた。
「ランタナ……」
「くそっ。全然歯が立たないよ」
何とか立ち上がり、応戦しようとするランタナだが、再び向かっても軽くあしらわれるのは目に見えている。今まともにやり合って勝てる相手ではない。
私はとっさにランタナの手を取った。
「ボルト?」
「逃げましょう、ランタナ。それしか生き延びる道はない」
「逃げるってお前……」
痛みをこらえ、走り出そうと膝を立てる。ミューラが大声で笑う。
「逃げるだって? てめぇはここで消すと言っただろうが!」
そう言うと、ミューラに操られた魂が、私とランタナの手に噛みついてきた。身体の芯まで痛みが伝わってくる。
「っ……!!」
「うっ……!!」
同時に苦痛の声を上げる。
「よくやったぞ、ミューラ。そのまま押さえておけ」
女王が険しい声で言い放った。
「ここまで愚弄されたのは久々じゃ。まとめて粉微塵にしてくれるっ!!」
女王は両手を広げた。殺気立った目に更なる怒りが満ちる。
「くぅっ……! そう簡単にやられてたまるかっ!」
ただ恐怖におののく私に対し、ランタナは脱出を諦めなかった。彼女は右手に握っていた槍でミューラを攻撃し始めたのだ。だが、ミューラはふわっと飛び上がり、攻撃を躱した。
「クヒヒヒ。オレ様を狙っても無駄さ。やるなら魂の方にするんだな。もっとも、攻撃できるならの話だけど」
「舐めんなっ!」
ランタナが勢いに任せて思い切り魂に攻撃をした。だが、まったく効いているようには見えない。ミューラが、それ見たことかとほくそ笑む。
「残念だったな。オレ様が操る魂は、その槍の攻撃が効かないように出来てるんだよ。クヒヒヒ!」
「ちっ……」
ランタナは苦々しく舌打ちをした。
これ以上私たちに残された手はない。女王の両手には巨大な黒い玉が生み出され、それが今にも放たれようとしている。
「跡形もなく消えるがいい! ハハハハハッ!」
このままでは二人ともやられる……! 女王の攻撃を逃れる手段は本当に残されていないのだろうか。その時、ある考えが浮かぶ。
「槍が駄目でも、この剣ならっ……!」
私は痛みをこらえつつ、空いている手で腰のレイピアを引き抜き、魂を幾度となく突き刺した。魂がわずかに怯み、攻撃が緩む。その隙に手を引き抜く。
「こいつ……!」
ミューラの驚く声が耳に届くより早く、私は走り出していた。女王に向かって。
「ボルト……!?」
「ここは私が何とかします」
私は既に死んでいる。それに、もはや転生も望めないのだ。この魂、無駄に滅ぶくらいなら、ランタナを生かすために使った方が遙かに有益だ。
「馬鹿め! 魂が消滅すれば転生は出来ぬぞ! 血迷うたか、ヴォルクト・ファーベル!」
女王は私を嘲笑った。
「いいえ。私はランタナに誓ったのです。人として、男として最後まであなたに立ち向かう、と。その言葉を今、実行しているだけです!」
「ふん。力なき魂に今更何が出来るというのじゃ?! 妾の恐ろしさを痛感しながら滅ぶがよい!」
黒い球体が女王の手を離れた。にわかに恐怖が襲いかかる。だが、後には引けない。私は必死に身を挺した。
「ランタナ! 生き延びるのですよ!」
「何言ってんだ、ボルト! 格好つけるな!」
「そ、そうだ! てめぇが何をしようと、この女諸共吹き飛ぶだけだ」
「たとえそうだとしても、私はここを退かないっ!」
滅びを覚悟した私には何を言っても無意味だ。黒い玉が目の前に迫っている。
「さようなら、ランタナ……!」
様々な思い出が、ランタナと過ごしたわずかな時間の出来事が走馬燈のように駆け巡る。これが魂の消滅か。私は力一杯目を閉じた。
「ボルトォォォォ!!」
ランタナの声が耳に届いた。直後、真っ暗だった眼前が明るんだ。うっすらと目を開けると、一面が眩い光で満ちていた。
「おのれっ!! 何じゃ、この光は……!!」
強力な光のせいか、闇の球体は消滅していた。私は九死に一生を得たのだ。
ランタナは無事だろうか。彼女の身を案じるも、あまりの眩しさに状況を確認することが出来ない。その時、聞き覚えのある声がした。
「早く! ここから逃げてっ! 今よ、ティフィー。彼らを!」
「はいっ!」
ティフィー? 助けに来てくれたのか? 状況がまるで把握できない。困惑と不安を抱えていると、誰かが私の肩に触れた。
「大丈夫?! 今、助けるから……!!」
「ラン……タナ?」
よかった、無事だったのか。そう思った途端、全身の力が抜けた。私の記憶はそこでぷっつりと途切れてしまった。