光の国へ
城を出ると白い翼を有した天馬が待っていた。実はこの天馬、あのティフィーなのだと言う。言われてみれば、たてがみも瞳も翠玉色をしている。
「待たせたね。さぁ、行こうか!」
ランタナは言って、軽々ティフィーの背にまたがった。
「……何じっと見てるんだよ、ボルト。お前も乗るの! 馬くらい乗れるだろ?」
「もちろん乗れますが……。君の後ろに……ですか?」
「もうっ! 何当たり前のことを言ってんのさっ?! 人間ごときのために、陛下が天馬をお貸しになる訳ないだろっ!」
見下した言い方にただただ呆れる。
「当然のように言いますけどね、私は君たちの国の決まりを何一つ知らないんです。もう少し丁寧に教えていただけると、大変ありがたいんですが」
彼女たちにとって人間は、ただの魂か、クリーガーという名の兵器でしかないのだろう。だが、彼女たちにも仲間を敬う心くらいはあるはず。それを少し向けてくれるだけでいい。そう願った。
「分かったよ」
すると、願いが通じたのか、ランタナが一度ティフィーから降りた。
「お前が前だ。ただし、指揮はあたしが執る。これでいいだろ?」
「……えっ?」
顔が固まった。乗る位置の問題ではない……! そう抗議したかった。だが、ランタナのすっとぼけた顔を見ていたらそんな気はすぐに失せてしまった。言うだけ無駄だ、と。
長らく躊躇していたが、それでは埒があかないと諦めティフィーの背に乗る。太い首輪のようなものには取っ手らしきものがついている。ここを掴んでいていいのだろうか。
「あの……。重くありませんか?」
仮にも女性であるティフィーに気を遣う。
「気にするなって! 魂の一つや二つ、天馬なら何の問題もなく運べるから!」
ランタナが私の後ろに飛び乗りながら言った。
「大丈夫です。魂のボルト様よりランタナ様の方が重いですから」
「ムカッ! ティフィー! それ以上余計なことを言ったら、お尻百叩きの刑だぞっ!」
「って、もう叩いてるじゃないですかっ! お止めください、もうそのようなことは申しませんからっ!」
「…………」
いろいろと苦言を呈したかったが、これ以上この場の空気を悪くしても仕方がないので何も言わないことにする。黙っていると、ランタナが身体を寄せてきた。豊満な胸が背中に……。そして。
「うえっ……!? ……ちょっと、君! いきなり何をするんです?!」
彼女が無遠慮に私の腹に腕を回した。あまりにも大胆な行動に思わず声がうわずる。
「なんて声を出すんだ、お前は。あたしは後ろなんだから、お前に掴まるしかないだろ? 慣れてるあたしでさえ、掴まってないと飛ばされちゃうんだから! 特にティフィーは俊足だし。……聞いてる?!」
「う……」
私は石のごとく固まっていた。
軍医という職業柄、女性と接する機会はほとんどなかった。そのせいで、普通に会話をする程度ならまだいいが、握手以外で身体に触れるような場面、ましてや女性から触れられたら、赤面どころか頭に上った血が沸騰してしまう。
「お前は本当に馬に乗った経験ある訳? ほら、そんなに力を入れない!」
「あ、あぁ、そうですね。……いや、やはり天馬は私の知っている馬とは違いますね。乗り慣れるまで、少し時間が掛かりそうです。でも、それ以外は問題ないですよ。さぁ、いつでも出発してください」
かなり苦しい言い訳だったが――その上声もうわずっていたが――、幸いにもランタナは私の心情に気づかなかったらしい。胸をなで下ろし、鈍感なランタナに感謝する。
「それなら行こう! ティフィー、光の国まで一っ走り頼む!」
ランタナがそう言うと、ティフィーは元気よく返事をし、走り出した。
たん、とティフィーが地を蹴ると、身体が宙に浮いたかのような錯覚に陥った。降下する……と思ったが、それはつかの間のことで、ティフィーは既に空を駆けていた。馬に乗っている時とはまったく異なる感覚。強風に向かっていると感じるほどの速度。そして何より地を蹴る振動がないのが大きな特徴と言える。
早朝のはずなのに、城の外には朝日が見当たらない。闇の国と言うだけのことはあって、空に輝くのは白い月だ。この国での太陽は月なのだろうか。眼下に広がるのは荒涼とした土地。街も人影もない。少し先に目をやると鬱蒼とした森――狭間の森と言うらしい――が広がっているが、他に建物らしきものは見えなかった。この国の住人は一体どこにいるのだろうかと想像を巡らせる。
それにしても落ち着かない。ランタナが触れている腹と背中の力が抜けず、さっきから震えている。どことなく呼吸も不自然になっている。
「……アルゲランダー王のいる城まではどのくらい掛かるのですか?」
とっさにそう尋ねる。
「ティフィーの俊足なら一日もあれば辿り着けるはずだけど、それがどうした? まさか、もう休憩したいのか? だらしないやつだっ!」
「いえ、そうではないのですが。一日、ですか……」
ランタナの回答にショックを受ける。その口ぶりから察するにそれでも早い方なのだろうが、丸一日こんな緊張を味わっていては身が持たない。
私は仕方なく、少しでも気を紛らわせるため話をすることにした。
「これから行く光の国とは、一体どんなところなのです?」
「この国のことには興味がなかったのでは?」
ティフィーが早々にちゃかす。
「事情が変わりました。一日中黙っているくらいなら、たとえ興味がなくても話を聞いていた方がましです。そうでしょう?」
「そうですとも。では早速ランタナ様からお話しいただきましょうか?」
「えっ? 何であたしが?」
「だって、ランタナ様はもともと、光の国の住人だったんですもの。はい、ボルト様のご質問に答えてあげてください」
ティフィーが促すと、ランタナは少しの間を置いた後話し始める。
「光の国はとても綺麗な国だよ? 平和でのんびりしててさ。自由気ままに散歩したりお茶を飲みながらおしゃべりしたり。あたしたちワルキューレに限って言えば、集めてきた戦士たちと模擬試合をすることもあるけど、それだけだよ」
「……他には? 本当にそれだけですか?」
「そうだって言ってんだろっ、もうっ!」
彼女は自国のエピソードを不機嫌そうに語り、最後にはやはり怒りを露わにした。触れてはいけない傷にでも触れてしまったのだろうか。だが、もしそうだとすれば語ること自体を拒んでもよかったはず。少しだけ違和感を覚えつつも会話を続ける。
「では、私から質問します。王がどんな方なのか教えてください。これからお会いするのですから、人となりは聞いておかないと」
「王……?」
その声は嫌悪に満ちていた。彼女は憤怒の色を隠そうともせずに言う。
「あぁっ! 今思い出しても胸の辺りがムカムカする! 城に戻るなり突然追い出されて……」
「そう言えば女王も言っていましたね。王が君を首にしたと。一体どのような経緯で?」
「知らないよ! ある時、戦死者の魂を持ち帰ったらいきなり国外追放だよ! お前は与えられた任務だけをこなしていれば良かったんだ、って言われてさ。女王陛下が見つけてくんなかったら、あたしは今ごろ死んでたよ。もうっ、酷い話だろっ?!」
「任務、ですか」
繰り返される任務や命令と言った言葉。ワルキューレという種族は、王や女王に絶対服従を誓うものなのだろうか。
私たちの世界でも、王の決めたことには基本的には従うことになっている。が、王だって過ちを犯すことはある。世界史をひも解いてみても、王の決定に異を唱え、革命が勃発した例はいくつも存在する。
「時に、あなた方はあの女王に相当の忠誠心を持っているようですが、ぜひ理由を聞かせてもらえませんか?」
私は胸に抱いた疑問を解消すべく問いを投げかけた。しかしランタナから返ってきたのは予想もしないことだった。
「そりゃ、女王の命に従うのが当たり前だからだよ。ねぇ、ティフィー?」
「そうですねぇ。理由と言われましても、かえって困ってしまいます」
「……理由がない? それはないでしょう? 女王が恐ろしいからとか、その強さを尊敬しているとか、恩義を感じているからとか、いろいろあるでしょう?」
「ないったらないの!」
天界人たちは君主を尊敬すらしていないとでも言うのだろうか? そんなことがあり得るのだろうか。
「では、女王が地上を破壊しろと命じたら、あなた方はそうするのですか?」
その問いは飛躍しすぎていたかもしれない。だが私は躊躇うことなく聞いた。
「そりゃあ、女王の命令なら何でもするよ!」
ランタナは間を置かずに答えた。しかも自信たっぷりに。私は強く抗議する。
「本気で言っているのですか? 女王の言うことが必ずしも正しいとは限らないでしょう? 疑問を抱くことはないのですか?」
「女王陛下を侮辱するつもりかっ!? 陛下の言うことに間違いはない! だからあたしたちが命令に背くことも絶対にないの!」
そこまで断言されては反論する気も失せてしまう。つい声を荒げてしまったが、天界人という人種は頭が固いと言うことがよく分かった。
「……そんなことより!」
自分のことはどうでもいいと言うような口調で、ランタナが自ら話題を変える。
「ずっと聞きたかったことがある! 何で戦士でもないくせに戦場にいたのさ? だからこんな間違いが起きたんだろ? アルゲランダー王んとこへ行かなきゃなんないのも、そもそもはお前のせいじゃないか」
彼女は自分の失敗をあたかも私のせいにして言った。私は肩をすくめ、盛大にため息を吐く。
「言ったでしょう? 私は軍医なんです。傷ついた戦士を治療するのが私の使命。戦場にいたっておかしくはありません」
「どうして助ける必要がある訳? 戦えば傷つくのは当然だし、弱いやつは敵の刃に掛かる。それがルールだろ?」
「人の世は君の知る世界とは違うんです。弱ったり傷ついたりした人がいれば、手を差しのべるのはごく自然なこと。その質問自体が野暮というものです」
「じゃあ、戦えないって自覚してたのにあの場にいたのか?」
「私の役目は戦うことではありませんから」
私はきっぱりと答えた。ランタナは半ば呆れたように言う。
「あぁ、もうっ! 話になんないよ! 結局はお前自身に戦う力がないから、身体を失って魂だけになったんじゃないか。それで仲間を救おうなんて、馬鹿じゃないのっ!」
「…………」
彼女の言うことは事実だ。私には戦場で戦うだけの技量はない。だが、私には医者としての務めがある。適材適所。それでいいはずじゃないか。それなのに反論できなかった。
先ほどから途切れることなく続いていた会話が、今の話を境にぷっつりと途切れてしまった。急に訪れた静寂。何となく居心地が悪い。こんな時、ティフィーが口を開いてくれればいいのにと思うのだが、それすらもない。
何か新しい話題はないだろうか。そう思った時、目の前が突然光に包まれた。あまりの閃光の強さに目が眩む。
うっすらと目を開けると、そこは今まで広がっていた暗闇の世界から一転、光に包まれた美しい光景に変わっていた。
「……光の国に入ったよ」
ランタナが憮然とした声で言った。しかし私にしてみれば、それでもありがたかった。このままずっと無言が続いたらどうしようかと思っていたのだ。
「えと……。目は大丈夫? 痛くないか? あたしはこの間の失敗があるから、閃光から目を守る防具を装備してきたけど……」
更に私を気遣う言葉まで掛けてきた。仲違いをしてしまったかと思ったが、どうやら思い過ごしのようだ。
「いえ、ご心配なく。直に慣れてきますよ」
「そっか。ならいいけど」
怒り散らすことしか能がないと思っていたが、彼女の意外な一面を発見し、少しだけ考えを改める。
「今のような気遣いをもっと表に出した方がよいでしょう。その方が人として親しみが持てます」
「人としてって、あたしは誇り高きワルキューレなんだけど!」
「おや。誇り高き戦士こそ、他人を思いやれるのだと思いますよ」
「お前は戦士じゃないのにそんなことも知ってんのか?」
「まぁ、すべてではありませんが、少しの経験と知識がありますからね。何なら、私の知っていることをいろいろ教えて差し上げてもいいですよ」
少しだけ優越感に浸って言った。普通、出会って間もない人に対してこのような態度を取ることはないが、ランタナ相手だとなぜかありのままの自分でいられる気がした。
「ムカッ……! 今の言い方、すごく嫌だ」
さすがに地を出しすぎたのか、ランタナは再び機嫌を損ねた。私はあえてとぼけて言う。
「そうですか? まぁ、城に着くまでの期限付きですけどね」
「ランタナ様が嫌なら、わたし、一人でいろいろと教えてもらっても構いませんか? ボルト様のこと、骨の髄まで知り尽くしたいんです!」
すねるランタナに代わり、ティフィーがはしゃいだように言った。「骨の髄まで」という言い方が比喩であるようには思えず、恐怖を感じる。
気分を変えようと遠くの方に目を遣ると、微かに城らしき建物が見えた。
「あそこに見えるのが、目指す城ですか?」
「うん。美しき湖の城、シュロス・シェーンゼーエンだよ」
「どのくらい掛かりますか?」
「あと半日!」
「半日……。ではやっと半分ということですか」
やっと、と言う言葉を使ったが、直後にあと半日は存在し続けることが出来ると思い直す。
「疲れたのか? 急いでるんなら、休んでる暇はないぞ?」
「いいえ。私は大丈夫です。それよりティフィーさんの方が……」
「わたしは平気ですよ。どこまでも飛び続ける力がなければ、ワルキューレのおつきは務まりませんから」
割と本気で心配したつもりが、いつもの調子で声が返ってきたので拍子抜けする。まぁ、本人がそう言うのなら大丈夫なのだろう。
「ボルト様。天馬の実力をご覧ください! まだまだ早く走れますよ!」
ティフィーはそう言うと、よりいっそう力強く翼をはためかせ、速度を上げた。
「うわぁっ。落ちる……!」
油断していたところに猛スピードで疾走され、危うく落馬しそうになる。
「んもうっ!」
ランタナが私の身体をぐいっと引き寄せた。さっき以上に身体が密着する。私は背中から胸の高鳴りが伝わらないようにと、切に祈った。
「ん? あれは……」
高速で飛び始めてすぐ、ランタナが小声でつぶやいた。
「どうかしたのですか?」
「……話は後だ。一端城へ向かうルートから外れる」
一体何が起きたと言うのだろうか。命令重視の彼女がそれを一時中断するなど、よほどの事情があるに違いない。
「分かりました。その代わり、後でちゃんと説明してもらいますよ」
「いいけど……。口で説明するより、目で見た方が早いかもしんないよ」
言われて前方を見遣る。
「……なるほど。そのようですね」
遠くの方に小さな四つの点が見えた。それらは次第に近づいてくる。
ランタナが小さく舌打ちをする。どうやら、味方という訳ではないらしい。
「どうしますか? 逃げますか?」
「逃げる? 敵に背中を見せられるか! やつらを迎え討つ。短時間で片付けてやる!」
「しかし、どうやって?!」
そんなやりとりをしている間にも、目の前からやってくる「四つの影」との距離は縮まっていく。ランタナがずっと右手で握りしめていた長槍を両手で持ち、構えた。程なくして、四人の追っ手が私たちに追いつき、取り囲んだ。
四人のうち、三人はランタナと同じような軽装の鎧に身を包み、天馬にまたがっている。その格好から察するに、彼女たちもワルキューレか。残る一人は背中に翼を有し、自らの力で飛んでいる。こちらはほかの三人とは違い、下半身を包み込むほどに長いマントとスリットスカート、そして覆面姿である。
「あなたが生きていると言う噂は聞いていたけれど、まさか本当だったとはね」
女の一人が口を開いた。
「道を空けてもらうよ、リューグ。串刺しになっても知らないよ」
そう言ってランタナは槍をぐっと突き出し、威嚇する。
リューグと呼ばれた女はやたらと自信たっぷりな様子で言う。
「それが新しい主人の命令? それなら仕方がないわ。ワタシたちもアルゲランダー陛下の命に従い、アナタを止めるわ」
「止める? そんなぬるいやり方であたしに勝てると思ってんの? アルゲランダーはやっぱり甘いな」
「ワタシたちは陛下の言葉に従うだけよ」
リューグは言って、槍を構えた。他の三人もじっとこちらを窺っている。
緊張が高まってくる。四方を囲まれているこの状況。明らかに不利だ。
「ランタナ。四対一では勝てる道理がありませんよ。やはり今すぐ逃げるべきです」
「もうっ! 逃げる逃げるって……。じゃあ、お前の腰にぶら下がっているのは何なの? ただの飾り? 一体何のために装備しているのさ?!」
言われて腰に手をやる。護身用のレイピアとダガー。戦闘に備え装着してきたものだ。
「……飾りではありませんが」
一瞬、戦うことを想定してみる。だが、すぐにその考えを振り払う。
「レイピアは騎馬戦には向いていません。ダガーなら槍の攻撃を防ぐくらいは出来るかもしれませんが、どのみち、ティフィーさんに乗っているこの状態で攻撃するのは無茶な話です」
「むっ……。確かに。なら、大人しく掴まっててよね。戦いの邪魔だけはするなよ! ほんっと、使えないやつだな、お前はっ!」
ランタナは投げやりに言った。足手まといなのは分かっているが、あからさまにそう言われるとこちらも腹が立つ。
「一つ言わせていただきますが、私をここへ導いたのは君だと言うことをお忘れなく。君には私の転生を見届ける責任があるはずですよ」
「ムカッ……! 分かってるよ!」
そんなやりとりを見てか、リューグが言う。
「人間を連れて陛下のもとへ向かおうと言うの? クリーガーでもない人間を」
「あたしだって、好きで一緒にいるんじゃないよ! 一刻も早くアルゲランダー王に会って、この男を引き取ってもらうんだから。さぁ、道を空けて!」
ランタナは最後まで言い終わらないうちにティフィーを走らせ、槍を突いた。リューグはそれを振り払って回避する。
「トーア! シュトライヒ! 後ろから回り込んで! ワタシが正面から突く!」
「りょーかい!」
「ラジャー!」
リューグの声に残る三人のうち二人も動き出し、ランタナやティフィーの身体を容赦なく狙う。
攻撃を躱すのはティフィーだ。その動きは、ランタナの意志を反映しているかのように正確だ。だが、三対一では分が悪すぎる。いつ敵の攻撃を受けるとも限らない。
「ティフィーさん、出来るだけ動き回ってください! 止まってはいけない!」
「分かっています!」
思わず指示を出す。一対一の状況に持ち込まれたら一巻の終わりだ。動きが止まったところを手空きの敵に攻撃されてしまう。しかし、逃げ回ってばかりいても埒があかない。
「ちっ、ちょこまかと逃げ回りやがって!」
ランタナが痺れを切らしたようにつぶやく。互いに距離を詰められないよう、絶妙な距離を保ったまま飛び続けている。その時。
「ていっ! 秘技、連続突き!」
リューグが正面に回り、素早く槍を突いた。ティフィーは素早く回避してリューグの後方に回る。
「ランタナ様、今です!」
「言われなくてもっ! たあーっ!」
ティフィーが言うのとランタナが攻撃を仕掛けるのは同時だった。リューグの乗っていた天馬の翼を槍が貫く。天馬の翼が縮こまった次の瞬間、その身体が人型となる。
「あぁっ、ワタシとしたことが……!」
顔面蒼白で気を失っている天馬を空中で抱きかかえ、リューグがつぶやく。
「トーア、シュトライヒ、それからイフェイオン。後を頼むわ……」
その声は虚しく空気を震わせただけだった。リューグと天馬は旋回しながら落ちていく。このまま落ちれば、瀕死の重傷を負うのは間違いないだろう。だが、武器を持って戦う以上、一方は生き、他方は死ぬ。情けを掛ける余裕などないのだ。
「さぁ、次は誰だっ?!」
ランタナは叫び、挑発する。
「くそぉ。なら、次はボクが相手になる! てあぁっ!」
短髪のワルキューレが正面から突進してきた。ランタナがティフィーを巧みに操り、攻撃を躱す。
「どこ狙ってる? そんな攻撃じゃ、あたしは倒せないよ」
「それはどうでしょうかぁ? えいっ!」
「上かっ……!」
手の空いていたツインテールのワルキューレが私を狙って攻撃する。
――やられる……!
恐怖に駆られ、身体を縮込ませる。その時。
「秘技、大車輪! これなら近づけないだろっ!」
ランタナが両手で槍を振り回し始めたのだ。敵の槍が振り払われる。
「ちぇっ、人間の男をやっつけられると思ったのにぃ!」
「シュトライヒ。槍術であたしに勝とうなんて、百年早いよっ!」
勝ち誇ったように言うランタナ。しかし、後コンマ一秒でも頭を下げ損なっていたら、私の頭が振り払われていたところだ。
「ランタナ! 危ないじゃありませんか!」
瞬間的に血が上る。だが、彼女のお陰で命拾いしたことも確かだ。ここは救われたことに感謝しておくべきだろう。
「……ありがとう。助かりましたよ」
「ふん! お前がいるだけで、余計な神経を使わなくちゃいけないんだからね! さっさと戦いを終わらせるよ!」
「そうですね。しかし油断してはいけません。君とティフィーさん、どちらが負傷しても、この戦いの勝負はついてしまいますから」
「……分かってるってば!」
言ってランタナは、四方八方に意識を集中させるかのように辺りを見回す。
先ほど攻撃をしてきた二人が一旦並んだ。どうやら作戦を練ろうということらしい。
「むむー。防がれちゃいましたぁ……。こうなったら同時攻撃するしかないデスヨ!」
「そうだね。それしかない。ランタナ、悪いけどこれ以上は前へ進ませないよ。陛下のご命令で、この国に仇なす者は皆、排除しなくちゃいけないんだ。知ってるよね?」
「トーアに言われなくても、そんなことは百も承知! 御託を並べてる暇があったら、さっさと掛かってきな!」
ランタナは更に挑発し、槍を構え直す。それに応じるように、目の前の二人も各々槍を構える。だが一人だけ、黙したまま事を見守っているワルキューレがいた。ランタナと同じ金髪で、唯一、翼を有している女だ。彼女は先ほどから、一度もこちらに攻撃を仕掛けてきていない。ランタナもそのことが気になったようだ。
「お前は戦わないのか? あたしの代わりにこのチームに入ったんなら、よっぽど腕が立つんだろうと思ってたのに、どうやら思い違いみたいだね」
「……ん? 彼女は君の知り合いではないのですか?」
「うん。初めて見る。鼻から上に覆面をしているから、顔は判別できないけどね。リューグ、トーア、シュトライヒとあたしは同じチームを組んでた仲間だったけど、そいつはきっと、あたしが抜けた後に入った新入りだろう」
なるほど。先の三人は話し方からして互いに知る仲だと想像することは出来たが、初対面である彼女は、その力量すら未知数ということになる。
静観する女は口元に不敵な笑みを浮かべ、武器を構えた。そして仲間に指示を出す。
「トーアとシュトライヒはリューグを助けに行って。ランタナの相手はわたくし一人で十分よ」
「確かに、リューグ先輩のことは心配デス……」
「……そうだね、分かった。後は頼んだよ」
二人は女の言葉に素直に従い、やられた仲間が落ちていった場所へ降りていった。
「ムカッ……! ずいぶん、自信があるみたいじゃないか!」
ランタナがいきり立つのも無理はない。私でさえ、同じ思いでいるくらいだ。しかし女は更に挑発するように言う。
「えぇ。あなたの代わりに入ったようなものですもの。他のワルキューレとは実力が違うの」
「くぅっ……! なら、お手並み拝見といこうかっ!」
ランタナが飛び出すより早く、女は一瞬にして距離を詰め、攻撃を繰り出してくる。
「…………! 言ってたこと、あながち嘘じゃないみたいだな」
「わたくしの実力はこんなものではなくってよ?」
その動きはランタナと同等か、それ以上に早かった。私は戦闘の邪魔にならないよう身体をかがめているが、頭上で繰り広げられる槍の攻防は先ほどの比ではない。ランタナ自身もそれが分かるのか、戦い方にどんどん余裕がなくなってきている。
「うっ……!」
案の定、敵の槍がランタナの皮膚を切り裂く。このままでは王のもとへ辿り着く前にやられかねない……。
「ティフィーさん、走って!」
私はとっさに叫び、彼女の腹を蹴った。驚いたティフィーは猛烈な勢いで女に突っ込んでいく。
「くっ、体当たり……!」
虚を突かれた女はティフィーを避けきれず、体勢を崩した。
「このまま一気に戦線離脱を!」
「は、はいっ!」
ティフィーは言葉に詰まりながらも返事をし、空を駆け始めた。
「ま、待て! まだ勝負は……!」
「ランタナ! 今私たちがすべきことを忘れたのですか?! 君がここへ来た目的は、彼女たちと戦うことではないでしょう?」
「むぅっ……! それはっ……」
勝負にこだわるランタナに、私は本来の目的を思い出させてやった。彼女は女王の命令に逆らえない。思い出せば、嫌でも戦闘からの離脱に応じざるを得ない。そう判断したためだ。
「ティフィーさん! 一気に引き離してください!」
猛然と走る彼女に大声で言った。敵はほとんど負傷していない。必ず追ってくるはずだ。怯んだ隙に少しでも距離を稼ぐしかない。
だがティフィーからの返事はない。もう一度呼びかける。
「えっ? あぁ、はい。大丈夫です。このまま全速力で城を目指します。任せてください」
ぼんやりとしていた様子のティフィーに少し不安を抱く。敵からの攻撃を食らったのだろうか。あるいは、先ほどの体当たりで身体を痛めたのかもしれない。
「身体は大丈夫ですか? すみません、無理なことをさせてしまって」
理由はともあれ、一応の詫びを入れる。しかしティフィーは首を振る。
「ご心配には及びません。それより、お城までもう一息です。急ぎましょう!」
空元気なのか、ティフィーは明るい声でそう答えた。
いつ追いつくともしれないワルキューレたちを気にしていられたのは城へ着くまでだった。城の上空へ差し掛かるなり、闇の国からやってきた私たちを敵とみなす護衛のクリーガーたちが容赦なく矢を射かけて来たからだ。
「逆賊、ランタナ・ジェニーだ! 殺せ、殺せ!」
「どけ! やつを仕留めるのはオレだ!」
やつらは我先にと前へ出て矢を放ってくる。命中率は悪いが、これだけの数の敵とまともに対峙したら勝てる見込みはない。私たちは弓部隊の攻撃を避けるように、王の間に最も近い廊下の小窓から城内部への侵入を決行した。割れた窓ガラスから身を守るように身体を丸めて転がり込む。
「早く立て! 囲まれてるぞ!」
先行したランタナは既に槍を構えている。起き上がると、恐ろしい数のクリーガーが私たちに迫っているのが目に映った。防衛本能からとっさに剣を抜く。
果敢に戦いを挑むランタナに対し、私は屈強な男たちを前に身じろぐことすら出来ない。
「ティフィーと違って、お前は仮にも軍人なんだろ? 剣を抜いたからには戦え。いいね?」
「……尽力します」
完全に戦力外のティフィーは、逃げる足を確保する意味も含めて外で待機してもらっている。そのティフィーと比較され、正直、恥ずかしかった。だが、情けないことに自信がないのも確かだ。それでも、剣を振るわなければ私は消滅する。ここまで来てあっさりと消えたくはない。その一念だけが私を突き動かす。
ランタナは槍で、私はレイピアで彼らを突き、迫り来る敵を倒していく。しかし一向にその数が減る気配はない。こちらの体力だけが消耗していく錯覚に陥る。
「躊躇うな!」
その声で我に返る。直後、ランタナが低い体勢から槍を突き上げ、クリーガーの喉を串刺しにしていた。
「ありがとう、ランタナ」
礼を言った時にはもう、彼女の姿はクリーガーの大群に紛れ込んでいた。
クリーガーは傷つきもするし、倒れもする。だが、数時間もすればゾンビの如く這い上がり、再び戦闘を開始する。クリーガーの生態についてはランタナから事前に聞いていた。やつらは目の前に立ちふさがるものなら何でも破壊する。それが、人であろうが柱であろうが関係ない。彼らのあまりにも無謀な戦いぶりに私は圧倒されていた。
「えいやぁっ!」
先の騎馬戦でランタナの槍術は既に見ていた。しかし、地上戦ともなるとその動きはまるで違う。生前、槍の稽古場を見たことはあったが、これほどまでに華麗で勇ましい技が繰り出せるとは思ってもみなかったのだ。
単に突くだけではない。声で敵を威嚇し、身体ごと敵に突っ込みとどめを刺す。ランタナが恐れを知らないように見えたのは、槍術において尻込みすることが死に繋がるからかもしれない。
クリーガーになったからには生前、ある程度名の知れた武将だったはずなのに、ランタナの前ではまるで新兵のようだ。穂先を剣で受けた次の瞬間には、身体ごと柄を返し、末端部で相手の足を打っている。そして敵が体勢を崩した時、再び柄を翻し、穂先で急所を突くのだ。この間わずかに二秒半。豪腕で剣を振り回し、敵を殴り殺すだけしか脳のないクリーガーに対し、ランタナの動きは緻密で、計算し尽くされていた。
「これで終わりだっ!」
ランタナが最後の敵を突き倒した。クリーガーは声もなく倒れ、辺りに静寂が訪れた。広大な湖の真ん中に立つ、文字通り美しい城の中。小鳥のさえずりさえ聞こえてきそうな日だまりにはしかし、何十というクリーガーが横たわっている。
「何で斬るのを躊躇ったのさ?! ここまで来て、魂を切り刻まれたら元も子もないだろっ?!」
戦闘の惨状に目を遣っていると、ランタナが眉を吊り上げて言った。私は剣を鞘に戻しながら答える。
「君の言う通りです。ただの魂でしかない私は、この身を激しく傷つけられれば消滅し、二度と転生できなくなる……。そうでしたね?」
「分かってるなら……!」
「頭では分かっているんです。でも……」
恐怖に脅え、身体が思うように動かなかったなどとどうして言えようか? 私は黙り込んだ。
「……まぁいい。とにかく、道は空けた。先へ進むよ。王の間は目の前だ」
そう言うとランタナは先を歩き始めた。
「そうですね。行きましょうか」
そうつぶやいた私の顔はきっと、何とも形容の出来ない表情をしていたに違いない。
ランタナが目の前の大きな扉を押し開ける。私はその様子をじっと見守った。
赤じゅうたんが敷かれた一室。その最奥部に、王は一人腰掛けていた。広い空間に、扉の開く重たい音が響き渡る。アルゲランダー王との間を隔てるものは何もない。私たちは一歩一歩、玉座へと近づいていく。
「我が輩の城に侵入した不届き者は誰かと思えば……」
こちらの姿を認めるや、王はすぐに立ち上がって数歩前へ歩み出た。
「ランタナ・ジェニー。お前だったのか。まさか生きて……生きていたとはな」
「アルゲランダー王。再びお目に掛かれて光栄です」
ランタナのわざとらしい言葉の節々に、王への積怨が感じられる。
「本来の目的を忘れてはいけません。私たちは、復讐のために来た訳ではないのです。分かっているのですか?」
とっさに耳打ちをするが、彼女の耳には届いていないようだ。だが、この場で叱責する訳にもいかない。どうしたものかと思案し、王を一瞥する。
アルゲランダーもまた、フィンスターゼとは違った威厳を持っていた。実年齢は定かではないが、見た目は三十代半ばと言ったところだろうか。金色の髪と瞳が印象的だ。また、聡明かつ上品な顔つき、凛々しい目、よく通る声など、どれをとっても王に相応しい。
「なぜ戻ってきたのだ! それに、その槍は……」
「これがどうかしましたか? フィンスターゼ女王陛下からいただいたものですが?」
「あやつめ……」
王は玉座に戻り腰掛けたが、落ち着く様子はなく、酷く動転した声で言った。
「一体何をしに来たと言うのだ? ここはもはやお前のいるべき場所ではないぞ! 誰かおらぬか! この者を連れ出せ!」
「呼んでも誰も来ませんよ、アルゲランダー王。だってあたしたちが倒してしまったんですから」
「…………」
二人の関係は最悪だった。見つめ合う目から火花が散っているのが見えるようだ。
――このままではせっかくの苦労が水の泡になってしまう。
敵襲に遭いながらも何とかここまで辿り着いたと言うのに、王を目の前にして二人が啀み合っていては何の意味もない。ここは私が言葉を選びながら事の次第をうまく説明し、場を取りなすしかない。
「ランタナ。ここは私に任せてください」
そう言って一歩前へ進み出る。
「お前は黙って……」
「いいえ。君では話になりません。下がってください」
自分の役目を取るなと言わんばかりに食い下がるランタナを退ける。私は王に一礼し、ここへ至るまでの経緯と死者の国へ導いて欲しい旨を述べた。
「ほう。それでフィンスターゼのやつめ、ランタナを使わしたという訳か。小癪な真似を」
「……そうお思いになるのは、命令に背き、追放したランタナさんが王のもとへ使わされたからでしょうか?」
「さよう」
「一体、彼女が何をしたというのです? もしそれが極めて重大な罪なら……彼女を殺すという選択も出来たはずです。なぜ、そうしなかったのですか?」
私の問いに、王は冷たい視線を送ってきた。その瞳の冷たさはフィンスターゼ女王を思い起こさせた。
「僕を(しもべ)虐殺するのはフィンスターゼのすることよ。……それにしてもお前は運がよい」
「えっ?」
突然、話題の焦点が私に向けられる。戸惑う私に王が告げる。
「おそらくはフィンスターゼと謁見したのだろうが、お前ほど物をはっきり言う人間が命を取られなかったのは奇跡としか思えぬ。あやつに異を唱え、転生可能な魂がこの地を去った例は少なくないと言うのに」
「…………」
確かにそうだ。あれだけ言いたいことを言ったのだから、あの魂のように、一瞬にして消されてもおかしくはなかったのだ。にも関わらず、女王はあえてそれをせず、転生できる道を示した。
――女王の狙いは一体……。
考えあぐねていると、王はため息混じりに言う。
「どうやら嵌められたようだな。いや、弄ばれたと言うべきか。気の毒なことだ」
「……一体、何の話でしょうか?」
「我が輩の国でも、ワルキューレが誤ってクリーガーになる資格のない魂を導くのは間々あること。そのたびにフィンスターゼのもとへ亡魂を送り込み、死者の国へ導かせてきた」
「……意味が分かりかねます」
「死者の国へは闇の国からしか行けぬのだ。そして死者の魂を浄化できるのは、フィンスターゼだけなのだよ。あやつは時々、迷える魂を我が輩に押しつけては、影でそれを見て楽しむ悪癖を持っているようだ。残念だが、引き返すより方法はない。もっとも、フィンスターゼへの再謁見と、今の記憶が失われる転生を恐れなければ、の話だがな」
「そんな……。女王には魂を転生させる力があるとおっしゃるのですか!? それに、記憶が失われるって……」
声にならない声が出る。思わぬ展開に頭の中は真っ白だ。
居場所を失い、自分が完全に孤独であると認識した瞬間、にわかに恐怖が襲いかかってきた。全身の震えが止まらない……。
王は言葉を続ける。
「ランタナよ。もう用向きは済んだはずだ。この男を連れてあやつのもとへ帰るがよい。もう二度と我が輩の前に現れるな!」
「……いいえ。あたしに与えられた使命はまだ果たされていませんよ。かつての主、アルゲランダー王」
王を見つめるランタナの目は恐ろしかった。先ほどクリーガーと対峙している時に見せたものと同じ。嫌な予感がする。
私はとっさに王の前に立ちはだかった。彼女が王に復讐をしようとしている、そう直感したのだ。
「どいてよ、ボルト! 王を討って、女王陛下から与えられた任務を果たすんだから!」
「やめなさい! そんなことをしたらどうなるか、君には分からないのですか!!」
無我夢中でランタナの手から槍を引きはがす。だが、彼女の力は想像以上に強く、思うようにいかない。
「離せ!」
「離しません!」
押し問答が続く。その時、突如として王の顔つきが変わった。
「フィンスターゼのやつ、やはり闇に支配されない人間をよこしたか……!」
その言葉は私の耳にも届いた。
――闇に支配されない人間……? 一体何のことだ?
一瞬の考察。だがそれは、ランタナが次なる行動を起こすのに十分な時間だった。
「お前にあたしは止められない!」
刹那、ぐっと腕が引っ張られる。踏み留まろうとするが、身体のバランスを崩した状態ではうまく力を込めることが出来ない。だが、槍を手放す訳にもいかなかった。
「もうっ! しつこいぞ!」
ランタナは手にしていた槍の柄で私の脇腹を思い切り打った。手の力が抜ける。打たれた脇腹を押さえる私に冷たい視線を送ったランタナは、キッと王を睨み付けた。
「宿敵、アルゲランダー! 覚悟!!」
「ランタナよ。それがお前の答えか。お前の意志なのか」
「問答無用!!」
ランタナは槍を両手に構え、一気にアルゲランダーを目指す。
――王が殺られる……!
そう思った瞬間、王はとっさに身を翻し、槍の切っ先を辛うじて躱した。私は脇腹の痛みを堪えながらも立ち上がる。
「まだ、止められるかもしれない……!」
ランタナは一心不乱に王と対峙している。私の姿が見えているとは思えない。それを見越し、後ろから体当たりを食らわす。
「うわぁっ?!」
前しか見えていなかったランタナは、槍を突き出したところで前のめりに倒れ込んだ。槍が床に転がる。私は急いでそれを拾いに走る。
「これ以上、私の前で人が傷つくのは見たくありません。槍は預からせてもらいますよ」
そう言って槍を握る。槍は黒曜石よりも黒く、時折、静電気のような閃光さえ放っている。闇の女王から授けられた代物であることを嫌でも痛感させられる。並の武器ではない。私の直感がそう告げた。槍を差し出すと、王は微かに笑って言う。
「……お前は賢しき人間よ。フィンスターゼがお前をよこした理由も、これではっきりと分かった」
「えっ?」
訝しがった、その時。
「ぐふっ……!!」
一瞬の出来事。倒れていたランタナが目にも留まらぬ速さで起き上がり、私の手諸共に槍の柄を握ると、勢いそのままに王の身体を貫いたのである。
「ランタナッ……! 何と言うことを……!」
私はすぐに槍から手を離し、数歩後ずさった。苦痛の表情を浮かべる王と、その場から動こうとしないランタナ。二人の時間だけが止まってしまったかのような錯覚に陥る。
すると、ランタナが思い出したように槍を引き抜いた。直後、刺し傷から眩い光がほとばしり、王の間を包み込んだ。
まるで王その人が光で出来ているかのような光景。その明るさは太陽にも匹敵するほどだった。それはわずか数秒の出来事。しかし、光が収まったことを知るのが精一杯だった。目を開けても閃光を受けたために辺りが暗く見える。
「くそっ……。一体どうなっているんだ……?」
何とか目を凝らして辺りを見回す。すると王が胸を押さえて床に倒れ込んでいるのが見えた。よろけながらも王に近づく。
「王が……。王が……」
一方ランタナは、返り血ならぬ、王から解き放たれた光を浴びて震えていた。彼女の身体には無数の光が張りついている。彼女は槍を放り捨て、閃光から目を守るための面を(マスク)外した。
「ボルト……! 王はどうなっちゃったの?! ねぇ! 教えてよ!」
その表情は言葉と合っていなかった。あまりにも不自然で、不謹慎だった。
私は眉を顰め、ランタナを睨み付ける。
「王から目を背けてはいけません。君は自分の犯した罪の重さを知るべきだ」
「……罪って何さ!? あたしはただ、女王の命に従っただけなのに……」
「人を傷つけただけでなく、それを女王のせいにする。それを罪だと言っているんです! 君の忠誠心にはほとほと呆れますよ!」
彼女の発言に堪忍袋の緒が切れる。命の重さを理解していない彼女が許せなかった。
私は激しい怒りを何とか抑え込み、跪いた。王が苦しそうなうめき声を発したからだ。
「陛下、しっかりしてください!」
服の上からもはっきりと分かるほど深い刺し傷が見える。そこからは帯状の光が血の如く流れている。
「このままでは命が……。今すぐ治療を……!」
「もう、手遅れだ……」
「諦めるのはまだ……!」
そう言いかけた時、突然王の身体が老い始めた。まるで溶けていくかのように顔の皮膚が垂れ、目も落ちくぼんでいく。
「これは一体……?」
腕の中で老いていく王の姿に思わず顔を顰める。
「うわぁっ!? 何、これ……?!」
彼女は王の姿を見るや後ずさりし、その場にうずくまってしまった。
「ランタナ! 現実逃避するつもりですかっ?!」
「よいのだ、これで。人間よ……」
「えっ?……」
ランタナを叱責した私に、王が小さな声で言った。
「しかし……。これでいいとはどう言う意味です?」
「我が輩の望みは叶えられたのだ。これで、この国はあるべき姿を取り戻すことが出来る……」
「あるべき姿……?」
「賢しき人間よ。ランタナに手を貸してやって欲しい。あやつにはお前が必要なのだ……」
「しかし私は……」
頭が混乱する。王の言葉が、意図が理解できない。一度死んだ私が、彼女にとって必要とは一体……?
王はうずくまるランタナに視線を送る。
「ランタナよ。お前が人を気遣う優しさを持ったからこそ、我が輩はお前を手放す決心をしたのだよ。辛い思いをさせて済まなかったな。だがきっと、我が輩の考えが分かる時が来る。……後のことは頼んだぞ。我が輩の魂は、いつもお前と共にある……」
王の身体から力が抜けた。何度となく経験したこれこそが臨終の瞬間であった。
――また一人、この腕の中で見送ってしまった……。
しかし今胸中に渦巻いているのは悲しみではない。深い深い憎しみだった。ランタナと、フィンスターゼに対する思い。私はそれを抑えることが出来なかった。
魂が抜けたかのように、少しだけ王の身体が軽くなる。そっとその身を床の上に置くと、王の身体は天に導かれるように光となって跡形もなく消えてしまった。
「くっ……!」
突然虚しさに襲われる。人の旅立ちを見送った後は決まってそうだ。だがそれは一瞬のうちに収束し、再び憎しみが沸々と湧いてくる。
「いつまでそうしているつもりですか……。王は君のことを案じながら旅立ったと言うのに……!」
立ち上がり、彼女の側へ歩み寄って見下ろす。その姿はあまりにも惨めだった。
「立ちなさい。死を受け入れるのです。でなければ、前へは進めない」
「これが『死』……? 受け入れるって……。意味が分からないよ……。王はどうなったの? どこへ旅立ったって言うの?」
見上げた彼女の顔は涙に濡れていた。だが、表情はやはりこの場に似つかわしくないものだった。
――もしかして、本当に……。
「君は『死』そのものの存在を知らなかったのですか……? 殺人という行為だけでなく?」
それだけじゃない。人の死が悲しみを伴うものであることすら彼女は知らないのだ。涙を流すことさえ初めてかもしれない。
先ほど抱いた違和感の正体が分かった気がした。推論の域は出ないが、おそらくランタナは少し前まで怒りの感情しか知らなかった。そればかりか己の意志すら持っていない。まるで君主が意のままに操るためにわざとそうしたかのように。
女王に嵌められた。その思いがにわかに強くなった。女王はすべてを知っている。知っていながら新入りのランタナを言いくるめ、王を殺させた……。きっと、ランタナの自我が崩壊してしまうことも予期し、影でほくそ笑んでいるに違いなかった。
ランタナは未だ泣いていた。泣いたって何も解決しない。だが、推論が正しいなら、強く責めるのは残酷な気もした。
正直、優しい言葉を掛けるのは苦手だ。不器用なのは分かっている。けれども、今の私には事実を伝えることしか出来ない。
「……君は王から肉体を、そして記憶や知識を奪ってしまった。それは同時に、統率者というなくてはならない存在を消してしまったことにもなります。その意味が分かりますか? 多くの者は、死んだらそれきり。二度と戻らない。クリーガーのように、斬っても再生するのが当たり前ではないのですよ」
「なら……。あたしはどうすればいいの?」
ランタナはようやく涙を拭いて立ち上がった。私は厳しい口調で言う。
「罪を償いなさい。どうすれば償えるかは、君自身が考えることだ」
「そんなの、急に言われても分かんないよ。……あたしの命を差し出せば、罪は償える? あたしが死ねば王は……。うっ……!」
「馬鹿なことを言うなっ! 死んで何になるっ?!」
思わず彼女の頬を打っていた。軽々しく死ぬと口にする人間は大嫌いだった。手のひらがじんと痛む。私は彼女に背を向ける。
「……一つ、助言をしましょう。王殺しの罪を償うつもりなら、王から託された言葉の意味を理解し、王の分まで生きる努力をしなさい。罪を犯した者に出来るのは、それくらいしかありません」
「王の言葉の意味……」
ランタナはつぶやき、再び黙り込んだ。彼女はこれまで、自ら考え実行することをしてこなかった。もし彼女が成長を望むなら、考えることを覚え、自ら進む道は自分で選び取れるようになる必要がある。
やがて彼女は私の背に向かって言う。
「女王陛下のもとへ帰ろう。任務完遂の報告をしなくちゃ」
「ランタナ! 君はまだ私の言ったことが……」
「ボルト。お前も一緒だ。何とか魂を残してもらえるよう、陛下に頼んでやる」
「一体何を言って……?」
思わず振り返った私にランタナは続ける。
「罪を償うって、どうしたらいいか正直分かんない。とっても大変なことをしちゃったんだってことが何となく分かるだけ。でも、何かしなくちゃいけないんだって。そう思った時、お前を助けたいって思ったの。だって、お前を間違ってここに連れてきてしまったのはあたしだから」
これが、彼女なりに考え抜いて出した答えなのだろう。しかし。
「……私が望んでいるのは、転生することなのですが?」
「本当にそう思ってんの?」
ランタナの言葉が悪魔のささやきに聞こえた。彼女は尚も続ける。
「死って……嫌なものだね。王を手に掛けて身体からほとばしる光を浴びた時、全身が震えて、心には穴が開いたみたいだった……。あんなに寒気を感じたのは初めてだよ。王がしわしわになっていく姿はもっと嫌だった。とても見てられなかった……」
「怖かったのですね。気持ちは分かります」
「……お前は、その……怖さを味わってフェーエンラントに来たんだよね? 王から、転生したら今の記憶がなくなっちゃうって聞いた時のお前、すごく震えてた。本当は……」
「……同情するつもりですか? 情けなら無用ですよ」
いや、これは同情ですらない。彼女はただ、初めて体験した恐怖を分かち合いたいだけなのだ。だからそんなことを言うのだ。
恐怖心を知ってしまった彼女が唐突に憎らしく思えた。こんな思いをするのは、すべて君が過ちを犯したせいだ。そう言ってしまいたいのを無理やり抑え込む。ランタナが視線を逸らさずに毅然とした態度でこちらを見つめている。
「とにかく、闇の国へ戻ることにしましょう。転生するには女王の力が必要なのですから」
私は本心を隠した。本当は、記憶の消滅も女王のもとへ行くことも恐れているなど、言えるはずもない。だが、戦渦のない世に転生したいと言う思いは捨てきれない。私の心は未だに揺れている。
王のことを思い出したのか、ランタナは元気をなくしたように俯いた。
「女王陛下はなぜ王を……?」
彼女の中に湧いた疑問。それは私にとっても大いなる謎の一つだ。
「戻ろ、闇の国へ。倒したクリーガーたちが目覚めないうちに」
ランタナは槍を拾い、手に持ち直した。私は王の間を見渡した。この場所には私たちしかいない。あまりにも静かで、物音一つしない。王が眠るには相応しい場所なのかもしれない。
――どうか安らかにお眠りください……。
一礼してから来た道を引き返す。
突然、城壁の軋む音が聞こえ、王の間の窓ガラスが割れた。足もとも揺れはじめ、立っているのがやっとの状態になる。
「まずい。城が崩れ始めてる……。ボルト! 急いで外へ……!」
「分かっています!」
ランタナに言われるまでもなく、私は既に走り出していた。
長い廊下がグニャグニャとゆがみ、うまく前に進むことが出来ない。それでも何とか這いずりながら前進する。そしてやっとの思いで城の外が見渡せる窓のもとへと辿り着く。
「ランタナ様! ボルト様! ご無事でしたか?!」
窓の外からティフィーが天馬の姿のままこちらに呼びかけてきた。異変に気づき、待っていてくれたのか。ティフィーは翼がぶつからないぎりぎりのところまで窓に近づいた。
「早くこちらへ! 急いでください!」
ティフィーが言うより早く、私たちは無我夢中でその身体に飛び乗った。体勢が整わないうちにティフィーは素早く移動を始める。刹那、今までいた場所が崩れ、あっという間に瓦礫と化してしまった。間一髪。危ないところだった。
崩れゆく城から少し離れたところまでやってきて、私たちはようやく身の安全を感じることが出来た。だが油断は出来ない。上空に留まってはいるが、いつクリーガーが襲撃してくるとも限らない。
「あの、ランタナ様……。ボルト様が一緒と言うことは王は……」
その時、ティフィーが様子を窺うように聞いてきた。ランタナは力なく答える。
「うん。ボルトを死者の国へ導いてはくれなかったよ。だからあたしは女王陛下のご命令通り、王をこの手で……刺殺した」
「そうでしたか。では、ボルト様はこれからどうするおつもりなのです?」
今度は私に話が向けられる。
「私も、あなた方と闇の国へ向かいます。女王には、いろいろと申し上げたいことがありますから」
そう答えると、ティフィーはうなずき、進路を城へとって進み始めた。