番外編11
白い手袋に包まれた手の中で、熱を持った金属がゆるり、と曲がる。
それを特殊なインクで図を上書きした紙に這わせると、金属は自ら図の通りに線を描き、拡がっていった。
細長いレース模様に変化した白い金属を、エリヤはさっと曲げて輪にする。
それを水に浸けると、じゅっと音を立てて金属は冷めていった。
「おい、これで完成か?」
作業をじっと見つめていたローグが、後ろから声を掛けてくる。
「待って」
そわそわと落ち着かないローグを制止したエリヤは、しばらく待ってから金属を自ら出し、用意していた布で拭く。
「さ、これで試してみて。火が出るように」
エリヤは、ローグの手首に腕輪状になった金属を填めてやる。それから渡した黒い木炭のような棒は、銃の代わりだ。魔力を念じながら流せば、魔法が発動するようにしたものだ。
発動させてみようとしなければ、確認できない。
「よ、よし、いくぞ……」
心なしか緊張しながら、ローグがぐっと棒を握る。
一秒。
二秒。
三秒。
「……俺の幻覚じゃないな?」
「うん、炎は出てない」
「やっ…………」
ローグは一度ぐっと声を堪え、そして解放した。
「たーーーーー!!!」
「やったー」
エリヤも力なく声を合わせる。
喜んでいないわけではない。大いに嬉しい。
ただ、件のものを作る為になけなしの魔力を割いたので、力がでないのだ。
「おろっ」
そして案の定、足が萎えてその場に座り込んでしまう。
「大丈夫かよおい」
ローグが腕をひいて立ち上がらせ、すぐ側の椅子に座らせてくれた。
「うぅぅありがとう。ちょっと魔力枯渇しかけな感じなのよ」
「枯渇? 俺が手伝っててもか?」
「魔力多い人には、この苦労がわかんないのよ」
なにせ元の時代でも、術式銃を一つ造るだけで人の三倍以上かかっていたのだ。だからといってローグに手伝わせるわけにはいかない。
コツや技術を覚えられてしまったら、グレイブに顔向けできなくなってしまう。技術を広めるわけにはいかないのだ。
だからローグには、重要な箇所以外しか任せられなかった。それでも充分、エリヤとしては助かったのだが。
「とにかくできたんだし、あんたちょっと行って早々にプレゼントしてきたら?」
問題の少年に、その腕輪を渡してきたらいい。
卓の上にべったり張り付きながら、エリヤは勧めた。
言われて、成功で浮き立っていたローグは、踊るような足取りで外へ向かう。
「そうだな! ほんと恩に着るぜ! 戻ったらなんか報酬やるから考えとけよ!」
バタンと扉を開け放ったまま、閉めもせずにローグは駆けだしていく。
浮ついてるのはわかるけれど、扉は閉めておかなければ虫が入るんじゃないか。あ、蛾がはいっちゃった。と思いながら、エリヤはぼんやり開いたままの扉をみつめた。
「報酬……か」
今になって、それについては考えていなかった事にエリヤは気づく。
確かに引き受ける時にも、ローグはなんでもすると言っていたのだ。けれど材料をそろえてもらったりもしたし、ひいてはグレイブのためにしたい事だったので、依頼を受けたというよりも、ローグと共同研究をしている気分でいたのだ。
「それなら、ここで生産でもさせてもらえばいいのかな」
とりあえず試作一号ができたのだ。
けれど他者に技術は伝えるわけに行かない。
一方で、魔力の暴走を起こす子は、日々増えているのだ。
「私一人じゃ増やせないな……。グレイブに話して、ルヴェを貸してもらおうか」
そうすれば、一気に配布はできなくても、そこそこの量を生産できるだろう。
ただ、とエリヤは思う。
ルヴェがもし亡くなってしまったら。
エリヤが何かの拍子に居なくなってしまったら。
100年後までの長い時間。再び魔力を持つ人達は、暴走を恐れて過ごさなくてはならず、事件を起こせば差別を呼び込んでしまう。
「ああ、そうだ。腕輪がマーカー代わりになっても困るよね」
魔力が認められてる時代は、魔力が強い子のステータスシンボルみたいなものだった。
けれど魔力持ちが怖がられてる現在、腕輪が魔力持ちの目印になって、いじめられては困る。それに感情は魔力を不安定にするのだ。腕輪の効力を凌駕する魔力が放出されたら……。
「まぁ、あれだよね。あとでグレイブに相談しよう」
エリヤは腕輪の事を話したら、褒めてくれるかな、と幸せな妄想に浸る。
そうして少しまどろもうと、目をとじかけた時だった。
飛び起きるほどの突風が吹き付けた。
「――――え!?」
よろけながら椅子から立ち上がる。
突風は一度だけで収まった。が、扉の向うで、枯葉がふわりふわりと浮く速度が速まっていく。徐々に風が強まってきているのだ。
そしてバチッと風の中に紫電が瞬いた。
まるで放電現象のように。
「まさか!」
エリヤはよろめきながらも、外へ出る。
スカートをはためかせる風は、渦を巻いていた。
その中心は、小川の岸にあった。
エリヤは見えたものに目を疑う。
溶けた飴のように伸びて、ゆらゆらと螺旋を描く、水。
水を背後にして立つのは、ローグが助けたいと言っていたあの茶色い髪の少年だ。
一緒に遊んでいたのだろう他の子ども達は、近くの集合住宅の壁際でうずくまって少年を見つめている。
「レイやめて! もうダンは助かったんだよ!」
中の一人、ずぶ濡れになった子どもを抱きしめている女の子が、レイと呼ばれた茶の髪の少年に呼びかける。
が、レイは焦点の合わない目を斜め上に向けたままだ。
「レイ、目ぇさませ!」
子ども達から少し離れた場所には、何故か頭から水を被ったように濡れたローグが膝をついていた。
ざっと様子を確認したエリヤは、何が起ったのかを察した。
実際には今まで見た事がない。だから知識としてしか知らなかった。
これが魔力の暴走だ。
恐らく、友達が川に落ちておぼれたのだろう。朝方に雨が降ったせいか、小川はいつもの倍の水量になっている。
流されそうになった友達を助けようとして、レイも一緒におぼれたのかもしれない。死にものぐるいになって藻掻いた彼は、助かろうとして、無意識に魔力を暴走させてしまった。
せっかく、腕輪を作ったばかりだったのに。
唇を噛みしめ、エリヤはスカートの端を結び、はためかないようにしてローグの横に駆けつけようとした。
ふっとレイの目がエリヤに向く。
その瞬間、彼の背後でうねっていた水がエリヤに向かって伸びてきた。
「おい、エリヤ!」
ローグが血相を変える前で、エリヤは白い手袋を填めた手を水に伸ばす。
重い衝撃。
けれど水は雫となって散って、エリヤをそれ以上打ち据えたりはしなかった。
「なっ、その手袋は何なんだよ……」
エリヤを心配していたローグが、呆然とした表情になる。
「ちょっと。いろいろ対策のある手袋」
曲がるほど熱を込めた金属を触っても、平気な手袋なのだ。その原理としては耐熱もあるけれど、魔力を遮断する術式も使われている。
術式銃の実験中に、何かあっても手でかばえるようにだ。
「とりあえず、その試作品貸して」
「いや、俺が行く」
ローグが拒否したので、エリヤは叱咤する。
「あんたには暴走魔力に対抗する術がないでしょ。手の大きさからして、填められないだろうし」
ローグは自分とエリヤの手を見比べ「ぐ……」と唸る。
「私なら、無傷であの子を止められるわ。急いで。目撃者は少ないうちがいい」
今ならまだ、ここにはローグと子ども達しかいない。
「……わかった」
口論をして、魔力を暴走させたまま放置する方がマズイと考えたのだろう。ローグは腕輪を渡してくれる。
エリヤは腕輪を握りしめ、レイに向かって一直線に走った。
風が強まった。
結んで短くなったスカートでも裾が浮き、膝まで風に晒される。
それでも止まらないエリヤに、レイは水をぶつけてくる。
衝撃と風の強さに、一度、二度と転びながら、エリヤはようやくレイ少年のもとにたどりついた。
無意識に自分に向かってくるものだけを攻撃していたレイは、手を掴ませるのを更に嫌がった。
足が浮きそうな突風に、ちりっと雷が混じる。
「いっつ……」
手袋で防げない足や腕に、痛みが走った。
けれどそれを無視し、レイを覆って守ろうとする水の中に手を突っ込み、彼の腕を捕まえる。
そして腕輪を押しつけた瞬間、風も、雷も、水さえが幻のように消え失せた。
レイ少年は、エリヤに腕を掴まれたまま、その場にくずおれるように気をうしなう。
エリヤはほっとしながら、腕でつり下げるようにしている少年に腕輪を填めてしまい、それから少年の体を抱えた。
水しぶきを被り続けたエリヤも、レイ少年もずぶ濡れだ。このままでは風邪をひいてしまう。
「早く誰か、この子のお母さんを――」
振り返って、ローグ達に言おうとした。
その時だった。
悲鳴と、魔力持ちだという言葉がエリヤの耳を打った。