番外編 10
その日、エリヤは夕暮れ時に帰宅した。
二階に直接上がる住居用の入り口を使う。この時間はフィーンは一階の店舗にいるし、グレイブは帰宅していないはずだった。足音を忍ばせるようにしたなら、誰にも見つからずに部屋に戻れると思ったのだ。
なにせ実験の失敗で煙でいぶされ、服までうっすらと煤けてしまっている。見つかれば何をしていたのかと、不審がられることうけあいだ。
が、扉を開けたままの居間に、ルヴェがいた。
「おかえり、エリヤ」
みつかった! と心臓が跳ね上がる。
当然エリヤの惨憺たる様子を目にしたからだろう。ルヴェはソファから立ち上がり、ゆっくりとエリヤに近寄ってきた。
「……」
エリヤは迷った。
ここで逃げたら、隠し事をしているとまるわかりだ。ならば何か作り話をするしかない。
煙にまかれてもおかしくないってどんな状況だろう。
必死に考える間にもルヴェは歩みを進め、目の前で立ち止まると、アゴをさらりとゆびでなぞった。
「なっ何!?」
「アゴの下なんて確認しなかったんでしょ。真っ黒だよ」
顎近くに拭い忘れた煤の跡が残っていたらしい。
一体原因は何だと聞かれるかとびくびくしていたエリヤは、差し出されたハンカチを見て目を見開いた。
「ほら、拭きなよ」
「え? う、ありがとう」
エリヤは「何で聞かないんだろ」と首をひねりながら、とにかく顔回りの煤を拭いた。白いハンカチはすぐに真っ黒になってしまう。
「で、作業は上手くいったの?」
「………!?」
油断したところで言われて、エリヤはひっと息を飲む。
「作業って、えっと」
「術式つくってるんでしょ。今日、あんたのこと見かけて付いて行ったから、しってるわ」
「……それって、監視?」
ルヴェは、公安の下で働いているのだ。当然昼日中も、それなりに職場にいたり、誰かについて歩いていたりしている。そんなルヴェが付いて歩くだけの時間を持てたとしたら、エリヤを監視しろといわれたのでなければ、ありえない。
「まぁね」
ルヴェはあっさりと監視を告白した。
「あんたがほら、最近外に出歩いてるから、心配してたお父さんからお目付役を仰せつかったのよ」
「え!? じゃ、グレイブにバレてるの!?」
術式をいじっていたということは、銃を造る可能性があるということでもある。もちろん銃を使わないで作ろうとは思っているが、グレイブは怒るのではないだろうか。
「あの、まだグレイブには報告してないよね? 後生だから黙っててくれない? 別に悪い事してないし。あ、そうだ。ルヴェの女装服、ほとんど私がもらっちゃったでしょ?」
「もちろんグレイブは知ってる」
「あとは捨てられちゃったし。その中の一着、ルヴェにこっそり戻すから。ね? ね?って……え、知ってる!?」
エリヤの叫びに、ルヴェはにやりとしながらうなずいた。
「もう報告済み。だけど、魔力制御がどうのって聞こえたからさ、その話したら黙認することにしたみたい。あんた相当信用されてるってことでしょ」
「あ………う………」
ルヴェの言ってることは間違いじゃない。間違いじゃないけど、なんだかほっとすればいいのか、疑わなさすぎることに不安を感じればいいのかと、エリヤは戸惑う。
その末に、ルヴェに尋ねた。
「ほんとに、ジェイドは黙認するっていうの?」
「もうあんたのこと監視しなくていいって言ってるんだからそうでしょ。たぶん、あんたが100年前の技術で暴走をなんとかできるのかもって期待してるのかもね」
確かに、エリヤはグレイブにはない知識を持っている。
100年後の技術なら、確かに魔力の制御はできるのだ。暴走させたことで酷い目に遭った子ども達を助けようとしてきたグレイブならば、そういう研究なら少々うさんくさい人間であるローグとエリヤがつるんでいても、放置しようと考えたのかもしれない。
ようやくそう納得できたエリヤは、改めて安堵した。
「あ、そーだ」とルヴェが付け加えた。
「魔力制御なら、二重回路にしなきゃだめよ。内部に接触する系統と外への系統と。あたしがしてた魔力制御のピアスはそうだったわよ」
「あ、あーーーー!」
エリヤは思わず絶叫する。
「そうだ! ルヴェなら魔力制御ピアスしたことあるわけよね! そうだルヴェに聞けばよかったんだ!」
万歳と手を高く上げ、エリヤはその場に座り込む。
灯台もと暗しだ。これを聞いて置けば、何日か分の遠回りを省略できたと思うと、がっくりとくる。
そしてふと気づいた。
「ローグも始めからルヴェに頼めばいいのに……」
エリヤは魔力が些少すぎて、100年後の代物を使ったことがないのだ。むしろルヴェならば使用感とか、使用上の注意とか、そもそも回路のことにも詳しいはずだ。
今からでもローグに紹介しようかと考えたエリヤに、ルヴェはため息をつく。
「あんた重要なこと忘れてない? あたしが学校通ったのは1年程度なのよ。技術だけならエリヤの方が上だし……ちょっと複雑なのとか、無理なわけよ」
「あれ……そうだっけ? うん、ごめん」
一年生だったのなら、まだ簡単な術式しか作れなかっただろう。火を吹かせるとか、単純な動作の術式なら作れたから、そういうものだけを以前のルヴェは量産していたのだ。
しかしごめんと言ったのに、ルヴェは頬をふくらませる。
「なんか謝られると、それはそれで腹立つわ~」
「え? どうして?」
「こっちが技術が上の人間が、できないって奴に謝るのって、なんか上位者の余裕を見せつけられてるみたいじゃないのよ」
「ルヴェって短気」
じゃあどう言えばいいのだろうと思ってエリヤが呟けば、ルヴェはさらに怒った。
「どうしてそれが短気ってことになんのよ、このおまぬけ女!」
「ひどい! おまぬけじゃないもん!」
そうして息が切れるまで言い合いをしたのだが、とにもかくにも、ルヴェは知る限りの事を教えてくれた。
なのでエリヤは、明日こそ完成させられるかもしれない、と浮き立つような気分でその日は就寝したのだった。