番外編 6
ひどい有様だ。
惨劇と言ってもいい。エリヤはそう思う。
二日かけ、定規を駆使してエリヤが描いた、美しい円と直線の織りなす術式達。
その図が床の上にまき散らされた上に、赤や黄色のチューリップが殴り書きされていたのだ。
あげく、炭筆で画かれた体より巨大なピアスをしたローグとおぼしき人物の絵まであり、ご丁寧に茶色と青で塗りたくられている。
昼食も抜く勢いでつぎ込んだ情熱が、全てパアだ。
「だから子どもを家に入れるなとあれほど……!」
唸るようにエリヤが言えば、ローグが一応悪いとは思っているのか、横を向いて言い訳する。
「仕方ねぇだろ、拒否したら余計怪しまれんだろが」
「それであんたの依頼が遅れたら、わたしの手間が増えるんだけど?」
「ちっ……うるせぇ奴だな」
「そのうるさい奴と早めに手を切りたいなら、とりあえずこれとこれ書き直して! 正確によ、せいかくにっ!」
術式は複雑になればなるほど、正確さが要求される。
よって落書きされた物など論外なのだ。
紙とペンと、花が上書きされた術式の図を渡すと、ローグは渋々ながらも大人しく受け取る。
なにせ彼が約束したのだ。なんでも協力すると。
一応、自分の言ったことは守る人らしいと、エリヤは変な感心をした。世の中、案外人に約束しておきながら反故にする人間は多いのだから。
「で、紙に書き続けた後どうすんだよ」
尋ねてきたローグは、さっそく書き写す作業を始めている。
「真鍮は用意してきた?」
「まぁそこそこだが。まさかこんな複雑な紋様を、真鍮で作るとか言うんじゃないだろうな?」
「あ、結構勘いいのね」
エリヤの返事に、ローグが「うそだろ……?」と呻く。
驚きすぎたのか、画く手は止まっていた。
「これ全部かよ」とチューリップだらけになった十枚はある紙を見つめた。
「もちろん紙の上に置いて、その形に火で炙ってどうにかするとか、そんなことしないわよ? 他の物も準備してあるわよね? 銀とか。銃も」
「用意したが……普通の銃でいいのか?」
「発動に必要なのよ。中身は改造して使うから、銃の形をしてれば問題ないわ。でもそっちの作業をするには、とにかく画かないと。続けてちょうだい」
「……」
ローグは眉を寄せ、じっとエリヤの画いた模様を見つめると、再び書き写す作業に戻った。
***
「何してんのあの子……?」
近くの崩れた煉瓦を積み重ねて足場をつくり、窓枠にぶら下がるようにして中をうかがっていたルヴェは、とりあえず、エリヤの身に何かがあったわけではなかったことで、少しほっとする。
それから自己嫌悪する。エリヤは魔力を扱う方法を知っているのだ。銃がなかったとしても、簡単に殺されるような女ではない。
心配した自分が馬鹿だと思いつつ、観察を続ける。
二人は何か作業をしている。
それがどうやら術式を画いているものだということは、遠目にもわかった。
先ほどの怒号以外は何を話しているのか聞こえないので、二人の関係についてはよくわからない。
一瞬、エリヤが術式を教えているのかと思うが、単純に模写をさせているらしい。
エリヤは術式を相手に教えているわけではないようだ。また、そういうことをするワケがない。術式をこの時代の人間に教えることは危険だ。今はまだ。
それに……
「あの子が、グレイブに嫌われることをするはずないのよね」
ルヴェが過去に落ちた後、匿い養ってくれたフィーンを盲目的に慕うように、多分エリヤもひよこの刷り込みのごとくグレイブを信じ、そして彼に背くことはないだろう。
「……いや、あるか?」
もしそれが、グレイブのためになることだったら。エリヤは自分の信念を曲げてしまうかもしれない。
ルヴェはしばらく考えた末、窓から離れて、その場から歩み去った。
***
「よし……」
数時間後。
書き上がった紙を確認し、ひとまとめにして机の上で揃えてエリヤは一息つく。
「まったくもう」
早くしなければならないというのに、こんなに時間がかかるとは思いもしなかった。今度はローグに厳命して戸棚の中に紙をきちんと隠させようと思う。
これで明日には実験に移れるだろう。
そう思うと、エリヤは手指がぞくぞくとしてきた。
考えてみれば、もう一ヶ月以上もの間術式の作成を行っていない。子どもの頃から父に習って術式をいじっていたエリヤとしては、今までの習慣を断っていたも同然だったのだ。
しかも魔力の借り手はいる。沢山の術式が作れるとあって、エリヤの口に思わず笑みが浮かんだ。
「この作業、そんなに楽しいのか……」
疲れたように言うローグを振り返る。彼は机の上にほおづえをついて、ぼんやりしていた。
「そりゃもう。だって私、術式銃を造るの好きだから」
「術式銃……ってのが、例の魔法を撃てる銃の名前だっけか。それでも女が銃を造るのが好きってのは珍しいもんだな。あの女装オカマが銃を造るって話聞いた時も、ぎょっとしたもんだけどよ」
ルヴェのことを思い出し、エリヤは思わず笑ってしまう。
「私やルヴェのいた時代は、術式でなんでも動かしてたから。魔力さえあれば、あとは術式の組成を理解していけば女の子でも術式は造れるもの。でも私は……父親が術式銃の技師だったから、その影響が強いせいでしょうね」
大好きだった父。
目の前で、術式銃で殺されてしまった父。
それでも銃を造って、人を喜ばせることもできると教えてくれたから。だからエリヤは、銃を造ることを辞めないでいられたのだ。
「親子で同じ職ってのなら、納得だな」
「あなたは? 鍛冶関係だとそういうの多いんじゃない?」
特に百年遡ったこの時代では、親の職を継ぐことが普通だったはずだ。
「まぁ似たようなもんだがな」
ローグは意外と素直に答えてくれた。
「俺は銃技師の師匠に拾われて、そのままこっちの職についたもんだからな。それもあるから、なおさら……暴走を止められる魔法ってのが欲しかったわけだ」
「止めたい相手が、お師匠様のご親族なの?」
――なるべく早く。魔力が暴走を起こしたりしないうちに封じ込めてしまいたい。
知ってる相手が周囲と自分を傷つけないように。
ローグはそう依頼してきたのだ。
この一見おちゃらけた外見の男が、人を脅してまで叶えようというのだから、かなり親しい相手であるのは、エリヤにも最初から想像がついていた。
また、魔力が暴走しやすいのは子供だ。
そしてローグが師に拾われて職についたというなら、その師に関する人だと推測できる。
エリヤは、彼が真面目に仕事をしてるらしき姿を見ている。おそらくその師のことをとても慕っているはずだ。
その予想は当たった。
「師匠の……娘の子供だ」
ああ、とエリヤは納得がいった。
彼を姉弟のように思ってくれた相手。そして彼自身が淡い気持ちを抱いている相手の子供ならば、なおさらに助けたいだろう。