終章
「それで、お兄様はどうなさったのですか?」
白いレースのカーテンを揺らす風が、そよそよと吹き込む薄青の部屋の中。
監獄離宮とあだ名される、アヴィセント・コートの一室だ。
アルスメイヤに問われたヴィオレントは、緑のカップをソーサーに戻し、続きを語った。
「あの女性、エリヤを追って鉄の街へ向かってね、殺されそうになった彼女を助けた後、魔法を使える銃を持つ者を皆殺しにしようとしたみたいだ」
アルスメイヤは表情をくもらせる。
「そんなことを……」
「けれど安心して。エリヤが止めてくれたから……僕の予想通りにね」
「予想ですか?」
首を傾げる少女に、ヴィオレントは微笑む。
「おかしいと思わなかったかい? 君の朴念仁で無感動に近いあの兄上が、必要があるとはいえ君にまで身元を確かめさせようとしたんだ」
「でもそれは、例の銃の扱い方を知っていたからだと兄から伺いましたが」
「普段のグレイブなら、それがわかった時点で、容赦なく自白させようとするだろうし、鉄の街を連れ回すだろう。けど銃撃された後はエリヤを鉄の街には連れて行かなかった。どれほど特別視していたのか、わかろうというものだろう?」
唇に桜色の爪をした指をあてて考え込んだアルスメイヤは、やがてくすりと笑う。
「そう言えば、お兄様が一年前に連れていらした女の子が言っておりましたわ。助けてくれたのは嬉しいけれど、あなたのお兄さんは人を物みたいに扱うので困る、と。あげく傷心の女の子を慰めてもくれないと言われて、謝ったことがありますわ」
さらに忍び笑うアルスメイヤに釣られるように、ヴィオレントも笑い声をたてる。
「きっとエリヤには違うと思いますよ。そして彼女がいる限り、グレイブもこんな無茶はしなくなるでしょう」
そうして一度、会話は途切れる。
アルスメイヤはカップに口をつけた後、ぽつりとこぼす。
「ずっと……私は心配しておりました。兄のことを」
そしてじっと耳を傾けてくれるヴィオレントを、まっすぐに見た。
「いつか、願いを叶えるために命までかけてしまうのではないかと思っていたのです。兄は、自分と同じ境遇の人や同じく魔力を持つ人を救うことで、捨てられてお母様まで失った心の傷を癒そうとしているように見えて。そんな人を救うためにならそのまま命を失っても、何とも思わないだろうと思えて、恐かった」
だから、とアルスメイヤは続ける。
「笑わないで下さいね、陛下。私ずっと、夜になると庭まで出て祈っていたのです。お兄様を守って下さる方が現れますようにって。二重螺旋を一杯書いてみては、消して」
「二重螺旋……?」
「魔力は金に輝く時の影よりいづる。時間の流れを、昔の人は螺旋で表していたそうです。それを聞いて、願いが届けばいいって」
それを聞いたヴィオレントは、なるほどとうなずいた。
「もしかしたら、アルスメイヤの願いは届いたのかもしれないね」
「え?」
今度はアルスメイヤが首を傾げる番だった。
「今の時代にはいなかったけど、未来で生きていたエリヤを、その願いで引き寄せたのかもしれない」
話しながら、ヴィオレントはグレイブに告げられた彼の『未来に起こるはずだった事』を思い返す。
アルスメイヤをヴィオレントに託し死んだグレイブのために、アルスメイヤはきっと願っただろう。
誰か過去に戻って兄を助けてくれと。
願いを込めたアルスメイヤの魔力が、エリヤを引き寄せたのだとしたら?
そうだったらいい、とヴィオレントは思った。
「それで、エリヤさんは今どうしていらっしゃるのですか?」
「結局、グレイブが面倒を見続けることにしたらしいよ。名目は、同じ未来の技術を知ってる子を監視するため、エリヤの知識が必要だってことだけど……ね?」
ヴィオレントは意味ありげに微笑んで見せた。
***
「手を出せ」
手錠をかけると言われかねない形相で言われ、エリヤは素直に両手を差し出す。
グレイブは平たい硝子容器からすくったクリームを、その手に塗っていく。
大きな指がすべるたび、エリヤは背筋がぞわぞわとして落ち着かない。変な感じがして、頬が熱くなる。
「あ、あの、もうそのくらいで」
たまらなくなって止めて欲しいと言ったが、グレイブに拒絶される。
「火傷が治らないだろうが」
そのまま結局じっと我慢させられ、ようやく包帯を巻いてくれる。
エリヤの手はあちこち水ぶくれになる火傷を負っていた。ルヴェに拘束されていた時、魔力を集中して紐を切った際に負った火傷だ。
グレイブは自分の時間があれば手当をし、包帯を変え、かいがいしいことこの上ない。そのことには感謝しているのだが、エリヤにも譲れない物はある。
「えと、大丈夫だよ?」
椅子から立ち上がろうとすれば、すぐに背にあてられるグレイブの手。
ソファに座ろうとしても、手をつけないのは大変だろうと、腰に手を回してくる始末。
グレイブは俺のせいでこんな怪我を負ったのだ、と言って聞かないのだ。あげく嫁入り前の娘に、残るような傷をつけてもうしわけないなどと、父親みたいなのか、それとも微妙な発言ととるべきかわからない事を言う。
「調子はどうだ?」
さきほどまでさんざ撫で回していた手を注視されて、エリヤは大変居心地がわるい。顔が赤くなる前に、どうにかしてくれないだろうかとは思う。
が、それは言い出せない。
心配したグレイブは隣に座って、傍にいてくれる心地よさを手放したくない思いもあるからだ。
――自分が運命を変えた人。
もう彼が処刑される事はないと思うと、エリヤはそれだけで幸せな気持ちになる。
そんなエリヤの耳に、よく知った声が届く。
「変態……」
見れば、半開きの扉の向こうからルヴェが顔を覗かせていた。
エリヤは、ものすごく焦ってルヴェに言い返す。
「ちょっ、なんてこというのよ! だいたいどこが変態だって言うの!」
「じゃあ言い直す。昼間っからいちゃつくな」
「いちゃっ……!」
絶句するエリヤの前にルヴェがやってくる。
彼は、あの長かった髪を切って男物のジャケットとズボンを身につけていた。不安から女装していた経緯があるルヴェは、どこか不安そうな目をしている。
これはグレイブがルヴェへ課した罰の一つだ。
少女の姿を改め、魔力を持つ公安協力者として表に立つ役目を果たすことと引き替えに、ルヴェはアヴィセント・コートでアルスメイヤの監視下において拘束される事から逃れたのだ。
閉じ込められて息がつまりそうになるくらいなら、多少のリスクぐらい何よ、と本人はグレイブに言っていた。
が、フィーンによると、グレイブのその申し出や今までの行動も偏見や差別を無くすための一環だと聞き、それならば協力すると決めたらしい。
彼もまた蔑まれたことがあるからこそ、この時代の人々の差別について物思っていたのだ。だからこそ銃を広めて、魔力持ち達が力を得ればいいと思っていたがゆえに、事件を起こしたのだから。
「これ、グレイブ宛」
ルヴェはぶっきらぼうに手紙を差し出す。
とりあえず今はグレイブの小間使いをさせられている。彼が役目を果たす前に、公安官達に魔力持ちである彼になじんでもらわないといけないからだ。
けれどはっきりと対立した後ろめたさもある上、全て吐き出してしまった恥ずかしさもあるのか、ルヴェはおよそ褒められたものではない態度をする。
グレイブは黙って受け取ったが、
「またそんな言い方して、失礼じゃないか!」
扉の影に隠れていたのか、フィーンが飛び出してきてルヴェの頭を叩く。
「いたっ、やめてよぅ姉さんひどいわ!」
「その女の言葉も治ってないみたいだね。もう一度練習するよ!」
フィーンはルヴェの襟首を掴むと、ルヴェを引きずって部屋を出て行く。
小柄なルヴェはわずかに背の高いフィーンに、なされるがままだ。
でもどこか安心している表情なのは、過去へ落ちて以来、自分を守り続けてくれた姉が、自分を見捨てないでいてくれることにほっとしているのかもしれない。
あっけにとられてその様子を見送ったエリヤは、ちょっとほほえましく思った後……ふっとため息をついた。
「まだ何か不安があるのか?」
「だってあたし、たぶん歴史を変えちゃったから。この後どうなるのか不安で」
結局、ルヴェは銃の製造方法を漏らしてはいなかった。
そのため銃を取り上げて、ルヴェを完全に監視下に置くことで未来の技術は流出を免れたわけだ。
けれど、グレイブに殺されるはずだった魔力を持つ人々は生きている。そして彼らは、銃を利用して魔術を使ったことを覚えているのだ。
いつかまた、同じ物を作ろうとする人間がいたら、と不安に思うのだ。
「だが、これで良かったとも俺は思う」
グレイブが言う。
「この一件で、魔力を持っていないと思われていた人間でも、多少なりと魔力を持っていることがわかっただろう。そして道具があれば魔力を利用できることが、広まっていく。人は自分が扱えない、そして未知の物を恐れる。けれどそうではないとわかれば、抵抗は少なくなる。ひいてはそれが、魔力を持つ者への恐怖を和らげるだろう」
そしてグレイブの目的達成にも近づく。
魔力を持つ者への偏見や恐れを無くし、彼らが普通の人々と一緒に生きて行けるようになることがグレイブの願いだ。
「俺が彼らを根絶やしにしなくてはならないと思ったのは、銃製造の知識を持つ者が誰なのか特定できないと思ったからだ。お前がいなければ、ルヴェが未来から来たとは知らずにいただろうし、ルヴェもそんな事を言いはしなかっただろう。より良い方法を選べたのは、エリヤのおかげだ」
エリヤのおかげ。
その言葉に、エリヤは心が温かくなる。
何もできないと蔑まれ卑屈になっていた自分でも、人のためになることができたのだ。
けれどエリヤが感動に浸っているというのに、行動はさておき脳内は通常運行のグレイブは、さっさと現実的な話しを進めてしまう。
「何か礼ができればいいのだが。何か欲しいものはないか?」
しかも一連の行動で、グレイブは照れる様子すらもないのにエリヤばかりどきどきさせられるのもちょっとむっとした。だからエリヤは、言ってみた。
「じゃあ、あたしがいいって言うまで死なないで」
恋人みたいな我が儘。
どうせ照れもせず、拒絶するんだろうと思ったからこそ聞いてみたエリヤだったのだが。
グレイブは少し驚いたように目をみはり、それからとても柔らかな笑みを見せてくれた。
「いいだろう。俺の運命をお前に預ける」
あまりに真っ直ぐな言葉に、エリヤは恥ずかしさが許容量を超えそうになった。が、
「親代わりだからな」
「親代わり!?」
叫んでしまったエリヤに、グレイブは重々しくうなずく。
「最初に拾った時にな、お前はうわごとで父親を呼んでいたんだ。その時に、拾った以上は親代わりとして保護してやらなくてはと考えていた」
グレイブの発言に衝撃を受けたエリヤは――でも、それでもいいと思った。
生きていてくれるなら、未来は自分の努力次第なのだから。