8章 貴方の秘密を教えて下さい 5
目を覚ますと、辺りには誰もいなかった。
エリヤは起き上がろうとして、後ろ手に縛られた状態でもがき、
「うわっ」
作業台から落ちてしたたかに尻を打った。
「ううっ、情けな……」
痛むけれど、とりあえず起き上がることはできた。そろそろと立ち上がりながら、工房に完全に人がいないことを確認して、エリヤは紐を切る物を探す。
「ない、ない、ない」
鉄を固定するペンチみたいな器具やらはあるものの、ナイフやハサミのたぐいが見あたらない。
しかもいつの間にか手を縛る紐の一端が作業台の足につなげられていて、広範囲には動き回れなかった。
まるで繋がれた犬みたいで、ますます泣きたくなる。
「でも、なんとかしなくちゃ」
自分が気を失ってどれほど経つのかはわからない。けれどグレイブに知らせなければ。そのためにはこの紐を切って、脱出する必要がある。
エリヤは作業台に座り直し、自分の手を戒める紐を見つめた。
白っぽい、麻紐のようだ。おかげで手首がちくちくするし、こすったのか赤くなっている。でも、きっと燃えやすいだろう。
エリヤは目を閉じて自分の手に集中した。
手をよじり、指先が紐に当たるようにした上で、指先から魔力が流れ出すところをイメージする。
「銃でできるなら、紐だって出来るはず」
金属がくにゃりと曲がるためには、それなりの温度が必要だ。そのために魔力を注ぎ、熱した上でイメージ通りに変化するよう覚え込ませるのだ。
紐ならば、鉄が溶ける温度ならば発火するはず。
「燃えろ燃えろ……」
呟きながら念じる。
流れ出したエリヤの魔力が、紐を内側から発熱させはじめる。
手首が熱くて痛い。でも我慢した。このままでは火傷で水ぶくれになるだろう熱さに泣きそうになりながら耐え、一気に両手首を左右に引いた。
「あっつ!」
紐はなんとか切れた。
エリヤはすぐ水を求めて走り回り、隅にあった水差しの水を手首に掛け、ほっと息をつく。ひりつく痛みは残ったが、大事ない程度だろう。
元の位置に戻れば、熱を込めた紐は炙られたように黒く変色して床に落ちていた。
「さて、ここを出なくちゃ」
手を裾で拭ったエリヤは、ポケットの中に入れたままだった手袋を履く。銃もない状態では、これしか防御手段がない。
次いで外へ続く扉にとりつき、聞き耳を立てる。
けれど閉じている状態では、分厚そうな鉄の扉は向こうの音など届けてくれない。かといってここで待ち続けたあげく、ルヴェ達が戻ってくるのと鉢合わせるのは嫌だった。
息を吸って、そろりと扉を開けてみる。
特に音は聞こえない。代わりに、
「もう紐を焼き切ったか。多少頭は回るようだな」
外で見張っていたのだろう男と目が合った。
日に焼けた顔をした中年の男に、エリヤは工房の中へ向かって突き飛ばされる。
「だから見張りなんて悠長な事しないで、こんな子鼠は殺しておけって言ったのに、あのカマ野郎」
愚痴りながらも、男は淡々と手に持っていた銃をエリヤに向けた。
銃口が火を噴く。
エリヤはとっさに右手を出す。
目の良さだけが自慢のエリヤは、あやまたずに炎を手で打ち払った。
「なっ!」
男が驚いた。
未来の技術である術式銃のことは知っていても、手袋のことについては知らなかったのだろう。
その隙を狙い、エリヤは横を駆け抜けようとした。
「不意をついてもそのトロさじゃぁな」
すぐに肩をつかまれて引き倒される。
痛みに呻いている間に、両手首を掴まれてまとめあげられ、銃口を顎につきつけられた。
火傷した手首を掴まれて、痛みにエリヤは悲鳴を上げた。
「ふざけたことしてくれるんじゃねぇかよ」
銃の冷たさが、顎から首へと移動する。
エリヤは背筋が凍った。
炎で確実に殺すために、首に魔法を打ち込む気だ。
けれどルヴェなどと違って、男は人を撃つのに逡巡もない。最初からエリヤを殺す気でいるのだ。
命乞いしても無理。
諦めて、目を閉じたエリヤの耳に宣告が届く。
「死ね」
「――死ぬのはお前だ」
耳をつんざく銃声と悲鳴。
恐怖に身をすくめたエリヤは、手首を離されたとたんにその場に座り込む。
そして自分が撃たれていないないことに気付いた。
「え?」
けれど見回すより先に、誰かに抱きすくめられる。
先ほどの拘束とは違う。懐に隠すように抱え込まれたエリヤは、服から薫る匂いに、胸をつかれるような痛みを感じながらその人を見上げた。
「グレイブ……」
グレイブは男から視線を外さず、二撃、三撃と射つ。
エリヤは、あれほど恐かった銃声が、今は自分を守る力強い音に聞こえることを不思議に思った。
一方の男は、肩から血を流して床を転げ回っている。
そのまま勝敗が決するかと思えたが、グレイブの銃の弾が尽きた。
カチカチ、と撃鉄だけが鳴る。
それに気付いた男が、憎しみにたぎる形相で銃を撃つ。
グレイブはエリヤを抱えたまま、横へ飛び退いて炎をさけた。
「子鼠ともども失せろこの悪魔野郎!」
男はさらに引き金を弾く。
エリヤはもう一度手袋をした手で遮ろうとしたが、グレイブに両手で抱え込まれてうごけなくなる。
庇う気だろうかと青ざめたエリヤの目に映ったのは、表情を変えないグレイブの顔だった。




