8章 貴方の秘密を教えて下さい 4
「わたし、たぶん未来から来たの……」
そう言われた瞬間、グレイブの心に浮かんだのは疑惑だった。
当然の思考をしたはずなのに、すぐに自己嫌悪に陥った。
――どうして自分は、彼女を信じてやれないのだろうと。
「そうか。完全に撒かれたな」
公安官庁の一室。堅牢な黒い執務机に肘をついていたグレイブは、部下の報告にうなずいていた。
あの攻撃の直後、駆けつけた衛兵の数名が先に敵を追いかけた。
しかし敵は何種類もの銃を用意していたのだろう。風を操って宙を駆け、やがて衛兵達の目をくらませてしまったようだ。その後更に大人数を投入して犯人が消えた辺りを捜査させたが、結局見つからなかったのだ。
「申し訳ございません」
渋い表情で頭を下げる部下に「気にするな」と声をかける。
「相手は魔力持ちだ。今までも正攻法では捕縛できなかった。別なやり方を考えるしかないのだろう」
部下は顔を上げる。
「では、以前から計画していた通り、アヴィセント・コートの罪人を?」
「力さえ使わなければ暴走はあり得ない。捜査に同行させる許可をとろう。そうなれば、魔力の痕跡を感じて、行方を追いやすくなる」
暴走させてしまうほどの魔力を持つ者ならば、魔力の気配に敏感だ。その感覚を辿らせれば、普通に捜査するよりも格段に精度が上がるだろう。
「しかし……志願する者がいますかね? いたとしても、公安官達も対応できるかどうか」
部下の懸念についてはグレイブも考えていた。
生まれながらに迫害されてきたのだ。あの穏やかな箱庭から出て、再び世間の凍り付くような風に当たれと言われて、尻込みしない者はいない。
一方で、公安官達はそんな風に怯えた魔力持ちの人々を見てきたので、総じて同情的だ。最初こそ世間と同じ感覚を持っていたようだが、容赦のないグレイブの対応に、なおさら可哀想だという気持ちをかき立てられている。
しかし他の多くの人々は違う。
公安官が連れているのが魔力持ちだと分かった瞬間、石を投げてきてもおかしくはない。
結果公安官が魔力持ちを庇ったなら、人々は公安官にも反感を抱くだろう。
思考を重ねるため目を閉じかけたグレイブだったが、扉をノックする音に顔を上げ、飛び込んできた男の姿に右眉を跳ね上げる。
「どうした」
まだ若い公安官は、走ってきたのかぜいぜいと息をつきながら白い紙片を差し出してきた。
「ふ、副長官、これを」
受け取った紙片は、グレイブも見慣れているフィーンの店の注文を書き留める紙だ。珈琲や紅茶といった商品名が並ぶ欄の上から、走り書きされているのはフィーンの字だ。
《エリヤが外へ出たまま、姿を消した》
見た瞬間、グレイブは立ち上がった。
「どちらにせよ捜索は一時中断だ。今日はもう皆を休ませろ」
グレイブは扉を開けて部屋を出た。
公安官庁の中では、まだ早足だった。あまり焦る姿を晒して、行き交う者の不安を煽りたくなかった。それは権限を望んだ自分が得た官職と、引き替えの義務のようなものだ。
しかしそこでグレイブはふと我に返る。
(焦る?)
どうして自分は焦っているのだ。エリヤが逃げたと思っているからか。
「逃げる……か?」
念のため見張りをフィーンに頼んでおいたとはいえ、エリヤはグレイブが戻るまで大人しく部屋で待っていた。
それを見て、グレイブはほっとしたのだ。
エリヤには何ら後ろ暗い所などないのだと。
何よりあれだけの荒唐無稽な話しを口にした以上、もうエリヤに逃げる必要などない。きっとグレイブの答えを待っていると思っていたのだが。
「何故外へ出た?」
そこでふと思い出すのは、エリヤが告白してきた時のこと。
とても思い詰めた瞳をして、グレイブを見ていた。
嘘をついているというよりも、信じてもらえるかという不安と、頬に滲んだ諦めの影は自分でもありえない話しをしていながら、彼女にはどうしようもなかったからではないだろうか。
それでも今すぐ判断はできないとグレイブは思ったのだ。あまりに事が異常すぎた。
本当に過去へ人が移動するというのなら、魔法が関与していてもおかしくはない。けれどグレイブには何も分からなかった。せめてアルスメイヤに確認させてからと考えたのだ。
けれどエリヤは家を出た。
答えを保留したことで、逆に信じてもらえないと早々に絶望したのかもしれない。
そう考えつくと、グレイブはわけもなく走り出していた。
「副長官、馬車を……」
「いらん」
公安官の一人が、近くにあった馬車を寄せようかという言葉に、すげなく答えて走り続ける。
なぜこんなにも自分が焦るのかわからなかった。
けれどゆっくりと馬車を寄せ、じっと家まで揺られることに耐えられないことだけはわかっていた。
こんな風に走っていてさえ、ここ数日のエリヤの表情や言葉が脳裏を廻るのだ。
拾った時、父親を呼ぶか細い声。
目覚めた時に、外の風景を見て衝撃を受けていた事も、演技とは思えなかった。
鉄の街からの帰りに、グレイブを庇ってみせたくせに、恐がって泣いてしまったエリヤ。
アヴィセント・コートでも、エリヤはグレイブを助けるために銃を手にとり、あの白い手袋で炎すら遮って見せた。そんなことをすれば、かならず自分の正体について追求されるとわかっていただろうに。
そして観念した様子でグレイブに告白したはずだった。
追求されることからは逃げなかった。
なら、グレイブの答えから逃げたのだ。
――信じてもらえないのが、恐くて。
「ちっ……」
舌打ちして、グレイブはフィーンの店を目指した。
宵が深くなった時間だ。
フィーンの店も、扉に営業終了の札を出していた。けれど必ずここにいると思って駆け込めば、カウンターにいたフィーンが驚いた様子で息を飲んだ。
「……エリヤは!?」
問いかけたグレイブに、フィーンはグラスの水を差しだしながら答える。
「ルヴェが気晴らしに出かけるって連れて行ったみたいなんだ。変にそこで疑いをかけたら、不審がられると思って止めなかったんだけど……。そしたら、途中でいなくなったってルヴェが真っ青になって返って来たんだ」
「どこへ行くとは?」
「ルヴェが言うには鉄の街の方だって言ってた。捜査員の人にも言ったんだけど。聞かなかった?」
聞かなかった。いや、尋ねることすら思いつかなかったのだ。
自分の焦りようを思い知らされて、グレイブは額に手を当てる。
「グレイブ、私も探しに出ようか?」
「いいや。知らせてくれただけで十分だ」
そして身を翻し、再び外へ飛び出した。
通りに出たグレイブは、今度は行き合った馬車に飛び乗った。
鉄の街へ行くなら、走るよりもこちらの方が早い。何より、行き先を聞いて少し落ち着いたのもあった。
「しかしなぜあそこに?」
エリヤが鉄の街に行ったのはグレイブと一緒の一度きりだ。知り合いがいるわけでもないはずだ。
馬車を止めさせて降りる。鉄の街の手前にある路地に着いたのだ。
夜になったのと、最近の事件が治まらないことからか、酔った人間の一人もいない。
静かすぎた。
グレイブは懐から銃を出しながら、辺りの気配を探った。
一人、二人、三人……十人はいる。
そこで閃光が路地に弾けた。
警戒していたグレイブは路地の角へ隠れて避け、続く炎も彼には当たらなかった。
代わりに煉瓦が焼け焦げ、石畳の隙間から伸びかけていた草が炭化してくすぶる。
「傷害罪の現行犯だ」
グレイブは角から腕を伸ばし、銃を構えて照準を合わせる。
紺の瞳が一瞬、金の輝きを帯びた。