7章 貴方の上司とお会いします 3
「では、今日ここへきた理由をお話しましょう」
グレイブは常と変わらぬ様子で話を進めた。
「まず彼女は、私が路地で倒れていたところを拾った者で、エリヤといいます。親や故郷を探してやりたいのですが、記憶を失っていて、不可能でした。そこで行方不明者のリストなどを当たりましたが見つからず、些少なりと魔力があるようなので、一時でもここにいた可能性がないかと思って連れてきたのです」
実にグレイブらしい素っ気ない報告に、アルスメイヤが先に反応した。
「それで私を訪ねてくださったのですね」
彼女は納得したようにうなずき、それからじっとエリヤを見つめてくる。
ふわりと、柔らかな刷毛で撫でられたような感覚を頬にかんじた。
さわられた、とエリヤは思った。
けれど実際にはアルスメイヤの手は動いてすらいない。
でもこの感覚には覚えがあった。元の時代で、魔力を測定するときに受けた術がこんな感じだった。
(魔法……?)
魔力によるものだとすれば、アルスメイヤは実に魔力の高い、そして制御の上手な人のはずだ。
そもそも魔力は扱い辛い。
すぐに跳ね回る子犬のように落ち着きのない魔力を、自力で炎や水に変化させるのはかなり難しく、そのため魔力の暴走事件が起きやすかったのだ。
が、人は術式を研究し、そこに魔力だけを注げば思い通りの効果が現れるように工夫してきた。それを生活の様々な場面で用いているのが未来の世界だ。
エリヤの魔力測定をした政府の係官すら術式を用いていたのに、アルスメイヤはそれすらしていない。
彼女はやがてふっと息をついた。
「おそらく、このアヴィセント・コートにいたことのある方ではありません。私の魔力の痕跡を残しておく『楔』の存在がありませんので、まず間違いない……と思います」
「君が言葉を濁すのはめずらしいね?」
ヴィオレントの問いに、アルスメイヤは困った様な顔で答えた。
「うっすらと私の魔力の気配があるような気がしたんです。けれど、この離宮自体に魔力を逃がさないように術をかけていますから、おそらくそこを通り抜けた残り香かもしれません。それにエリヤさん位の魔力の量なら、普通の人として暮らして来れたでしょうから、この離宮に来るような状況にはなかったと思いますわ」
魔力が少ないと太鼓判を押された感じがして、エリヤはちょっと落ち込んだ。
「そうか。魔力があるなら、一度ここに幽閉された後で攫われた可能性を考えたのだが……違ったか」
グレイブが断定してうなずいた。
話の流れから、アルスメイヤは魔力で幽閉された人に印をつけていたようだ。
それが術者である彼女に感じ取れないので、アヴィセント・コートには居なかったと判断したらしい。
魔力を計るだけならまだしも、人に魔術で印までつけられる彼女は一体なんだろう。
ここにいる以上、彼女も魔力を持つから幽閉されている人のはずだ。
けれど豪華な部屋を持ち、幽閉者の管理をしているらしい上、国王や公安副長官が会いに来るのだ。
「あの、アルスメイヤさんはどういう方なんですか?」
尋ねると、ヴィオレントがため息をついた。
「グレイブ……君はそんなことも説明しないで連れてきたのか?」
「知らなければ外に漏らすこともないかと思いまして」
しれっと答えるグレイブに、ヴィオレントはすっかりあきれ顔だ。
「済まないね、エリヤさんと言ったかな? グレイブは四角四面の人間なものだから、機密の扱いにも融通が利かないというか、離宮の中に入れた時点でもう機密どころじゃないとは思うんだが」
片手を額にあてるヴィオレントは、苦悩を滲ませながらエリヤに話してくれた。
「アルスメイヤは王家の親族なんだ。王家の人間が魔力を持つことを隠すために、彼女をこの離宮にとじこもってもらうしかなかった。だからここは本来、彼女の家なんだよ」
エリヤはああ、と納得した。
一目見た瞬間お姫様だと思った感覚に間違いはなかったのだ。そして王族であっても、この時代では魔力を持つ限り排除の対象となるのだ。
「でも、お家を他の人の幽閉所に開放してらっしゃるんですか?」
「魔力を持つ人間を普通の牢に入れるわけにはいかないんだよ。誰かがその魔力を抑えねばならない。アルスメイヤは生まれながらに高い魔力を持っていた上、それを買って出てくれたんだ。それに、基本的には『保護』するためにここに幽閉しているんだ。外の世界は、魔力を持つ者に厳しすぎるから」
ヴィオレントの言葉に、エリヤはなるほど、とうなずいた。
この時代の様々な迫害については歴史として学んでいる。
魔力を持つ人間は、半数は幼少時にそれが発覚する。無自覚に魔力を使ってしまうからだ。そして実の親に人知れず処分される者も多かったという。
生き延びても、隠し通せなければ他者によって迫害される。
犯罪をおかした上で捕まり、幽閉される者はごくわずかなのだ。
するとアルスメイヤが静かに言葉を添える。
「私が保護することはできます。けれど守られていても、ここはやはり狭い世界でしかありません。いつか……。私が死んだ後の世でもかまわないのです。魔力を抑制する術を手に入れ、そして他の人々に受け入れられる世界に変わってくれればと、願うことしかできません」
アルスメイヤの哀しげな表情に、エリヤは教えたい衝動に駆られる。
それは叶う夢だと。
十数年後にはこの離宮自体が使われなくなり、煉瓦の塀の向うにある庭やその周辺は穏やかな墓所として使われるのだ。離宮はお化け屋敷扱いされるけれど、そこにはもう、誰もいない。
「いつまでかかるか分からない。けれど私もグレイブもできる限りのことを続けていく。だからきっと、貴女の願いは叶うよ」
ヴィオレントが優しく彼女に告げる。
小さくうなずくアルスメイヤに、グレイブも穏やかなまなざしを向けていた。
三人の様子から、エリヤにもその絆が伺えた。
ヴィオレントは同じ王族として彼女と交流があったのだろう。そしてエリヤには彼がアルスメイヤに惹かれているのだと感じられた。
一方のグレイブも、ヴィオレントへの忠誠心からではなく、アルスメイヤ個人に親愛の情を持っているように見えた。
ヴィオレントへは敬う姿勢を崩さないのに彼女にはぞんざいな態度をとる所から、個人的な交流を持っていたのだろう。
グレイブも、アルスメイヤが好きなのだろうか。
ふと思い浮かんだ疑問に、エリヤは胃が縮むような感覚におちいる。
なんとなく考えてはいけないような気がして、エリヤはその疑問を忘れようとした。
「では用が済んだので戻ります」
グレイブはあっさりと立ち上がった。
遅れまいとしたエリヤと一緒に、ヴィオレントまで立ち上がる。
「僕もそろそろお暇しよう。ではまた」
そう言ったヴィオレントと振り返りもせず出て行くグレイブに、アルスメイヤは寂しげな笑みを見せたのが印象的だった。