7章 貴方の上司とお会いします 2
グレイブが連れて行ってくれたのは、昨日行きそびれた監獄離宮アヴィセントコートだ。
「ふえ……」
視界一杯に立ちはだかる灰色の石壁に圧倒されたエリヤは、思わず壁の先を追って首を上向ける。
真上を見上げるような位置に石壁の天辺があり、曇りがちな空は半分に分断されたように見えた。
「口を開けたままでいると、ゴミが入るぞ」
注意されてエリヤは前に向き直る。
監獄離宮とあだ名されているだけあって、入り口の警備は強固だ。エリヤには古典的に思える鉄扉の前には四人の赤い上着を着た衛兵が槍を持って立ち、門の内側には十人の衛兵が待機している。
彼らはグレイブの顔を見知っているのだろう、彼が近づいただけで粛々と中へ迎え入れてくれた。
緊張に拍動する胸を押さえていたエリヤだったが、恐ろしいほど高い塀の向うへ足を踏み入れたとたん、意外さに目をまたたいた。
「なんか、なごやかそう?」
目の前に広がるのは、よく手入れされた庭園だった。
所狭しと家が建ち並んだ街路とは違い、広々とした芝と花壇が美しく配置され、葉を茂らせた木が柔らかな影を落としている。
咲いている花々のほのかに甘い香りもして、そよ風に舞飛ぶ蝶の姿を見ていると、別世界に迷い込んだような気分になった。
そんな光景が町三つ分ほど広がっている。
唯一、そこが監獄離宮らしいと思えるのは、庭園の向うにあるはずの建物を隠す、もう一つの高い壁だ。けれどこちらは赤茶けた煉瓦でできていて、灰色の壁の威圧感とは比べものにならないほど穏やかそうに見える。
グレイブは見慣れているのだろう、美しい風景を一顧だにせず、石畳の道を先へ進んでいく。
少し歩き疲れたと思いはじめたところで、煉瓦の壁の前にたどりついた。そこにも衛兵が二人いて、グレイブとエリヤのために扉を開いてくれる。
ようやくその全貌が見えたアヴィセント・コートは、アーチを描く出窓が並んだ美しい白亜の建物だった。
「これが監獄?」
魔力を持つ人間が、強制的に閉じ込められる場所だというには、明るい。
エリヤは信じられない気持ちで、グレイブと共に宮殿の中へ入った。
内部も美しく整えられている。玄関ホールの磨かれた石の床は靴音をよく響かせ、衛兵は何人もいるものの、グレイブに一礼する以外は特に監視の目を向けてくることもなく、ゆったりしているように見える。
むしろ一番外側の門にいた衛兵の方が、威圧感が強かった。とエリヤは思い返す。
そんなこんなで、身分違いの豪邸に招待されたような気分になりかけたエリヤだったが、あくまでここは幽閉場所なのだ。
「ぐ、グレイブ……さん」
「なんだ?」
エリヤがぐるぐる見回している内に、衛兵の一人と二言三言ほど話し終わったらしいグレイブに、声をかける。
「あの、どうしてあたしをここに連れてきたんでしょうか?」
歴史的建造物。
しかも過去の使用真っ最中の状態を見られるということで心が浮き立っていたエリヤだが、考えてみれば変なのだ。どうしてこんな場所にエリヤを連れてこようと考えたのだろう。
まさか、エリヤがちまっとした量であっても魔力を持っていると気付いて、ここに押し込めるために連れてきたのだろうか。
エリヤの怯えを感じ取ったのか、グレイブは「妙な想像はしなくていい」と前置きした。
「お前をここに幽閉するために連れてきたわけではない。むしろ……ここに見覚えがないかと思ってな」
「見覚え?」
アヴィセント・コートに入ったことはない。だが『入った事がない』事を覚えているとバレてはまずいので、エリヤは口ごもる。
「初めてだと……思います」
「記憶がないのだから仕方ない。では、見知っていないか中にいる人間に聞きに行くとしよう」
一体誰に?
と言いたいエリヤを置き去りにして、グレイブは先ほど会話をしていた衛兵に尋ねていた。
「アルスメイヤは在室か?」
「お部屋におられます。いつものお客様もご一緒に」
「……そうか」
女の子の名前? とエリヤは首を傾げる。
「お前に引き合わせるべき人間がいる。ついてこい」
一体それが誰なのか、尋ねる間も与えずグレイブは歩き出した。
公安副長官だけあってアヴィセント・コートは勝手知ったる場所なのだろう。グレイブは自宅の中のように迷いなく進む。
足の長さの違うグレイブは歩くのも速い。
エリヤは遅れないように気を付けているうちに、エントランスから続く中央階段を昇り、二階の廊下を歩き、中庭を見下ろす回廊を通り抜けた末に、優美な白木の彫刻扉の前へたどりついた。
グレイブが扉を叩く。
すると中から、男性の声が応じだ。
(え? アルスメイヤって男?)
女性名を使う男がいないでもないが、と思ったエリヤだったが、扉が開いてその理由に納得がいく。
淡い、水色と桜色の色調で整えられた部屋だった。
その中で浮かび上がるように見えるのは、琥珀色の家具とソファ。
部屋の主はソファに座っている少女だろう。太陽の光を細く依ったような髪を長くのばした彼女は、深い青のドレスを着ている。
お姫様がいる……と思って見つめていると、少女がエリヤと視線を合わせ、微笑みかけてくる。
少女の向いにあるソファから、少女とさして変わらない――あるいはエリヤとそう年が変わらない――少年が立ち上がった。
こちらはグレイブと同じ黒緋のコートを着ていて、淡い色調の部屋の中で恐ろしく目立っている。
髪は深い琥珀の色。どこかで見たことのある整った顔だちの少年は、髪と同色の瞳でグレイブに笑いかける。
「先に来ていたよ、グレイブ」
するとグレイブが、その場で胸に手を当て一礼した。
目を丸くするエリヤの前で、そのままグレイブは丁寧に応じる。
「常よりご厚情を頂き、誠にありがとうございます。陛下」
「へい……っ!?」
思わず声を出してしまい、エリヤはとっさに口を押さえた。が、最後の一音しか防げない。
おかげで姿勢を戻したグレイブやお姫様のような格好の少女、件の少年までが一斉にエリヤを振り向いた。
気まずい。
その一方で、どうしてエリヤがこの少年に見覚えがあったのかわかった。過去に来たと分かった日、新聞で見ていたのだ。現在の国王ヴィオレントの絵姿を。
そんな人がなぜ監獄離宮にいるのか。
焦りと困惑で頭がぐるぐるしはじめたエリヤの頭を、グレイブが軽く叩いて宥めてくれた。
「慌てるな。言わなかったのは悪かった」
「だ、だってヘイカなんでしょう!?」
貴族制度が有名無実化した未来でも、国王になんて会ったことはない。
どんな対応をしたらいいのかと、無駄に手をばたばたさせていると、くすくすと笑い声が聞こえた。
笑っているのは、お姫様みたいに綺麗な少女だ。
「グレイブ様が悪いと思いますわ。陛下がいらっしゃっても、ここはあくまで私的な空間。だから臣下の礼をとらないようにと常々言われていましたのに。でも、いつも隙のない方が珍しい事」
「アルスメイヤ……」
グレイブが不服そうな表情になる。
それも気にせず、アルスメイヤと呼ばれた少女は続ける。
「あと、私の元へ女性の方を連れてきたのも初めてですわね」
言葉に含みを感じて、エリヤはなぜか胸が騒ぐ。グレイブに気安く名前を呼ばれている、綺麗な人。そんな人がエリヤを連れてきたことを揶揄する理由を想像し、まさかと思う。
グレイブと付き合っているのだろうか、と。
だとすると、先に部屋に来ていたヴィオレント王はどうなのだろう。この少年王もアルスメイヤと親しげだ。
「それは嫉妬ですか? アル」
愛称で呼ばれたアルスメイヤは、楽しげにヴィオレントに答える。
「そうかもしれませんわ。だってあんなに可愛らしい方を連れてくるのですもの。ねぇグレイブ様。その方はどのような方なのか、教えて下さいません?」
可愛らしく拗ねたように言われたグレイブだったが、彼の方は普通に尋ねられたのと変わらない対応をする。
「彼女の話をしに来たのは確かだ。おいで、エリヤ」
グレイブは、そっとエリヤの腕を掴んで引いて部屋に入る。扉の閉まる音を聞きながら、エリヤはソファの傍に立った。
するとヴィオレントが立ち上がる。
「女性を立たせて置くのは忍びない。お嬢さん、どうぞ座って下さい」
「う、えっ、でも……」
王様を立たせて自分が座っていいものか。相手は王様なのだ。戸惑ったエリヤは、とっさに横にいたグレイブを見上げた。
グレイブは初めて見るような嫌そうな表情をして、ヴィオレントに苦言を呈する。
「一般庶民を困らせないで下さい、陛下」
「どこに困らせる要因が?」
本当にわからない様子で、ヴィオレントは首をかしげる。
「エリヤは、アスルメイヤとは違います。あなたに慣れていないのに、国王が立つから座ってくれと言われて、はいそうですかと言えるわけがない。彼女に座ってほしいなら、気兼ねしなくてもすむように陛下はお座りになったままでいて下さい」
「別に私は立っていてもいいのだが……。お前がそう言うなら従おう」
ヴィオレントは納得していない様子ながらも、アルスメイヤの隣に腰を落ち着ける。
確かにヴィオレントが座ってくれるなら、エリヤも少し気が楽だ。最後の一押しにグレイブに促され、彼の隣に座った。
王様と差し向かいになってしまうが、それでも肩が当たりそうなほど傍にグレイブがいてくれるので、緊張は少し抑えられる。




