5章 貴方の部下と散策します 4
エリヤはそのまま、長いことじっと考えていた。
グレイブに何もかも話して運命を変えてしまったら、エリヤだけならまだしも、ルヴェや沢山の人達の運命まで変えてしまいかねない。
でも、失われると知っていて黙っているというのは、納得できない。
こんな過去にやってきた意味があるとしたら、それを止めることじゃないのかと、そんなことまで考えた。
ふと、気分転換に外へ出ようと思った。
何かいい案でも思い浮かぶかもしれない。エリヤは、着替えることもしないまま部屋を出て、階段を下りた。
その時つい、裏口ではなく喫茶店へ出る扉から出てしまった。
カウンターにいたフィーンと目が合う。フィーンは微笑んで手招きしてくれた。
「お茶を入れてあげるよ。飲んでいかないかい?」
言われて、エリヤは喉が渇いていることに気付いた。
お言葉に甘えて、カウンターの椅子に腰掛ける。
たまたまお客がいない時間だったのだろうか、店の中にはエリヤとフィーンだけで、ティーポットにお湯を注ぐ音だけがささやかに響く意外は物音もしない。
やがて差し出されたのは、白磁のカップに入れられたミルクティーだ。
礼を言って一口のむと、暖かさとおいしさにほっと吐息がもれた。
「ミルクティーが好きなんだね。お砂糖は?」
フィーンに尋ねられてエリヤは首を横に振る。
「いいえ。お砂糖はいいです。お砂糖なしのミルクティーが、好きなんです。昔お母さんがよく入れてくれた思い出が、うっすら心に残ってて……」
だから、飲むと落ち着くのだ。記憶喪失だという設定を思い出し、エリヤは慎重に言葉を選んでそう話した。
フィーンは変な顔もしなかったので、特別変だとは感じなかったようだ。
だから馬鹿にせずに聞いて貰えると感じて、エリヤはつい心の中にあった言葉をこぼしてしまう。
「もう子供じゃないのにこんなんじゃ、弱すぎてだめですよね。いつまでもお母さんの思い出にすがらないと落ち着けないなんて」
欲を言えば、父の形見の銃も抱きしめていたい。
ミルクティーと銃。この二つがエリヤにとっては、両親の代わりみたいなものなのだ。
「そんな風に卑下しなくてもいいと思うよ」
フィーンは匙を磨く手を止めて、エリヤを見つめてくる。そしていたずらっぽく笑って言った。
「内緒話をしようか」
「え?」
「私がこんな風に男装してるのはね、弱く見られたくなかったからなんだよ」
フィーンは、自分の男装の理由を話してくれた。
「両親を災害で亡くしてね。その時私はまだ十三だった。でも生きて行かなきゃいけないから働こうとしたんだ」
けれど保護者もいない、後ろ盾もない十三歳の小娘をみんな見下し、時には騙されることさえあった。それどころか女の子だからと、危険な目にも遭ったらしい。
「そんな時、たまたま男物の服しか手に入らないことがあって。でも男物の服を着て仕事を探したら、これが上手くいってね。それで……女だから弱く見られるんだって思ったんだ。それ以来男の格好ばかりしているうちにこっちの方が居心地良くなってしまったんだよ」
そうこうしてるうちに、グレイブと知り合い、おかげで一階を店舗にして自分で店を持つことができた。
「もう男の振りをする必要はなくなった。だけどね、いざ改めようかと考えたら、女らしい格好することが恐くなってる自分がいたんだ。最初は自分が恐がりになってしまったと思って悩んだよ。でも、グレイブに『別にいいだろう』って言われてね」
その時のことを思い出したのか、フィーンがふっと笑う。
「無表情なまま、人は弱いものだ。だから弱いことは悪ではない。必要なのは、強くあろうともがき続けることだ。なんて真面目に言われて、なんかそれでいいんだって思えるようになって……この状態のままなんだけど」
だから、とフィーンがエリヤを優しく見つめて言った。
「それを飲むだけで安心できるなら、それでいいんじゃないかな。誰だってそういう、強がるためのおまじないを持ってるものだよ」
おまじないという言い方に、エリヤは『フィーンは女性なんだな』と感じた。そして女性的なところがあるからこそ、男装した彼女がとても素敵に見えるのだ、と思った。
「ありがとうごさいます、フィーンさん」
礼を言ったエリヤに、フィーンは満足そうにうなずく。そして話題を変えた。むしろエリヤの気分を浮上させてから尋ねようと思ったのだろう。
「さっきは、ひどい目に遭ったみたいだね。グレイブが教えてくれていったよ」
フィーンは匙の次にグラスを手に取り、磨きはじめる。それほど重要な話ではないという態度をとることで、言いたくないのならば黙っていても構わない、という意思表示をしているのだろう。
「でも……怖がってるのとは違うね。何か悩んでる?」
先程までの内緒話で、気持ちがゆるんでいたエリヤは、つい何もかも告白してしまいそうになった。
けれど寸前で言葉を飲み込む。
言えない、と思った。
フィーンはいい人だと思う。優しくて、落ち着きがあって、きっと相談すれば親身になって聞いてくれるだろう。
でも言うわけにはいかない。
彼女にとっても恩人であるグレイブが、虐殺事件を起こして処刑されるなんて。
きっとフィーンがグレイブを信頼しているほど、エリヤの言葉は疑われ、今向けられている微笑みさえ失われてしまうかもしれない。
それがとても恐くて……。