4章 貴方の捜査に協力します 1
エリヤの覚えている限り、グレイブ・ディーエという人物は、人の心を持たない犯罪者として数々の歴史書に記されている。
時は一〇〇年前。魔力を応用した技術革新時代の初期。
様々な魔力を扱った発明品が生まれては、そのほとんどがディーエ公安副長官に潰されていった。
彼は当時の主力思想であった『魔力を持つ者は悪である』を体現するような人物だったと書かれている。
その印象を人々に最も植え付けたのが、都市で生活を営んでいた銃技師達を『魔力を持っていた』という理由で無差別に虐殺していった事件だ。
あまりの残虐さゆえに、それまで魔力を厭う習慣を持っていた人々でさえ魔力持ちを庇うようになったという。
ある意味、歴史転換のきっかけを作った人物でもある。
「そそそ、そんなおっかない人の、家……なわけ?」
思わずエリヤは、戻ってきたグレイブの部屋を見回してしまう。
けれど極悪人の部屋が必ず赤と黒の配色などではないように、グレイブの家はいたって普通というか、むしろ渋い趣味の飴色の家具で統一された部屋だ。カーテンの色すらモスグリーンと渋さが極まっている。
だが、同姓同名の別人という可能性は限りなく低い。
本人が言った通りに貴族ならば「ディーエ」の家名を持つ人間は限られ、さらに王都に住む「副長官」の肩書きを持つ人間となると、皆無だ。
「ありえない……」
思わず呻いてしまう。
自分が過去にいるらしい事だけでもエリヤは一杯一杯だったのに、保護者が世紀の極悪人(の疑惑がある)ときた。
確かにエリヤも魔力が少ないせいでいじめられ、魔法力の高い人間は意地の悪い人間ばかりだという偏見すら持っている。
が、それでも虐殺しようなどと思うことはない。
銃技師だった父や、父の死後もエリヤを気に掛けてくれたその友人達は総じて魔力が高い。虐殺するということは、そんな人たちの事まで否定することだ。
けれど史実によると、グレイブ・ディーエはそんな恐ろしいことを実行したのだ。
「しかも銃が絡む事件って」
銃技師を無差別に虐殺していった事件を連想させる。
ぞっとしたエリヤは、ふるふると首を横に振った。
「いやいやいやまさかそんなばかな。きっとまだ夢を見てるのよ絶対」
そう思って頬をつねった……痛い。
エリヤの目に涙が浮かんできた。
ここが過去の世界でなければいいのに、と思った。
どこか魔術式の発達が遅れた外国だったら。
こんな不安に思うこともなく、素直にグレイブになにもかも打ち明けてしまえるのに。
さっきまで、この時代なら自分は悩みから解放されると、楽観視しようとしていた事が嘘みたいだ。
けれど今日見たものも触れたものも、全てがエリヤに『過去の世界だ』と訴えてくる。
となればいずれ、自分を助けてくれたグレイブが何らかの理由で虐殺を起こし、王命によって死刑にされるのだ。
エリヤは身震いした。想像するだけで恐ろしい。
そんなことを、保護者を買って出てくれたグレイブにして欲しくはないと思う。
けれど彼が本当に、目的のためならば何人殺しても仕方ないと思うような人だったらどうしようとも思う。
自分が卵とはいえ銃技師だと知ったら、彼は自分も殺すのだろうか。
そんな自分が、殺人鬼みたいな人の家にい続けて無事でいられるのだろうか。
恐かった。
でも誰かに、話すわけにもいかない。
未来のことだと言って、誰が信じてくれるだろう。
頭がおかしいと思われたあげく、拾ってくれたグレイブ達にまで捨てられてしまう。そして知人の一人もいない世界に放り出されて、生きて行けるのか。
一〇〇年前の世界の生き方なんて、何もわからない。ずっとエリヤは銃のことだけしか勉強してこなかったのだ。
不安でたまらない。
でも泣いたって仕方ない。誰かが助けてくれるわけがないのだ。
だからぐっと唇をかみしめ、目をしばたいて滲んだなみだを乾かそうとしていた。
その時、部屋の扉が開いた。
「…………」
当のグレイブが、扉を閉めてエリヤに近づいてくる。
まさか、もうエリヤに不審感を抱いて、殺しに来たのだろうか?
エリヤはびくつかないように堪えていたが、
「顔色が悪い。恐ろしい記憶でも思い出したか?」
グレイブはそう言って彼はエリヤの手首に触れた。
彼が触れたのは手首の横だ。
そこには小指側にはっきりと残っている、一文字に裂けた痕がある。
これはエリヤが銃の作成中に失敗して負った怪我の痕だ。
自分でもあまり意識していなかった。いつもは、銃作製時の怪我を防止するための手袋を履いているからだ。
グレイブの指先が触れる自分の傷痕を見て、エリヤはまさかと思う。
――――彼は、エリヤのその傷を虐待かなにかの痕だと勘違いしているのか?
急に彼を疑ったことが申し訳なくなった。
勘違いとはいえ、不当に扱われた人に優しくすることを知っている人なのだ。
この人が……望んで虐殺者になったのだとは思えない。
「ううん。大丈夫、ありがとう」
だから礼を言って笑ってみせた。
するとグレイブはそっと、触れるか触れないかというほどささやかにエリヤの頭を撫でてくれる。
「大丈夫そうだな。では寝ろ」
簡潔に言ってグレイブは部屋を出て行こうとする。
エリヤもうんとうなずいて見送ろうとし――――はたと気付く。
「あ、あの、ここの部屋ってグレイブさんの……」
「確かに俺の部屋だが、しばらく使って良い。見知らぬ場所にいるのだから、眠る部屋ぐらい慣れた場所がいいだろう」
グレイブの言葉に、エリヤは目を見開いた。
心細いだろうエリヤのために、一つでも見慣れた場所に居させようという配慮だったのだ。知らない場所に放り出されたエリヤの気持ちを、優先しようというのだ。
なんて繊細な気遣いができる人だろう。
感動のあまり呆然とするエリヤを、グレイブは目を細めて見たあと、ふいに何かを思い出したように部屋の書き物机の引き出しを開けた。
取り出したのは白い手袋。
あ、と口にしてしまったエリヤに、グレイブは手袋を渡してくれる。
「お前の物だ。手を隠しておきたいなら、これを使えばいい」
それから改めて部屋から出て行った。
エリヤは手袋を手にしたまま、グレイブの姿が消えた後も扉をじっと見つめてしまった。
「やっぱり、あの人が虐殺者なんて信じられない」
こんなに優しくて親切な人なのだ。
では、何か理由があるのだろうか。考えられるのは、魔力持ちに対して異常なまでの恨みがあるとか。家族を殺されたとか、恋人を失ったとか……。
思い浮かべた可能性に、エリヤは嫌な思い出を掘り返しそうになった。首を振って追い払う。
そんなことよりもグレイブの起こす歴史的事件だ。
グレイブが処刑されるような事態になった時、その庇護下にいる自分は一体どうなるのか。
もちろん虐殺事件など起こしてほしくはないが、正直に「あなたは将来虐殺を起こす予定で、それを止めてほしいのだ」なんて言えるわけがない。
「どう説明しろっていうのよ……」
実はあたし、未来から来ましたとか言ったら、記憶喪失の可哀相な子から、一気に電波の頭のおかしい人間へ印象がだだ下がることうけあいだ。
「とにかく、確かめないと」
本当に『彼』なのかどうかを。
でなければ、グレイブを止めて安全を確保するべきなのか、ここから逃げるべきなのかもわからない。
つぶやきながら、エリヤは手袋をぎゅっと握りしめた。