3章 貴方のお名前教えてください 7
公安官とは治安維持を行うお巡りさんのことだ。
グレイブの職業を知ったエリヤは、銃を無くしていて良かったと思った。
記憶によれば、一〇〇年前の世界では、まだ魔法を扱う銃など出回っていない。
どころか、魔法は忌まれている時代だ。
銃を持っているだけでも怪しまれるだろうに、魔法に関わっていそうな代物と知れたら、逮捕されるところだった。
不幸中の幸いだと思いつつ、さくさく公安官庁へ入って行くグレイブに、エリヤはついていく。
白い石を積み上げて作られた公安官庁は、中へ入るとひんやりとした空気に満たされていた。
外が春の陽気といっていい暖かさだったので、エリヤは一瞬身を震わせた。
勤務している人間も寒いと感じているのだろう。入ってすぐの横長のエントランスの両脇にある暖炉では、薪が燃やされていた。
エリヤはその光景にじっと見入ってしまう。
一〇〇年後の公安官庁では、実際に薪が燃やされることはない。そもそも暖炉すらない。代わりに魔法で暖かく保たれているのだ。パチパチと爆ぜる火の粉にすら、違和感をおぼえる。
「エリヤ」
呼ばれて振り返ると、エントランスの奥にある階段の前にグレイブが移動していた。
慌てて彼を追いかける。
グレイブはエリヤに短く「二階だ」と告げて階段を上り始めた。ついていくエリヤは、時折すれ違う職員の行動に首を傾げた。
クレイブと同じように黒緋の外套を着ているか、内側に黒っぽいベストを着用しているので、彼らが公安官庁の職員だというのはわかる。黒緋の服が、この時代における公安官庁職員の制服なのだろう。
が、その職員達がみな、立ち止まってグレイブに会釈していくのだ。
グレイブの方は小さくうなずき返すだけで、足を止めることはない。むしろエリヤの方が申し訳ない気がして、彼らに頭を下げ下げ通り過ぎる。
そして上がった二階には、沢山の机が四つの区画に分けて並べられていて、座って書類を書いている者や、話し合っている者など様々な職員達がいた。
グレイブは迷わず右端の区画へ近づく。
と、書類をめくっていた若い男性職員に声を掛けた。若い男性職員は、慌てた様子で近くの棚へ走って行き、何かの冊子をいくつか抜き出した。それを捧げ持つような腰の低さでグレイブに渡す。
どうやらグレイブは、公安官庁の中でも高い階級を持っているらしい。
グレイブは当然のように受け取ると、フロアの隅に置いてあるソファセットにエリヤを座らせ、自分も向かいに着席する。
そのまま無言で冊子をめくりはじめた。
「…………」
何を調べているのかも説明はない。
どうやらこのグレイブという人は、思った以上に口数の少ない人のようだ。
だから何をしているのか気になったエリヤは、勝手にめくっている冊子を覗き込んだ。
一頁ごとに似顔絵と、説明書きが記載されている。写実的な似顔絵は、十代の女性のものばかりだ。名前と年齢、出身地の他『失踪日』や『失踪場所』の項目もあった。
行方不明者のリストのようだと思った所で、突然グレイブが顔を上げた。
「おまえ……」
「うわはいっ!」
覗き見たことを怒られるかと思ったエリヤは、飛び跳ねそうになる。
「年齢は? といっても出生地が分からないくらいなら、覚えていないか」
が、グレイブはぶつぶつと独り言をつぶやいて、さらに別な冊子をめくっていく。
決してエリヤの似顔絵など、見あたらないのに。それが申し訳なくて、エリヤは考えながら告げた。
「あの、誰かに十六くらいって言われたような記憶がうっすら……」
「そうか。他に覚えていることがあれば吐け」
吐けと言われて、エリヤは尋問されている気分になる。
「いえ、その。生まれ故郷が田舎っぽかったようなことぐらい、かな?」
「倒れる前の記憶はどうなんだ?」
冊子をめくりながらのグレイブの問いに、エリヤは「うっ」と返事に詰まる。
「なんか、ずっと暗い場所にいたような……」
本当のことは言えない。だからエリヤは曖昧に濁そうと思ったのだが、突然のことで想像力がわいて来ない。
だから一番暗そうな場所を思い出しながら、明るくないのでよく周りのこともわからなかったと誤魔化そうとした。
「鉄の棒みたいなのが転がってて、他にも人がいたような」
参考にしたのは学校の実習室だ。
術を失敗させた時のために、魔術で作った外壁で覆った地下室である。そこで、銃に魔術を絡ませる金属を扱うのだ。
授業中は明るさが保たれているが、居残りとなると、広い精錬場全体に明かりを灯してくれることはない。
エリヤは夕暮れの光さえ入らないその場所で、薄暗い人工光の下作業することが多かった。でなければ、作品を作り上げることができなかったから。
魔力の少ないエリヤは、必要な魔力を注ぎ込むのに人の倍は時間がかかるのだ。
「鉄か……」
「なんか工具みたいのも転がってたような」
曖昧な説明に、グレイブはどこかの工場にでもいたと勘違いしてくれたようだった。
その後は黙って冊子をめくりつづけた。
エリヤは手伝いたいと思ったが、公安官庁管理のものなので、部外者には見せられないと言われてじっと待つことにする。