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境界線のワーカー  作者: くろねこ
第2章「千早」
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2.超えてはいけない線

千早は予定より早く復帰した。

医師からは「短時間勤務から」と言われていた。

だが千早は言った。

「もう大丈夫です。迷惑をかけた分、取り戻します」

その言い方に、桜は胸の奥がざわつく。

取り戻す。

埋め合わせる。

かつて自分も使っていた言葉。


復帰から2週間。

千早は以前より穏やかに見えた。

記録も丁寧で、患者との関係も悪くない。

だが、桜は気づいていた。

"静かすぎる”。

自分の負担を、誰にも言わない。


問題は、突然起きた。

千早の担当患者一一若年女性。

家庭内虐待の既往があり、依存傾向が強い。

ある日、その患者が千早に個人的なメッセージを送った。

「先生だけが頼りです」

本来なら、チームで共有すべき内容。

だが千早は、報告しなかった。

夜遅くまでやり取りを続け、休日に一人で面談を設定した。

規定違反だった。


事態が発覚したのは、女性の母親からの苦情だった。

「うちの娘を洗脳しているんじゃないか」

会議室の空気は重い。

千早は青ざめていた。

「自分が対応しないと、悪化すると思って」

その目には、焦燥と恐怖が混じっている。

桜は分かってしまう。

これは、支援ではない。

"救済願望”だ。

そして同時に、

"自分の価値の証明”。


会議後、二人きりになる。

千早は震える声になる。

「自分が見放したら、あの人は壊れる」

桜は静かに返す。

「千早ちゃんが抱えたら、千早ちゃんが壊れる」

沈默。

千早の目から涙がこぼれる。

「でも......見捨てたくない」

その言葉に、桜の過去が疼く。

かつて父を、患者を、

"見捨てないことで自分を保とうとした”自分。

桜は、ゆっくりと言う。

「見捨てることと、手放すことは違う」

千早は顔を上げる。

「私たちは、"唯一の存在”になってはいけない」

その言葉は、自分に向けても言っていた。


千早は、一定期間担当を外れた。

本人は強く抵抗したが、組織としての判断だった。


「失格ですね」

ぽつりと透が言う。

桜は首を振る。

「境界線を学んでいる途中なだけ」

「天瀬さんは、越えたことないんですか」

正面からの問い。

桜は少し笑う。

「あるよ」

千早が驚く。

「越えそうになった。だから今、止められる」

それは先輩から受け取ったものを、今度は渡す番だった。


数日後、千早はぽつりと言う。

「自分、怖かったんです。

あの人に必要とされなくなるのが」

桜はうなずく。

「私も、怖かった」

千早が見る。

「でもね」

桜は続ける。

「支援は"必要とされること”じゃない。

その人が、自分以外ともつながれるようにすること」

千早の肩の力が、少し抜ける。

崩れかけた境界線は、痛みとともに引き直される。


夜、桜は一人で記録を書く。

支援者も揺れる。

後輩も揺れる。

自分も、いまだに揺れる。

でもーー

揺れながら、戻ってくる場所がある。

チーム。

言葉。

境界線。

再生とは、倒れないことではない。

倒れても、

越えた線を引き直せること。

桜はペンを置く。

そして明日も、隣に立つ。

救うためではなく、支えるために。

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