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境界線のワーカー  作者: くろねこ
第1章「桜」
3/10

3.外の世界

結局、退院は予定通りになった。

あの日の興奮のあと、何度も面談を重ねた。「怖い」という言葉を、何度も聞いた。

そして迎えた退院日。

春の風が、病院の正面玄関を抜けていく。

男性は小さなバッグを一つ持って立っていた。二十年近く出入りした建物を、振り返らずに。

「じゃあな」

それは桜に向けた言葉なのか、病院に向けた言葉なのか分からなかった。


グループホームへの入所は、思ったより静かだった。

世話人が部屋を案内する。六畳一間。小さな机と、ベッド。

「ここが、あなたの部屋です」

男性はゆっくり中に入り、窓を開けた。

外の音が流れ込む。車の音、子どもの声、生活の気配。

「……静かすぎないな」

その言葉に、桜は少し笑う。


病院は守られていた。

でも、音は少なかった。

ここは違う。"社会"がある。


三日後、電話が鳴る。

グループホームからだった。

「天瀬さん、少しトラブルが……」

胸が強く打つ。

近隣住民から苦情。夜中に独り言が大きいという。

男性は「何もしていない」と言い張る。世話人も対応に困っている。

桜は急いでホームへ向かった。


部屋の中で、男性はうつむいていた。

「やっぱり無理だ」

「まだ三日です」

「もう迷惑かけてる」

“失敗するかもしれない”入院中に言っていた言葉がよみがえる。

桜は、少し迷ったあと、言った。

「迷惑をかけない人なんて、いません」

男性が顔を上げる。

「私も、たくさん迷惑かけてます」

「先生が?」

「はい。昨日も、電話のかけ方ひとつで先輩に注意されました」

ほんの少しの沈黙のあと、男性が小さく笑う。

「新人か」

「新人です」

「じゃあ、俺も新人だな。外の世界の」

その言葉に、桜の胸も熱くなる。


その日の夕方、近隣住民への説明に同行した。

頭を下げ、状況を伝え、配慮を約束する。

完璧な理解は得られない。それでも、「話をする」ことはできる。

帰り道、男性がぽつりと言った。

「病院より、難しいな」

「はい」

「でも……ちょっとだけ、こっちの方がいい」

桜はうなずく。

支援は失敗でも成功でもない。

ずっと続いていく。


完璧じゃなくても良い。

退院は終わりではなく始まりにすぎない。

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