1.はじめての退院支援
春。
桜が散り始める頃、天瀬桜は精神科病院の地域連携室に配属された。
国家試験に合格してまだ一か月。
名札の「精神保健福祉士」という文字が、まだ少し重い。
「今日、退院前カンファレンス入ってもらうから」
指導担当の先輩が、淡々と言った。
会議室には、主治医、看護師、作業療法士、そして家族がいる。
患者は50代男性、統合失調症。
20年近く入退院を繰り返している。
医師が言う。
「症状は安定しています。退院可能です」
桜はうなずきながら、必死にメモを取る。
だが、家族の母親が小さな声で言った。
「正直に言います。もう、無理です」
空気が凍った。
「私も高齢ですし……また暴れたらと思うと……」
“退院可能”と“受け入れ可能”は、違う。
教科書には書いていなかった沈黙が、そこにあった。
会議後、先輩が言う。
「どう思った?」
桜は少し考えて答える。
「退院できるのに、帰る場所がないのは……おかしいと思いました」
先輩は小さく笑う。
「それが現実だよ」
その日の夕方、桜は初めて一人で患者の病室を訪ねる。
男性は窓の外を見ていた。
「退院、できるんですよね」
希望と不安が混じった声。
桜は言葉に詰まる。
制度の説明はできる。
グループホームの空き状況も調べられる。
生活保護の申請手順も知っている。
でも、「大丈夫です」とは、まだ言えなかった。
その代わり、桜はこう言った。
「一緒に、考えましょう」
その瞬間、桜は気づく。
支援とは、答えを出すことじゃない。
隣に座り続けることなのかもしれない、と。
廊下に出ると、いつの間にか日が傾いていた。
西日を見ながら桜は思った。
理想だけでは語れない現実がある。




