SNSにおける奈良公園・中国人鹿虐待問題
動物虐待は良くないことだ。
それは不変の真理とも言えるほどに当たり前の事だ。
然し、近頃の風潮と言えば、動物虐待を利用し、特定の人種・人物を晒しあげ、批判する。
動物虐待を批判するのではなく、人物やその人物の商いなど、関係ないものを批判してはいないか?
奈良市議会議員H氏は、奈良公園における中国人の鹿虐待問題の対策を前面に押し出し、市議当選の足掛かりとした。
勿論、それ自体は素晴らしいことである。
また、H氏はSNS上で問題を周知している。問題を周知する手法としては使い方さえ間違えなければ適切である。
だがH氏は、SNS(X)上で、自民党総裁候補Y氏の、昨年の被災地支援を目的とした弁当写真を、あたかも選挙のために庶民アピールをしているかの様に切り抜き、炎上とも言える状態に陥った。
そうなると、中国人の鹿虐待問題の周知のポスト(投稿)の信頼性も少なからず減ってしまう。
何も疑わず、H氏の投稿を信じ切って思考なしに中国人を批判することは、盲信であり、SNSの意見の利用方法を見つめ直すべきではないか?
また、あるテレビ番組で、奈良公園で長年飲食店勤務をしている人が、外国人が鹿を虐待しているのは見たことがないと発言したことをきっかけに、SNS上で店や身元を特定され、店の口コミも荒らされるなど批判の対象となった。
何故H氏の意見は即座に信じ、取材に応じた人の意見は頭ごなしに批判するのか。
この話題はかなり大きな議論を呼んだ。
取材に応じた人を批判する意見や、その意見を批判する意見など様々あるが、引用リポストという特性に鑑みても、取材に投じた人を批判する意見へのいいね数が多い。
事実確認無しに批判している意見がマジョリティなのだろうか?
勿論、そういった意見は目立つ。
表面上から単純にマジョリティかどうか推測はできない。
然し、日本人は他人に流されやすいと思う。
私はこのSNS時代、誰でも情報発信ができるからこそ、いろんな意見を見やすい事が、この批判の多さに拍車をかけていると思う。
また、ある特定の人種・人物を晒し首にするとこで、ストレスを解消しようとする人も多い。
どうやって晒し首にするかは関係なくだ。
私は、SNSでの多くの意見は、批判の手段が間違っていると思う。
しっかりとコンテクストを把握し、誹謗中傷やいじめではなく、対等な議論を交わす。
これが本来の批判ではないだろうか?
どの意見が正しいとか正しくないとか言うつもりは無いが、私は日本人が根拠なしに批判し気持ち良くなる事の中毒になっていると思う。
一度、SNSで根拠なき批判をしている人たちは、批判の手順を見つめ直しては如何だろうか。




