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 ――薄暗い天井で茶色いシーリングファンが回っている。それはまるでオランダの風車みたいに年季が入っていて、この店ができた当時からここにあるように見えた。先週アンティーク業者が搬入したとは思えない。そんな趣があるように感じる。とかくこの店は古めかしい物だらけなのだ。店主の趣味。その一言に尽きると思う。

 ただ……。そんな古びた店でも連日来客はあるようだ。……ようだというかこれは僕自身が体験しているので紛れもない事実だ。修学旅行の学生やら近所の住民。さらには海外からの観光客まで様々な人々がこの店を訪れるのだ。観光地鎌倉においてもそれほど珍しくもない。そんなただの手紙用品専門店だと言うのに――。


「在原くん。お使い頼んでもいい?」

 僕が店内の商品にハタキを掛けていると店主の文子さんに声を掛けられた。

「お使いですか? いいですよ」

 僕は一つ返事でそう答える。嫌な顔一つしない。まぁ、僕は単なるアルバイトなのでお使いの一つや二つ受けるのは当然なのだけれど。

「ありがと。そしたらこれを希泉寺に届けてきてちょうだい。……あと集金もしてきてね」

「……了解です。あの文子さん?」

「ああ。今回は面倒ごとじゃないから大丈夫よ。たーだ庵主にそれ渡して封筒受け取って来てくれるだけでいいから。今日はちょっと店離れられそうにないのよね。……たぶん来るから」

 文子さんはそう言うと着物の襟を正した。そして「お使いがてらサボってきていいよ」と付け加える。

「……分かりました。じゃあ行ってきますね」

「うん。お願いね。庵主によろしく伝えといて」

 文子さんはそう言うとカウンターの上の煙管に手を伸ばした。そして慣れた調子でタバコの葉に火をつけると煙を口の中で転がした――。


 店を出ると僕は裏路地を抜けて小町通りに出た。そして案の定観光客にもみくしゃにされた。ここはこういう場所なのだ。鎌倉屈指の観光地。嫌になりながらもそう実感する。

 それから僕は小町通りを鎌倉駅方面に向かって進んだ。行き先は希泉寺。文子さんと仲の良い尼僧が庵主を務める古刹だ。

 希泉寺に向かう道すがら、僕は文子さんのお言葉に甘えて少しだけ寄り道した。具体的には御成町のスターバックスに入った。おそらく文子さんはお使いがてら僕を店から追い出したかったのだ。だから多少遅れても問題はないと思う。

 スターバックスでゆったり過ごす。なかなか悪くない時間だ。しかもこうしている間にも賃金は発生中。控えめに言って不良バイトだと思う。

 そうこうしていると店内が混み合ってきた。観光客やら地元の学生やら。そんな人たちが新作のフラペチーノを注文していた。僕のようにドリップコーヒーを注文する客は少ない。やはりスターバックスの客層はこうなのだ。SNSに載せるためだけにフラペチーノを買う。多くはそんな感覚なのかも知れない。

 その後、僕はしばらくしてからスターバックスを出た。そして源氏山の裾野へ向かった――。


「こんにちはー」

 寺に着くと寺務所の受付に声を掛けた。すると僕よりやや年上くらいの女性が出迎えてくれた。彼女は矢沢瞳。ここの庵主の姪っ子だ。

「こんにちはー。文子さんから話は伺ってますぅ」

 彼女はややまどろっこしい口調でそう言うとトロンとした笑みを浮かべた。なかなかあざとい表情だ。人によってはこの表情にコロッとやられてしまうかも知れない。まぁ……。僕はこの手の女性には痛い目に遭った経験があるので深入りはしないけれど。

「どうも……。あの庵主は?」

「ああ、叔母なら本堂にいます。お呼びしますかぁ?」

「いえ、大丈夫です。こちらから覗いますので。お気遣いどうも」

 僕はそれだけ返すと彼女に会釈して寺務所を後にした。これ以上話していたら頭が痛くなる。そんな失礼極まりないことを思ったのだ。

 それから僕は何とはなしに境内を眺めながら本堂に向かった。境内には桜、紫陽花、楓、梅が石灯籠を囲うように均等なバランスで植えられていた。それは素人目に見ても美しく感じる。おそらく庭師がこまめに手入れしているのだろう。

 そうやって希泉寺の庭を散策気分で進むとすぐに本堂に到着した。褐色の木材に緑青の瓦。ぱっと見で年代物の建物だと分かる。そんな建物だ。

「こんにちはー」

 本堂の前で靴を脱ぐと僕は中に声を掛けた。すると一呼吸置いて「はい」という落ち着いた声が返ってきた。さっき寺務所で聞いたような甘ったるい声ではない。大人の……。いや、ハッキリ言えば老齢の女性の声だ。

「こんにちは。わざわざ来ていただいてすみません」

 彼女はそう言うとゆっくりと本堂から顔を覗かせた。白熱電球のような丸い頭に年相応に皺の寄った顔。簡素な袈裟。絵に描いたような尼僧だ。

「いえいえ。あ、これ預かってきました」

「ありがとうございます。何か急かせてしまったようでごめんなさいね」

 彼女はそう言うと申し訳なさそうに笑った。笑った顔は思いのほか若く見える。いや……。文子さんの話によると実際彼女はまだ若いのだ。確かまだ五〇代前半……。だったと思う。(これは五年前に出家したときはまだ四〇代だったという文子さんの言葉からの逆算だけれど)

 僕がそんな風に彼女の実年齢を考えていると庵主が「お急ぎでなければお茶でも」と声を掛けてくれた。僕はそれに「あ、はい」と二つ返事で答えた。さっきスタバでコーヒーを飲んだばかりだけれど……。まぁお茶の一杯くらい誤字層になっても良いだろう。

 その後。僕は庵主に案内された寺務所奥の広間でお茶と鎌倉小川軒のレーズンサンドをご馳走になった。前回ここを訪れたときと同じお菓子。もしかしたら庵主はこのレーズンサンドが好きなのかも知れない。

「文子さんは……。今日もお忙しいですか?」

 僕がレーズンサンドを半分食べ終わると庵主にそう聞かれた。僕はそれに「うーん……。どちらとも言えないですね」と曖昧に返した。あの人はだいたいいつも多忙で暇なのだ。矛盾しているようだがこれ以外に言いようがないと思う。

「フフフっ。本当に相変わらずみたいで安心しました」

 庵主はそう笑うと境内に目を遣った。僕もそれにつられて境内に視線が向ける。

「でもまぁ……。ひとまず元気でやってますよ。ま、文子さん今日は出不精モードなのでずっと店の中にいると思いますけどね」

 僕がそう言うと庵主は再び「フフフっ」と笑った。そして「あの人はそういう人ですから」と懐かしそうな笑みを浮かべた――。


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