『影の勇者』イデルガ
人には、役割がある。
狩りをする人間。狩ったものを加工する人間。
それを売る人間に、買う人間。
金を生み出す人間と、それに虐げられる人間。
指導するものと、それに倣うもの。
勇者と、魔獣。
産まれて、勇者であることを求められた彼は、この世界はそうした基準があって回っているのだと、幼いながらにも理解した。
他者から勇者であることを求められて、それに応えるために相応の努力をこなしてきた。無理難題な依頼をこなして、多くの犠牲を生み出して、魔王さえ討伐してみせた。
それが自分の役割なのだから、そうして当然。そこに間違いや解釈の不一致など存在しない。
そして、魔王を討伐した後、勇者としての役割は終わりを迎えた。
突如、圧し掛かる虚無感。これまで勇者として振舞っていたというのに、翌日からはどう振舞えばいいのかが、彼には分からなかった。
けれども、刻まれた教えは生き続ける。彼の人生を縛る鎖、あるいは、呪いのように。
そこはカビと血の臭いが蔓延る、薄暗くジメジメとした空間だった。決して清潔とは言えず、ネズミや害虫が我が物顔で闊歩している。
常人ならば数分で気が滅入ってしまうような、そんな場所を整えられた身なりをした淡い桃色の髪をした男が歩いていた。
人の気配もない。ただ彼が歩く音だけが反響する中、男は扉を開き広い空間へとその身を曝す。
「……やあ、ラベレ。研究はどうだい?」
その空間に似つかわしくない爽やかな声と表情は、ラベレと呼ばれた白衣姿の髭面の男へと向けられていた。
ラベレは振り返り、満足そうな表情で彼を出迎えた。
「これはイデルガ様。ええ、ええ。研究は最終段階に進んでいますとも! 最高の被検体に、最高の研究施設! それもこれも、あなた様のおかげです!」
「そうかい。それは良かった」
蒼空を思わせるような、突き抜けて無垢な笑みを湛えて、イデルガがその場を見渡す。莫大な量の紙に、無造作に放置された多くの実験器具。そのどれもが汚れ、血痕が染みついている。
「……しかし、どうしたんですか? ここに来るなんて珍しいじゃないですかい」
「いよいよだと思ってね。僕の計画が、ここから始まるんだ」
彼は視線を外すことなく、部屋を巡り、やがて一点へと留まる。
そこには檻に入れられ、眠る一匹の魔獣。ドラゴンにも似たその体躯には、二本の首が付いている。
「そうですねえ。五年ですか? いや、下準備を含めるともっと年数を掛けてますかね。ここまで本当に長かったですね」
「ああ。この技術は、きっと高く売れるだろうね。それに、ある界隈で評価されるだろう」
「ほほほ、今から笑いが止まらんですなあ!」
上機嫌を隠そうともしないラベレだったが、ふと思い出したようにイデルガへと尋ねる。
「そう言えば、良かったんですか? あの例のガキ。言われた通り逃がしましたけど、角付きの被検体ですぞ」
イデルガは一人の少年を思い浮かべる。下層部から攫った被検体の一人。確か『ハウンド』のリーダーである女性の弟だったと記憶している。
彼はニコリと微笑んで、ラベレの疑問に応じた。
「問題ないさ。寧ろ、しっかりと家に帰って貰えた方が、何かと都合がいい。……一応、今街に来ている傭兵や冒険者にも役割を与えてみたけれど、彼らは逃げ切るだろう」
「はあ……、彼ら? よく分かりませんが逃げ切られる方がいいんですか?」
ラベレは首を傾げる。
イデルガが想起するのは、一人の少女。紅蓮の髪と蒼い瞳を持つ、魔王の娘。
彼女は一人で来たと言っているが、恐らく他にも仲間がいるはずだ。そして、その仲間は捕らわれた彼女を救うために、動くだろう。早ければ、今日にも街へと辿り着いているかもしれない。
トゥワルフの報告には、魔王の娘はダクエルと共にいたらしい。
たまたまか共謀か。どちらにしても、動かすべき駒を、イデルガは持っていた。
わざと街にダクエルの弟を逃がし、それで何か動きがあればそれで良し、特に音沙汰がないならば、また別の用意をすればいい。
そして、弟がその魔王の娘の仲間の元へと辿り着けたなら、やることは一つだけだ。
「被検体には、僕の虫が入っている。それが、あの少年の役割なんだ」
「……ワシには偉い人の考えておることが全く分かりませんなあ」
魔獣の研究以外のこととなると、ラベレは思考を放棄する。それでいい。彼の役割はそれなのだから。
近々、イデルガは思う。
創るモノには、役割を与える責務があるのだと。
「ラベレ。この魔獣には、どういった役割を与えているんだい?」
「は? 役割ですか? そんなもの、ありはしませんが……」
「……なら、君は何のために魔獣を創る?」
「そりゃあ、ワシの研究が正しいことを証明するためですよ! 魔獣研究は異端のモノですが、それでも生命を司るための大事な研究! ワシは、ワシ自身のために、これをしておるんです!」
興奮したように語る彼を、冷めた感情で見つめる。しかしそれを表に出すことはない。
ただ、いつもと同じように、取り繕った言葉で肯定してみせる。
「そうかい。その調子で、よろしく頼むよ」
そう言って彼はその場を後にした。
――討伐祭まで、あと二日。
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