大都市ディアフルン⑤
「おい、角生えたガキがこっちに逃げたぞ!」
「探して騎士団に渡しゃ報奨金も出るって話だ! 探せ!」
複数の足音が品もなく裏通りを駆けていく。彼らはゴミ箱や軒の隙間を探し回り、しばらく周辺を見て回った後、別の場所へと探しに向かっていった。
「はあ……。なんとか巻いたようですね……」
ルアトが重々しく溜息を一つ吐く。
何故こんなことになっているのか。シャーミアに揉め事を起こさないよう言った手前、自分が揉め事に巻き込まれてしまったことが酷く悔しい。もしシャーミアに知られたら、馬鹿にされるわけではないが、呆れられることは必至。
そんな事態を避けるべく、この渦中を一刻も早く抜け出せる方法を考える。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「お兄ちゃんではなく、ルアトと言います。ともかく、苦難はひとまず去ったようですが……」
年齢にして十歳ほどだろうか。頭から角を生やした少年が、ルアトの袖を掴んで立ち尽くす。
ルアトと少年は、今建物の屋上にいた。追われている少年を逃がすため、咄嗟に抱き抱えて屋根の上に昇ったのだが、ここからどうするべきかと思案に暮れる。
「そもそも、君はどうして追われてたんですか?」
「分かんない……。暗い場所から逃げてきたら、今度は街の人たちに追われて……」
「角は? どうして隠さないんですか?」
「……? 分かんない……。なんでこんなのが生えてるんだろう」
今にも泣きそうな少年を宥めるために抱き寄せて、背中を優しく撫でた。
そしてその頭部に生える、竜の角に似たそれを観察する。
見た目はルアトの有する角とも似ている。だが、竜種の角はどれも似たようなものだ。問題なのは、それがこの少年も覚えのないものであるという点だ。
角が後天的に生えるという話は聞いたことはない。竜と人との間の子というだけで珍しく、前例が多いわけではないが、少なくともドラゴンの子は生まれ持って角を有している。
それに、この少年は自らの一部を隠匿する魔術について知らないようだった。親がその辺りの知識がないことも考えられる。それを隠す必要性を教えられなければ、今の状態が当たり前だと思うのは当然のことだ。
だが――
「……父や母は、いますか?」
「……ううん。お父さんもお母さんもいなくて……。生まれた時から家にはお姉ちゃんしかいなかったよ……」
「姉が一人……、失礼ですがその姉の名前を窺っても?」
「え? ダクエルお姉ちゃんだけど……」
「……ダクエルさんの弟さんでしたか!」
急いでその顔を確認する。確かに、彼女が持つ凛々しい顔立ちと青い髪は、ダクエルの弟だと紹介されれば納得できる。
だが彼女の弟は何者かに攫われたと聞いていた。
そして、今目の前にいるのは、およそ人間には生えていない角を持つ少年。これが勇者イデルガの特異星によるものならば納得できるが、シリウス曰く、その能力は人間を魔獣に変える、というものだ。
つまり、これほど中途半端なモノは生まれない、はず。
「……まさか、魔獣の能力を人間に付与する実験を――」
「見つけたぜ」
瞬間、空を斬る風切り音が耳を打つ。咄嗟に少年を抱き寄せて跳躍したルアトだったが、その斬撃からは逃れられずに、腹部へのダメージを許してしまう。
「ありゃ、この距離なのに、なんで血ぃ出てねえの?」
「――っ!」
服は破れたが竜鱗による保護もあり、斬撃は皮膚を傷つけることはなかった。だが、衝撃はしっかりと受けている。跳躍と斬撃の勢いを借りて、そのまま屋根を転々と飛び移っていく。
「おいおい。逃がすと思ってんのか? その少年置いてけば、報奨金を山分けしてやるぞ?」
その言葉を返す余裕もない。今は追っ手を撒くことだけを考える。
「――あれは……?」
遠方に輝く淡い何か。すっかり陽も沈み暗闇が支配する中、それが魔術陣であることを理解したルアトは、進行方向を無理やり捻じ曲げた。
同時に、向かおうとしていた屋根に降り注ぐ、氷の矢。ルアトは早々に屋根伝いの移動を諦めて路地裏へと入り込む。すぐに身を潜めるために移動を開始するが、別の捜索者がすぐ近くにまで迫っていた。
「……動きが正確すぎますね。……あれか――」
屋根から僅かに空を覗き込む。そこには小型の蝙蝠が飛翔しており、辺りを飛び交っている。
恐らく誰かの魔術によるものなのだろう。アレで索敵を行い、別動隊が叩く。これは逃げられそうにない。
「ルアト、ごめんね……。僕のせいで……」
「喋ると舌を噛みますよ」
曲がり角で身を潜めていたルアトは、躍り出てきた追っ手の一人の顎に掌底を見舞う。
「――っ! いたぞ!」
「ちっ――」
恐らく挟み撃ちをしようとしていたのだろう。背後から別の追っ手の声が掛かる。ただ、正面は空いた。ルアトは大通りへと向かう。
しかし――
「通行止めだよ、兄ちゃん」
鎧を着込んだ剣士が二人、大通り方向を封鎖する形で堂々と佇んでいた。
ここを無理やり突破する手もある。だが、少しでも手こずれば背後から来る追っ手に挟まれる形になるだろう。
逃走が、最善の選択肢か。
「とっとと、そのガキを置いて立ち去れば、悪いようにはしねえよ」
「すみませんが、お喋りに付き合ってる暇はないんです」
そのまま勢いを殺すことなくルアトは膝を曲げて、勢いよく跳躍する。軽々と、剣士たちの頭上を飛び越え、大通りへの脱出に成功。
そのまま、どよめく雑踏の中を走り抜けていく。追い掛けている人たちも、無暗に通行人を巻き込むようなことはしないという目論見だったが、しばらく逃げても追撃はなかった。これで追っ手はしばらく追いついてこれないだろう。
だが問題は山積している。今も頭上には蝙蝠が飛翔していて、こちらの行動が筒抜けな状態だ。
「……ダクエルさんの弟さん。少し相談があります」
言うが早いか地面を蹴り、そのまま建物の壁面を駆ける。狙うは宙をちょこまかと飛ぶ蝙蝠。
「ぴぎゃ――!?」
勢いよく蹴ると、変な声を上げて煙と共にそれは消失した。これで一時的に監視の目はなくなった。しかしどうせ追加の蝙蝠が飛んでくることだろう。
仕掛けるのならば今しかない。
「この街の人間なら、大通りが交差する四つ角は分かりますね。八の時のちょうどにそこでシャーミアとファルファーレという人物と落ち合うことになってます。一人は銀髪の女性、もう一人は藍色の髪をした男性。どちらでもいい、助けを呼んできてください」
少年を下ろしながら、彼は来ていた服を破り、彼の頭に巻きつける。
丁度バンダナを身に着けているような恰好になった。これで瞬時にこの少年が、目的の人物だとは分からないだろう。
「お兄ちゃんは!?」
少年の、痛々しい声が雑踏に紛れる。ここでこの少年と別れるのはリスクが大きいかもしれなかったが、他に良い方法も思いつかない。まずは彼を安全な場所に移動させることが先決だ。
「僕はもう少し彼らと遊んできます。大丈夫ですよ。僕の方が、彼らより強いですから」
ぐちゃぐちゃに歪む少年の顔を見やり、ルアトは笑ってそう返し――
再びその姿を雑踏に眩ませる。




