大都市ディアフルン④
「お嬢ちゃん。ちょっと待ちなよ」
「……?」
余裕がありそうな落ち着いた青年の声が聞こえるものの、それがシャーミア自身に向けられたものであると気がつくまでに、少し時間が掛かってしまう。
それほどに傷心していたわけだが、振り返って声の主を確認する。
青年は黒の帽子を目深に被り、紫色の髪が僅かに見える。赤色の派手な服を身に着けていて、それに付けられている装飾もまた、金や銀をあしらったもので目を惹くばかり。その服だけでこの店のモノを買えるのではないかと思えるほどに、多くの装飾品で着飾られていた。
心に余裕のありそうな、もしくは少し妖しげな声音の青年は、シャーミアへと一歩近づき、帽子を取って腰を折る。
「初めまして。俺はギルド『交差する鉱脈』代表のクェルクルフ。実は今、人を集めていてね。強そうな人に声を掛けていたんだ」
「……生憎、強そうな人は知りませんけど」
「そうじゃない。俺はお嬢ちゃんがその強そうな人に見えたから声を掛けたんだ。あと、敬語はいらない。対等な関係でいようじゃないか」
クェルクルフという青年が話す言葉の一つ一つが、シャーミアにとっては怪しく聞こえてしまう。そもそも見た目からいけ好かないこの男の何を信用すれば良いというのだろうか。
「……悪いんだけど、アンタの話に付き合ってる暇はないのよね」
ここでは短剣を修繕できないことが分かった。この街に武器屋がどれほどあるのかは不明だが、これだけ大きい都市ならば安く修繕してくれる鍛冶屋や武器屋もあるだろう。
シャーミアは一刻も早くこの店から立ち去りたかったが、クェルクルフは懲りずに話しかけてくる。
「その短剣、壊れたのかい?」
「そうよ。ちょっとお金が足りなかったから、別の店で直してもらうことにするの。だからアンタとお喋りしてる時間はないってわけ」
これだけ言えば分かってくれるだろう。初対面の人物にここまでアタリを強くしてしまうのも心苦しいが、急いでいることは事実だ。
これで引き下がってくれると、そう思っていたシャーミアの耳に、しかし意外な言葉が飛び込んできた。
「お金を出してあげよう。短剣を修繕するために、わざわざ別の店に出向く時間がもったいないからね」
「へ? いやいや、それはさすがに――」
「安心しなよ。見返りは求めない。ただ良ければ、俺のギルドに入ってくれることを検討してくれると嬉しいかな」
突然の提案に思わず否定してしまう。というか、それが一般的な反応なはずだ。いきなり現れた謎の男が費用を立て替えてくれるというのだ。怪しいとか、警戒するとか以前に、あり得ないと、そう思うのが常識。
それに金の工面をしてもらうほど、落ちぶれているつもりもない。
様々な感情がシャーミアの中で混沌を形成するものの、感情は一環として信用できない、という一点に尽きる。
それを彼も分かっているのだろう。妖しい笑みを浮かべてカウンター越しの店員へと声を掛ける。
「そこの店員さん。俺も武器を手入れしてほしくてね。良ければこのお嬢ちゃんと一緒に、修繕してもらえないかな」
「そりゃあ、構わないけど……」
警戒していると話がドンドン進んでしまっている。慌ててシャーミアが話に入り込む。
「いや、そんな勝手に……!」
「時間は有限だ。急いでるんだろ? なら、ここで修繕してもらった方がいい。俺も、お嬢ちゃんの短剣を直してもらえて、お互いに得だ」
「あたしはともかく、アンタは損しかしてないじゃない」
「ここで払う金貨十枚には、今後それ以上の価値になると踏んだのさ。人材と信用は、金銭では測れない。これも何かの運命。俺が好きで、俺自身のためにやってることだから、お嬢ちゃんが気にする必要はないよ」
「でも――」
本当にただの好意だとしても、そのまま受け取るわけにもいかない。シャーミアが納得できる形ではないと、到底受け入れられそうになかった。
そうしていると、クェルクルフも困ったように眉を下げる。
「……そうだね。確かに、物事には対価が付き纏う。ならこうしよう。次に俺と出会った時に、力を貸してほしい。それぐらいなら、譲ってくれるかな?」
彼の妥協案も、信用に乏しい。仮にも商売人であるならば、今しているような杜撰な取引等行わないだろう。
「それ、あたしが約束を忘れたり惚けたりする可能性もあるわよね」
「そこも含めての取引さ。言っただろう? あくまでもこれは俺自身のためにやってることだって。今は人材確保に余念がなくてね。お嬢ちゃんみたいな逸材と片っ端から縁を繋ぐ必要があるんだ」
クェルクルフの言葉がどこまで本気でどこまで方便なのか、判断がつかない。それでもお金を出してくれるというのは本当のようで、あとはそれに対しての見返りの要求を心配するだけだが、これに関しては現時点では不明。どうなるのかは分からない。
迷い、葛藤が心を満たす。シャーミア一人の思考では、とてもではないがまとまらない。ならば、シリウスはどうするだろう。
彼女なら、きっとこの提案を受け入れる。人間を信用している節があるからだ。
ならば自分も、それに倣ってみよう。
「……分かったわよ。有難く、修繕してもらうことにするわ」
「良かった。それじゃあ、店員さん。よろしく」
彼はホッとしたような顔を見せると、すぐにその懐から一枚の紙きれを取り出し、カウンターに置いた。
「金貨五十枚分の小切手だ。これで俺の武器と彼女の短剣の修繕を頼むよ」
「ええ、確かに受け取りました」
金貨五十枚分という話に、最早ついていけないシャーミア。クェルクルフが視線だけで短剣をカウンターに置くように示し、それに従う。
クェルクルフも腰に下げたその武器をカウンターに置いた。
「……見たことない武器ね」
それはくの字に曲がった変な形の武器だった。持ち手と思しき部分と長い筒のような部分で分かれており銀色の光沢が目を惹く。
「魔道具さ。ここに魔力を籠めて、それを長筒から放つ。とある商人から買い取ったものだけど、中々に使い勝手がいい」
彼はそう言って、シャーミアへと向き直る。妖しい笑みはそのままに、ただオレンジの瞳が輝きを放つ。
「それじゃあ、俺はこれで。多分、短剣の修繕ぐらいなら、二時間ぐらいで終わるだろうね。……ああ、そうだ。お嬢ちゃん、良ければ名前を教えてもらえないかい?」
「……シャーミア=セイラスよ」
「――っ! そうか。セイラスか。……うん、分かった。やっぱり俺の目に狂いはなかったみたいだ」
彼はどこか満足した様子で、踵を返す。
振り返ることなく店を出ていったクェルクルフの姿が消えるまで、その背を見つめていたシャーミアに、ヌイがコソコソと声を掛けてきた。
「……変わったヤツだったな」
「……そうね」
不透明な取引をしたことへの不安も僅かにあるが、自分の判断に不満はない。
それよりもシャーミアは、場違いなこの空間から一刻も早く出たい気持ちの方が強く、しかし修繕に出した短剣のこともある。
しばらく、この店で時間を潰そう。シャーミアは買う気もない武器を、ひたすら眺めるのだった。




