魔王の娘は手枷を嵌める 後編
「キミのことは、聞いているよ。魔王の第十二子。名前はレ=ゼラネジィ=バアクシリウス、といったかな?」
やはり情報は知れ渡っているようだ。そのことに特別驚きはない。ただ黙って、シリウスは彼の真意を探る。
「アルタルフを降したそうじゃないか。正直、彼が老衰や病気以外で死ぬとは思わなかったよ」
「何の話だ? 余はアルタルフとやらを知らぬ」
「惚けても無駄だよ。アルタルフの気配が消失したことは、僕にも分かる。それに、他の勇者から報告も上がっていてね。魔獣討伐部隊から上がってきた情報とも、キミの特徴は一致している」
情報の正確さのほどは不明だが、勇者連合では勇者同士での生存状態が分かるようだ。それが分かっただけでも、こうして捕まった価値がある。
シリウスはその蒼い瞳をまっすぐに、イデルガへと向ける。
「それでこうして直々に余の前に現れてくれたというわけか? 随分と暇なのだな」
「暇じゃないさ。でも、公務の予定を後ろ倒しにしてまで、キミを見ておいた方がいいと思ってね。……事実、いま見ておいてよかったよ」
「見ても何も変わらぬだろう」
「いや、これでも僕も勇者の端くれだ。一目見ただけで分かる。キミは魔獣の中でも、上位に入る強さだ」
その言葉に嘘はないようだったが、僅かに謙遜が含まれているようにも感じた。
しかし大部分に違いはない。語る彼は恐れる様子もなく、寧ろ嬉しそうに微笑んでいる。
「そうして見つけた逸材を、お主は魔獣の核とするのか?」
「……っ! それ、どういうことだ!?」
それまで黙って聞いていたミスティージャが、我慢できなくなったように声を上げた。イデルガがその目を細めてミスティージャへと向けるものの、やがて嘆息を一つ漏らした。
「まあ、もうそろそろ頃合いだろうとは思っていたよ。それに、ここでミスティージャに知られても、痛くも何ともない」
「……答えてくれ、イデルガさん! 魔獣の核ってなんだよ! あの、地下で見た研究と何か関係があるんじゃねえのか!?」
地下の研究については、シリウスが知るものではなかったが、ダクエルが語っていた噂の一つだったと記憶している。
だが、シリウスから見れば、それもまた少し的外れだと感じてしまう。
なぜなら――
「ミスティージャ。此奴は、人と魔獣を作り変えることができる。特異星は確か【混昏命沌】」
「……そこまで知られているとはね。大したものだ、ゼラネジィ」
能力について語っても、驚く素振りさえ見せない。
ここまで自信に満ち溢れている理由が、何かあるのだろう。シリウスはそこについて素直に尋ねることにした。
「能力まで知られて、随分と余裕そうではないか」
「僕の能力を知られていようが知られていまいが、それほど関係はないかな。それに僕の役割は揺るがない」
自信気に語るイデルガに、閉口してしまう。
シリウスが持っている彼についての知識は、ウェゼンからの情報ぐらいなものだ。後は、実際に魔王城で見た時のことしかなく、全容で十ある内の一も知らない状態だと言えた。
そして、その情報について初めて耳にした青年が、イデルガに向かって叫ぶ。
「人と魔獣を作り変える!? いったいどういう……!」
「言葉のままだ、ミスティ元王子。イデルガ様の特異星、【混昏命沌】は人間を魔獣に、魔獣を人間に変える力を持つ。ワシの研究もそれにあやからせてもらっている」
自信満々に説明するのは白衣の男。しかし、誰が説明しようがミスティージャにとっては関係なかった。
「……じゃ、じゃあこの国で起きてる魔獣騒動は――」
その言葉に、イデルガの笑みは一際に深くなる。
シリウスはそれを見て、確信した。
この男には邪気がない。打算や思惑はあるだろうが、そこに含まれる内情には悪意がなかった。
「当然、僕が生み出した魔獣によるものだ。その魔獣も、この国の住人を使わせてもらってる」
「――っ!!」
勢い良く、鉄格子が叩きつけられる音が響く。
何度も、何度も。
何度も。
叩く度に鈍い音が響き、荒い息遣いがいっそう激しさを増していく。
「おまえ……っ! お前は――っ」
「そう泣かないでくれ、ミスティージャ。犠牲は確かにあるけれど、これは必要な犠牲なんだ」
「必要なわけないだろ!! なんでっ! 魔獣なんて……っ!!」
言葉と共に、崩れ落ちる音が、牢獄を鳴らした。
「………………信じてたのに――」
感情は、嗚咽へと変わっていた。激情は、浮かばれることもなく、深く沈み心の澱となって閉ざされる。
ミスティージャの声が静かに震える中、イデルガは悲しげな表情を浮かべている。
それは果たして、同情か憐憫か。
彼の思考など、シリウスに分かるはずもなかった。
「……可哀そうなミスティージャ。裏切りにより発生する感情は、この世で最も忌むべきものだ。だけど同時に、最高のスパイスとして機能する可能性もある」
僅かに伏せた瞳が、何を表すのか。
再びシリウスへとそれを向けた時には、既にその目は先ほどまでの柔和なモノへと戻っていた。
「なあイデルガ様。早くこの魔王の子を使わせてもらえませんかね。コイツさえいれば、ワシの研究も捗るだろう!」
「まだだよ、ラベレ。ゼラネジィにはまだ利用価値がある」
「雪のような皮膚! シルクのような髪の毛! まるでよくできた彫刻のようだ! イデルガ様! ワシはあの小娘が欲しいんです!」
下卑た笑みを向けられるものの、シリウスがそれに何かしらの反応を示すことはない。
「駄目だ。第一、どうせ傷一つ付けられないんだ。――ゼラネジィ。キミと会うのは次が最後になる」
檻があるにも関わらず、今にも飛び込んできそうなラベレを制止させたイデルガは、その視線をシリウスへと向けた。
「なんだ? もう一度余と会ってくれるのか」
「三日後、この都市最大のイベント、討伐祭が開かれるんだ。そこで僕が魔王の子であるキミの首を落とす」
その言葉は、それまでのモノとは少し異なっていた。
雰囲気や言葉遣いは同じだったはずだが、そこにはある感情が見て取れる。
「――随分と、やる気ではないか」
「当然だろう。魔獣を討伐することが、僕の役割だからね」
そう言って彼は背を向けた。もう用はないと、言外にそう放ち、彼らはその場を後にする。
残されたのは、シリウスへと向けられた敵意と。
ミスティージャが嚙み殺す涙声、ただそれだけ。




