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魔王の娘  作者: 秋草
第2章 過日超克のディクアグラム
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魔王の娘は手枷を嵌める 前編

 そこは、下水の臭いや黴臭さが混ざったような、不健康極まるような場所だった。ネズミは徘徊し、太陽の光さえ届かない。


 そこは、牢獄。ディアフルンの一区画に設けられた、薄暗い場所だった。

 シリウスは異臭を放つベッドに腰掛けて周囲を見渡す。

 牢の内部にはベッドの他にはバケツが一つあるぐらいで、他には何もない。持ち込まれた小道具と言えばシリウスの手に嵌められた枷ぐらいなもので、不潔な場所でありながら塵一つ落ちていない。

 檻の外はただの石壁。松明の灯りが牢に入り込んでくるものの、それだけで人の気配はない。


 周囲の観察を早々に飽きたシリウスは、意識を外に向ける。

 牢を出てすぐの階段。そこを昇ると二人の兵士がいる。周辺の地形は入り組んでいるものの、ここを出た先はどうやら建物の中らしい。

 兵士が数人、巡回をしているようだ。

 それなりの人の数だ。万が一ここを抜け出せたとしても、並の人間ならばすぐに見つかってしまうだろう。


「――悪い、シリウスさん。巻き込んじまって……」


 さらに外へと意識を伸ばそうとしたところで、不意に声が響いた。

 それは、一緒に投獄されたミスティージャのもの。

 申し訳ないという感情をさらに膨れさせた、重々しいその声音に対して、シリウスは肩をすくめて応える。


「お主が謝る必要がどこにある? 巻き込んでしまったのは余の方だ。アレだけ派手な魔術を放てばこうなることは予期できた」

「いや、アレはしょうがなかっただろ。グラフィアケーンとかいうやべえヤツもいたんだし……」


 謝ったと思えば、今度は励まそうとしている。忙しい男だ、と。シリウスがぼんやりと感じていると、ミスティージャはわざとらしいほどに明るい調子で、言葉を吐き出した。


「っていうか、やっぱりシリウスさんって強えんだな。あんな魔術、初めて見たよ」

「強いかどうかはさておき、あの程度の魔獣ならば相手にならぬ」

「いやいや、どう考えてもあの場の誰よりも強いだろ。……そんだけ強けりゃ、わざわざ捕まる必要なんてなかったんじゃねえの?」


 率直な疑問。ミスティージャが抱くそれも理解はできる。しかし、意志なき力は暴力と変わらない。シリウスはそれをよく知っているからこそ、無暗な力の行使は控えていた。


「お主の言う通りだな。逃げ出そうと思えば逃げ出せたし、全員屠ることもできる。余にはそれだけの力がある」

「なら――」

「だが、それは余が最も忌み憎む対象がやっておったことと何も変わらぬ。余も同じ場所へと堕ちるつもりだが、同種にまで変わるつもりはない」

「……シリウスさんの考えは、俺には分かんねえけどさ」


 彼はそこで一度言葉を止める。

 考えを整理しているのかもしれなかった。取り繕う必要などどこにもないというのに、ミスティージャはしっかりと思ったことを咀嚼して、言葉にしようとしてくれていた。


「そこらの魔獣とか人間とかよりも、ずっと立派な人だと思う」

「それは余のことを買い被りすぎだ。実際、余は自身のためにここにおるのだからな。お主を巻き込んでまで自己を優先する余は、とてもではないが真っ当な存在ではない」

「……わざと捕まったってことか?」

「まあ、そうなるな。これが余の目的を遂行する上で、最短経路であることは疑いようがない」

「それって、どういう――」

「……答えが来たぞ」


 俄かに、階上が騒がしくなる。優雅に、静かに階段を下る靴音が、牢獄内にこだまする。

 松明の炎が、揺らめいた。


「やあ、久しぶりだね、ミスティージャ」

「――っ!」


 やがて現れたその人物たちは、柔和な表情の男性と白衣を着た髭面の男。

 笑みを浮かべる、比較的若そうな男性は、淡い桃色の髪を金色の髪留めで纏めている。その髪を左肩に乗せる彼は、金色に輝く瞳を妖しく輝かせた。


「……イデルガさん」

「無事で見つかって良かった。魔獣に喰い殺されでもしていたら、僕は悔やんでも悔やみきれない」

「……っ」


 石の壁を挟んで向こう側にいるミスティージャの反応は、シリウスがいる場所からでは窺えない。

 それでも感情の機微は、その場を満たしていく。

 惑い、そして疑念。

 檻の前に佇む男に、彼は混乱している様子だった。


「――そして、キミが魔王の子を名乗る、紅蓮の少女だね。初めまして、僕の名前はイデルガ。この国の王だ」

「この小娘が魔王の子ですか! いやあ、実物は初めて見ますなあ!」


 イデルガ、と。そう名乗った男の瞳には、憐憫と嘲笑。そして心の余裕で満ちていた。

 目の前にいる少女が魔王の子を名乗っていることに対して、思うところがあるのかもしれない。

 そしてそれは隣に立つ白衣の男も同じようで、眼鏡を掛けているためその瞳は分からないが、ともかく興奮している様子は伝わってくる。

 シリウスはそれを意にも介さず、彼の言葉に続けるように、口を開く。


「加えて勇者の一人だ。なあ、『影の勇者』」

「知ってくれていたとは光栄だ。もっとも、それももう過去の栄光だけどね」


 イデルガはシリウスから視線を外して、すぐそばで見守っている兵士へと声を掛ける。


「悪いけど、席を外してくれるかい? プライベートな話をしたいんだ」

「は、いやしかし……」

「大丈夫だよ。枷が付いている狂人にやられるほどの僕じゃない」

「……分かりました」


 彼の笑顔に、兵士はしぶしぶ引き下がる。階段を昇っていく音が遠ざかっていき、やがてその場には再び静寂が降り立った。

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