魔王の娘が消えた、その後で
「どうしてあの時邪魔したんですか!?」
トゥワルフが率いる騎士団が立ち去り、シリウスとミスティージャが連れていかれた。その事実を飲み込めないまま、ルアトはシャーミアへと詰め寄った。
激昂を吐き出して、それでもまだ臓腑に残った怒りは収まらない。このまま殴りかかりそうな勢いで対峙するルアトに、その視線の先にいる銀髪の少女は鋭い瞳で睨み返す。
「アンタこそ、なんでシリウスの邪魔をしたのよ」
「邪魔? シリウス様の身こそが僕にとって大事なんです。それが何の説明もなく奪われようとして、無抵抗でいられるわけないでしょう」
「アンタ、シリウスのこと信用してないのね」
溜息混じりで吐かれたその言葉には、さすがのルアトも感情を抑えきれなかった。
信用と心配はまた別の話だ。信頼していようが、心配なことは心配だ。それの何が悪いのか。
完全に頭に血が上ったルアトがその右拳を振るう。
シャーミアもまたそれに対して予期していたのか、咄嗟に黒い短剣を取り出しガードしようとした。
しかし、ルアトがその拳をシャーミアへ叩きつけることも、シャーミアがそれを防ぐこともない。
「止めぬか、馬鹿ども!」
間に割り込むように現れたヌイによって、ルアトの拳は止められていた。さすがはシリウスの分体といったところだと、そう感心する間もなく、いつの間にか目の前に浮かんでいた彼女にルアトは額を弾かれる。
「いたっ――!?」
小さい衝撃だが、その身を仰け反らせるには十分すぎる破壊力。ルアトはそのまま地面へと倒れ込んでしまった。
「まったく、ちょっとは頭を冷やすが良い!」
「で、ですが……」
「でもも何もない! 余は余の本体が考えていることが分かる。これも一つの目論見の内だ」
「目論見、ですか?」
ルアトの疑問に、ヌイはしっかりと頷き返す。
「余が人間を傷つけたくないというのは知っておるだろう。故に力業での突破は早々に諦めた。それに、あの場ではグラフィアケーンを倒したことを問われると、ほとんど間違いなく余が色々と追及されることは分かりきっておった。それは余りにも時間と労力の無駄だ」
それに、と。ヌイはもう一つ付け加える。
「これで恐らく、勇者イデルガと謁見できるであろう」
恐らく、それこそが本命だったのかもしれない。ヌイはニヤリと笑ってそう言うと、シャーミアへと振り返る。
「お主が余の味方をしてくれたのは意外だったな」
「……別に、味方をしたわけじゃないわ。シリウスなら、きっとそうするって思っただけ」
「照れんでも良いのだぞ? ほれ、余が頭を撫でてやろう」
「だあああ! そんなんじゃないって!」
若干顔を朱に染めて、ヌイと言い争うシャーミア。
彼女の方が、シリウスとの付き合いは長い。と言っても、数日の差だと聞いているのだが、それでもシリウスに対しての解像度が違うように見える。
「……シャーミアは、シリウス様の考えを全て見抜いていたんですか?」
起き上がり、尋ねる。それは、純粋な疑問だった。ルアトの行動を妨げ、シリウスを信じて見送った。シリウスと共に歩む彼女がどこまで近づけているのか、その思考を知りたかったのだ。
シャーミアはそれに、少し間を置いた後、静かに答えた。
「見抜いていたってわけじゃないわ。そこまで仲が良いわけじゃないし。……ただ――」
一度、視線がヌイへと向けられた、ように見えた。その口調は、優しいようで、強がっているようで、悲しいようで。
折り重なった感情が混ざり合って、滲んでいた。
「あたしが追い掛けるアイツなら、そこまでする。何かを選ぶようなことはしない。アイツは、全部選び取るから」
それは、シリウスへの信頼なのだろう。同時に、願いなのかもしれなかった。先陣を切る彼女に甘えた幻想を抱いて、押し付けた結果なのだ。
だから、シャーミア自身も根拠が無いように振る舞っている。
誰もが、シリウスの元へと辿り着けていないのだから。
「……そう、ですか。……すみませんでした。少し、感情的になってしまって」
「全然少しじゃなかったわよ」
苦笑いでそう応じるシャーミア。ルアトにもその自覚はあったので、つられて笑ってしまう。
シリウスの心配をするなど、烏滸がましい。彼女ならば無事にまた戻ってきてくれるだろう。今はとにかく、冷静に努めよう。
そこで話がひと段落したと汲んだのだろう。ダクエルとルシアンが近づいてきた。
「すまない。シリウスさんを連れ去られてしまった」
「構わぬ。余本体の意志だ。気にするな!」
「……」
胸を張ってそう応えるヌイに、二人が顔を見合わせる。腑に落ちないといった表情で、ルシアンが尋ねにくそうに口を開いた。
「あの、貴女は……?」
「うむ! よくぞ尋ねてくれた! 余はシリウスの分体。名をヌイという。気軽にヌイと呼んでくれて構わぬぞ!」
自慢げに腕を組むヌイ。返答に困ったのか、ダクエルとルシアンはシャーミアたちへ助けを求める。
それに対して、シャーミアは首を横に振って返した。
「気持ちは分かるわ。でも、ヌイの言ってることは本当よ」
「……驚いたな」
信じられないといった様子だが、目の前に浮かぶ小さいシリウスがそれを否定する。ヌイはふわふわと宙に漂い、自由に飛んでいる。
そんなヌイが、僅かにその声の音を下げた。
それは気遣っているような、心配しているような口調で、ダクエルへと向けられる。
「……余の方こそ、すまなかった。余が暴れたせいで、ミスティージャをまた牢獄に戻す結果となってしまった」
「ああ、いや構わない。平気と言えばウソになってしまうが、シリウスさんと一緒なんだ。寧ろここにいるよりは安全だろう」
そう言って彼女は笑った。
作られたその笑顔に、ヌイは押し黙ってしまう。
本当は、全員が不安なのだ。それでも振り返ってはいられない。今はどの方角に向けて、歩み始めるかを考える必要がある。
「……皆はどうするつもりかしら。私も一応『メサティフ』の副騎士団長だから、街に戻って報告書を提出する必要があるのよね。まあ、まずは魔獣討伐に向かわせた騎士たちを戻さないといけないんだけど」
「そうだな。ルシアンとはここで別れた方がいいだろう」
ダクエルの言葉に彼女は頷いて、シャーミアとルアトへ無念さを秘めた視線を送る。
「ごめんなさい。ウチの団長が……。昔は、もっと大らかで、多分シリウスさんとも仲良くなれるような人だったんだけど……」
「気にしないでいいわ。ルシアンさんは何も悪くないでしょ」
ヌイもうんうんと頷いてみせる。それでも身内が他者の大切なモノを奪っていったことを心苦しく思っているのか、ルシアンの表情は晴れない。
しかしやがて息を吐き出した彼女は、そのまま森の方へと歩き出していく。
「じゃあ、私は行くわ。ひとまず貴女たちのことは、黙っておいてあげる」
そう言って、ルシアンは立ち去って行った。
これで、残ったのはシャーミアとヌイ、ダクエル、それからルアト。
ルシアンを見届けて、ダクエルが気を取り直したように場を取りまとめる。
「それじゃ私たちも戻ろう――」
「なんじゃ、少し出遅れたか」
「――っ!?」
その場に響いたのは、ルアトのものではない男性の声音。上空から降り注がれたそれに、天を見上げる。
そこにいたのは、黒い大翼を羽ばたかせる一人の青年。長く茶色いコートに手を突っ込みながら、その男は静かに着地した。
「懐かしい気配を感じたから飛んで来たんじゃが、どうにもお前さん方じゃなさそうじゃのう」
黒い翼はカラスのように漆黒で、髪色は深い藍色。口調の割には、見た目は若いその人物がそこにいる全員を一瞥していき、ある人物でそれを止めた。
「おお! お前さん、やっぱりシリウスか!?」
「……まさかお主にまで会えるとは、思ってもおらぬかったな」
嬉しそうに手を振るカラス男に、ヌイは少しムスッとした顔を示す。
「――あの、シリウス様。この方は……?」
突然の出来事についていけない。ルアトの疑問に、ヌイは不機嫌そうに答えた。
「此奴はファルファーレ。――魔王の子、第十子。余の兄だ」




