ルアト
星待ちの寺院で再びシリウスの姿を見かけた時、これは運命ではないかと祈りもしたことのない神を賛美した。
これだけ広い世界。人も魔獣も暮らす中、再会を果たせたのはいったいどれほどの確立のことなのだろうか。
いずれにしても、このチャンスを逃すわけにはいかない。シリウスに無理を言って、彼女の旅に同行させてもらうことになった。
というよりも、元々そうしたかったのだ。
故郷の村を人間に焼かれ、この命を救ってもらったその時から――
ルアトは彼女に全霊を尽くそうと心に決めていた。
自分のような人間が、彼女の傍を歩くことは到底許されない。そんなことは百も承知だったが、それでもその欲望には抗えなかった。
だから、既に同行していたシャーミアにも突っかかり、シリウスに気に入られるように存分に甘やかしていた。
もっとも全てルアト本人の意志で実施したことだ、後悔はない。
しかし、焦燥感は拭えなかった。
――何故これほどまでに心が落ち着かないのか。
――何故自分はこんなにも弱いのか。
これでは、シリウスと肩を並べて歩くなど夢のまた夢。それは、己の無力さを痛感した結果による、焦りだった。
シリウスが放った魔力の毒にも。
グラフィアケーンが起こした斬撃にも。
ルアトは立ち向かえなかった。その選択が決して悪いわけではないだろうが、それでも今の自分にとってはきっと、何をどう選んでも悔いていただろう。
そして今、シリウス含むグラフィアケーンを倒した一同は、遅れてやってきた騎士団と会していた。
トゥワルフ、と。そう名乗った騎士団の先頭に立つ男。
取り立てて若いわけでも、目を見張るほどの筋力があるわけでもない。
そんな彼を、ルアトは一目見て判断する。
彼には敵わない、と。
「ルシアン。何が起きていたのか説明をしてもらえますか?」
「はい! ご報告します!」
トゥワルフは視線を金髪の女性へと向ける。ルシアンはその背筋をより正し、破裂音にも似た返事で応じた。
そういえば、彼女は『メサティフ』の副騎士団長と名乗っていた。ということは、彼は上司にあたるのだろう。
「数刻前、私が率いる騎士団はグラフィアケーンとその配下の魔獣たちと接敵。交戦を開始しました。しばらくの硬直状態の後、『ハウンド』のダクエルと――、そこにいる同行人が参戦。助力もあり、グラフィアケーンの討伐に成功しました。今は、騎士たちに遁走した残りの魔獣たちを追わせています」
「……報告、ありがとうございます。――なるほど、道理で……」
彼は視線を次々と移していく。
ダクエル、ミスティージャ、ルアト、シャーミア。
そして、最奥にいるシリウスへと。
「失礼を承知で伺うのですが、赤髪のお嬢さん。あなたの名前を聞かせてもらっても?」
名前だけならば、何も問題はない。シリウスの名は特別変なものでもないし、悪名として名高いわけでもない。
ルアトが僅かに安堵したのも束の間、シリウスは涼しい口調でいつものように名乗る。
「余の名はレ=ゼラネジィ=バアクシリウス。ただの旅人で――、魔王の第十二子だ」
「――っ!?」
言葉を発した彼女以外が、息を呑んだ。問いかけたトゥワルフさえも、その目を見張り腰に下げる剣の柄を握る。
「その言葉、真実だと捉えても?」
「こんな嘘を吐く必要がどこにある?」
「ここで真実を言う必要性もないと思いますが」
それに関しては、ルアトも同意見だった。何故シリウスは正直に魔王の子であると答えてしまったのか。どれほど問い質したかったのだが、今は彼女を信じることしかできなかった。
「……それが仮に真実だとするなら、これからあなたがどうなるかはご存じでしょう」
彼が投げるその視線はより鋭さを増す。今にも戦闘が始まってもおかしくない、一触即発な空気が滲む中、シリウスはそれでも口調を崩さない。
「そう気を立てるでない。安心しろ、余はお主らと敵対するつもりはない」
彼女は緩やかにその一歩を踏み出す。陽が差す中、心地よく散歩しているかのように、その足取りは軽々しい。
「投降する。その方が、時間が無駄にならずに済むからな」
「なっ――」
ルアトは思わず声を漏らしてしまっていた。
投降? 彼女が? その気になればこの場にいる全員を無力化できるであるはずなのに?
いの一番にそんな疑問が並んでしまうものの、ともあれこのまま黙って彼女を見送るわけにはいかない。
シリウスとは離れたくない。せっかく再び出会えたのだ。また距離を置いてしまうと、次にいつ会えるのかは分からない。
感情のままに、その身を飛び出させようとしたルアト。
しかし、それは阻まれる。
「……退いてください。シャーミア」
「嫌よ」
彼女が瞬かせる赤い瞳。それは決して揺れることはなく、確固たる決意の下で輝いている。
力づくで退けさせることもできる。感情に身を委ねているルアトは即座にその選択を取ろうとした――
「――っ」
その行動を選べなかったのは、シャーミアが邪魔だったわけでも、冷静さを取り戻したからでもない。
いつの間にか送られていた、シリウスからの視線。
その一瞥はルアトの体の自由を奪う、そう錯覚してしまうほどに威圧的で、冷酷だった。
「……あの方たちも、あなたの仲間ですか?」
「知らぬ。大方、魔獣に恨みを持つ人間であろう。復讐に囚われておるのかもしれぬな」
再び前を歩くシリウス。その言葉にトゥワルフは眉をひそめるものの、しかしすぐに控える騎士たちに指揮を飛ばす。
「この者を大都市ディアフルンに連行する。魔王の子であるという事実が本当かどうか、あるいは他の魔獣たちの情報を知っているかどうか、戻って審問の手続きを始めることにしましょう」
騎士たちは乱れのない敬礼をした後、踵を返し始める。
それを確認したトゥワルフは、続けてミスティージャへ向き直った。
「あなたにも戻ってきてもらいます、ミスティ王子」
「……っ」
彼は苦い顔を隠しもしない。それでも逃げられないと踏んだのか、抵抗する素振りも見せず、大人しくトゥワルフの言葉に従う。
「それでは、また後でお会いしましょう、ルシアン」
そう言ってシリウスとミスティージャが騎士たちに連行されていく。
紅蓮の少女は、ただ一度も振り返ることをしない。
せめてもう一度その顔を見たいと、そう思うものの。
ルアトは、去っていくその背中をただ見つめることしかできなかった。




