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魔王の娘  作者: 秋草
第2章 過日超克のディクアグラム
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グラフィアケーン④

 グラフィアケーンがその手を振るう。

 風が唸りを上げて荒れ狂い、同時に甲高い風切り音が一帯に鳴り響いた。


「……――っ!」


 咄嗟に、シャーミアは短剣を構え、ルアトはその身を屈める。

 その行動ができたのは、二人に何かが見えていたからではない。ただ何となく、そうしなければならないと感じ取った、ある種の野生の勘のようなものだった。

 果たして、その判断は功を奏したことになる。


「くっ――!?」


 シャーミアが構えた短剣に衝撃が掛かる。そこに打ち合う剣は無いにもかかわらず、場違いな金属音が鳴り響き――

 防いでいた短剣が真っ二つに割れた。


「な――っ!?」


 短剣が折れた。そのことについて、嘆く暇はない。

 即座に、衝撃を受け切れずに崩れた体勢を立て直そうとして、シャーミアはそれを見た。

 グラフィアケーンの周囲。あるいは戦闘が起きているその周辺に生えている木々が、真横に切断されていた。

 そして鳴り響く轟音と、土煙が舞い上がる。


「……驚いたな。今の斬撃に防御すら必要としないとは」


 ただ手を振っただけで斬撃を作り出したグラフィアケーンは、正面に佇む少女に向かって怪訝な表情でそう言った。

 シリウスは、防御の姿勢も回避も行わない。黙って彼を見据えたまま立ち尽くす。

 そこには魔術による障壁や抵抗も存在せず、敵の攻撃などなかったかのように、その紅蓮の髪を風に靡かせていた。


「これが、お主の実力か? だとしたら、期待外れもいいところだな」

「ぬかせ。まずは小手調べだ!」


 言うが早いか、グラフィアケーンはその巨体で瞬時にシリウスの背後へと回り込む。

 振り上げられる手の先。そこには三日月のように鋭く、鈍く光る爪が並んでいた。

 よく鍛え上げられた剣のような輝きを放つそれが、勢いよく振り下ろされる。


「相手の実力すら見極められぬとは……、余はお主のことを少し過大評価しておったかもしれぬ」


 しかし、その刃はシリウスまで届かない。その遥か手前で、まるでそこに壁があるかのように不快な音を立てて動きを止める。


「うおおおおおおおおおお!!」


 乱打、猛追。

 その爪が届かないと知って尚、グラフィアケーンは攻撃することを止めない。

 両手を滅茶苦茶に振り回し、その度に固い音と共に弾かれる。


「ちょっ――!」

「これは――」


 そこで引き起こるのは、斬撃の余波。彼が適当に振るうその力は、周囲にもシリウスへ振るっているものと同様の斬撃が届いている。

 シャーミアは咄嗟に《カゲヌイ》で防御。ルアトもしっかりとそれを回避していた。

 だが、周囲にいる魔獣たちはそうもいかない。

 手足を斬られるモノ。首を刎ねられるモノ。回避するモノと様々に、魔獣側にも被害が及んでいた。


「敵が減ってくれて助かりますが……」

「こんな斬撃の雨の中、まともに戦えないわよ!?」


 自分たちがするべきことは、グラフィアケーンを取り囲む魔獣たちの相手。災害のような斬撃の嵐を抜けながら、戦うことは至難を極めるが、しかし泣き言も言っていられない。


 シャーミアは斬撃を躱し、横合いから四つ足を駆る魔獣が牙を向ける。

 彼女はそれに対して、体を捻りながら《カゲヌイ》を投擲。その顔面に直撃し、魔獣はその場に倒れ伏した。

 武器を手元から離し、その身もバランスを崩している。この好機を魔獣たちも見逃さない。

 続けて二匹同時に、挟み込むように魔獣が襲い来る。


 片方は何とかなる。《カゲヌイ》を手元に戻せば対応はできる。だがどうあっても一手足りない。

 そんな考えを巡らせるシャーミアへと、一つの声が耳を打つ。


「シャーミア。一方は余が討つ」


 ヌイがいつの間にかその身を出現させていた。既にその小さな手のひらからは、魔術閃による黒い閃光が放たれている。


「ありがとねっ」


 残る一匹も、シャーミアは《カゲヌイ》で一閃。魔獣の追撃を阻止する。

 倒れた魔獣からは、血は吹き出ない。

 グラフィアケーンによって斬られた魔獣も、ただ無機物のようにその斬撃を受けるだけで、血の一滴も流れ出ない。

 これも、シリウスが言っていた作り出された魔獣ということなのだろう。


 だから、というわけではないが、気兼ねなく攻撃することはできる。

 ルアトはと言えば、そんな躊躇をする様子もなく、淡々と襲い掛かる魔獣を殴っては蹴り、蹴っては殴っていた。


「アンタ、魔獣に対して躊躇なさすぎない?」


 言いながら、シャーミアは斬撃を躱す。


「……もちろん僕も大変心苦しいと感じています。ですが、これもシリウス様のため。そのためならば、僕は心を殺しますよ」


 答えながら、ルアトは魔獣を蹴散らす。

 そうしているうちに、魔獣の数が半数よりもその数を減らしてきた。さすがに魔獣たちも劣勢を悟ったのか、無謀な突撃はしなくなる。

 その間も、斬撃の暴風は止むことを知らない。

 だが――


「煩わしい」


 シリウスがそう言い放った瞬間、何かが破砕された音と共にグラフィアケーンの体が大きく仰け反った。


「馬鹿な……っ!? 俺の爪が――!?」


 音を立てて割れたのは、グラフィアケーンの左手の爪。

 白い欠片を周囲に撒き散らしながら、彼は数歩後退る。

 悔しそうに、あるいは脅えるように少女を見据えるグラフィアケーンに、場を支配する魔王の娘は呆れたような溜息を吐いた。


「……よく分かった。お主は、魔王の子でもなんでもないということがな」

「何を――」


 彼の顔つきがより一層険しいモノへと変貌する。その発言が許せなかったのだろうが、しかしシリウスはその感情を持つことすら許さない。


「お主は質の悪い模倣品。いや、模倣品と呼ぶのも兄上に失礼だな。何せ、外見以外は何もかも違うのだからな」


 その言葉には悲哀が含まれていた、ように感じられた。彼女は無表情を崩さないが、それでも思うところがあるのだろう。

 少し離れた場所で、シリウスの姿を眺めるシャーミア。そしてその肩にヌイが腰掛ける。


「……本当は、兄の姿をした者にあんな言葉を吐きたくなどない。まやかしであろうと形を模したレプリカだろうと、どうしても記憶の中にある実兄の姿と被ってしまう」


 ヌイは落ち込んだように、今にも泣きそうなほどに表情を歪めて語る。言葉は、そのままシリウスの想いなのだろう。当然、ヌイも同じ感情を抱いているはずだった。


「シリウス……」


 言葉は届かない。届かない方が、きっと良かったとも思える。掛ける言葉など、シャーミアは持っていないのだから。


「もうよい。お主と戦うのは、疲れた」


 彼女の声はいつも通り。震えてもいないし、疲れた様子もない。それなのに、シャーミアの耳には、心には、頭には。

 沈痛な面持ちをした、シリウスの表情が浮かんでしまう。

 そんな彼女の態度が気に喰わなかったのか、グラフィアケーンは激昂し、その手を思い切り振り上げた。


「――っ! 小娘如きに俺の何が分かる!?」

「分かるとも。お主がハリボテで、何者でもないことがな。それまでの記憶や経験もなければ、特異星(ディオプトラ)も消失。その容姿と性格だけが切り取られ、土くれに自我を吹き込まれた、悲しき生命よ。せめて、余自らが引導を渡そう」


 グラフィアケーンの凶刃が振り下ろされる、その前に――

 シリウスの冷たい声が詠唱となり響き渡る。


魔王の戦火燻る(レ=イグニウス)晩末の灯火(=ベヌウ)


 彼女が手を掲げた直後、グラフィアケーンを中心とした巨大な火柱が逆昇る。


「ぐあああああああああああああああああああ――――っ!?」


 地鳴りと錯覚するほどの悲鳴が轟く。その火柱は数刻のことだったが、それが消える頃には既に、グラフィアケーンの意識は途絶えているようだった。


「――兄上には、心底同情する。魔獣もどきが、名乗って良い名ではないというのにな」


 彼を見上げるシリウスの声は静かに、紡がれた。

 その言葉が向けられた先は、この場にいる誰でもない。

 ただ天へと抜けて、それは届けられる。

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